「キリストの香り」 コリントU 二章一二ー一七節

 二章一二節からみますと、パウロはこう記しております。「わたしはキリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。」
 そのようにパウロは記したあと、いきなり、一四節から「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」と書くのであります。一三節から一四節の間に何があったのでしょうか。

 学者によっては、一二節から一三節のブロックと一四節からの箇所を全く切り離して考えております。二章の一四節からは全く別のことでパウロは神に感謝しているのだということであります。
 これは手紙ですから、いわばばらばらの紙に書かれた手紙で、きちんと綴じられたわけではないので、その手紙がいろいろな教会の礼拝で読まれていくうちにその手紙がばらばらになってしまって、前後関係が無視されて再び綴じられたという可能性は考えられるからであります。

 しかしわれわれはやはり現行どおりの読み方をする以外にないので、これを一つの箇所として読んで行きたいと思います。新共同訳の聖書にはタイトルが便宜的につけられておりますが、そこでは「パウロの不安と安心」というタイトルが付けられていて、ひとつのまとまったものとして考えているわけで、一二節から一三節までパウロの不安が記されていて、一四節からは一転してパウロの安心、喜びが記されていると考えているわけであります。

 それにしても、一三節から一四節の間には何があったのでしょうか。何があって、不安から安心に一転したのでしょうか。それは七章の五節からのところをみるとわかるのです。
 そこではこう記されております。「マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れれがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださった。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。」

 つまり、こういうことです。パウロはコリント教会の現状を憂えて、厳しい叱責の手紙を涙ながらに書いて、それをテトスにもたせて、コリント教会にテトスを派遣したのです。ところがテトスはなかなか帰ってこない。トロアスにいってもテトスに会えない。あの手紙はコリント教会の人々を怒らせてしまったのだろうか。傷つけてしまったままなのだろうか、とパウロは不安で一杯だったのです。自分は誤解されたかもしれない、自分はもうコリント教会の人々から信頼されないで、少なくもコリント教会の人々からは伝道者として、牧師としてはもう認められないのではないかと不安だったのです。そしてその不安な気持ちをいだいたまま、マケドニア州に出かけた。そこでテトスに会えた。しかもあの涙の手紙はコリント教会の人々をただ悲しませただけではなく、パウロの気持ちをきちんと理解してくれて、悔い改めてくれた、そのことをテトスを通して、パウロは知ったわけです。

 それがあの一四節からの言葉ではないかと思われます。それによってパウロは自分の伝道者としての自信をとりもどすことができた、コリント教会との誤解が解消された、そのとこを知ってパウロはどんなに喜んだかわからないてのです。
 
 「神に感謝します。神はわたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ」というのです。ここにはパウロの人間性というか、人間的なパウロが素直に出ているところではないかと思うのです。

 これはもちろん単なる個人的な喜びではないかもしれません。コリント教会とパウロの関係が修復できたということ、伝道者パウロに対する誤解が解けたということは、今後のキリスト教の伝道の発展に大きな影響を与えることだろうと思います。だからパウロはこんなにもこのとこに喜び、神は勝利したと凱歌をあげているのだと思います。

 しかしそれだけではないと思います。ここはやはりパウロにとっては、自分に対する誤解が解けて、もう一度伝道者としての自信をとりもどせたというパウロの個人的な喜びも感じられるのではないかと思います。

 救われるということは、何か悟りのようなものを会得して、何事にももう動じない、この世からもう超絶してこの世の問題に、まして自分がどう人々から評価されるかどうかというような問題からは超絶し、無関心になることだと思われるかもしれませんが、そんなことではないということです。

 当時非常に有力な哲学にストア派という哲学ががあったようですが、そのストア派の人々の理想としていることは、平静であるということだそうです。つまり何事にも動じない、一喜一憂しないで、どんなことにも心を揺り動かさない、そういう境地に達することが最高の救いであり、悟りだと考えていたようであります。

 それに比べると、このパウロの喜び、また悲しみ、不安というのは、そうしたことではないですね。パウロの手紙をみますと、一喜一憂している様子がよくわかります。しかもパウロは自分の伝道者としての資格がとやかくいわれることとか、そうしたことで自分の誇りが傷つけられることにパウロはずいぶん神経をつかっていることがわかります。彼は決してとりすましたような悟りを開いた人ではなかったことがよくわるのであります。パウロはわれわれと同じように、周りの人の自分に対する評価というか、評判をずいぶん気にした人のようなのです。
そういう意味ではまこに人間的であったということであります。それだからこそ、また人の悲しみ、喜びというものをよく分かったひとだったのではないかと思います。
 パウロと言う人はまさに、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に心から泣くことのできた人だと思います。

 救われるということは、決してなにごとにも動じないという境地に達することではなく、むしろ人の悲しみ、喜びに、自分もまた巻き込まれ、一喜一憂し、ある時にはその感情をあらわにし、そのつどそのつど、神の助けを求め、神からの平安と慰めるを得るということではないかと思います。

 その喜びをパウロは、「神に感謝します、神はわたしたちをいつもキリストの勝利に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださる」というのです。

 これはローマの将軍が戦争に勝利してローマに帰ってくるとき、凱旋将軍として帰ってくる様子にたとえているのだということであります。その時には将軍は自分の横に将校を連ならせ、そのあとには沢山の兵士を並べさせ、そして最後には敗戦国の捕虜、鎖につながれた捕虜を従えて行進するのであります。その時にはにおいの良い香水をまき散らしながら、その行進は進むのであります。その様子をパウロは思い出して、たとえているのだというのです。

 ある人の説教に、この時、パウロは自分をどの位置においているだろうか、将軍と一緒に肩を並べている将校の位置に自分をおいているだろうか。そのあとに続く兵士の位置に置いているだろうか。そうではないだろう。パウロはよく自分のことをキリストに捕らわれた者とか、キリストの僕、つまりキリストの奴隷だといっている、自分は罪人の頭だといっている、そういうことからすれば、パウロはこの行進の一番最後の、捕虜となって鎖につながれている者に自分をなぞらえているのではないか、というのです。

 鎖につながれている奴隷であります。しかしその鎖はわれわれを縛り付ける鉄の鎖ではなく、恵みの鎖によってキリストにつながれているのだというのです。そして一番大事なことは、われわれが勝利することではなく、キリストが勝利することであるということだ、われわれはそういう意味ではキリストに打ち負かされた捕虜だというのです。

 この凱旋行進には、香りをまき散らしながら進んでいくのであります。それをとらえて、パウロは、「わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」といいます。
 なぜパウロはもっと簡単にわれわれはキリストの香りだといわないで、「キリストを知る知識の香り」と、もってまわった言い方するのでしょうか。
一五節では、「わたしたちはキリストによって神に捧げられる良い香りです」といっているのですから、端的に「キリストの香り」といってもいいと思うのですが、パウロはわざわざ「キリストを知る知識の香り」といっているのです。ここにはやはり大切なことがいわれていると思います。つまり、われわれ自身が良い香りをただよわせるのでなはない、これはあくまでわれわれがキリストを知って、キリストの香りを人々に知らせることなのだということであります。われわれ自身が香りの源泉ではなく、キリストが香りの源泉であるということであります。

 パウロが別の箇所でいっておりますが、「私達はこのような宝を土の器の中に納めている。この並はずれて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」といっているのです。
 クリスチャンの陥りやすい誤りは、なにかクリスチャンらしい香りを自分が身につけなくてはならないと思うことであります。そうしてお互いにクリスチャンカラーのようなものを作ってしまうことであります。

 良い香りはキリストから発せられるのであって、われわれはただそのキリストの香りを人々に伝えるだけであります。そのためにはわれわれはいつも倒れたり、躓いたり、失敗したり、途方にくれてもいいのです。そこから神の力を受けて立ち上がればいいのであります。それがキリストを知る知識の香りであります。

 この香りは一六節からみますと、「滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです」とあります。

 このキリストの香りは、すべての人にとって気持のいい香りであるとは限らないということであります。八方美人的な香りではないということであります。この香りはこれを拒む人にとっては、死の香りになる香りだということであります。
 
 今ではすべての人がこぞってクリスマスを喜んで迎えようとして、美しい飾りを飾り立てていますが、あの主イエスが誕生した時には、ヘロデ王は自分の王位が奪われることを恐れて、イエスを抹殺しようとして、イエスが生まれたといわれるベツレヘムの二歳以下の子を殺していったということであります。

 この香りは大変危険な香りなのです。こんなことが書かれておりますと、この頃日本でも大変迷惑しているある宗教団体の訪問伝道のことを連想してしまっていやな気がします。最初は物腰優しく接していって、最後はこれを信じないと地獄に落とされますよ、天国にゆけませんよ、といって人々をこの団体に誘ったり、いったん入ったら、そこから抜け出せなくさせてしまう、そういう意味でここを使われてしまったら、とてもいやな気がいたします。

 これをもって伝道の手段には絶対に用いたくはありませんが、しかしここでいわれていることはやはり確かなことで、この香りはすべての人にとって良い香りになるとは限らない、これを拒否する者にとっては、死に至らせる香りになるということは、自分自身にあてはめて考えてみれば、確かな事実ではないかと思います。

 ある人の言葉に、本当の思想というものは、なんらかの意味で自分の生活に犠牲を強いるものだ、犠牲を強いない思想などというのは、単なる頭の中の遊びにすぎないという言葉がありましたが、その思想を信じたら、自分の生活に変化が起きる、具体的に変化が起きる、しかもその変化は自分になんらかの意味で犠牲を強いる変化だということであります。自分の欲を捨てさせる変化であります。ある意味で自分を死なせるものこそ、本当の思想といえるというのです。

われわれもまたそういう意味では、このキリストの香りをかいで、自分に死んだのではないでしょうか。そしてキリストに生きたのではないでしょうか。この香りが自分自身にとってなによりも、死から死に至らせる香りであって、そうして自分が死ぬことによって、命から命に至らせてもらえる香りになったのではないか。
 
 このキリストの香りは、やはり大変過激な刺激的な香りであるということであります。われわれの曖昧な、怠惰な生活を根底からゆるがすような過激な香りであるということをわれわれはいつのまにか忘れているのではないか。

 それでパウロはすぐ続いて、「このような務めに誰がふさわしいか」というのです。口語訳では「このような任務にだれが耐え得ようか」となっています。

 伝道者はそういう意味で、大変恐ろしいものを宣べ伝えようとしているのであります。だからパウロはすぐ続いて、「わたしたちは多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っている」というのです。

 これを信じないと地獄行きだと脅かして、組織の拡充をはかったり、金集めなどはしないというのです。いつでも、ご自分が十字架で死んだキリストに結ばれて福音を語ろうとしているというのです。そうしたら、決してそんな人を脅かして、金集めするような伝道の仕方はできないということであります。

 今日では、異教の国日本でもクリスマスは大歓迎されているのです。それが本当にキリスト教にとっていいことなのかどうか。クリスマスの香りはそれほどみんなに受け入れられ、望まれる香りなのか、われわれはそのことを考えておかなくてはならないと思います。そうすることによって、いつのまにかキリストがこの世から追い出されてしまって、あのルカ福音書が深い思いをもって書き記した言葉、馬小屋で生まれざるを得なかったイエスについて書いた言葉、「客間には彼らのいる余地がなかったからである」という事態になってしまわないかを考えるのであります。いつのまにか、本当のキリストがこの日本から、そしてうっかりすると教会からも締め出されてしまうのではないかということであります。