二つの野党(無責任政党の存在意義)
二大政党制のように責任政党同士が覇権を競う場合、過半数を取れない方が下野して野党となり、政権交代するというのは憲政の常道である。この場合の「野党」は、単に政権を取っていない方の党という意味であり、欧米の先進国の二大政党制のように、元来どちらの党が政権を取っても細かい戦術こそ変化するが、国家としての基本戦略は一貫している。
一方、マイノリティーの意見を取り入れ、それを責任政党の政策にどう反映させるかという意味においてアイデンティティーがあるのが、無責任政党としての「構造的野党」だ。彼等はどうあがいても過半数を取って主流化することはできないが、少数集団の利益代表として、まさに外野から意見すること自体に存在意義がある。
20世紀末以降のヨーロッパを中心とする先進国では、一つの責任政党が単独過半数を取ることは稀になり、複数の政党が合従連衡して議会の多数派を構成する連立政権が基本となるっている状況だ。2つや3つ程度の比較的大きな政党で連立して過半数を確保できるのであれば運営もそれほど難しくないが、そうならない場合もままある。
こうなると、「数こそ力なり」とばかりに、員数合わせで連立相手を探すこととなる。これにより無責任政党も連立に取り込むことで、多数派工作をするのが政権運営の基本となってしまった。与党になる権益はどの国でも大きいので、連立に組み込まれるメリットは大きい。大臣の椅子をちらつかせながら声を掛けられてうれしくない政党はない。
しかしこれでは利権に目がくらんでしまった本末転倒である。無責任政党は自身には政権を運営する能力がなくても、ある一定の層の利益代表として、その声を実際の政策の中に反映させることで初めて存在意義を発揮できる。そのためには、取り込まれてしまうのではなく、常に交渉力を発揮できる立ち位置を確保した方が有利である。
すなわち、連立に加わる以上に、是々非々主義の対応でキャスティングボートを握った方が、自らの求める政策をよりいい条件で実現することができる可能性が高い。予算案をはじめ重要法案を人質にとって、自分の希望する政策を実現させるのだ。マイノリティーの利害に関わる政策を実現することが無責任野党の目的とすれば、このやり方は充分意味のある戦略である。
実際、55年体制後期の日本社会党は政権を取る意欲こそ見られなくなってしまったが、結果的に労働組合の利益代表として自分達の目指す政策を政府に取り入れさせることには成功していた。特に田中角栄首相は、かなり積極的に野党の主張を取り入れた政策を打ち出し、微妙にコンビネーションの取れた役割分担を行っていたのが特徴となっていた。
利権に目が眩まなければ、こちらの方が余程アイデンティティーを発揮できる。連立に入りたくて必死に秋波を送る野党が多くなった中、きちんとこういう野党らしい野党が現れてくれれば、それなりに支持を集めるのは間違いない。与党再編も必要だが、烏合の衆になってしまっている野党の再編も、日本の政治の正常化のためには必要である。
幸か不幸か、先の参議院議員選挙は極端な結果にはならず、ほどほどのバランスで落ち着いた。与党が極端な利権政党に先祖返りしてしまった以上、妙に取り込まれるよりは、野党は是々非々を貫いて落ち着く先を見極めた方がいい。与党は政権維持がしたい以上、今までになかったような譲歩をしてくる可能性が高い。次のステップはそれを実現してからでいいだろう。
(25/07/25)
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