そこに壁などない





このところ、スマートフォンの普及や、facebookの登場などで、インタラクティブメディアを利用した「バイラル・マーケティング」が、またぞろブームになってきている。前にも記したことがあるが、ぼくがこういう仕事に関わり出した80年代以来、口コミマーケティングとかWOMマーケティングとかというように、ユーザ同士のインタラクティブなコミュニケーションを利用したマーケティングというのは、いわば「定番」として数年おきにブームになっている。

まあ、そういう意味では今回も「またぞろ」という気がしないでもない。しかし、実はこの「またぞろ」という感覚が重要なのだ。口コミを考える上では、ソーシャルメディアを特別視すべきではない。ソーシャルメディアの普及により、口コミが「可視化」されることは確かだし、口コミをハンドリングしやすくなることも確かだ。しかし、個々人がウワサや口コミをしたくなるモチベーションは、メディアやツールにより変わるものではない。

リアルな世界とネットの世界の一貫性は、年齢層が若くなればなるほど強くなる。大人になってからインタラクティブな世界に触れた人にとっては、その両者は別の世界のように見えるかもしれない。しかし、物心ついたときから、当たり前のようにインタラクティブな世界がある者にとっては、そこに「壁」を見つけるほうが難しい。20代以下の層にとっては、ネットも、リアルワールドの中にあるツールの一つであり、リニアに繋がっているものなのだ。

すでに何度も分析してきたように、60歳以上の女性が「振り込め詐欺」に引っかかりやすいのは、この世代の女性は「電話のリテラシー」が低く、電話の内容を必要以上に信じがちなのが原因だ。インターネットを「特殊な世界」と思うのは、「振り込め詐欺」に引っかかる60代以上の女性と同じである。端から見ると「なんて常識知らず」と思えてしまうことを、後生大事に信じ込んでいるに過ぎない。元来一つのものを分けて考えるから、話がややこしくなる。大いなる誤解だ。

ネットいじめが深刻なので、ネットいじめの温床になるとして、ケータイの利用や掲示板の利用を何とかしなくては、という意見がある。しかし、全く本質をはきちがえている。ケータイにしろ、BBSにしろ、それは単なるいじめの手段である。いじめの問題は、手段にあるのではなく、いじめるヤツだったり、いじめを面白く思ったり、黙認したりする「その他大勢」だったりの、意識や態度に原因がある。

その証拠に、リアルな世界でも、ネットの世界でも、いじめられるヤツは同じだし、いじめるヤツも同じだ。体育館の裏でいじめるか、ネットの掲示板でいじめるかというだけの違いであり、いじめる側の意識には、なんら差はない。こういう本質的な構造を解決しない限り、いくら対症療法で手段を押えても、いじめはけっしてなくならない。突き詰めていえば、相手をシカトしさえすればいじめられるのだから、あらゆるモノがいじめの手段たりうる。

「炎上」の問題もそうだ。さすがに最近では、各企業ともわかってきたようだが、インターネット上の話題だからといって、特別な解決法があるワケではない。インターネットの向こう側にいるのは、生身の人間である。炎上させるのも、生身の人間だ。人々が悪いイメージや印象を持っているブランドなら、何かが起こったら叩かれるし炎上する。逆に、人々がいいイメージや印象を持っているブランドなら、炎上させるのは難しい。

けっきょくは、インターネット上での出来事でも、そこに人間がからんでいる以上、リアルな世界での企業イメージ、企業ブランド力の問題なのだ。ネット上の情報の発生源は、ネットを利用している人間だ。そして、それらの人々は、今という時代を、この世界を共に生きている人たちなのだ。匿名でインターネットを利用するとき、多少ワガママになったり、欲張りになったりすることはあっても、人間の本質が変わるわけではない。

こう見てゆくと、処方箋はただ一つ。良きにつけ、悪しきにつけ、話題になるものは、所かまわず話題になる。変な小細工など考えず、王道を行くしかない。情報化した世の中では、ゴマかしは効かない。だがその分、きちんと誠実に対応していれば、必ず道は開ける。あなたは、清い心を持っているのか。それとも、邪な心を持っているのか。魔法の鏡に向かって、シラをきることはできないのだ。


(11/03/25)

(c)2011 FUJII Yoshihiko


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