「逮捕されるイエス」   ルカ福音書二二章四七ー六二節

 主イエスはオリーブ山の中腹にあるゲッセマネの園で、父なる神に「みこころならば、自分を十字架につかせないでください。しかしそれがあなたのみこころならば、みこころがなるようにしてください」と祈りました。しかし父なる神はひとことも答えませんでした。もうそのことはお前にはわかっている筈だというのが父なる神の答えであったかもしれません。それで主イエスはその神の沈黙の中に、かえって、自分が十字架で死ぬことが父なる神の固い決意なのだと悟り、決然として十字架の道を歩み始めるのであります。
 
 主イエスが血の汗を流すほどに自分の全力を投げ出して祈っている間、弟子達は眠っておりました。イエスは「なぜ眠っているのか」と言って、弟子達をしかり、さあ行こうと弟子達を立ち上がらせているときに、ユダを先頭にした群衆がイエスを捕らえに来ました。祭司長達は昼間イエスを捕らえられなかったのです。イエスは彼ら対して「毎日あなたがたかと一緒にいた時には、わたしに手をかけなかったのに、今はまるで強盗に向かってくるように剣や棒を持って来たのか」と言っております。彼らはイエスを昼間捕らえると、イエスを慕っている群衆もおりましたから、何か騒動が起きるのを恐れたのです。それで群衆がいない夜、イエスを捕らえたかったのです。
 夜イエスを捕まえるためには、どうしても夜のイエスの行動を知っている人の先導が必要だったのです。その役割を担ったのが、イエスの十二弟子のひとりのイスカリオテのユダだったのであります。

 イエスの十二弟子のひとりがどうしてイエスを裏切るようなことをしたのか。聖書は説明らしい説明は何一つしておりません。ユダは祭司長たちのところに行って「イエスをあなかだかたのところに引き渡せば、いくらくださいますか」と交渉しにいったとマタイによる福音書だけは書いておりますが、他の福音書はそういう書き方はされていなくて、ユダが祭司長たちのとろにいってイエスを引き渡そうといいますと、それに対して祭司長たちが「彼らはこれを聞いて喜び、お金を与えることを約束した」となっていて、ユダのほうからお金が欲しくて自分の先生を売り渡したようではないのです。そんなお金のためにユダがイエスを売り渡したとは考えられないのです。
 それでルカによる福音書もヨハネによる福音書も、サタンがユダの中に入ったと、このことを説明するのであります。これではひとつも説明にはならないのです。つまりこれはもう説明のしようがないことだったということであります。
 
 イエスはユダに対して「ユダ、お前は接吻をもって人の子を裏切るのか」というのです。これはそこは暗闇でしたから、だれがイエスかということはみんなにはよくわかりませんから、あらかじめ、自分が接吻する人間がイエスだときめられていたのではないかと思われます。それでユダはイエスに接吻しようとして近づいたのであります。もちろん接吻といっても、一種の挨拶としての抱擁のしぐさだろうと思います。しかしそれはともかく親愛の情の表現であることは確かであります。それは決して敵に対してはしないことであります。ユダとしてもそんな仕草でイエスを、これがイエスだと知らせたくはなかったのではないかと思います。しかし暗闇のなかではそうせざるをえなくてやったことであります。

 イエスはそのユダに対して「お前は接吻をもってわたしを裏切るのか」と呼びかける。これはユダに対するイエスの厳しい叱責の言葉、非難の言葉というよりは、「人を裏切るということは、その人の今まで築いてきた信頼関係、愛の関係を裏切ることになるのだよ」というイエスの悲痛なユダに対する悲しみの表現ではないかと思います。裏切られる自分の口惜しさとか悲しみというよりは、裏切るユダの心をおもんぱかっての同情の思いから出た言葉なのではないか。「お前はとうとう接吻を持って人を裏切るところまでおいつめられてしまったのか」というユダに対する悲しみであります。

 イエスは捕らえられて大祭司の邸宅につれて行かれました。ペテロだけはそのイエスのことが心配で遠くからついていきました。その中庭で人々は焚き火をしておりました。ペテロもその焚き火にあたりながら、イエスはどうなるのだろうかと心配して見守っておりました。するとそこにある女が彼をみつめて「この人もイエスと一緒だった」といいます。するとペテロはすぐそれを打ち消し、「わたしはその人を知らない」と答えます。そんなことが三度りあました。そしてペテロが三度目に「あなたの言っていることはわたしにはわからない」と必死になって否認しているときに、鶏がなくなのであります。すると主イエスは振り向いてペテロを見つめられた。

 このことはルカによる福音書だけが記していることであります。本当に主イエスはペテロを見つけて、ペテロに振り向いたのだろうか。マタイによる福音書やマルコによる福音書では、イエスは大祭司の邸宅の中に入れられていきましたが、ペテロはその邸宅の外の中庭にいたと記しております。もしかすると、これはペテロの幻影だっとも考えられるのではないか。

 ペテロがイエスを三度否認したとき、鶏が鳴いた。そしてその時ペテロは「きょう鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないというであろう」というイエスの言葉を思い出した。その時、まるで主イエスがその三度目に否認したペテロを振り向いてみつめられたような幻想をペテロは見たのではないか。主イエスが自分をふりむかれたという錯覚に陥ったのではないか。ペテロにとって突然鳴いた鶏の鳴き声は、それほどに衝撃的な鳴き声だったということではないか。そういう幻影をみるほどにこの時ペテロの思いは深かったということなのではないか。

 ペテロは鶏の鳴き声を聞くと、イエスの言葉を思いだしました。「きょう、鶏か鳴く前に、三度私を知らないと言うであろう」といういわれた主イエスの言葉を思い出したのです。そして彼は外に出て激しく泣いたのです。

 この時、ペテロが思ったことは、自分はなんと弱い人間だろうということだったと思います。ほんの少し前までは、自分は絶対にイエスを裏切らない、「獄にまで、また死に至るまでもあなたとご一緒にいく覚悟です」とイエスの前に誓ったばかりの自分であります。それなのにその数時間も経たないうちにこのありさまであります。ペテロは自分がどんなに弱い者であるかを身にしみて感じたに違いないと思います。女はなにもペテロを逮捕にしきたわけでもなく、また大祭司に密告するといったわけでもないのです。ただ、「あなたはイエスの仲間だ」といっただけなのです。それなのに、もうペテロはあわててそれを否定しているのです。そういう自分を知って、なんと弱い自分であるかを知ってペテロは泣き出したくなって、外に出たのだろうと思います。

 しかもその自分の弱さを知っている者がいる。見抜いている人がいる。主イエスがもうそのことを見抜いておられ、そしてみんなの前で公言しておられる。もう自分の弱さは、ただ自分ひとりのなかの問題ではなくなっている。それはもう知られている弱さになってしまっている。もう隠しようもないものになっている。
 
 弱さでも、罪でも、自分ひとりだけが、自分ひとりの心の問題だけならば、われわれいくらでも巧妙にそれを隠したり、弁明したり、正当化すらできるのであります。しかし罪はいったん他の誰かに知られてしまえば、もう隠しようがないのです。そして罪の認識とか罪の自覚というのは、そのように他の誰かに知られた時に初めて罪として認識される、罪となるのであります。

 大きな犯罪を犯して、逃げ回っている犯人が捕まって逮捕される。そして厳しい尋問に耐えきれなくなって、自白する。その時になって初めて、たいていの犯罪者は涙を流して、自分の罪を悔いるのであります。犯罪者が自分の罪に悔いるのは、罪を犯した時ではないのです。その罪が発覚して、その罪が第三者に知られた時であります。罪というのは、そのように客観的になった時に初めて罪として自分自身にとっても罪として認められのであります。その罪が誰にも知られない時には、われわれはいくらでもその罪を隠したり、ごまかしたりできるからであります。

 ペテロは自分の弱さがすでにイエスに知られていたことを知って、どうしようもなくなって外に出て泣いたのであります。ペテロはこの時、自分はどんなに弱い人間かということを知ったのであります。ペテロは初めは、主イエスの言葉、「今日、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言うであろう」という言葉をまず思いだして、激しい自責の念に圧倒されたと思います。イエスのことを知らないと三度目に誓ったときに、自分をみつめる主イエスのまなざしを感じた。それは実際の主イエスのまなざしであったのか、それともそれはペテロが自分が見た幻影であったかはわかりませんが、ともかくそのまなざしは、初めは、決して優しい、暖かいまなざしなどではなく、自分の弱さを激しく見つめるまなざしとして写ったに違いないと思います。

 そして外に出て激しく泣きながら、イエスのところから離れて逃げていくうちに、あの時、主イエスは、ただ「鶏が鳴く前にお前は三度わたしを知らないというだろう」といわれただけではなかったことを思いだしたのではないか。その言葉の前に主イエスは「シモン、シモン、サタンはお前たちを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはお前の信仰がなくならないように、お前のために祈った」という言葉を思い出し始めたのではないか。

 イエスがなぜペテロの裏切りをあんなふうに言われたのか。それはイエスがご自分の予知能力とか、人間の洞察力を誇示するためにいわれたのではなく、そんな子供じみたことをイエスは自慢するためではなく、そうではなくて、ペテロが「イエスのことを知らない、知らない」と否認した時に、そのペテロの弱さをもうイエスのほうでは知り尽くしておられて、そのために、そのペテロの信仰がなくならないようにわたしは祈っている、そのことをペテロに知ってもらいたかった、だから、わざわざ「鶏が鳴く前に」とまるで何か占い師のような予言をなさったのではないか。だから「鶏が鳴く前に」という言葉は、それがきかっけになって主の言葉を思いださせるために必要だったのではないかと思います。

 ペテロが自分の弱さに気がついた時に、その弱さを裸で知るのではなく、その弱さはもうすでにイエスによって赦された弱さとして知るように、イエスはあらかじめ配慮しておられたのではないか。
そして、ペテロはそのことを次第次第に気がついたのではないか。そしてその時に、あの振り向いてペテロを見られたという主イエスのまなざしも、ただ厳しいまなざし、ペテロを叱責する冷たいまなざしとしてではなく、ペテロの弱さを知っていて、その信仰がなくならないように祈っているまなざしに変化していったのではないか。

 ペテロは自分の罪というものをまず弱さとして知った。自分はなんと弱い人間かと嘆いた。そして泣いた。そこからペテロは自分の罪を知った。そのことは罪を知るということで大変大事なことではないかと思います。なぜかといいますと、罪というものをただ自分の邪さとか、自我の強さ、自己中心性とか、自分の不義としてだけのものとして認識しているときには、自分に対する絶望や自分に対する挫折感はあったとしても、そこには神の恵みが入り込む余地はないのではないかと思うからであります。

 パウロという人のことを考えますと、彼はクリスチャンになる前は、大変自我の強い人でした。だから十字架で死ぬような救い主を受け入れることはできませんでした。そしてクリスチャンを迫害したのであります。十字架で死ぬイエスを救い主だと信じるような軟弱なクリスチャンを忌み嫌っていたのであります。自分は正義のやからだとして、人を裁いていたのであります。そのパウロがキリストに出会って、回心した。そしてその時に彼は神の義に圧倒されたのであります。

 罪人を無条件に赦すという圧倒的な神の義というものにぶつかり、パウロはひれ伏したのであります。そのパウロはそのキリストの恵みにふれるようになって次第に次第に自分の弱さというものに気づかせられていったのではないか。罪というものをただ不義として捕らえるのではなく、自分の弱さとして知るようになったのではないか。その時にパウロは、神の愛というものを深く知るようになったのではないか。

 ローマ人への手紙では、最初の三章には、神の愛という言葉は出てこないで、神の義が示されたと、ただ神の義という言葉だけがでてくるのであります。そして五章にきて、パウロはこういうのであります。「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは時いたって、不信心の者たちのために死んでくださった」言い出す時に、そこで初めて神の愛という言葉がでてくるのであります。「まだ罪人であった時に、わたしたちのためにキリストは死んでくださったことによって、神はわたしたたちに対する愛を示されたのである」と語りだすのであります。
 
 パウロが語る神の義は、もちろん神の恵みだし、それはもちろん神の愛ですから、神の義と神の愛とを切り離したり、区別する必要はないかもしれませんが、しかし、われわれが自分の罪をただ不義としてとらえる時には、神の圧倒的な怒りとしての神の義が全面にでるのではないか、そして罪を自分の弱さとしてとらえる時に、神の愛という表現があらわれるのでないか。どちらも大切なことですが、聖書はわれわれの罪を弱さとしてとらえているということは大変大事なことだと言いたいのです。

罪を弱さとしてとらえるのは、甘いといわれかもしれません。センチメンタルになるといわれるかもしれません。たしかに、そういう危険はあるとの思います。そしてペテロがそうであったように、自分の罪を弱さとして知る時に、われわれは泣きたくなります。涙をこぼしたくなります。センチメンタルな気分になるかもしれません。しかしその時に神の恵み、神の赦し、神の愛というものがもっともよくわってくるのではないか。

 パウロはこうもいいます。「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導く」といいます。悲しみのない悔い改め、涙のない悔い改めは真の救いに導く悔い改めにはならないということであります。われわれは自分の罪を弱さとして知る時に、悲しみが起こるのではないか。

 親は自分の子供が犯罪を犯した時に、ただ怒るのではなく、本当に悲しくなる、涙を流すのではないか。他人の子供が罪を犯した時には、けしからんと怒りだけしか出てきませんが、自分の子供が罪を犯した時には、ただ怒りだけではなく、涙を流す。それは自分の子供のことはよく知っているからであります。自分の子供の弱さをよく知っているからであります。それはまた親自身の、自分の弱さだからであります。親は自分の子供が罪を犯した時には、その罪を弱さとして認識しているから、悲しむのであります。涙を流すのであります。

子供の罪を子供のあやまちを弱さとして認識するのは、親の甘さということもあるかもしれませんが、それはまた親の愛情から出ていることではないかと思います。罪を弱さとしてみるというのは、そこに愛があるときであります。そうでなければ、怒りだけしか出てこないのであります。

 パウロは自分の罪を弱さとして自覚し始めたときに、その信仰が深まり、いよいよ神の恵みがわかりだしたのではないかと思われます。彼は病に陥り、身にしみて自分の弱さを覚えた時に、「わたしの恵みはお前に対して十分である。わたしの力は弱いところにあらわれる」という主イエス・キリストの言葉を聞くのであります。そして「わたしは弱いときにこそ強い」とまで神の恵みをたたえのであります。

 主イエスはペテロの罪を弱さとして見ておられた。それは主イエスがペテロを深く愛していたからであります。ペテロは鶏の鳴き声と共に、そのイエスの愛に気がついたのであります。

 ユダはどうだったか。彼は自分の罪を自分の弱さとして見たか。彼はイエスを十字架に追いやってしまつたことを罪として自覚しました。しかしその罪は自分の弱さとしての自覚というよりは、自分の自我の主張の過ちとしてだけ認識したのではないか。自分は悪いことをしてしまった。自分の正義感は間違っていた。その思いだけだったのではないか。だから、彼はその自分の罪を自分で処置してしまおうとして、自分で自分の首をくくってしまつたのではないか。そこにはキリストの赦しとか恵みとか神の愛というものが入り込む余地はなかったのではないか。

ペテロは鶏の鳴き声と共に自分の弱さを知り、その自分の弱さを既に知っておられた主イエスの言葉を思いだし、その自分の信仰がなくならないように祈っているという主イエスの言葉も次第に思い出していっただろうと思います。しかしペテロは直ちにイエスのところに帰れませんでした。以前のペテロでしたら、いったんは外に出て激しく泣いても、すぐ自分のあやまちに気がつき、捕らえられているイエスのところにとって返したかもしれません。ペテロという人は割と直情的な人のようだったからであります。しかしこの時はそうはしませんでした。

そうはできなかったのです。せめて、処刑されるイエスの十字架のところまではいってもよさそうなのに、ペテロはそれもしませんでした。他の弟子達と一緒にとぼとぼと自分の故郷のガリラヤに帰っていったようなのです。
 
 イエスが「お前の信仰がなくならないように祈っている」といわれた時に、主イエスも、ペテロが自分の弱さや過ちに気づいた時に、すぐさま悔い改めて、自分のところに帰ってくる悔い改めや信仰を期待したり、望んでいたのではないのではないかと思います。もうそういう直情的な悔い改めではなく、じっくりと自分の弱さを見つめていく悔い改め、そうしてこの自分の弱さはもう自分の力ではどうしようもないとじっくりと知っていく悔い改めをイエスも望んでいたのではないか。復活の主イエスにお会いするまで、じっと待つ信仰をイエスも望んでおられたのではないかと思うのであります。