「幼子イエスをささげる」ルカ福音書二章二一ー三九節

 イエスの父と母は、イエスが生まれて八日がすぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎の前に御使が告げたとおり、幼子をイエスとなづけました。イエスという名前はへプル語ではヨシュアということで、「ヤハウェは救いである」という意味で、イスラエルではごくありふれた名前であります。バプテスマのヨハネの場合には、その名前が親族になかったにもかかわらず、ヨハネという名前をつけなさいと御使から言われておりますが、イエスの場合には特別の名前ではなく、ごくありふれた名前をつけられたのであります。これもイエスがただのイスラエル人のひとりとして生まれ、育てられていくのだということが示されているのかも知れません。

それからモーセの律法による彼らのきよめの期間がすぎたとき、両親は幼子をつれてエルサレムに上りました。それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼子をささげるためであります。
 これはイスラエルがエジプトで奴隷の民として苦難にあった時に、そのエジプトから脱出するときに、神は最後の手段として、エジプト人のすべての初子は殺していきましたが、イスラエルの人の初子は殺さないで過ぎ越されていった、それを記念して、イスラエルではすべての初子は神にささげるという儀式をするようになったわけです。
 
神に捧げるということは、アブラハムが我が子イサクを燔祭としてささげるために、我が子イサクを殺そうとして、それをとめられて、代わりに山羊をささげるということで、本当はその初子を殺さなければならないわけです、しかし殺すことはできないので、その代わりに子羊を捧げるわけです。しかし子羊を用意できない貧しい家庭では、「山鳩ひとつがい、または、家ばとのひな二羽」を代わりにもちいてもいいという律法があって、ヨセフとマリヤはそれを捧げたのであります。イエスの両親は大工でしたが、貧しい家庭であったことがこれでわかるのであります。
 
初子を神に捧げるということは、すべての子供は神による授かりものであって、人間の所有物であってはならない、ということをあらわすものであります。それは神のものであって、親の所有物ではないということの確認であります。そしてそれはまたわれわれの人生はだれかの犠牲によって始められているということを自覚させることから始めよということでもあります。エジプトの初子は殺されていった、しかしイスラエルの初子は子羊の血がかもいに塗られたので殺されないですんだ。それはエジプトの初子の犠牲と子羊の犠牲によって初めてわれわれの人生はあるのだということであります。

マタイによる福音書では、イエスが将来のイスラエルの王として生まれたのだといううわさが広がったために、イスラエルの王ヘロデはなんとかして幼子イエスを抹殺してしまおうとして、イエスが生まれたとされたベツレヘムにいる二歳以下の男の子をことごとく殺していったということが記されております。その時イエスは夢でエジプトに逃げていなさいと言われていて、その難を逃れたのでおります。救い主の誕生には、ベツレヘムの二歳以下の幼子の命が犠牲としてあったということであります。そしてそれは三十年後に、今度は神の子イエス・キリストが全人類の犠牲となって、十字架で殺されていくのであります。
 
われわれの生はそのようになんらかの意味で誰かの犠牲によってなりたっていくのだということであります。それは誰かの愛を受けてはじめてわれわれは生きることができるということなのですが、聖書では、その愛について語る時、その愛は必ず犠牲がともなうという愛について語るのであります。犠牲というものが伴わない愛というのは、ないのです。犠牲ということが大げさならば、痛みといってもいいと思います。人を愛するときには、かならず痛みを引き受ける覚悟がなければ、人を愛することなどできないものであります。

 イエスが神殿につれられていった時に、そこにシメオンという名の預言者がいて、この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいたというのです。そして聖霊によって、神のつかわす救い主に会うまでは死ぬことはないと示しをうけていた。この人が両親につれられたイエスを見た時に、このイエスこそ神がつかわす救い主だと悟ったというのです。それで幼子イエスを抱き、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしの目が今あなたの救いを見たのですから。この救いはあなたが万民のまえにお備えになったもの、異邦人を照らす啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」と言って、神をほめたたえたのであります。
 
そしてもうひとりアセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいて、この人も宮を離れずに夜も昼も断食と祈りをもって神に仕え、救い主がイスラエルに現れることを待ち望んでいた。この人は八十四歳であった。その老女も幼子イエスを見て喜び、神に感謝を捧げて、エルサレムの救いを待ち望んでいるすべての人々に語り聞かせたというのであります。
 
 このふたりの人によって幼子イエスは祝福されたのであります。このふたりの男と女の預言者は、救いを待ち望んでいたというのです。彼らはどういう救いを待ち望んでいたか。それは万民の救いを待ち望んでいた。シメオンは幼子イエスを見た時に、「この僕を今安らかにさらせてくださいます」と神に感謝したというのです。つまりこれで安心して死ぬことができますというのです。「わたしの目が今あなたの救いを見たのですから」というのです。幼子イエスを見ただけでそう言っているのです。
 
これはわれわれが待ち望んでいる救いとは、随分違うのではないでしょうか。このシメオンはまだ具体的にはひとつも救いそのものを見てはいないのです。ただ両親にだかれた幼子イエスを見ているだけなのです。それだけでこんなに喜んでいる。われわれの待ち望む救いとは、自分が救われること、もっとあからさまに言えば、自分が幸福になり、自分が健康になり、自分にお金がもっと入るようになる、それがわれわれが考え、願っている救いではないでしょうか。しかしシメオンは違っていた。全世界が救われること、異邦人が救われること、そうしてそのようにしてみ民、イスラエルの栄光があらわされること、それが自分が待ち望んでいる救いなのだというのです。
 
それに比べると今われわれが待ち望んでいる救いというものがどんなにみみっちい救いであり、どんなに自己中心的な救いであるかということであります。だから、われわれはその救いが自分の手元に確実に手に入るまでは到底救われたとは思えないのです。
 われわれは自分の救いしか待ち望まない。せいぜい自分の近しい隣人の救いしか待ち望んでいない。今日のわれわれは日本の救いですら待ち望んではいないのではないかと思います。
 
戦争中でしたら、われわれ日本人は日本の救いをみな待望していました。だからみな喜んで、本当は喜んでではいなかったと思いますが、苦しんでかもしれませんが、それでも苦しみつつ、特攻隊にまでなって自分の命を日本という国家のために捨てることすらできた。しかし戦争が終わってみれば、それがみなだまされていたということを知らされた。それは日本のためではなく、日本の一部の指導者のためでしかなかったことを知らされてしまった。そのためにわれわれ日本人はもう日本のためにという、国家のためにというお題目は金輪際ごめんだという気持ちにさせられてしまった。終戦後、われわれ日本人はみなもう自分の幸福しか求めなくなってしまったのではないか。骨の随まで、われわれ日本人は自己中心的な人間に成り果ててしまったのではないかと思います。日本のためにということはもうごめんだ、そしてその影響で、もう世界のためにということすら、もういやだというとになってしまって、みんなが自分のために、自分のために、ということしか救いを求めなくなってしまったのではないか。
 
そういう大人が子供を教育して来た結果が、今日のあらゆるひずみを造って来ているのではないか。今さら、日本のためにというお題目を唱えることはできませんが、シメオンが「この救いはあなたがた万民の前にお備えになったもので、異邦人を照らす啓示の光、そしてそれ故に、み民イスラエルの栄光であります」と言って、幼子イエスを祝福するような信仰を持ちたいものだと思います。
 シメオンは自分の救いを待ち望んでいたのではないのです。だからその救いが自分の手もとに入らなくても、まだイエスが幼子のイエスの時にも、「この僕を安らかに去らせてくださいます」ということができたのであります。

三三節をみますと、「父と母とは幼子についてこのように語られたことを不思議に思った」と、記されております。この記事をわれわれが読むときに、かえって不思議だなと思わないでしょうか。といいますのは、少なくもマリヤはまだ処女の時にその胎内にイエスを宿し、御使から「彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」と言われていたからであります。処女降誕という大変な経験をしたマリヤなら、自分が産んだ子が普通の子ではないことくらいわかりそうなものですが、ここでシメオンの言葉を聞いてなにも不思議に思う必要もないのではないと思いますが、父と母は不思議に思ったというのです。
 
聖書学者の理解では、ここには処女降誕のことを知らない伝承というものがあって、それがここで用いられているのではないかということであります。福音書は、イエスについての伝承、つまり口伝えです、イエスについてのいろいろな伝承を用いて、ルカという人が自分の神学的な考えで、福音書を編集していっているわけです。これからルカによる福音書を学んで行くときに、それこそ不思議なのは、マリヤはこのイエスが処女降誕によって生まれた子であるとは一つも自覚していないような言動をすることであります。

たとえば、次週に学びますけれど、イエスが両親につれられて宮詣でをしますが、その時少年イエスが律法学者といろいろと話しをしているのをみて、その賢さに人々が驚嘆しているのをみて、驚くのです。そこでマリヤはイエスが普通の人でないことを不思議に感じていくのですが、これなども処女降誕という出来事を知らない伝承を用いたところかも知れません。そうしますと、処女降誕という伝承は、一番最初の伝承、一番古い伝承ではなく、新しい伝承であったかも知れないということで、それは特別な伝承であったかも知れないということであります。
 
ともかく、われわれがこれから福音書を学んだ行くときに、ひとつ考えておかなくてはならないことは、福音書をただの文学書の物語として読んではいけないということであります。これは少し難しくいいますと、文学的物語というのではなく、神学的物語であるということであります。また一人の人が一貫して書いたものではなく、ルカというひとりの人が書いたのかもしれませんが、しかしルカはただ自分ひとりの頭のなかでイエスの生涯を書こうとしたのではなく、イエスについて語られているいろんな伝承を用いて、書いているということであります。

「父と母とは幼子についてこのように語られたことを不思議に思った」ときに、シメオンは更に不思議なことを母マリヤにいうのであります。「ごらんなさい。この幼子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ち上がらせたりするために、また反対のしるしとして、定められています。そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです。」

 本当の救いというのは、ただ人の願いをそのまま満たすのが救いなのではなく、われわれの心の中にあるあのみみっちい願い、自分だけが幸福であればいい、自分の国だけが繁栄すればいい、という救いではなく、それは世界万民の救いであり、異邦人の救いをも含んだ救い、他者の幸福を心から願う救いでるならば、必ずそれに抵抗する者があらわれるのであります。本当の救いがくる時には、いやでもわれわれの心の中にある邪な思いが暴かれていく、そうして始めて真の救いとはなにかが明らかにされていくのであります。
 
シメオンはもうこの時、この幼子イエスの中に十字架の死を予測しているのであります。そしてわが子がこのようにして死んでいく経験をしなくてはならない母親であるマリヤもまたその胸が刺し貫けられるような悲しい経験をするでしょう、と語るのであります。
 
 しかしそれは三十年後のことであります。幼子イエスは、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあったというのです。二章の終わりには、「イエスはますます知恵が加わり、背丈ものび、そして神と人から愛された」とも記されております。この二つの記事は、イエスが公に救い主として活躍するまでのイエスの少年期、青年期のことを記している唯一の記事であります。
 イエスは、それまではごく普通の人として、神に愛され、そしてそれだけでなく、多くの人、人間にも、愛されて、たくましく育っていったというのです。このことは大事なことであります。われわれは小さい時に、愛をいっぱい受けないと、どうしもゆがんだ性格になってしまうということなのです。人を愛するときにもどこかぎこちない愛しかたしかできなくなるし、また小さい時に不幸に育つと、どこかに怨念がその人の心の奥深くに入り込んでしまって、正しいことを主張する時にも、なにか違うものになってしまうからであります。

 イエスの少年時代、青年時代が、あまりにも普通であったために、おそらく伝承として残らないほどに、ごく普通の少年であり、青年であったということであります。そうした環境のなかで、親の愛を人々の愛をいっぱいに受けて育っていったということは、本当に祝福されたことであったと思うのであります。