Gallery of the Week-May.14
(2014/05/30)
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フランス印象派の陶磁器 1866-1886 —ジャポニスムの成熟—
パナソニック汐留ミュージアム 新橋
印象派の発端となった、1874年の印象派展に集ったアーティストは、画家のみならず、多彩なかつ領域で活躍したことで知られている。美術のみならず工芸の領域で活躍した作家も多く、特に陶芸の領域では密接な関係があるだけでなく、フランスにおける陶磁器の発展に大きな影響を与えた。今回の展覧会は、フランスの主要な陶器メーカーであるアビランド社のオーナーであるアビランド家のコレクションを中心に、19世紀末のフランス陶器の世界を見渡す展覧会である。
この時代のフランスの工芸というのは、意外と知られていない。実際、当方もほとんど知見がなく、新発見の連続で、極めて興味をひかれる。そもそも印象派もそうだし、それ以降のモダニズムもそうだが、写真が発明されて以降、19世紀後半から20世紀にかけての美術界は、ジャポニズムの影響が大きかった。さらに工芸品については、ジャポニズムを生み出す土壌となったように、18世紀以来、日本製品の欧州への輸出が行なわれ、特に陶器は一世を風靡していた。
こうなると、こと工芸品においては、ジャポニズムを通り越した「日本趣味」とでもいえるようなブームがベースにあったことは容易に察せられる。しかし、現実はそれ以上のものがある。北斎漫画に載っている絵をそのままコピーし、陶器の図柄にしてしまうようなことが、大胆に行なわれていたのだ。中国のパクり商品も驚く、「モロ」である。著作権とか問題にならなかった時代なのだろうが、ヨーロッパにして昔はそうだったのだ。
もちろん、そこからスタートし、時を重ねる中からオリジナリティーが生まれてきたのだが、スタート地点がそこというのは、ある意味バレてしまえば今でもあからさまに見えてくる。長らく「追いつき追い越せ」でやってきた日本人は、とかく西欧のモノをありがたがり、教条的に信奉してしまうキライがあった。しかし、その西欧自体が日本をパクっていた時代があったという事実。これを目の当たりにできるだけでも、かなりのインパクトがある。人間、知ると知らないとは大違いである。
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スピリチュアル・ワールド 平成26年度東京都写真美術館コレクション展
東京都写真美術館 恵比寿
4月以来、尋常ならざるペースの忙しさで、時間が足りなくて仕方ない状態だったが、やっと少しずつ平常パターンに戻りつつある。そこで、今週は久々に有料のギャラリーに足を伸ばす。東京都写真美術館では、恒例の館蔵コレクション展が実施中である。この数年は、大テーマの下に3回程度のシリーズ展として行なわれることが多かったが、今回はピンである。
「スピリチュアル・ワールド」と題し、古今東西、写真の誕生以来数多く撮影されてきた、聖なるもの、霊なるもの、神々しいものをテーマとした作品を一同に集めた展覧会である。とはいっても、日本で撮影されたものか、日本人の写真家が撮影したもの、というシバリはあるようだ。写真の創成期には、写真に撮られると魂を抜かれてしまうなどど、まことしやかに信じられていたというだけに、本質的にスピリチュアルな何かがあるのかもしれない。
さてひとことでスピリチュアルな写真といっても、大きくわけて二つの方向性がある。一つは、被写体が仏像やパワースポットなどのように、そもそもスピリチュアルなものを撮影した作品である。
もう一つは、画面の要素や構成ではなく、作者の創作意図がスピリチュアルな作品である。会場では前者が前半、後者が後半という形でレイアウトされている。
しかしこの両者は、作品としてはかなりかけ離れたものがあり、一つに押し込むのはけっこう辛いところがある。これなら、無理に一回にまとめず、海外の写真家の作品なども合わせた上で、前半で一回、後半で一回と、例年通りシリーズものにしてしまったほうが、鑑賞する側からすると、とっつきやすいかもしれない。着眼点が面白いだけに、ちょっと残念であった。
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阪本勇展「天竺はどこや!!」
ガーディアン・ガーデン 銀座
『ひとつぼ展』と「1_WALL」の入選者の中から、その後活躍しているアーティストにスポットライトを当て、同じガーディアン・ガーデンで個展を開催する「The Second Stage at GG」シリーズ。その第36弾として、「天竺はどこや!」で2006年の第27回写真『ひとつぼ展』に入選した阪本勇を取り上げる。
今回もタイトルの継続性が示すように、作者が得意とする制作スタイルである、自分の中から湧き出てくる衝動に忠実にシャッターを押して撮影された写真を、これまた溢れ出る衝動に忠実に構成して作品としたものである。ある意味、究極の表現ともいうことができ、このスタイルを取る限り、生涯そのものが壮大な一作品となることになる。
さて、写真というのは、ただ一枚がそこに置かれたのでは、現実の記録にしからないことが多い。しかし、複数の写真を組み合わせたり、写真にキャプションを付けたりすると、たちどころに、そこから被写体の真実とは別の、創り上げられた世界、創り上げられたストーリーが現出する。1980年代に、白夜書房系のエロ雑誌をベースに実験的作品を発表していたアラーキー師匠が盛んに試みていた方法論である。
あふれ出た衝動のままに写真を素材に作品を作るという阪本氏の手法は、ある意味、こういう「偽真実」としての写真という方法論の発展上にあるものと捉えられる。「キャプション一つで、真面目をギャグに」というのは、まさにぼくも得意とするところ。メッセージや社会性なんてクソ喰らえ。あるのは自分の中から湧き出てくる、心の素直な快感だけ。これぞ芸術の、そして表現の本質だ。今後も、この線で一層活躍して頂きたいものだ。
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phono/graph - sound, letters, graphics
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
グラフィックデザインを取り巻くテクノロジーの発展により、音楽、文字、画像、映像など、様々な表現がデジタルデータとしてリニアにつながり、リアルタイムで多くの人々に共有される時代となった。「phono/graph」は、そのような時代の新たな音と文字の関係のあり方を模索した展覧会であるという。
監修の藤本由紀夫氏を中心に、八木良太氏、ニコール・シュミット氏、および「Intext」、「Softpad」の2グループが挑戦する表現のカタチ。大阪dddギャラリーでの展示から3年。ドルトムント、名古屋、京都での展示を経て、今回の東京では新作も加え、実験的な作品の数々を展示している。
この手のトライアルは、表現まで行かない習作となることが多いが、本人が実験的な習作と称しているだけに、それは想定内ということだろう。しかし、デジャブ感が強いのはどうしたものだろうか。どことなく、その時代の空気を呼吸してきた者としては、70年代の前衛っぽい臭いを感じてしまうのが気になる。それが結局、何も生まなかったのを知っているだけに。
一つの画像、一本の映像でも、音の付け方で、見るヒトの感じる印象は全然変わってしまう。どうせなら、そこまで踏み込んで、もう一度デザインの強さ。音楽の強さを確認する作品を見せてほしかった。デザインにも関わりのある音楽屋として言わせてもらうと、現状では「音をお題にしたデザイン」から抜け出しているようには見えないのだが。
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