「不信仰な曲がった時代」  ルカ福音書九章三七ー五六節

 イエスが山の上で、その顔が輝き、着ている衣が真っ白に輝いたという出来事、その生きている時にただ一度栄光に包まれるという経験をしたという出来事の後、山を下りました。そこで待っていたのは、不信仰と曲がった時代の人々の動向だったのであります。イエスはいつまでも栄光の中にとどまることは許されなかったのであります。
 山から下りますと、大勢の群衆が待ちかまえていた。そこにひとりの人が大声をあげてイエスに言った。「先生、お願いです。わたしの息子をみてやってください。この子はひとり息子ですが、小さい時からひきつけを起こす病気なので、あなたのお弟子さんにいやしてもらおうと思ってつれてきましたが、お弟子さんたちはそれができませんでした」と、訴えるのであります。するとイエスは「ああ、なんという不信仰で曲がった時代だろう。いつまでわたしはあなたがたと一緒におられようか。我慢できようか」といって嘆くのであります。
 このイエスの嘆きがそのように訴えた父親に対しての言葉なのか、あるいは、病気をいやすことのできなかった弟子達に対する嘆きなのか、よくわからないのです。もし父親に対する嘆きだとすれば、この父親が弟子達の無力を非難するようにイエスに訴えのがいけなかったのかとも考えられます。弟子達の無力をイエスに訴えるのではなく、ただイエスに率直に自分の息子をいやしてくださいと訴えればよかったのかもしれません。もし弟子達に対する嘆きだとすれば、イエスは十二弟子を派遣する時には、病をいやし、悪霊を追い出す権威を授けておられるわけなので、それが出来なかったことに対する嘆きということになるのかもしれません。
 しかしここでは、イエスは「ああ、なんという不信仰で曲がった時代であろう」と、誰がと、特定の人々に対する嘆きというよりは、時代そのものを嘆いているのであります。それはおそらく、無力な弟子達、それを非難する父親、そしてそれを面白がって見ている群衆、それらすべてを含んでの時代そのものをイエスが嘆いているということなのだろうと思います。
われわれは時代というものから免れることはできないのであります。自分ひとりだけ、清く正しく生きようとしても、時代というものにわれわれは巻き込まれていて、時代の悪というものから逃れることはできないのであります。考えて見れば、これはイエスが生きた時代でけでなく、それはいつの時代でもそうであります。それは昔の時代よりも、マスコミニュケーションが発達している今日の時代のほうがずっと時代から受ける影響というのは大きいと思います。それではその時代の不信仰と曲がった時代から逃れるためには、時代そのものから自分ひとり逃れようとしてもダメで、その時代そのものを変えていかなくてはならないということであります。イエスはそのように嘆いたあと、ますます自分の十字架の道への使命を強く感じたのではないか。イエスはその時代からひとり逃れて、修道院にでも入って自分ひとり清く正しく、汚れのない道を歩もうとしたのではないのです。その時代の悪そのものの中を歩み、その時代の悪そのものをまともに引き受けて、そのいわば被害者になって、自分が神の子として十字架で死ぬ道を選び、時代そのものを変えようとしたのであります。不信仰な曲がった 時代から自分ひとり逃れることはできないし、そんなことをしてもあまり意味のないことだと思いますが、しかし不信仰な曲がった時代を変えるためには、ひとりひとりの個人が正しいことを発言し、正しい生き方を時代に対し、社会に対して示していく以外にないのではないかと思います。悪い時代から自分ひとり逃れてもあまり意味はないと思いますが、しかし悪い時代に対して、自分ひとりだけでも正しい生き方をしていくことによって時代を、社会を変えていくことは出来るのではないかと思います。どんなに周り道であってもひとりひとりがそのように生き方を変えて以外にないのではないかと思います。
 ある人の対談集を読んでおりましたら、おもしろいことが語られておりました。丸山真男という評論家がこんなことを言っているというのです。「日本人のものの考え方は『なる』の論理であって、『する』の論理ではなく、歴史を勢いとして捉えるという特徴がある。歴史の勢いは自然発生的・集団的に生じてくるものであって、だれが起こしたかというものじゃない。歴史を個人や指導者の決断の連続として理解する習慣がない」といっているというのです。そうして日本には台風とか水害とか大地震というような自然災害を繰り返し経験している。ところがドイツには自然災害というものはあまりない。だからドイツ人はすべて人為、つまり、人が何かを為すという意味です、人為として捉える。だから戦争ももちろん人為として捉える、だから戦争責任というものを厳しく追及する。ところが日本人は戦争まで巨大なる関東大震災と同じだという感覚でとらえているところがあるから、戦争責任というものを自分たちの責任で追求しようとしない、ということが言われているのです。

 時代というものを、ただ個人や指導者の決断の連続としいうものとして、ただ人為的なものとしてだけとらえることができるのかどうか、やはり歴史の勢いというものがあるのではないか。イエスが今「ああ、不信仰で曲がった時代よ」と嘆いているのは、そうした人間の悪の歴史の勢いというものを嘆いているところがあるのではないかと思います。
 しかしだからといって、時代の流れを変えることはできないのか。そんなことはないと思います。それがわれわれ人間の歴史である限り、歴史の流れを変えることはできるはずです。それはどのような道か。一言で言えば、イエスが歩まれた十字架の道であります。自分を捨て、自分の十字架を負うという生き方をする道であります。人の罪を負い、人の罪を赦していく道であります。もちろん、それはただ罪を曖昧にするということではないのです。罪は罪としてはっきりとさせなくてはいかないと思います。そうした上で、しかし最後的には人の罪を自分が忍耐して受け入れていく道であります。自分ひとりが謙遜になれば、なにもかもうまくいくのではないか、自分ひとりが本当に謙遜な生き方をすれば、社会そのものを変えていくことができるのではないか。社会ということがおおげさならば、自分の生活している小さな場といってもいいかもしれません。自分の家族かもしれないし、会社かもしれないし、あるいは教会の交わりもそうであります。

イエス・キリストは「ああ、なんという不信仰な曲がった時代だろう。いつまで、わたしはあなたがたに我慢できようか」と嘆いておりますが、しかしイエスはそういったあと、もう我慢できないといって、われわれ人間を見捨てようとしたのではなく、忍耐して忍耐して、ご自分ひとりが十字架で死ぬことによってわれわれ人間の罪を担い、神の義を現そうとするのであります。「いつまで我慢できようか」といって、ある時に堪忍袋の緒が切れて、その怒りを爆発させたのではなく、ご自分ひとりが謙遜の極みをつくして自分を捨てて、自分が死ぬことによって、不信仰で曲がった時代を直そうとなさったのであります。
 イエスは「いつまで我慢できようか」と嘆きましたが、自分の目の前で苦しんでいる者を見捨てることはしないで、その息子の病をいやしました。その出来事をみて群衆が驚いているときに、イエスは弟子達に改めていいます。「あなたがたはこの言葉を耳におさめておきなさい。人の子は人々の手に渡されようようとしている」と、二度目にご自分が十字架で死ぬことを予告するのであります。弟子達はイエスが何を言っているかよくわからなかった。しかしなんとなくこれは大変なことなのだということはうすうすと感じ始めたようで、あえてその真意を弟子達はイエスに尋ねなかったのであります。

四六節をみますと、「弟子達の間に、彼らのうちでだれが一番偉いだうろかということで、議論が始まった」と、書かれております。これがイエスが二度目にご自分の十字架の死を予告した直後の弟子達の議論なのかどうかはわかりませんが、すくなくとも、それからあまり時間が経っていないことはあきらかであります。イエスがいないところでは、弟子達の最大の関心事は自分たちの中で誰が一番偉いかということだったようであります。彼らはこの世的なものをみな捨てて、イエスに従っているわけです。その彼らの関心事はもうこの世的なことに関してではなく、天国では自分たちのなかで誰が上座につくかということだったというのです。これは本当かどうかわかりませんが、カトリックの神父はみな独身ですが、ところがプロテスタントの牧師は多くの場合、結婚していて、家庭をもっているわけです。従って、家族のいろんな問題を抱え込んでいる。しかし神父にはそういうものはない、そうすると彼らにとっての関心事は自分たちのうちだれが出世するかどうかということなのだという嘆きを神父の話として聞いたことがあります。プロテスタントには、牧師にはいっさい上も下もない、そう いう牧師の階級というものはありませんが、カトリックの組織では神父のなかにもそういう階級的なものがあるらしいのです。しかしわれわれプロテスタントの牧師の間では階級はありませんが、やはり大きい教会小さい教会というものがあるわけで、そうした出世という関心から全くのがれられるかといえば、そんなことはないわけで、これは人間の、あるいは、男の業のようなものかもしれません。サラリーマン社会のなかでも、やはり会社での地位というものは一番の関心事になるのでないかと思います。
 他の福音書では、その弟子達の様子を見て、イエスは嘆かれ、異邦人の社会では誰が上座につくかということが関心事なのかもしれないが、お前達の間で偉くなりたいと思うものは、仕える者にならなければならないといわれ、そうして神の子であるわたしがこの世にきたのも、神の子として仕えられるためにきたのではなく、人々に仕えるためにきたのであり、多くの人のあがないとして自分の命を与えるためにきたのだと言われるのであります。

ここではイエスはこの弟子達のまことにこの世的な思いを見抜き、ひとりの幼子をとりあげて、「だれでも幼子をわたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。そしてわたしを受け入れる者は、わたしをおつかわしになった父なる神を受け入れるのである」と言われたあと、「あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」といわれるのであります。もう大人になってしまったわれわれは、そのまま幼子になることはできないのです。小さな、この世的には、あまり役に立たないかもしれない、小さな存在、そのものをイエスの名のゆえに受け入れる、そうすることによって、謙遜にさせられるのであります。幼子はすべてかわいらしいわけではないのです。幼子それ自体の価値で幼子を受け入れるのではなく、イエスがいつもこの世で一番小さい者を受け入れておられた、そのことを思い起こし、幼子を受けいるということなのであります。ですから、幼子はかわらしいからという幼子そのものの価値の故にではなく、また自分がそういうこの世の中の弱い者の存在を受けいることができるという自分の愛の深さとかそんなものを頼りにして、そんなものを誇示する ためにそうするのではなく、ただイエスの名の故に受け入れるのであります。そこに謙遜ということが要求されるのであります。
 自分たちの中でだれが一番偉いかという議論に加わったのは、あのイエスと共に山に登って、イエスの神々しい光景を経験した弟子達もいたのです。彼らはそうしたいわば宗教的な神秘的な体験をしても、この世的な関心事、自分たちの中で誰が一番偉いかなどという、まことに世俗的な関心事から逃れることはできなかったのであります。ペテロなどは、その不思議な光景をみた時に、この栄光を永遠にとどめるために小屋を三つ建てましょうなどという俗ぽっいことを言っておりますから、彼らの神秘的な体験そのものがまことに世俗的な経験としていか受け止められなかったということであります。

四九節をみますと、弟子のひとりのヨハネが「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」と、自分たちの党派性をまるだしにするようなことをいうのであります。さらに、五一節からみますと、彼らがサマリヤの村に進もうとしたときに、かねてからサマリヤ人とイスラエル人とは仲が悪かったので、サマリヤ人がイエスの一行を歓迎しようとしなかった時、弟子のヤコブとヨハネはそれを見て「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火を呼び求めましょうか」と、とんでもないことをいったのであります。これもまた党派性、自分たちの仲間だけが偉いんだという党派性むきだしの思いであります。
ヤコブもヨハネもあの山の上での神秘的な出来事を経験した者たちであります。宗教的神秘的な体験などといものが人間をひとつも浄化しないということであります。それはかえってますますわれわれを世俗的なものにしてしまうということであります。
 それに対してイエスは、「あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方である」といい、またサマリヤの村を焼き払いましょうかというヨハネとヤコブを叱ったのであります。イエスはますます「不信仰で曲がった時代にいつまで我慢できようか」という嘆きを強くもったのではないかと思います。
 
 そうした中でイエスは天にあげられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔を向けられたというのであります。イエスがどんな思いで十字架の道を歩もうとされたかがわかるのであります。