背伸びが通用した時代





かつて日本には「背伸び」が通用した時代があった。それは高度成長期のことである。高度成長自体、その時代の冷戦構造や急速な技術革新(これも軍事予算が後押ししたという意味では冷戦と密接だが)などいろいろ複雑な要素が相俟って実現した「奇跡」だといわれるが、見栄と背伸びが結果的に実体経済を押し上げていったというのも、こういうラッキーな偶然のなせる技である。

実態や内容がない「カラ買い」から入ったとしても、経済が急速に成長しているので、「後付け」でなんとか帳尻が合せられたからだ。カタチから入って、見栄を張って一つ上のように装っても、クレジット払いと同じでその後収入が増えてくれれば、自転車操業ではあるものの収支的には破綻しない。結果的に見栄と背伸びが高度成長を支えたともいえる。

最近高齢化による衰退が問題になっている郊外のニュータウンは、まさにその象徴だ。就職して地方から都会に出てきた団塊世代は、まず何より住むところが必要だった。収入の中から借家住まいする手もあったが、見栄もあってローンを組み、ニュータウンのマイホームを手に入れた。高度成長で所得もうなぎ上りに伸びたので、結果的に問題なく完済できた。

しかし気付いてみると、手元に残ったのはその家だけ。しかし人口減少時代で都心回帰が起こったため、売るに売れない。コンパクトシティー化で交通至便なところの狭い借家生活をするに至っては、まるでローン返済のため銀行に貢いだ一生のようなものである。それなら図っと借家生活していた方が、老後手元に残った資金は多かっただろう。

そういう意味では、高度成長時代の後半は人口的にも巨大な団塊世代がマーケットの中心であり、彼等の見栄心に訴えればプロダクトアウトのマーケティングでも飛ぶように売れたお気楽な世界である。日本の製造業の多くは、このような「恵まれた」時代における成功体験だけで成長した。自力で売るのではなく、「風任せ」の商売しかしたことがない。

顧客のニーズを見極めてマーケットインの製品づくりをすることこそ、本当のマーケティングである。しかし、日本のメーカーのほとんどはこの「マーケティング」をやることなく、追い風だけで成功体験を作ってしまった。マーケットへのインサイトを持つことも持とうとすることもなく、バリューチェーンの中だけに閉じこもっていて売上が上がった成功体験。これが日本企業の不幸である。

日本の消費財でマーケットインのマーケティングが行われるのは、「もう後がなくなり、頼るものはお客さんしかない」状態になった時に限られる。1980年代にどん底の低シェアに喘いでいたアサヒビールが、徹底した顧客志向の試飲テストを繰り返す中から編み出した「スーパードライ」がトップシェアの下剋上を実現させた「ビール戦争」がその典型的な事例だ。

まあ、この時代のノスタルジアと共に遺物を引きずる後期高齢者に対しては、まだこういう「見栄マーケティング」が効くし、なんせこの世代は人口が多いので、そこをターゲットとして古風なマーケティング戦略を繰り出してもそこそこ商売になってしまう。BSを主戦場とする通販業界など、完全にこのパターンで成功している。

若者のなんとか離れとか、若者は金をもっていないとか言われて久しい。確かに少子化の影響で若者のマーケットは昔ほど大きくない。しかし、商売にならないわけではない。推しの地下アイドルに恐ろしい金額を注ぎ込む若者も多いし、自分の趣味と合うクラウドファンディングには大きく出資するので思わぬものが人気を集めて成功したりしている。

要は、高度成長期以来の上から目線のマーケティングが効かなくなったというだけのことだ。キャズムから30年、もはや世の中の労働人口は完全に横から目線でなくては動かなくなっている。参院選でもレガシー政党の息の根は止まった。レガシーマーケティングが効かない人がもう日本社会ではマジョリティーなのだ。生活者のせいではない。生活者を見れないメーカーが悪い。



(25/08/01)

(c)2025 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる