「推背図」 ~ 中国の予言書を読み解く


■ はじめに

 中国占術に興味のある人は、「推背図」という予言書の名前を聞いたことは一度はあるかもしれません。しかしその内容まで知っている人は少ないのではないかと思います。実は私が若い頃、今は亡くなった鮑黎明師の『推背図大予言』(サンデー社)を買って読んで以来、今までほとんど振り返ってきませんでした。なお、私が持っているのは第一版1984年ですが、その後再版されたのかはわかりません。調べればわかるかもしれませんが…。
 もっとも、その本には象数易学、皇極経世に触れている章がありその章が購入の目的だったので、肝心の推背図の内容については斜め読みで深くは読んでいませんでした。

 しかし、今年2020年、中国に端を発した(元々どこで生じたかは置いておくとして)新型コロナ騒ぎを見て、ふと「推背図」のことを思い出しました。これだけ騒ぎになっているのだから、中国の予言書にも触れられているのではないかと。

 結論からいえば、新型コロナに関する記述は見られませんでした。第四十一象に妙な頭飾りを付けた男性の挿絵があり、その飾りがコロナウイルスに見えないこともありませんが、後述するようにその象には別の解釈を付けています。
 「推背図」に関する知識を私もそれほど持っているわけではありません。しかし「推背図」はもともと60の予言文しかありません。全文は鮑黎明師の『推背図大予言』に載っていますし、ウエブで検索すれば全文を見ることは可能です。また、過去のことに関する解釈はほぼ定まっていますが、現在あるいは将来に関する部分については、定説があるわけではありません。私が何か言っても、それを正しいとか間違いだとかは誰も判断できないのであります。(誤読は別として)ですから、まあ、以下勝手な私見を述べさせていただきます(苦笑)。

 この章を書くにあたっては、『推背図大予言』の他、『「推背図」開封』(佐藤六龍著 徳間書店)や他の予言に関する書も参考にしました。(参考文献に挙げております)

■ 「推背図」に対する私なりの考え

 「推背図」というワードで検索すると、結構な数のウェブサイトがあります。"Wikipedia"にも「推背図」がありますが、残念ながらほとんど情報はありません。誰か編集してほしいと思います。もちろん "Wikipedia" ではなく、研究家の方々がサイトで解説しているので、それを読めば概要(だけでなく深いところまで)を知ることができるでしょう。

 ただ、私は定説とは若干違う考えを持っています。このページでは、そこを中心に述べようかと思います。

 まずは、「推背図」は誰が書いたのか?一応、唐代の李淳風と袁天罡という二名の司天監だとされています。司天監とは、気象庁長官とか国立天文台長とかいえばよいでしょうか。自ら天文暦法に通じているので、文官というよりは技官でしょう。
 しかし、この二人の著作ということはうのみにはできません。彼らの生きていた年代は唐の太宗のころ、西暦630年頃になります。中国は正史がしっかりした国であり、またその時代の書物の記載もありますから(各時代の芸文志)、もし唐代に成立していればその後の代に作られる正史に記載されるでしょう。『推背図大予言』によれば「宋史」には書名の記載があるとのことで、原型は宋代には作られたのは、おそらく確かでしょう。ただしそれが現代に伝わる「推背図」と同じ書かどうかはわかりません。私はおそらく違うものだったと考えています。というのは、「推背図」には異本があるようで、私の知る異本は、60の文ではなく48の文で構成されているものです。今伝わるのは明代の金聖嘆が注釈したものです。金聖嘆は知る人ぞ知る著名な文芸評論家(というべきか?)であり、まさか彼が「推背図」全文をでっちあげたとは思いませんが、元代なり明代までの誰かが手を加えた可能性は否定できないと考えています。というのは、あまりに過去の事件と合致していることが多いためです。一部意味不明の予言もあるので、全部でっちあげというわけでもなさそうです。わざとそういうものを作ったのかもれませんが…。このあたり疑いだすときりがありませんね。

 私の考えですが、原型はあったと思いますが、いろいろな人が書写したり手を加えたりするうち、過去の予言の表現は当たるように変わっていったものと思います。しかし、将来のことはわかりませんから、未来についての記述にさほど手が加わっていない可能性もあると思っています。
 と考えると、近代以降と思われる文には、過去の記述ほどの正確さは期待できないといえるかもしれません。この点は注意しておきたいと思います。過去のことが当たったから将来も当たる予言だという先入観は持たないことです。

 次に、60の予言文が、いつ、どこのことを表しているのかを考える必要があります。これについては、後の項で検討します。

 この項の終わりに、「推背図」の発想の由来(というほどおおげさなものではないですが)を考えてみたいと思います。もう知る人も少なくなりましたが、ノストラダムスの「諸世紀」(五島勉氏の訳だと聞いていますが)の1章と2章は予言文ではなく、予言するときの情景が書かれています。「推背図」も第一象と第六十象は予言ではなく、考え方というか情景というか、そういうことが書かれています。それに対する私見を記します。讖や頌とともに図も一緒に載せる方がいいのでしょうが、スキャンするのもめんどくさいので文だけにしておきます。(めんどくさがりですみません)
 なお、utf-8にない字があるので、その場合は、似たような意味を持っているが原文とは異なる字を使う場合があります。ご容赦ください。


第一象 甲子 乾

讖曰
茫茫天地 不知所止
日月循環 周而復始
頌曰
自従盤古迄希夷 虎闘龍争事正奇
悟得循環真諦在 試於唐後論元機

挿絵
2つの輪が交錯した形で書かれ、各々の輪の中に「紅」「白」の文字がある
讖に曰く
果てしない天地は止まるところを知らず、日月は循環し巡ってはまた始まるのである。
頌に曰く
盤古より希夷まで、虎が闘い龍が争うことは普通にはないことである。循環し繰り返されることを悟ることが真の要諦である。試しに唐の後について元機(根本の大事)を論する。


 盤古は神話時代のことを指し、希夷とは声形なきことを指すようです。
 第一段は個別の事象を示すわけではなく、この書に流れる思想、すなわち、歴史は不易流行、歴史は繰り返す、ということを示したものだと思います。
 それはまあいいとして、私が気になるのは「虎闘龍争事正奇」の句です。「奇」という字はめったにないという意味の他、例えば「奇貨居くべし」という成句が示すように、「素晴らしいもの」とか「大事なもの」という意味もあります。

 またこの句を聞いて、私が小学生のころ、社会の先生から「人類の歴史は戦争の歴史である」と言われたのを思い出します。
 そのこころは?
 「推背図」というのは中国の予言です。中国の歴史は「易姓革命」といわれるように王朝交替の歴史といってもいいでしょう。易姓革命は天命によって王朝が替わっていくという思想ですが、その際には必ず(といっていいでしょう)戦争が起きます。このあたりは『資治通鑑』を読むとわかるそうですが、私は通読したことはありません。はっきり言って長いし、同じような話が繰り返される、と聞いたことがあります。「推背図」の第一象で語っているのは、こういうことなのではないかということでしょうか。

 図には「紅」「白」の2文字が入っているのですが、この文字が具体的に何を指しているかはわかりません。紅と黄なら今の中国の旗でしょうが。歴史上赤や白を旗印とした王朝が多いという意味なのかもしれません。

 なお、頌の最後に、この書は唐の時代以後のことを書いているとあります。すなわち唐の王朝が出発点です。

 つづいて六十象、すなわち最後の象をみてみましょう。


第六十象 癸亥 萃

讖曰
一陰一陽 無終無始
終者自終 始者自始
頌曰
茫茫天数此中求 世道興衰不自由
萬萬千千説不盡 不如推背去帰休

挿絵
一人の男性の背中をもう一人の男性が推している姿を描いている
讖に曰く
陰陽は繰り返し、終わりもなく始まりもない
終わるものは自ら終わり、始まるものは自ら始まる。
頌に曰く
果てしない世界でも天の法則にしたがう。世の興廃は定まっているものである。
諸々の事柄は言い表せない。これ以上はやめて帰りましょうと背中を押すのがよいであろう。


 二人の男性は作者に擬される李淳風と袁天罡と言われます。背を押すのが李淳風、押されるのが袁天罡で、李が袁にこれ以上の予言はやめようと押しとどめる図だとのこと。

 六十象は何か具体的な事象を示しているわけではなさそうです。したがって、「推背図」はいつの時代までを示しているのかはこの象では読み取れません。

 それはともかく、歴史はあらかじめ決まっており繰り返すものだという思想が貫かれていると思います。

■ 「推背図」はいつの時代を指すのか

 時代の前にまず場所の話ですが、「推背図」は中国およびその周辺の限定の予言であることはまず間違いありません。(予言書であるという前提での話)周辺とは台湾や香港、朝鮮半島、チベット、モンゴルなどを含みます。現在の行政区分とは無関係です。さらに中国に関係する外国、例えば日本とかアメリカにも触れていると思います。ただし、あくまで中国に影響のある場合のみです。
 さて、「推背図」の指し示す時代(時期)について考えてみたいと思います。
 まず、「推背図」は六十の予言文から成っているといいましたが、それは時代順になっているのかどうか?私の持っている本の中の一冊は、必ずしも時代順に並んでいないという主張としています。しかしそれは少数派の意見で、大半の解説書は「推背図」は時代順に並んでいるという前提で語られています。私も、とくに時代順になっていないという根拠は見出せませんので、時代順に並んでいるということで進めます。
 第一象は具体的な事象を予言したものではないので、第二象を見てみましょう。


第二象 乙丑 姤

讖曰
累累碩果 莫明其数
一果一仁 即新即故
頌曰
万物土中生 二九先成実
一統定中原 陰盛陽先竭

挿絵
皿の上に21個のりんごのような果物が盛られている絵であるが、上から4番目の果物だけヘタがない
讖に曰く
累累と積まれている果物、その数は明らかではない。
一つの果物は一つの仁を示し、次々と新しくなる。(私的意訳)
頌に曰く
万物は土中より生じ、二九まず実をつける。
一統は中原を平定するも、陰が盛んとなり陽は先につきる。


 この象は唐王朝を示しているとされます。唐王朝が20の皇帝、約290年続いたことと符合します。なお、唐王朝は李氏で、李はすもも、すなわち皿に乗っているのはすももだとのこと。ヘタがない1個は則天武后を指すとされます。この句は唐王朝の建国を示すということで、予言の出発点を618年とすることにしましょう。なお、唐は618年から907年まで続きました。詳細は省きます。
 中間を一気に飛ばして、次に通説で当たっていると思われる象をあげます。


第二十五象 戊子 漸

讖曰
北帝南臣 一兀自立
斡難河水 燕巣補麦
頌曰
鼎足争雄事本奇 一狼二鼠判須臾
北関鎖鑰雖牢固 子子孫孫五五宜

挿絵
鉄斧の絵。斧の柄は十個に分かれているが、一本の棒のように見える
讖に曰く
北の帝と南の臣、一兀が自ら立つ。
斡難の河水、燕は巣づくり麦を補う。
頌に曰く
鼎の足が雄を争うがめったにないことで、一匹の狼と二匹の鼠でたちまち結果がわかる。
北の要所は謙子であり、子孫は五人五人合わせて十人がよい。


 詳しくは述べませんが、これは元王朝のことを述べたものとされます。「一兀」はまさに「元」という字になりますね。

 これを何年の事柄に当てはめるかですが、ジンギスカンがモンゴル帝国を創設したのが1206年、5代目のクビライカンが元(大元帝国)と称したのが1271年です。モンゴル帝国はジンギスカンから10代続いたので、斧の柄が十個に分かれていいるのはそれを示しているとされます。とすると、この絵は1206年を建国と示しているように思います。

 さて、ここで、第二象と第二十五象の年数の差をみてみると、1206年-618年=588年となります。この中に25-2=23象分の歴史が書かれているとすると、1象あたり約26年ということになります。仮に元の建国を1271年とすれば約28年。すなわち第二十五象まではおおむね30年に1象の割で書かれているという計算になります。

 もちろん、予言文にはエポックメイキングなことを書くわけですから、必ずしも等間隔に書かれているわけではないはずですし、また一連の事件を1象ですべて表すのは大変なので、2象あるいはそれ以上をかけて書くこともあるでしょう。したがって30年に1象を割り当てるというのは乱暴な話ですが、10象でだいたい300年間ぐらいのことを書いているというのは、さほど的外れともいえないのではないかと思っています。
 この点については、鮑黎明師の『推背図大予言』の231ページにも書かれていることです。なお、師の基準は第四十二象を1975年頃としているので、30年余りとしています。(計算すれば約34年)
 してみると、各象を検討するときに、前の象からおおむね30年ぐらい、まあ多少長めにみて50年ぐらい後に起きていることを示しているのではないかという推測が立ちます。

 さらに、第一象に「虎闘龍争事正奇」と書かれているように、「推背図」はとくに戦争に着目していると思われるので、戦争をカギにすれば何の事件を予言しているのかが見えてくるのではないかと思います。

 以下は、過去のことはあまり述べず、20世紀以降と目される予言について述べたいと思います。

■ 20世紀の予言はどれか

 さて、前項で第二十五象が元の時代の予言としました。これを基準とすると、現代からはあまりに遠いので、もう少し最近の予言でほぼ確実なものはないかを探してみましょう。

 「推背図」の注釈をした金聖嘆は1622年に第三十三象をみて清王朝が将来中国を統一することを予想したとされます。(『「推背図」開封』による)
 大清帝国の建国は1616年、1644年に中国全土の支配を開始したとされます。この象は紹介しませんが、三十三象は清の統一を記述とみてほぼ間違いないでしょう。すると、1644年ー618年=1026年を32個の象で表しているとすれば、その間は約33年です。1616年の出来事だとしても約32年で、おおむね30年という数字は変わりありません。

 1644年でも現代からはまだ約300年前です。もう少し近いところはないでしょうか?せめて19~20世紀の予言は探せないでしょうか?

 1900年頃とすると、1900年―1644年=256年。これを一象を33年として割ると約7です。すると三十三プラス七で第四十象前後が19世紀~20世紀のころの予言ではないかと推測されます。

 実は三十九象が「推背図」の中でも有名な予言の一つされていますので、それを次にあげます。


第三十九象 壬寅 頤

讖曰
鳥無足 山有月
旭初升 人都哭
頌曰
十二月中気不和 南山有雀北山羅
一朝聴得金雞叫 大海沈沈日已過

挿絵
山の上に一羽の鳥(鷲のようにみえる)が留まっており、山の裾から太陽が昇ってくる絵である
讖に曰く
鳥は足がなく、山は月あり。
旭が初めて昇れば、人はみな哭く。
頌に曰く
十二月中の気は和やかならず。南山は雀あり、北山には羅。
一朝金雞が叫ぶのを聴けば、大海に沈沈と日はすでに過ぎる。


 この象は日本のことを指しており、具体的には盧溝橋事件から太平洋戦争の記述である、というのが通説です。仮に終戦の年、1945年の出来事とすると、1945年―618年=1317年、平均約36年となりやや長くなっています。第三十三象からは1945年ー1644年=301年、平均約50年間隔となり、これはちょっと長すぎるような気がします。

 ではなく、これは中国に仇をなす大日本帝国のことを指すとすれば(中国中心の予言ですから中国人の立場からみた場合)、王政復古1868年もしくは大日本帝国憲法施行1890年とすれば、1644年を基準とすると、それぞれ1象の平均間隔37年、41年となり、まあ許容範囲という感じがします。第二象や第二十五象は王朝成立のことを示すので、これも大日本帝国という国自体を示すと考えても特におかしいくはないと思います。

 「推背図」は中国中心の予言ですので、中国との戦争が焦点になります。中国と戦争をしたのは、太平洋戦争以前に日清戦争があります。日清戦争は1894年から翌年には下関条約でいったん終わりますが、日本が国際社会でその地位が認められるようになったのはそのころからで、「旭初升」とはまさにそのことを指していると私は思います。
 「南山有雀北山羅」は何を指しているのか?一説には日本とアメリカのルーズベルト大統領(羅斯福)を指していると言われていますが、よくわかりません。最後の句は、酉年に日本は沈むということで、この酉年とは1945年のこととされています。

 ところで辛亥革命により清朝の滅亡、中華民国の樹立が1912年ですが、これに関する予言があると思われます。また清朝末期(1899年頃)は西欧列強によって分割されて内政は乱れており、これらのことが「推背図」に書かれていないはずはないはずです。で、そのことを示すのは第三十七象であるというのが通説です。年代的には第三十九象と重なります。19世紀末から20世紀半ばまでの約60年間を第三十七象、第三十八象、第三十九象の3つの象で示しているとなれば、年数から考えてもそれほど極端に短いとはいえないでしょう。
 逆に、清朝においては1644年から19世紀末までは比較的エポックメーキングなことが少なかったと言うことができるのかもしれません。実際、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時代は比較的安定して文化興隆の時代でした。19世紀半ばの太平天国の乱までは争いも少なく安定していましたので、その間の記述はあまりなく、よってそのころの各象の平均間隔年数も長くなっていると思われます。

 ところが19世紀からは清から中華民国、中華人民共和国と変わってきており、その間は戦争もあり、目まぐるしく王朝交替(というべきか?)がありました。第四十象は、太平洋戦争後の中国の変わりようを示しているようです。


第四十象 癸卯 蠱

讖曰
一二三四 無土有主
小小天罡 垂拱而治
頌曰
一口東来気太驕 脚下無履首無毛
若逢木子冰霜渙 生我者猴死我雕

挿絵
三人の子供が車輪のような物を互いに手渡して遊んでいるような絵である

讖に曰く
一二三四、土なく主あり。
小小たる天罡、何もせずとも治まる。
頌に曰く
一口東が来る、性格は非常に驕慢。脚元には履がなく首には毛がない。
もし木子に逢えば氷霜は溶ける。我を生ずる者は猴で我を死せるものは雕である。


 この象はこれまでの研究家の通説では、共産党が中国を支配し国民党は台湾に追いやられるということを示しているとされます。これについては他書に詳しく書かれているのでここでは省略します。1949年に北京で中華人民共和国の建国式典が行われていますので、時代的にはそのころということになります。

 ただ、ちょっと奇妙なのは、土なく主ありというのが台湾に追いやられた国民党、また頌の一句目、二句目は毛沢東のことを指すといわれていますが、だとすれば、この象の視点は中国本土ではなく国民党、あるいは中華民国にあると思われます。なぜ視点を持ち出すかといえば、最後の句、「我」は誰を指すのか?ということにかかわります。つまりこの象の視点が中華民国であれば、「我」は中華民国を指すということです。

 では「猴」「雕」とは何か。前者がアメリカ、後者がロシアという説がありますが、はっきりしません。「猴」と聞くと日本人を思い出すのは私だけでしょうか。

 その前にある「木子」とは誰か。通説では蒋介石の後の総統代理であった李宗仁だと言われていますが、彼によって和解は成立せず中国共産党が現在の中国を樹立したという結果になったわけですから、国民党にとって「氷霜渙」という状況ではないでしょう。もちろん予言ですから、この部分は外れたということかもしれません。もし、この「木子」が台湾総統の李登輝だとすれば、彼は民選初の総統ですから「氷霜渙」といえるかもしれません。しかし彼は中国共産党には強硬ですから、その意味では「氷霜渙」でもないのでしょうが。

 ま、この象の解釈は他書に譲るとして、これまでの年数の感じからして、第四十象は第三十九象からそう遠くはない時期、1950年から、長くても西暦2000年ぐらいまでの話でしょう。ちょうど李登輝総統の時代までとなります。

 一象30年~50年とすれば、仮に第四十象を1950年頃とおくと、第四十一象がちょっと前の過去、第四十二象が現在、第四十三象が近い将来を示した象ではないかと推測されます。ただ、繰り返しますが、必ずしも何年に一象と割り当てているわけではなく、何象かを一連の事件とまとめているところもあるようなので、上の過去、現在、将来の当てはめが妥当かどうかはわかりません。

 次の項で最近の予言があるのかないのかを探してみましょう。

■ 直近の予言をさがす

 前項で、第四十一象がちょっと前の過去では、といいました。まずは、第四十一象をあげます。


第四十一象 甲辰 離

讖曰
天地晦盲 草木蕃殖
陰陽反背 上土下日
頌曰
帽児須戴血無頭 手弄乾坤何日休
九十九年成大錯 称王只合在秦州

挿絵
変な飾りを付けた冠をかぶった男が右足で丸いもの(球)を踏みつけている絵である。

讖に曰く
天地は暗やみ、草木が生い茂る。
陰陽は背きあい、土を上、日を下とする。
頌に曰く
帽子には必ず血を戴き頭がなく、手は天地を弄ぶのはいつ終わるだろうか。
九十九年大きな間違いをして、王と称するもただ秦州にあって合するのみ。


 これは、研究家の間では文化大革命のことを示しているということでほぼ意見は一致しているようです。第四十象は国民党のことでしたが、第四十一象は中国共産党(すなわち大陸)の話に変わっています。現在中国といえば中国共産党なのであり、この「推背図」の変化は王朝交替を示しているといえるでしょう。

 私もこの象は基本的には文化大革命の予言だと思っています。この象の説明も他書に譲るとして、私独自の見解を付け加えると、「上土下日」というのは具体的な人名や地名を示しているわけではなさそうですが、全くの抽象的なことでもなく、私はこれは易卦の明夷卦を指しているものと思います。この卦は暗君がのさばり明君の智徳が隠れて民衆が苦しむことを示すとされます。まさに文化大革命の状況にピッタリではないでしょうか。

 ただ、「はじめに」で触れましたが、実はこの象はSARSや新型コロナのことを示しているのかもしれないという気もしています。本文を読んでもそれらしい記述は見られないのですが、挿絵の男性がコロナウィルスのような形の飾りを付けた冠をかぶっています。コロナウィルスは中国語では「冠状病毒」であり、まさにこの男性はコロナウィルスを表しているようにもとれます。その男性が球を踏みつけている図ですから、コロナウィルスが地球を蹂躙している現在の状況と符合しています。

 それでも、本文中にコロナを示唆するような表現はないかな、と思ってみると、コロナとはもともと太陽の周りのプラズマであり、肉眼では日食のときしか見えないので、「上土下日」がコロナを示すような気もします。まあこじつけですね。面白い解釈だと自分では思いますが。
 ま、頌で言っていることがコロナとどう結びつくのか見当がつかないので、とりあえずは大勢にしたがって文化大革命ということにしておきましょう。けれども、新型コロナでは血液が固まるという症状もあるようで、またいつ終わるかわからないというのは頌にあるとおりですので、こじつければ何とかなりそうな気もします。

 また、「九十九年」というのが中国共産党結党からの年数だとすると、それは2019年であり、まさにCovid-19に符合することだけは付け加えておきます。

 文化大革命は1977年に終結しました。異説はありますが、それでも70年代には終わりということでいいでしょう。

 1980年代からは、鄧小平(国家主席にはならなかったが)が実権を握り、江沢民、胡錦涛、習近平という系譜で現在に続くのですが、80年代以後は中国では大きな戦乱はなく(天安門事件は戦乱とは言い難い)、当然世界大戦のようなことに巻き込まれることもなく、比較的平穏な時期を過ごしてきたと思います。とすれば、中国の王朝交替や戦争に言及する(と言っている)「推背図」には、この間のことはあまり記載されないだろうというのが、私の見立てです。

 それでも文化大革命からすでに40年たっており、次の第四十二象が現在あるいは近い将来のことを予言した象ではないかと私はみています。

 では、第四十二象をみてみましょう。


第四十二象 乙巳 旅

讖曰
美人自西来 朝中日漸安
長弓在地 危而不危
頌曰
西方女子琵琶仙 皎皎衣装色更鮮
此時渾跡居朝市 閙乱君臣百萬般

挿絵
一人の若い女性が琵琶を持って立っており、足元には弦の張ってある弓と兎がいる。

讖に曰く
美人が西より来る。朝中日は漸く安んじる。
長い弓が地にあって、危ういようで危うからず。
頌に曰く
西方の女子は琵琶仙。白く輝く衣装で色はさらにあざやか。
このとき渾跡は朝市にあり、君臣に騒乱百万回。


 この象は諸説あって、『推背図大予言』では米中国交回復と四人組の事件、別の本では朝鮮戦争後の情景やアメリカのおかげで台湾が落ち着く(危不危)ことを指すとしています。ただ、いずれにも共通するのは美人を美国人、すなわちアメリカ人としているのは共通しています。

 では「朝中日」は何を指すのか。朝鮮、中国、日本というのが素直な解釈でしょうが、朝鮮が先頭にあるというのはちょっと変な感じを受けます。問題が朝鮮にあるということでしょうか?それとも、朝は朝鮮ではなく、朝中で朝廷の中、つまり政治の中枢という意味で、何か混乱が起きたのだが、日に日に安定するという意味でしょうか。

 また、美人がアメリカだとしても、アメリカが来るなら太平洋側から来そうなものですが、「自西」となっています。西側の一員という意味ならまあわからないではないですが。

 「長弓」は一文字で「張」の字とされます。人名でも地名でもありそうです。また形から台湾島、あるいは日本のことを指すのかもしれません。

 今の解釈で讖を訳すと、「アメリカが西側からきて、中国政府の混乱は次第に落ち着いてくる。「長弓」は地にある。危険にみえるがバランスを保つ」というような感じでしょうか。これは現在の東アジア情勢を示しているように思えます。

 しかし頌を読むとやや意味を異にするように思えます。「西方女子」はやはり女性なのでしょう。「琵琶仙」は、ウェブで探すといくつかの詩文が出ます。また白居易に「琵琶行」という有名な詩があります。それらをみると、「琵琶」には昔日の良き頃を懐かしみ、現在の自分を嘆くようなニュアンスがあるようです。3句目の「渾跡」とはよくわかりませんが、「渾」は「混」と同じ意味であり、混乱の跡というような意味でしょうか。「朝市」はもちろん日本でいう「あさいち」ではなく、さきほどもあげた朝廷という意味と市井、すなわち政府と市民をいいます。「閙乱」とは戦争というよりは騒ぎとか不穏な動きのことです。

 ここで挿絵に着目すると、女性の足元にある弓の形は確かに台湾島のような形に見えます。しかし私にはどちらかといえば台湾島を裏返した形のように見えます。また、弓の部分は日本列島の形と見えないこともありません。画像検索するとみられますので見てみてください。

 足元には兎がいますが、これはおそらくうさぎ年のことでしょう。最近のうさぎ年は1999年、2011年、2023年です。2011年といえば東日本大震災の年でした。ここでは関係ありませんが。
 さて、これに類する出来事が中国で最近あったでしょうか?政府と市民の騒乱といえば、いわゆる天安門事件が思い出されます。確かにこの間、中国政府自体も混乱していたのは当てはまりそうです。しかし天安門事件はアメリカあるいは西側の介入で終わったわけではなく、中国の武力による制圧ですので、この象が示すものとは異なります。
 うさぎ年から推測すると1999年の台湾大地震はどうでしょうか?私はこのころ台湾とよく行き来していたので被害状況も知っていますが、中国史に残るほどの事件ではなかったと思います。ちなみに、翌年弊社は台湾での工場の操業を開始しました。余談ですが。

 そうではなく、これは現在進行中、あるいは近い将来に発生する事件を示しているのではないでしょうか?直近のうさぎ年は2023年、癸卯年です。これから2023年までの間に、中国あるいは朝鮮半島や日本も含めて、何か騒ぎが起こるでしょうか?そのときに西側が何らかの働きをするのでしょうか?

 この象では挿絵には兎がいるのですが、本文には出てきません。ところが、次の第四十三象には、本文に兎が出てきます。どういう出方をしているのか、次の第四十三象を見てみましょう。


第四十三象 丙午 鼎

讖曰
君非君 臣非臣
始艱危 終克定
頌曰
黒兎走入青龍穴 欲盡不盡不可説
惟有外邊根樹上 三十年中子孫結

挿絵
衣装を正した親子と思われる大人の男性と子供が連れ立って歩いている絵である。二人とも右手を頭の上に挙げて、頭を守っている感じを受ける。

讖に曰く
君は君にあらず、臣は臣にあらず。
始めは危ういが、ついには落ち着く。
頌に曰く
黒い兎が青龍の穴に走り入る。尽くそうとしても尽くせず話すこともできない。
ただ外辺の木の上にあって、三十年のうちに子孫を結ぶ。


 前に述べたように、この象では本文(頌)に兎が出てきます。ただ、前の象の兎は白兎で、この象の兎は「黒兎」なので同じ兎ではありません。しかし、前の象に「閙乱君臣」とあり、この象でも「君非君 臣非臣」と書かれています。また、前の象には「危而不危」とあり、この象では「始艱危 終克定」とあります。

 「推背図」には、これまでも一連の事件を複数の象で表していたと思われる部分がありましたが、この四十二、四十三象は一連の事件を示しているのではないかと思われます。実は金聖嘆もこの象は一連の事件と解釈しており、30年後に収まるとしています。まあ普通に考えればそうですな。

 では「黒兎」とは何ぞや?私は(別の解説本を読んでいた時に)癸卯だとすぐに思ったのですが、『推背図大予言』で鮑黎明師も癸卯年のことと書いていました。最初に読んだときは読み飛ばしていて気づきませんでした。ただし、鮑師はこれを1963年と比定しており、四人組の失脚と読み解いています。

 しかし、前象の説明で述べたように、私はこの癸卯年は2023年とみています。では青龍はというと、青は五行で木であり甲辰を指しています。すなわち2023年から2024年、さらにその先30年にかけて起きる一連の事件だと私は解釈します。

 さてこの象ですが、問題は君とは誰か、臣とは誰か、ということでしょう。さらに外邊の根樹の上とは何の意味でしょうか?

 私が昔買った『古預言新解釈』によると、「外邊根樹上」は台湾のこととのこと。まあこの本は台湾で出版された本なので、そう書くのは無理もありません。また、私には否定する理由はありません。この話題はちょっとおいて、この象の最後には「三十年中子孫結」とあります。となると、次の象にはそのことが書かれているのでは…。

 ということで、この象も深く突っ込まないで次に続く。


第四十四象 丁未 未済

讖曰
日月麗天 群陰懾服
百霊来朝 雙羽四足
頌曰
中国而今有聖人 雖非豪傑也周成
四夷重譯称天子 否極泰来九国春

挿絵
聖人らしき男性が座っており、その人に弓を背負った人(男性?)が謁見しているような絵である。弓を背負った人は背中しか見えないのでどういう人かはよくわからない。

讖に曰く
日月は天に麗しく、群陰は畏れ服す。
百霊が来朝。二つの羽、四本の足。
頌に曰く
中国に今聖人あり。豪傑ではないが周辺をまとめる。
周辺国は天子とよび、否は極まって泰となり九国の春が訪れる。


 仮に、第四十三象が2023年だとすると、第四十四象はその約30年後、2050~60年ごろということになります。2053年とすると、第二象から数えて2053-618=1435年、これを象の数42で割ると約34年ということで、1象あたりの平均年数としてはそうおかしくありません。

 さて、この象は、中国に聖人が現れ、世は落ち着き平和になるということを示していると思われます。その中に明確に「中国而今有聖人」と書いています。「而今」に「まさに今」という強調の意図が感じられます。すなわち、逆に今までは聖人はいなかった、前の象までに書かれていた「君」は聖人ではなかったということになります。

 ここで本文には「弓」は出てきませんが、挿絵に弓が出てきており、これは第四十二象の「長弓」だと思われます。ここまできて第四十二象からの一連の予言はいったん区切りがついたとみます。

 次項で第四十二から四十四象までの話をまとめつつ、もう少し掘り下げてみましょう

■ 現在から2050年頃までの中国の予測

 前項でみた現在から2050年頃までの中国の状況をまとめてみようと思います。なお、これはあくまで私個人が「推背図」を読み解いた上での「情景」であり、とくに思想的な意図はありません。また、誰から吹き込まれたわけでもありません。その点お断りしておきます。

 今後、中国および周辺地域、香港や台湾ばかりでなく朝鮮半島まで含めて、情勢は不安定化していきます。もっとも、将来というよりも現在まさにそういう状況ですが。
 新型コロナ騒ぎ以来、中国の南シナ海や香港への圧力、北朝鮮の韓国に対する態度、中国とインドとの衝突など、アジア全体がこれまでとは異なった動きとなっています。きっかけは新型コロナなのかもしれませんが、おそらくこの動きは当面続きそうです。

 しかしながら(ここからが予言です)、この動きには西側諸国は黙っていられません。すでにその兆候は出てきているようで、アメリカ、オーストラリアだけでなく欧州でも対中感情は悪化してきています。さらに、ここへきて香港の国家安全維持法の制定です。これでは西側の懸念は高まるばかりです。

 第四十二象に「閙乱君臣百萬般」とあります。この君臣とは中国と香港のことだと思いますが、ひょっとすると今後その他の自治区や北朝鮮ともいざこざが数多く発生する可能性があると思います。
 この時点では「長弓在地」で、これは今後のカギを握る「張」という姓、あるいは「長」「弓」の字が名前に入っている人物がいるが、まだ世に出ていないということを指しているように思います。もう一つの解釈としては、この時点ではまだ台湾(あるいは日本?)は安泰であるということかもしれません。

 2023年(癸卯年)の頃かその前ぐらいに、西側(アメリカ?欧州?イギリス?)から中国の動きにストップをかける動きが起こると思われます。送られる使者が女性なのか、それとも西側のリーダーが女性なのか?「琵琶仙」とはリーダーか使者(大使)の名前かもしれませんし、物騒ですが、何らかの作戦名、あるいは武器を示しているのかもしれません。あるいは字面から琵琶には4つの「王」があるので、4つの国や地域の代表が来るのかもしれません。いずれにしても西側の介入により、ひとまずは情勢は落ち着くでしょう。ただし中国共産党あるいは軍部の内部は混乱が続き、内部での権力争いも発生、激化しているかもしれません。

 翌2024年(甲辰年)、いよいよ台湾を巻き込んでの騒ぎとなりますが、中国共産党が台湾に進攻してくるのではなく、むしろ平和的な連合を模索しての動きになるのではないかと思います。というのは、「君非君 臣非臣」という句と、挿絵が戦争のような殺伐とした絵でないことから、このように予測しました。
 また、この句は、香港は君臣の関係だが台湾は君臣の関係ではないということを暗に示しているような気もします。「外邊根樹上」は台湾のことを指すのでしょう。
 中国本土と台湾の間で小さな争いはあると思われますが、基本は交渉だろうと思います。しかしなかなか決着はつきません。「欲盡不盡不可説」とはその状況を示すものでしょう。「不可説」とは話すことができないという意味ですが、説得できないという意味にもとれます。

 膠着状態が続くものの、それでも30年以内に「子孫結」という結末となります。ここでいう「子孫」は中国、とくに漢民族のことだと思われます。台湾の原住民は漢民族の子孫とは言い難いので、台湾は中国に併合されるのではなく共存していくものとみます。また、周辺地域、民族も共存していくように思われます。
 そう思って第四十三象の挿絵をみると、君臣ではなく親子のように見えます。さらに連れ立って仲良く歩いているというよりも、右手で頭をかばいながら逃げている感じに見えるのは私だけでしょうか?どっちに逃げているかによりますが、北に逃げていれば東からの、南に逃げていれば西からの攻撃を避けているようにみえます。果たして何から逃げているのでしょうか?いやそうではなく、単に連れ立って家に帰る姿を描いているだけなのかもしれません。とすると、帰るのは中国本土でしょうか。そのとき中国の首都は変わっているかもしれません。

 そして第四十四象の示す時代になります。すなわち2050年ごろ、中国に聖人が現れて中国をまとめるというものです。
 「日月麗天」とは、『古預言新解釈』によると第四十一象の「天地晦盲」の裏返しであると示されています。第四十一象とは中国共産党への王朝交替および文化大革命の予言としました。ということは、第四十四象で示されているのは、次の王朝への交替、すなわち中国共産党の終わりを意味しているのかもしれません。あるいは共産党自体は残るにしても、権力構造が大きく変わっていることを意味しているのかもしれません。 そういえば、中華人民共和国は2049年に100周年を迎えることになります。

 もう一つ、これは当てずっぽうですが、そのときの聖人には「明」あるいは「日」と「月」が名前に入っているか、あるいは彼は「日」「月」にゆかりのある人ではないかと思います。

 「雙羽四足」とは鳥獣のことですが、これが意味していることはよくわかりません。「百霊」は数多くの人のことで、人だけでなく鳥獣も来朝して挨拶するという解釈がありますが、それはちょっと大げさすぎでは?
 そうではなくて、そのとき二人の大臣に四人の補佐官とか、そういうような体制になっていることを示しているのかもしれません。これはそのときになってみないとわかりません。

 「否極泰来」とは易卦である天地否から地天泰になるということで、国と民衆が離反している状態から相和する状態になることでしょう。すなわち平和でよい時代が訪れるということ。そして「九国」とは、文字通りの意味だと中国は9つの連合国家になっていることになりますが、まあ中国全土ということを意味している比喩的な表現でしょう。あるいは周辺9か国ともいえるかもしれません。『推背図大予言』によれば、ロシア、モンゴル、北朝鮮、韓国、日本、ベトナム、ラオス、ミャンマー、ネパールの9か国だとか。でもインドはどこにいったのでしょうか?

 挿絵は弓を背負った人が聖人と思われる人に謁見しているような図ですが、第四十二象では、弓を「張」または「長」「弓」が名前につく人、または台湾(あるいは日本?)としました。その人物、あるいは台湾や日本が、聖人を天子として担ぎ出し説得しているような図にも見えますし、聖人から何かの指示を受けているようにも見えます。

 まあいずれにしても2050年ごろ平和、平穏な中国が出現することを期待しましょう。

■ おわりに

 私の「推背図」の読み解きはこれで終わりです。もちろん、これ以降も「推背図」の予言は続きますが、2050年といえば、私は仮に生きていてもよぼよぼですし、その先長くは生きられませんので、これ以降については私には興味がわきません。続きは皆様に託します。

 最後に蛇足ながら日本の将来について。

 「推背図」は中国の予言書であり、中国以外のことは中国との関係において書かれているだけです。(例えば第三十九象) ですから、「推背図」で日本の将来を読み取ることはできないのですが、第四十二象の「長弓」をカッコつきで日本?と書きました。これは私の願望の表れと思ってください。

 しかし、「推背図」ではなく、日本の某霊能者の予言によると、日本は今後没落の一歩をたどっていき、世界における地位も低下していくとされています。実際、今回の新型コロナの日本政府の対応にしても心もとない感じですし、必要だったとは思いますが、赤字国債を乱発して経済の立て直しを図っているものの、国民は疲弊し将来に不安が残ります。さらに頼りとしてきたアメリカも大統領選前で不安定な状況です。

 しかし、その霊能者の予言によると、2050年ごろたぐいまれなリーダーが日本に現れて日本は復活するということです。第四十四象は弓を背負った人が日本かもしれないと書いたのですが、逆に日本から聖人が出ることを期待したいですね。



作成 2020年 7月 5日
改訂 2020年 7月31日  一部修正および追加