「イエス・キリストの栄光」  ルカ福音書九章二八ー三六節

 イエス・キリストは弟子達にご自分のことを「誰だと思っているか」と問い、弟子達から「あなたは神のキリストです」という告白を受けて、「その神の子であり、神から派遣されたキリスト、すなわち、神から派遣された救い主であるわたしが必ず多くの苦しみを受け、指導者たちに捨てられて、そしてあげくの果てには殺されるんだ」と打ち明けるのであります。それから八日ほどたって、イエスは三人の弟子ペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られました。祈っておられるうちに、その顔の様が変わり、その衣がまばゆいほどに神々しく白く輝いたのであります。それこそ神の栄光に包まれたのであります。イエスは神の子ではありましたが、その誕生は馬小屋の飼い葉おけの中で誕生したのであります。幼い頃は大工の子としておそらく貧しい生活をしたのではないかと思われます。といいますのも、福音書をみますと、イエスの母マリアのことはでてきますけれど、父ヨセフことは十二歳の時の記事以外にはでてまいりませんから、早く亡くなっているのではないかと推測されているからであります。そうしますと、イエスには兄弟もおりましたから、その家族を支えるためにお父 さんの後をついで、大工の仕事をしたのかもしれないのです。イエスの話すたとえ話にも十枚の金貨のうち、一枚の金貨をなくして、それを探し、それを見つけた時、隣近所の人を集めて一緒に喜んでという話がでてまいりますので、これはイエスがそういう庶民の生活を味わっているから、そういう貧しい生活を味わっているから、こういうたとえ話が出来たのだろうと推測されるのであります。
 そしてイエスは三十歳の時に、自分が救い主であることを自覚して、活動を始めますが、その姿も特別に神々しさに満ちたというものではなかったようであります。そして最後にはイエスが弟子達に予言しましたように、みんなから捨てられ、つばきをかけられて、お前なんか死んでしまいとあざけられて死んでいくという大変みじめな生涯を閉じるわけです。しかし、そのイエスが生きている時にただ一度、神の栄光に包まれた時、それがこの山の上で祈っているうちに、その顔の様が変わり、その衣がまばゆいほどに白く輝いたという出来事だったのであります。この出来事は昔から、「山上の変貌」といわれております。「変貌」というのは、姿が変貌する、姿が変わるという字です、つまり、今までふつうの人だったイエスがここで突然神の子に変貌するということをあらわして、「山上の変貌」といわれているのであります。
 その時、ふたりの人がイエスと語りあっていた。そのふたりの人とは、モーセとエリヤであったというのです。モーセはいうまでもなく、イスラエルをエジプトから脱出させた指導者で、旧約聖書を代表する人物であります。そしてエリヤもまた預言者を代表する預言者であります。つまりどちらも旧約聖書を代表する人物が現れて、イエスと語りあっていたというのであります。何を語り合っていたかといいますと、「イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していた」というのです。つまりイエスがエルサレムで遂げようとする十字架の死について話していたというのです。イエスはこの頃から自分が救い主のとしの使命を果たすためにはどうしても十字架で死ななくてはならないと思い始めていたのです。それをただ自分の心の中で思っていたのではなく、弟子達にも口に出していたのです。しかしその間にもイエスは本当にそれでいいのか、神から派遣された救い主がそのような死に方をして神の栄光を表すことができるのか、そんなことをしたら、みんなの期待を裏切り、失望され、神の栄光を汚すことにならないかと思い悩んでいたのではないかと思います。
 そういうイエスに対して、神はモーセとエリヤを派遣して、「それでいいのだ、それでこそお前はわたしの子、わたしの選んだ救い主だ」ということを確認させたのであります。それを告げる時に、神はイエスを神の栄光で包み、その顔を輝かせ、その衣をまばゆいほどに白く輝かせたというのであります。神の子が人間の罪によって甘んじて迫害を受けて殺されていく、人間的にみれば屈辱の極みである十字架の死、それこそ、神の栄光が現れる時なのだということであります。そのことを神はモーセとエリヤを派遣してイエスに告げたのであります。ですから、イエスの神としての栄光はイエスがどこかの宮殿の中に座して栄光に輝くとか、すばらしい教会堂のなかの、神殿のなかの栄光の座に座して金の冠とかをかぶって栄光に輝くというような栄光の輝き方ではないのです。
 旧約聖書のイザヤ書で予言されていたように、「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない、彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で病を担い、人々から忌み嫌われたために顔をおおって歩かなければならない、みんなから彼は神にたたかれ、神に苦しめられているのだといってあざけられる、そういう救い主が現れて、われわれを救うのだ」と予言されていて、その予言がこのイエス・キリストにおいて実現するのであります。

このようにイエスがその生涯ただ一度神の栄光に包まれていた時に、そばにいた弟子達はみな熟睡していた。眠りこけていた。その時ふとペテロが目をさますと、そこにふたりの人がいて、イエスと話しているところを見たのです。するとすぐふたりの姿が見えなくなって、イエスも今までどおりの姿、つまり普通の姿にもどったのであります。ペテロは目を覚ましたばかりの時で、何が起こったのかわからなかった。ただ今までにないほどイエスが神々しかった、栄光に満ちていた、しかもそこにはモーセとエリヤがいたということで、ペテロはイエスにあわててこういのです。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それでわたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」といいます。要するにこのすばらしい栄光の時を記念するために記念碑を建てておきましょうと提案するのであります。まことに世俗的な提案であります。
 すると、雲がわき起こり、雲が彼らをおおい、その雲の中から声が聞こえてきた。「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」という声が聞こえてきた。この言葉はイエスがヨハネからバプテスマを受けた時にやはり天から聞こえてきた言葉と同じであります。ヨハネのバプテスマというのは、罪人が悔い改める徴として受けるバプテスマ、洗礼であります。それを神の子であるイエスがヨハネから受けようとされた。ヨハネはそれを知って驚き、そんなことはしないでくださいというのです。しかしイエスは自分も罪人のひとりとして、ヨハネの前に頭を垂れ、ヨハネから洗礼を受けるのです。その時に天から声が聞こえてきて、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」といわれるのです。つまり、この時もイエスはご自分が神の子でありながら、みずからその神の栄光の座を捨てて、罪人のひとりとして、悔い改めのバプテスマを受けた時に、こういうイエスこそ神にふさわしい救い主だという神の承認の声があったのです。それと同じように、ここでもイエスがこれから十字架の道を歩もうといよいよ決意した時に、「これこそわたしの子だ、わたしの選んだ救い 主だ」という天からの声があり、そして今度は弟子達に対して「これに聞きなさい」というはっきりした指示があったのです。このイエス・キリストの十字架、これ以外のところでイエスから何かを聞こうとしたり、何かを学ぼうとしたりしても、それはイエス・キリストを誤解するだけだということであります。
 その後、イエスは、ほかの福音書をみますと、弟子達にここで起こった事は誰にもいうな言われたために、弟子達は沈黙を守ったというのであります。しかし後にペテロは「ペテロ第二の手紙」という手紙のなかで、われわれはこの神の栄光の目撃者だと言ってこの出来事を語っております。こう言っております。「自分たちは巧みな作り話をしているのではない。わたしたちはそのご威光の目撃者なのだ。イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになった時に、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかった。『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』。わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天からの声を聞いたのである」と記されております。もっともこのペテロの手紙というのは、聖書学者の研究では、実際にペテロが書いたものではなく、ある人がペテロという名前を借りて書いたものだろうといわれておりますが、しかしそうだとしてもペテロがこの出来事を後に人々に語っていて、これがここに記されているのだろうということであります。

イエスが祈るために山に登られた時に、祈っている間に神々しいほどに輝き、そしてモーセとエリヤが現れて、イエスがこれから十字架で死ぬことを承認し、励ましたという出来事が起こったのであります。それから何日経ったかはわかりませんが、イエスはやはり祈るために山に登りました。山といっても山の中腹であります。オリブ山の中腹にあるゲッセマネという園にいって祈ったのであります。その時もやはりペテロとヨハネとヤコブを連れていったのです。その時にイエスは父なる神に「もしできることなら、自分を十字架につけないでください。本当に自分は神の子として十字架で殺されなくてはならないのですか。本当にこれがあなたのみ心なのですか」と神に祈ったのであります。その祈りが激しかったために、その汗は血のしたたりのようになったというのです。この時も弟子達はみな眠りこけていました。しかしこの時には、神からの回答はなかったのです。この時には、モーセもエリヤも現れなかったのです。この時には、「これはわたしの愛する子」という天からの声は聞こえないのです。もっともルカによる福音書だけは、この時、天使が現れてイエスを力づけた、と記しておりま す。しかしその天使の励ましを受けるとイエスはますます苦しみ、ますます必死になって神に祈り続けたというのです。天使の励ましを受けてもイエスの苦しみはひとつも緩和されないばかりか、ますます苦しみ、ますます神に「自分は本当に十字架で死ななくてはならないのですか」と訴え続けたというのであります。
 
 「山上の変貌」の出来事のあと、ゲッセマネの園でのイエスの孤独な闘いがある、順序が逆ではないか。このゲッセマネの園での激しい苦闘の祈りがあって、それから何日か経って、いわゆる「山上の変貌」という出来事、つまりモーセとエリヤが現れて、イエスの十字架を承認し、イエスを神の栄光に包み、励ますという出来事が起こる、そういう順序ならば、イエスはもっと堂々と十字架の道を歩むことができたのではないか、と思うのです。
このゲッセマネの園での祈りの時には神は現れないのです。神は全く沈黙しているのであります。イエスの必死の祈りに何の回答もしないのです。「もうわたしはお前にわたしの意志をはっきりと伝えてある。もうあの山上の変貌という出来事のなかでわたしの意志ははっきりと伝えてあるではないか、お前はそれを信じていきなさい」とイエスに語っているようであります。神は何も答えない、その神の沈黙の中にイエスはかえって神の堅い意志を感じ取ったのではないかと思います。

イエスは、これから十字架の死まで全く孤独な道を歩まなくてはならないのです。これが神のみ心なのだ信じて、ただ信じていく以外にないのです。目に見える形で、あるいは心に感じる感じる形で、神の励ましを受けることはないのです。ただ信じる以外にないのです。シナリオに書かれているように、何もかもはっきりと書いてある道を歩むのではないのですから、ただ信じる以外にないのですから、信じる道というのは、不安と恐怖の中につつまれながら歩む以外にないのです。ですから、われわれは時として不安と恐怖を感じる時には、自分には信仰がないからこんな不安を感じるのではないかと自分の信仰の弱さを嘆きますが、そうではなくて、そのような不安を感じる時にこそ、自分は今本当に信仰の道を歩んでいるんだと思わなくてはならないと思うのです。

 死ぬというのは、ひとりで死ぬ以外にないのです。信仰をもったからといって、死ぬ時には神様があらわれて、あるいは天使たちがあらわれて光に包まれて天国につれていってくれるなどということはないのです。ただ信じる以外にない。何を信じるのか、この自分の死を神が受けとめてくださるということを信じる、この自分の死を受けとめてくださるかたがおられることを信じるのです。そうすることによって自分の不安と恐怖を神に取り除いていただく以外にないのです。
死ぬということは、もし年をとってある程度痴呆症的になって死を迎えるというのでないならば、頭も心もはっきりとしていれば、どんな信仰者にとっても死は不安であり恐怖であると思います。少なくともある一定の時間、あるいはある一瞬、死ぬということは、そういう闇の中をただ自分ひとりで突き抜けなくてはならない、そういう不安と恐怖におそわれる時というものを経験することだと思います。それが肉体的に死ぬ間際にそう感じるか、あるいはそこに至るまでのある時にそういう思いをもつかどうかは人によってさまざまですが、少なくもはっきりとした意識をもって死を迎えなくてはならない時には、必ずそういう時があるということだと思います。そういう経験をしないということは、何かをごまかしている、死を何かでごまかしているということではないかと思います。
 他の福音書では、イエスは十字架で息を引き取る時には、最後に「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫して死んでいったと記しているのであります。そうしてその時に全地が暗闇になったというのです。山上の変貌の記事で、モーセとエリヤが現れた時に、イエスと「エルサレムで遂げようとする最後のことについて話していた」と記されておりますが、この「最後のこと」という字はもともとは、「エクソダス」、つまり脱出という字なのです。あの出エジプトのことを英語では、「エクソダス」といいますが、その脱出という字なのです。つまり死ぬということは、この世からあの世に脱出する時なのだというわけです。脱出するという限りは、何かを突き抜けて脱出するわけです。われわれにとって死ぬということは、暗闇を通ってこの世から抜け出さなくてはならないのです。それをひとりで抜け出さなくてはならない。もしわれわれにはっきりとした意識があるならば、そこに不安と恐怖が伴うのは当然なのです。そういう戦いを死に至る前にするか、それとも死ぬ瞬間にするかは人によってさまざまだと思いますが、しかし、一度は、あるいは一瞬は、そういう 時を経過しなければわれわれは死と誠実に向き合ったということにはならないと思います。人によっては、そういう戦いを経て、死ぬ間際はその時は平安のうちに死ぬ人もいるかもしれません。
 イエスに関しては、マルコ、マタイによる福音書は、イエスは死ぬ最後までその恐怖を持ち続けたと書き記しておりますが、ルカによる福音書は、イエスは最後には、「父よ、わたしの霊をみ手に委ねます」といって息を引き取ったと記しておりますから、イエスはゲッセマネの園での闘いのあとは、もうすべてを神に委ねて死なれたのだと書き記しているのであります。
また息子の死を持ち出して申し訳ありませんが、このことは息子の死を通して、知らされたことであります。どんな睡眠薬を飲んでも夜眠れなかった息子のこと思うと、彼がどんなに死の不安と恐怖にとらわれて夜を過ごしたかと今さらのように思うのです。その時点では、われわれ親は彼が死を意識して不安がっていたり、怖がっていたとは思わなかったのです。ただどうして神経が高ぶっていたのだろうか、精神的におかしくなったのではないかと思ったのです。しかし、いざ実際に死なれてみますと、彼が死んでしまったという視点から、改めてその一ヶ月の彼の生活ぶりを思い返してみますと、全く一変してしまうます。彼が死を前にしてどんなに不安がったいたか、こわがっていたかということがひしひしとわかってくるのであります。若い人の死というもの、自分の生涯を突然奪われるという若者の死、それは無念だろうと思うし、どんなに恐怖かと思うと可哀想で仕方ないのです。ロシアの原潜事故で死んで逝った若者を思う時に、その悲惨さを思います。かつて日本では多くの若者が戦争によって死を迎えなくてはならなかった。しかもそのことを本人も親もまともに無念だと思ったり、悲し んだりできなかったのです。改めて戦争の残酷さを思うのです。

死ぬということは、ただひとりで死ぬ以外にないのです。ただひとりでこの世からあの世に抜け出す、エクソダスする、その闇を突き抜けなくてはならないのです。それがわれわれ罪人の死というものです。自分をごまかさずに、死をごまかさずに、そして自分の罪をごまかさずに、みつめながら死のおうとするならば、不安と恐怖の中をひとりで、ただ一つの武器、信仰という武器をもってそこを通っていく以外にないです。
だから、ゲッセマネの園での出来事が最初で、その後に山上の変貌の出来事が続くという形でなくて、はじめに山上の変貌の出来事があって、神からしっかりと十字架の道こそ神のみ心だとい承認と確認があって、それからイエスのただひとりの孤独な闘いが始まるという順序はやはり正しいというか、当然なのだということなのです。それがわれわれ人間がたどらなくてはならない人間の死の道だということであります。