「弱い時にこそ強い」 コリントU 一二章一ー一○節

 「わたしは誇らずにはいられない。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について誇る」と、相変わらず、パウロは誇りについて考えようとしているのです。これは十一章の一節で「わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが」というところから始まって、ずっと誇りについての言葉であります。それは実は一○章から始まっているのです。
 
 これは恐らく、コリント教会を今かき回している伝道者、パウロからすれば、偽使徒といわれる人たちが盛んに自分の信仰を誇っている、それに対抗するためにパウロも自分のことを誇らずを得ないということなのかもしれません。つまり、相手が偽者であることをいうためには、同じ土俵で闘わなくてはならないということなのかもしれません。
 
 それでパウロは誇るのですが、本当はパウロほど人間の誇りについて警戒した人はいないのです、誇る者は神のみを誇れ、誇る者は主を誇れ、自分を誇るなと言い続けているパウロですから、そのパウロが自分のことを誇ろうとするのですから、回りくどい言い方をせざるをえないのです、愚かではあるが誇るのだとか、わたしが誇ると言う愚かさをあなたがたも我慢してくれるだろう、などといいながら誇るわけです。
 
 今日学ぼうとしていますのは、パウロが経験した神秘的な体験を誇るということであります。
 「誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださったことについて誇りましょう。わたしはキリストに結ばれている一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っている」というのです。

 「誇っても無益でしょうが」というのならば、誇らなければいいのに、あえて誇ろうとする、しかも自分がこういう経験をしたというのではなく、キリストに結ばれている一人の人を知っているといって、その人の神秘的な体験について述べるのであります。

 これはパウロの敵が自分達の神秘的な体験を誇っているのに対抗するために、どうしもこれを持ち出さざるを得なかったということのようであります。しかも、前後関係からいっても、ここは明らかにパウロ自身が味わった体験であるのに、あえて、それを自分のこととしてではなく、キリストにある一人の人、と第三者として、客観的に語ろうとするのであります。ここはリビングバイブルは、もうそうしたパウロの気持ちを無視して、はっりと「十四年前、わたしは天に引き上げられました」と訳しております。これのほうがわれわれにはよくわかるのです。

 ともかくパウロは「楽園、これはもともとはパラダイスという言葉です、口語訳はパラダイスになっております、楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許さない、言い表し得ない言葉を耳にしたのです」といいます。そしてそのあと「このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし自分自身については、弱さ以外には誇るものはない。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示れさたことがあまりにもすばらしいからです」といいます。

 ここにくると、この体験をした人が明らかにパウロ自身であることが明らかになりますが、それでもあえて、これは自分のことではないといってみたり、「仮にわたしが誇ったとしても、真実なのだから愚か者ではないだろう」と、いうのであります。

 パウロが実際にどのような神秘的な体験をしたのかはわかりません。これはパウロがダマスコ途上でイエス・キリストの幻に会って、回心した出来事とは別の体験だったろうといわれています。ガラテヤの信徒の手紙によれば、パウロはそのダマスコでキリストに出会ったあと、三年間、アラビアに退いた書いておりますので、そのアラビアの砂漠で体験したのではないかとも言われております。
 ともかく、彼はそういう神秘的な体験をしたことは確かなようなのです。そしてそれは人にも言えないすばらしい体験だったらしい。それはパウロにとっては自分がこれからキリスト教徒として、その伝道者となる決定的な啓示の体験だったようであります。
 
 歴史に残るような人物、歴史を転換させるような働きをした人物がそのうような宗教的な体験、神秘的な体験をすることはよくあることだし、ユダヤ教からキリスト教に大転換をしたパウロに、こういう経験があったことは事実だろうなと思います。

 しかし、パウロは自分はそういうすばらしい経験をした、神は自分にそうしたすばらしい神秘的な体験をさせてくれた、それを感謝し、あるいはそれを少し誇りかけていたときに、いきなり、その誇りを打ち砕くような試練に遭わされたというのです。

 七節に「あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることがないようにと、わたしの身にひとつのとげが与えられた。それは思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」と述べます。

 突然激しい病気になったというのです。その病気がどういう病気なのかはわかりません。それは突然襲ってくる病気、また継続的な病気ではなく、突然間をおいて間歇的に襲ってくる病気なのではないかともいわれております。てんかんのような病気だったのではないかともいわれます。あるいは、そういう間歇的な病気、つまりある時、突然襲ってくるというような病気ではなく、ある時からずっとそれを担い続けていかなくてはならない病気だったのではないかともいわれております。ともかく、この病は伝道者パウロにとっては、致命的な、伝道者という職にとっては決してプラスになるような病気ではなく、彼の権威を失墜させるような病気だった、彼の使徒職を、今日でいえば、牧師職を失わせるような人に不快感を与えるような病気だったのではないかと思われます。

 それで彼は必死に神に祈った。この病を取り去ってくれるようにと、三度主にお願いした。三度というのは、なんども何度もということであります。しかしこの病は治らなかったのであります。そして、その代わりに主からの答えがあった。「わたしの恵みはあなたに対して十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という答えを与えられたというのであります。口語訳では、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」となっていて、この「力」という字の前に「わたしの力は」となっているのです。原文をみますと、英語でいうtheという定冠詞がついているのです。ただ一般的な抽象的な力というのではなく、キリストの力、神の力はということであります。キリストの恵み、神の恵みという力は、われわれ人間の弱さの中に発揮されるということであります。

 それはかつてパウロが、神の宝はわれわれ人間の脆い土の器の中に、われわれの弱さの中にもられている、それは測り知ることのできない力が神からでたものであって、神のものであって、われわれの中から出たものでないことが明らかになるためだといっていたことと同じであります。

パウロはある時すばらしい神秘的な体験をしたのです。パウロはこれこそ自分がこれから伝道者として立つ拠点になると思ったようなのです。その体験を誇ろうとしたのです。ここにこそ神の力が、神の恵みが自分に働く証拠だと思ったのです。しかし、彼がその体験を誇ろうとしたとたん、いつのまにか彼は高慢になっていたようなのです。誇りと高慢は表裏一体なのです。誇りと自慢は同じなのです。その時に、神はそのパウロの誇り、パウロの高慢を打ち砕くために病気を送った。そしてそのパウロの高慢をうちくだいたのです。

 伝道者としての誇りというものは、彼があの神秘的な体験をしたところにあるのではない、そうではなく、彼が土の器にすぎない脆い存在にすぎないものだということ、その彼の弱さの中にこそ、神の恵みと力が働く、そこに伝道者の誇りがあるのだということを、パウロはその病気の中で知らされるのであります。だからパウロはそのあと、「だからキリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう、といい、わたしは弱い時にこそ強いからだ、といえるようになったのであります。

自分のことを説教の中で述べることは出来るだけ差し控えるべきだと思いますが、パウロがこの手紙のなかでも少しは自分のことを述べて、そしてそれを愚かな者の言葉として我慢して欲しいといっておりますので、わたしもパウロにならって、少し自分のことをのべさせてもらいますと、わたしにとって、今日のところの聖書の箇所は、自分が神の恵みというものをはじめて決定的に知らされた箇所なので、それについてのべさせて貰います。

 わたしは受洗してからも、どうしてもキリスト教のことがわからなくて、神の恵みとか救いというものがどうしても自分のものとしてわからなかったのです。それでいろんな経過は省きますが、教会を変えて、ある牧師を慕って、その教会に転会して、その牧師と交わり、説教を聞き、自分の律法主義的なキリスト教に対する理解が徹底的に間違っていることを指摘されても、頭ではそのことはわかっても、そうはいってももう少しは立派な人間にならないと救われないと相変わらず思っていたのです。自分の心のなかで、自分の全体でどうしても神の愛というものが実感できないでいたのです。やはり神の愛は立派な人間に注がれるのだという思いから抜け出せないでいたのです。

 神の恵みとか救われるということがわからないまま、その教会に通っていたのですが、ある時に、その牧師とのなんでもない手紙のやりとりがきっかけになって、もうその牧師とも離れよう、こんなに熱心にキリスト教を求めても結局は、自分にはキリストの救いというものを実感できないのだから、キリスト教はもう自分には縁がないのだと思って、きっぱりとキリスト教から離れたのです。それまでは毎晩寝るときには祈りもし、聖書も読んでいたのですが、それもきっぱりとやめてしまい、そして日曜日にも教会にもいくのをやめたのです。それまでおよそ八年間一回たりとも休んだことのない礼拝にいくのやめたのです。

 その時の解放感はすばらしいものでした。自分はこんなに自由なのだ、なにをしてもいいんだという自由はすばらしいものでした。しかしそのうち、なにをしても自由なのだけれど、結局自分はなにもできない、そういう自分に気付いたのです。それは自分の弱さです。こんなに弱い自分は結局なにもできないではないかということに気付いたわけです。つまり自由というのは、結局は行動能力の自由が大事なのであって、ただ自由だからなにをしてもいいのだというのでは自由でもなんでもないことに気付いたわけです。自由に出来る、そのできるということが自由ということなのだということに気付いたのです。

 そして前にもまして落ち込んでいったのです。それまではまがりなりにもキリスト教という支えがありました。なんとなく神様が支えてくださるという思いがありました。しかしもう今さら神様をここでもちだすわけにはいかない、自分はこれから一人で生きていかなくてはならないと思って、なにもできない自分を前にして前にもまして落ち込んでいったわけです。

 そんな時に夜寝床に入っても眠れないでいたときに、このコリントの信徒の手紙のこの言葉が自分の心に響いてきたのです。口語訳ですけれど、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」という言葉です。これはその牧師が始終説教のなかで引用していた聖句だったのです。そしてその牧師はこの言葉を文語訳でよく用いていました。文語訳は「わが恵み汝に足れり」という言葉で始まっておりました。わたしはその時、文語訳の「わが恵み汝に足れり」というその「足れり」という言葉は、満足すると言う意味の「足る」、つまり足という字がつかわれているのですが、わたしはそれを耳で聞いておりましたから、「たれり」を垂直の「垂」という言葉としてその時聞いたのです。
 その時のわたしの感じは、神の恵みが垂直に、まっすぐに自分に、自分の弱さのただ中に天からおり来てくれた、という思いにうたれたのです。

 そして一気に、自分は今までもっと立派にならなければ救われない、もっと強くならなければ救われないと思っていたのに、そうでなかった、神の恵みはむしろ強いところ、立派なところではなく、この自分の弱さのなかに垂れてきてくれることなのだと一気にわかったのです。
 
 わたしは感激して、寝床から起き出して、聖書を開いてこの箇所をあけました。しかし同時にわたしはそのとき、なんで自分はキリスト教を捨て、聖書も捨てたのにおめおめと聖書に頼ろうとしているのかと自分を冷笑する自分というのを同時に感じていたのです。そうして、この思いはきっと朝になったら醒めてしまうだろうな、と思いました。
 そして事実、朝目を覚ましたら、それはまったく醒めてしまいました。しらけてしまいました。なんで今更キリスト教かという思いになって、さらに自己嫌悪を覚えて、前にもまして落ち込んでいたのです。

 そしてその夜、いろいろと考えて寝付かれないでいたときに、再び、この聖句が自分の心に垂直に迫ってきたのです。そして不思議なことに、その時はこの思いは朝になってもきっと変わらないな、という静かな確信がありました。そして朝を迎えても変わりませんでした。そして世界はわたしにとって一変したのです。

 少し長々と自分のことを話しをして申し訳ありまんせんでしたが、パウロではりあませんが、きっと我慢して聞いてくださるだろうと思って話したわけですが、それではパウロの体験と自分の体験と同じなのかと、今日説教するに当たって改めて考えてみたのです。

 パウロはすばらしい神秘的な体験をした。そして高慢になっていった。その自分を誇ろうとした。そのために神はその誇りを戒めるために、パウロにとげを与えた。そしてパウロを徹底的に弱さの中においた。そしてその弱さの中に神の恵みがあることを悟らせた。

 しかしわたしの場合には、別に神秘的な体験をして、自分が高慢になり、自分を誇ろうなどとはひとつもしていなかったのです。それではパウロとわたしとの共通点はなにかと考えたのです。

 それはパウロは実際に高慢になり、自分を誇ろうとして、神様にそれ叩かれたわけですが、わたしはそのとき自分を誇ろうとしていたわけではありませんが、しかし自分を誇れるほどに自分が立派にならないと救われないと思っていた、だから自分を誇るということ、自分が誇れるようになることが自分の目標になっていたわけです。つまり、そういう点では、パウロが得ていたものとわたしが目指していた方向は同じだったということなのです。  

 もう自分を誇る必要はないし、自分を誇ることを努力目標にする必要はない、、誇ってはいけないのだ、神の恵みは弱さの中に、人間の弱さの中に自分の弱さの中に、十二分にあらわされるのだ、自分は駄目だ、駄目だと思っているかもしれないけれど、もうそのようにして自分を痛めつける必要もないし、自分で自分を否定する必要もない、お前のあるがままに神の恵みは働くのだということであります。

 わたしはそれからは、自分で自分を否定しなくなったのです。神がこの自分をこのままの自分を受け入れ、肯定してくださっているのに、どうして自分で自分を否定する必要があるだろうかと思って、それからは自分で自分を肯定し、自分を受け入れられるようになったのです。自己分裂から解放されたのです。

 自分で自分自身を肯定し、受け入れられるようになりますと、不思議なことに、今度はすべてのものをすべての人を受け入れられるようになったわけです。

 自分のほうから、キリスト教を捨てたときに、自分のほうから懸命に神をつかまえて離さないようにしようと、そのことにもう疲れてしまって、手を離し、神を捨て時に、もっと正確にいいますと、自分の方からの神追求という熱心な求道生活をやめたときに、神様のほうから降りてきてくださって、神様のほうで自分をとらえてくださったのです。ですから、わたしは自分の不信仰に気が付いてもそれ以後少しも動揺しなくなったのです。信仰というのは、こちらが神を信じるとか、自分が神を知ることではなく、神様のほうでこの自分を知ってくださっているのだ、そのこに気付くということ、それを知るということ、それを信じ、それに信頼することが信仰なのだということを知ったからであります。

「わたしの恵みはあなたに対して十分に注がれている。わたしの力、キリストの力はあなたの弱さのなかでこそ、十分に発揮される」というのであります。