「隅のかしら石」 ルカ福音書二○章九ー一八節

 九節をみますと、「そこでイエスは次の譬えを民衆に語りだした」とルカは記ます。一九節をみますと、祭司長たちはこの譬えは自分たちに語られたのだということに気がついて、イエスを捕らえようとしたとありますから、この時、イエスは直接には民衆に語ったのですが、その遠くでイエスが何を語るのかを聞き逃すまいとして聞いていた祭司長たち、つまり当時のイスラエルの指導者たちに語ろうとしていたようであります。

 こういう譬えです。「ある人がぶどう園を作って農夫たちに貸し、長い旅に出た。季節になったので、収穫の分け前を得ようとしてひとりの僕を送った。ところが農夫たちはその僕を袋だたきにして、から手で帰らせた。そこで彼はもうひとりの僕を送った。今度も農夫達は更にひどいことをして、から手で帰らせた。三人目を送ったが駄目だった。それで主人は自分の愛する息子を送ろうと考えた。今度はさすがにそんなことはしないだろうと思って送った。ところが農夫たちはそれが主人の息子だと知ると、『あれはあと取りだ。あいつを殺してしまえば、そうしたら、その財産はわれわれのものになる』と話しあって、とうとうその主人の息子をぶどう園の外に連れ出して殺してしまった」という話であります。
 
 こんなべらぼうな話はないとわれわれは思うかもしれませんが、つまりそんなことをして借りているぶどう園を自分たちのものにできるはずはない、これは無理な譬え話だとわれわれは思うかもしれませんが、しかし当時のイスラエルではそうしたことはよくあったそうであります。主人が気弱な人間だったら、そうされて泣き寝入りしてしまうということもあったようであります。

 そんな馬鹿なことはないとわれわれは現在思うかもしれません。今ではきちんと法律ができているし、警察もいるんだから、そんなことはできるはずはないと思うかもしれませんが、しかし現在の日本でもそうしたことはそれほど珍しいことではないのではないかと思います。日本の立派な大会社でも、総会屋と称する暴力団の圧力に屈して、莫大なお金を出している企業は沢山あるからであります。
 われわれは暴力というものにどんなに弱いかということであります。

 イエスは「そのさい、ぶどう園の主人は彼らをどうするだろうか」と問うて、イエスはみずから答えています。「彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」といいます。それを聞いた民衆は口々に「そんなことがあってはなりません」といったのであります。
 
 その民衆の「そんなことがあってはなりません」という言葉に対して、イエスは不思議なことをいいます。一七節、「イエスは彼らを見つめていわれた。それでは『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった』と書いてあるのはどういうことか」というのであります。

 この二重括弧にあります言葉は、旧約聖書の詩編の一一八編の言葉からの引用であります。その詩編の全体は「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と救われた喜び、神に対する感謝の詩編であります。そのなかで「家造りらの捨てた石は隅のかしら石になった。これは主のなされた事で、われらの目には驚くべき事である」と、歌われているのであります。この「家造りらの捨てた石は隅のかしら石になった」というのは、当時の人々のことわざだったようであります。

 この「家造りらに捨てられた石」というのが具体的には何をさしているのかは議論があるところですが、将来に現れるメシアのことであります。

 家造りは、隅のかしら石を選ぶ時に一番慎重に選ぶのです。建物全体を考えて一番がっしりした、あるいは見栄えのする石を選ぶのです。しかしその家造りらがこんな石は役に立たないといって捨てた石が、人間の予想を越えて、いつのまにかその家全体を支える重要な役割を担う隅のかしら石になったというのであります。

 これは後に新約聖書では、イエス・キリストのことを指す聖書の句となったのであります。それはイエス・キリストご自身がこの「ぶどう園のたとえ」の後で、この句を引用してご自分の十字架の死を暗示したからであります。使徒行伝では、ペテロが人々に向かってこういいます。「この人が元気なったのは、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである」といって、イエスのことをこの隅のかしら石になぞらえております。同じように、ペテロの第一の手紙でも引用されております。
 
 後の人々がこの句をイエス・キリストのことだと思うようになったのは、もう一つ旧約聖書のイザヤ書の五三章にある、「主のしもべの歌」という歌、それは将来自分たちを救う救い主が現れるとしたら、こういう救い主だと預言した歌があるのですが、その歌を思い出したからではないかと思います。

 そこでは、こう歌われているのであります。イザヤ書五三章です。
「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は誰にあらわれたか。彼は主の前に乾いた土から生え出た弱々しい木として育った」。乾いた土から出た木の芽ですから、みずみずしさはみじんもない木です。それは、「われわれの見るべき美しさはなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌み嫌われる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった」と歌われていくのです。 彼はみんなからいやがられ、侮られ、そして人に捨てられるというのです。しかし彼は実はわれわれの病を身代わりに担い、われわれの罪と悲しみを担って死んでいってくれるメシアなのだとこのあと続くのであります。

 われわれを救うメシアは、彼は侮られて人に捨てられるメシアだというのです。これはまさに家造りらが捨てた石が後にその家全体を支える隅のかしら石になったということであります。
 
 主イエス・キリストの十字架のあと、この言葉こそ、主イエス・キリストのことを預言していた言葉だと、キリスト教会は受けとめたのであります。

 人々がこれはもう役に立たない石だといって、捨てた石がいつのまにか隅のかしら石になったというのです。それはまさに人々が、特に選民イスラエルの偉い人々が捨てたイエス・キリスト、十字架につけて殺したイエス・キリストが、世界全体を救う救い主になったのであります。

 さきほど、この背景にはイザヤ書五十三章にある、「主のしもべの歌」があるといいましたが、わたしはこの聖書の箇所は好きで、もう何十年も前から親しんできた聖句ですが、今度この「しもべの歌を」を「家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった」という句と結び合わせて読んでみて、初めて気がついたことがあります。それはこの「主のしもべの歌」が将来のメシア、救い主にたとえられているわけですが、これは大変驚くべきことだということに気がついたのです。それはどういうことかといいますと、ここで歌われているメシアは、ただひたすら、人々に捨てられていく人、人々に侮られ、忌みきらわれていく人が、救い主になるということだけが歌われているということなのです。

 つまりこういうことです。これがイエス・キリストのことだという時は、われわれはイエス・キリストの生涯を思い起こしまして、イエス・キリストというかたは、罪人の友になり、悲しんでいる、病んでいる人を慰め、悪霊を追い出し、人々に慰めを語ったことをわれわれは知っております。つまりイエス・キリストがどんなに愛のかただったということはよく知っております。そしてある時には人々に尊敬され、一時は王にまでされようとしたかただったということをわれわれは知っております。そういうかたが、しかし最後には捨てられて、十字架で殺されていくということであるならば、われわれはわれわれを救う救い主は、本当にそういうかたなのだということはよくわかると思います。
 
 しかしイザヤ書の「主のしもべの歌」には、ただ捨てられていく人、そのことだけが歌われているのです。その人が愛の人だったとも、するどい預言者をする人だったとも、何も語られていない。そういう愛の人、深い言葉を語った人が結局は人々には理解されずに、捨てられていく、しかしそれが本当の救い主だったのだということなら、わかるのです。しかし、この「主のしもべの歌」はいっさいそういうことは歌われていないのです。ただ「彼は侮られて、人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。顔をおおって忌み嫌われる者のように、彼はあなどられた」と歌い、そして最後には「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった」と歌われるのであります。

 つまりこの人はそれまでにどんなに愛の人だったかなどとは、ひとつも語られていないのです。この人はただ人々に侮られ、忌み嫌われ、捨てられていく生涯を送って人、そして最後には屠殺場で殺される小羊のように黙々と死んでいくという人なのです。いってみれば、ただ人々に捨てられていく、その一点で救い主になった人なのだと歌われているのです。

 これは考えてみれば、驚くべきことではないかと、今度はじめて思い知ったのです。この箇所がイエス・キリストの十字架と合わせて読むときに、われわれはこの句がああ、メシア預言の聖句だとわかりますけれど、これはまだイエス・キリストが現れる前に歌われ、記された聖句であります、それがメシア預言の聖句としてされていたというのは、本当に驚くべきことではないか。

 ここに歌われているメシアは、愛の人ではない、人々を深く愛した故にメシアになった人ではないのです。ただ人々に捨てられいくことによってメシアの道を歩んだ人なのです。どうしてメシアになったのか。それは人々に捨てられることによって、彼がわれわれの病を負い、われわれの悲しみを担ったからなのです。

 「彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれた。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」と歌われるのです。
こんな人間は役に立たないといって捨てた人、こんな人間は醜いから、早く自分達の視野から消えてくれといって捨てていった人、そうやってわれわれが切り捨てていく人、それがわれわれを救う救い主になるのだということであります。いったいどうやって救い主になるのでしょうか。

 それはそのようにして人々から侮られ、捨てられていく、その侮りを黙々として担っていてくださることによってなのであります。「主のしもべの歌」には更にこう歌われていくのであります。「われわれみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた」というのです。

 われわれがその僕を侮り、忌み嫌い、捨てていく背後には、「われわれがみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った」という人間の罪があるというのです。われわれの罪の故に、彼は、ちょうどイスラエルの人々が自分達の罪をアザゼルの山羊として担わせて、アザゼルという悪魔のいる森の中に送り込んだように、そうすることによって自分たちの中から罪を取り除こうとしたように、われわれはその僕にわれわれの罪を担わせて、彼をほふり場に送り込んだのだというのであります。
 だから、これが後のイエス・キリストの十字架を指し示す聖句になったのであります。

 家造りらが、こんな石は、弱々しくて、見栄えがしなくて、かしら石にはならないといって、捨てる時には、こんな石は役に立たないといって捨てるのです。逆にいいますと、われわれは役に立つものだけを用いようとして、役に立たないものは切り捨てていこうとするのです。そして役に立つか立たないかは、何を基準にして判別するかといいますと、自分のとって、ということであります。自分の都合にとって、自分の、自分達の利益にとって都合がいいかどうかで切り捨てていくということであります。

 われわれの社会は、役に立つものが尊いのだという思想にどんなに汚染させているかということであります。もちろんこれは利潤追求をすることが第一義とする会社の運営に関してならば、これは仕方ないことですし、そうしなければ、会社というのは成り立たないと思います。しかしその会社ですら、かつて日本は年功序列で、どんなに年をとっても、つまりどんなにもう役に立たなくなっても、年をとっているというだけで給料を支給するという制度でした、しかしそれはあまりにも効率が悪いということで、日本の会社もアメリカ式になっていっているようですが、それで日本の社会全体は幸福になったか、国として安定しているか、バランスがとれているかといえば、そこからくる弊害というものがどんなに深く今日日本の社会に浸透しているかわからないと思います。

 このとことは、キリスト教の中にも深く入り込んでいるのではないか。いや、もともと教会が率先して、役に立とう、社会の役に立とうということ、奉仕奉仕ということを言い出して、いつのまにか、教会の中では、役に立つものだけが尊いという思想に汚染されているのてばないか。役に立たなくなった人間はどうしたらいいのか。いや、初めから役にたちそうもない人間は教会からはみ出さざるを得なくなるのではないか。

 ときどき多くの人に紹介される、ある神父の詩があります。大変感動的な詩なのです。「この世で最後のわざは何」という詩です。かいつまんで紹介しますと、「この世で最後のわざは何、楽しい心で年をとり、働きたいけど休み、しゃべりたいけれど黙り、失望しそうな時に希望し、従順に、平静に、おのれの十字架を担う」という句で始まります。
「若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること、」と歌います。

そして最後にこういうのです。「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。『来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ』と」。
 
これは大変感銘深い詩ですけれど、わたしはやはりここには「役に立つものは尊い」という思想からふっきれていないものがあると思えるのです。「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ」というところなのです。われわれは年をとっていった時に、最後まで祈れる人は幸せだと思います。しかし病気によっては、あるいは病気によらなくても、最後には祈ることもしなくなって死んでいくクリスチャンはいくらでもいることをわたしは知っております。若い時に熱心なクリスチャンでもそうです。年をとるということはそういうものなのです。祈りもできなくなる、そうしたら、もう役にたたない人間として切り捨てられるのかということなのです。
 
よくわれわれ何もできなくなった病人を見舞う時に、その病人を励まそうとして、あなたは何もできなくても祈ることはできるし、わたしたちのために祈ってくださっているから、決して役に立たないなんていってはいけませんという場合がありますけれど、わたしはこうした励ましほど、過酷な励ましはないと思うのです。
 
 もちろん、ある場面においては、役に立つものは尊いという思想は大変大切ですし、有効な思想です。しかしその「役にたつものは尊い」という思想がわれわれの人生の根本にすえられてしまうときに、それが土台になってしまうときに、どんなに恐ろしいことが起こるか。なぜなら、「何が役に立つか立たないか」は、結局は自分の都合によって判別されるからであります。人間の都合によって、判別されるのからであります。それは人間の自己中心性という罪が深く根ざして、自分にとって役に立たないものは切り捨てていくということになるからであります。あのイザヤ書で歌われている「主の僕」が、人々に侮られ、捨てられていく背後には、「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った」という人間の罪があるのです。

 パウロはコリント教会の中で自分は一番偉い人間だと言い始める人がいて、争いが起こった時に、人間の体にたとえて、人間の肢体には、頭もあれば耳もあるし目もある、だからどんなに人間の目に役に立たないと思われる肢体にも、神は美しく装ってくださって大事にしている、だから人を見て、あいつは耳でないから、目ではないから、つまり役に立たないからだめだといって切り捨てるな、なぜなら、人間のからだの肢体はどんな小さな部分でも、同じ体に属しているから尊いのだいうのです。
 
確かに人間の肢体は、どんな小さな肢体でも本当は役に立たない肢体というのはないです。人間の肢体はどんな小さな肢体でもすべては役に立つのです。しかしパウロは、どんな肢体も、つまり人間の目には役に立たないと思われる肢体も役に立つ、どんな人間でも役に立つのだということで、どんな肢体をも重んじなくてはならないとはいわないのです。そうはいわないで、どんな肢体もキリストという同じ肢体に属しているから尊いというのです。つまりもうこの時、パウロは、「どんなものでも役に立つ、どんな人でも神の目からみれば役に立つ」という考え、つまり「役に立つものは尊い」という思想そのものから離れているのです。

 「家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった」ということは、石の場合は偶然そうなったということであるかもしれませんが、これがわれわれの救いになるということになりますと、われわれが切り捨てていったものの中にわれわれ人間の罪があるという自覚、われわれが侮り、忌み嫌い、捨てていった、あのしもべは、実はわれわれの病を負い、われわれの罪を担ってほふり場に黙々と歩まれたのだという自覚と悔い改め、その罪の自覚と悔い改めがなければ、これはわれわれにとっては隅のかしら石には到底なり得ないということなのです。そのときにはじめて、「これは主がなされたことでわれわれの目には驚くべきことだ」という神に対する感謝と賛美の声になるのではないかと思います。