「神はイエスを見捨てなかった」 ローマの信徒への手紙八章三一ー三九節

 主イエスは十字架の上で、最後に「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫して息を引き取られたのであります。父なる神はとうとうイエスを見捨てたのであります。われわれ罪人のひとりになりきって、罪人のひとりに数えられて、イエスは死んでいったのであります。罪のなれの果ては神に見捨てられる死であることを神はわれわれに示されたのであります。

 しかし、神はそのようにして死んでいったイエスを見捨てたままにはなさいませんでした。神は三日後にそのイエスをよみがえらせたからであります。

 人々がこんな石は役に立たないから捨ててしまえといって捨てた石を、神は建物全体を支える隅の頭石になさつたのであります。それがイエスの復活であります。

 父なる神は、ひとり子イエスを一度は完全に見捨てたのであります。イエスを陰府にまでくだらせたのであります。そのようにして、罪人のひとりに数えられたイエスは、われわれの罪を担って捨てられのであります。
 しかし、神はそのイエスを見捨てなかった、三日後によみがえらせた。どのようにしてよみがえらせたのでしょうか。それはあの十字架において罪人を罰し、捨てたということを無にするようにして、よみがえらせたのではないのです。まるで十字架の死がなかったかのようにして、よみがえらせたのではないのです。もしそれだったならば、十字架はまったく無意味になってしまうのであります。

 それはわれわれが捨てた石、こんなものはもう役に立たないといって、愚かにも捨てた石をわれわれの家全体を支える隅の頭、親石として復活させたのであります。
 神はわれわれの愚かさを教え、われわれを徹底的に打ち砕いて、砕けた魂にして、われわれが捨てた石であるイエスをよみがえらせ、われわれの生を支える親石にしたのであります。そのようにして、イエスを見捨てず、そのようにして、われわれを見捨てないことを示してくださったのであります。それが主イエスの復活であり、それに伴うわれわれの復活なのであります。
 われわれはイエス・キリストのよみがえりを通して、われわれもまた神から見捨てられない、神はわれわれの味方であることを知らされるのであります。

 パウロはローマの信徒への手紙の救いについての教えの言葉で、八章の終わりにこういうのであります。
 「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるらば、だれがわたしたちに敵対できますか」と、語りだすのであります」、そしてその結びの言葉は、「どんなものもわたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」と結論するのであります。

 つまり、パウロはわれわれが救われるということは、罪が神の一方的な赦しによって赦されることなのだ、と語ってきて、それは一言でいえば、神がわれわれの味方になってくださったということなのだ、それはわれわれが神の愛からどんなことがあっても引き離されないことなのだと語るのであります。つまり、十字架においてご自分のひとり子を見捨てた父なる神は、イエスをよみがえらすことによって、もうわれわれを見捨てない、見放さないということだと語るのであります。 

 神がわれわれの味方であるということで、わたしがいつも思い起こす聖書の箇所があります。それはベテル教会の礼拝の招きの言葉として用いる聖書の言葉ですが、ヨシュア記の五章の一五節の言葉であります。「あなたの足から履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である」という言葉ですけれど、これはわたしが牧会しておりました松原教会でも、礼拝の時の招きの言葉として、長いあいだずっと、替えずに招きの言葉として、用いて来た聖書の箇所なのです。

 この言葉は、どういう状況の中での言葉なのかといいますと、出エジプトを果たしたイスラエルの指導者モーセが死んで、若いヨシュアが指導者になったのです。約束の地カナンに民を導かなくてはいけない、神からその地は与えられるという約束はうけていても、その地には、もう四百年いなかったのですから、当然他の民族の人々がそこで生活しているわけです。そこに強引に入っていこうとするのですから、当然激しい戦いが起こることは予想できたのです。

 若いヨシュアはそのことで頭がいっぱいで、どうしたら戦えるかと考えていて夜も眠れなかった時であります。そこに突然ひとりの男が抜き身の剣を手にしてヨシュアに向かってきた。驚いたヨシュアは「あなたはわたしの味方か、それとも敵か」と尋ねたのです。するとその男はこう答えたというのです。「いや、わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ」というのです。

 ヨシュアの「あなたはわたしの味方か敵か」という問いに対して、男は「いや」と答えるのです。「違う」と否定するのです。そして「わたしは主の軍の将軍としてきた、神の遣いだ」というのです。

 ヨシュア記は、ヨシュアが神から召しを受けて、モーセから指導者として任命されたときに、ヨシュアは主なる神からこういって励ましを受けるのです。
「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く雄々しくあれ。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」と言って励ましているのです。それはつまり、主なる神はヨシュアに対して、「わたしはお前の絶対的な味方である」といっていることであります。

 それならば、この時、ヨシュアが主の軍の将軍として遣わされてた者に対して、「あなたはわたしの味方ですか、敵ですか」と尋ねたときに、その神から遣われた軍の将軍は、「わたしはお前の味方だ」と当然答えてもいい筈です。それなのに、彼は「わたしはあなたの味方でもなく、敵でもない」と答えるのです。そしてこういうのです。「あなたの足から履き物を脱げ。あなたの立っているところは聖なるところだから」というのです。

 「お前はまず主なる神の前に、聖なるかたの前にひざまずきなさい、神を礼拝しなさい」というのです。そのようにして、ヨシュアを聖なる神の前にひざまづかせる、これが主なる神がヨシュアに対して味方になるということなのだということなのであります。それが主なる神がヨシュアを見放さらないということであり、見捨てないということなのだというのです。

 神がわれわれの味方であるということは、なにがなんでもわたしのいうことを聞いてくれる、そういう味方ではないのです。そんなのはひとつも味方にはなっていないのです。われわれの人間の親でもそうでしょう。親は子供のわがままな要求をすべて聞くわけではないでしょう。ある時には、子供のわがままを厳しくしかることができる、それが親であり、それがその子供にとって本当の親であるということであり、子供の味方であるということだろうと思います。

 われわれは自分を中心にして、誰が味方で、誰が敵かと判断するとき、どんなに危険であるか。ただちょっと自分に気にくわないことをいったというので、すぐ敵と判断してしまう。自分に真摯に忠告してくれている人を敵にまわしてしまう。自分中心にして、だれが味方で、誰が敵を判断するとき、どんなに多くの人を傷つけ、そうしては結局を自分を不利に追い込み、自分自身を傷つけてしまうかということであります。

 そういう自己中心的なわれわれに対して、まずわれわれのそうした自己中心的な思いを打ち砕き、絶対者である聖なる神の前にひれ伏させる、そのようにして、神はわれわれの味方になってくださるということなのであります。

 主イエスの復活は、神は十字架にかかってわれわれの身代わりになってくださったイエスを神は見捨てなかったということであります。それは神がわれわれを見捨てないということの宣言であります。神がわれわれの味方になってくださったということであります。
 しかし、それは十字架を無にするような形でわれわれの味方になってくださったということではないのです。われわれの罪はもう問題にしないという形で、神がわれわれの味方になってくださったということではないのです。

 あの十字架によって、神はわれわれの罪を徹底的に問題にし、その罪の愚かさとその罪の悲惨さと、その罪の結果の悲しさを味あわせた上で、われわれの罪を赦し、神がわれわれの味方になってくださったということなのであります。

 イエスのよみがえりは、イエスご自身の力によってよみがえりが起こったのではないのです。イエスは十字架で死んで葬られ、ヨセフの用意した洞穴に全く力を失って遺体として横たわっていたのです。そのイエスを神がよみがえられたのであります。
 聖書の記事で、イエスがよみがえったという表現は非常に少ないのです。イエスはよみがえらせたという表現が多いのです。イエスはあくまで受け身なのです。復活ということを考えるときに、この事が大切なのです。

 復活というのは、先ず何よりもわれわれが聖なるかたの前にひれ伏す、自分が中心ではない、神が中心なのだ、神がわれわれの生と死を支配なさっているのだということを知ること、そして信じること、神がいつも先手をもち、神が主導権をもってわれわれの味方になってくださる、それを信じるのが復活を信じるということなのです。われわれがよみがえるのではない、神がよみがえらせてくれるのであります。

 椎名麟三という作家がおりましたが、そのかたがイエスの復活を信じて、洗礼を受けたときに、こう言った。「ああ、これで安心して、じたばたして死ねる」といったというのです。
 
 復活を信じるということはそういうことなのです。イエスは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれて死んでいったのです。みっともないといえば、みっともないのです。ある意味では、イエスはじたばたとして死んでいったといえるかも知れません。そのイエスを神がよみがえらせたのです。

 われわれの信仰の力でわれわれの復活があるわけではないのです。われわれのほうでは、いつでも、「主よ、信じます、不信仰のわたしをお助けください」という信仰でしかないのです。そういう信仰でいいのです。

 わたしの家内の母は牧師夫人として長い間働きましたが、もう七年前になりますが、九十歳で肺炎のために亡くなりました。母は最後の半年くらいは、寝たきりになりまして、それまで好きだったテレビもいっさいみなくなりましたし、あんなに熱心に読んでいた聖書も読まなくなりました、祈りもしなくなりました、聖書も、讃美歌に対する関心もすっかり失っていきました。

 わたしは牧師をして、そういうかたを何人も見てまいりました。わたしが以前牧会しておりました大洲教会でも、その教会の中心的な人がおりましたが、わたしは神学校を出て、すぐその教会に赴任しましたので、その婦人に大変お世話になったかたです。若いわたしを牧師として迎えてくれました。信仰的にも本当に導いてくださいました。
 わたしがその大洲教会をやめてから、そのかたは脳梗塞で倒れて病床にふしましたが、そのうちに、家族の人の話によりますと、あんなに熱心に祈り、聖書を読み、大変好きだった讃美歌に対してもなんの関心もしめさなくなったということなのです。家族のかたは、家族も大洲教会の中心的なメンバーでしたが、とても残念がっていました。信仰的にも躓いたかもしれません。

 しかしわたしはそのことを聞いて、人が死ぬということはそういうことなのだと思ったのです。人が死ぬということは、最後には全てのものを奪われ、取り去られて、その人がもっていた自覚的な信仰、意識的な信仰までも取り去られて天に召されるということなのではないかと思ったのです。

 ヨブが自分の家族を失い、自分の全財産を奪われたときに、「わたしは裸で母の胎を出た、裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取り去り給う、主の御名はほむべきかな」といって、神の前にひれ伏したというのです。

 神は最後には、われわれがもっていると思っている自覚的な信仰、意識的な信仰までも取り去ってしまうのではないか、それがわれわれが死ぬということなのではないか。

 家内の母は病床に伏してから、ある時、幻聴をみるようになって、しきりに「ゆるしください」と口走っていたのです。あるときに、家内とふたりして、床ずれをふせぐために、寝ているからだを動かしますと、「痛い、痛い」というのです。前から腰を痛めておりましたから、そういうのです。そして同時に「ごめんなさい、ごめんなさい」というのです。わたしはそれを聞いて、どうして「ごめんなさい」というのかなと、とても不思議でした。なぜあやまらなくてはならないのか不思議だったのです。
 その時に、わたしはこう推察しました。母は非常に個性の強いひとでしたので、また保育園の指導者として、多くの人を指導しなくてならないということで、強烈な個性をもっていた人で、ある時には激しい言葉で先生達をしかったり、母親をしかったりしていたのです。そのためにも多くの人を導き、母を慕う人も多かったのですが、しかしまたそれだ
けに多くの人を傷つけてもいるのです。

 それでわたしはこう推察したのです。母はこの期に及んで自分がこうして痛い思いをしなくてはならないのは、神の罰を受けているのではないかとおもったのではないか、それが「ごめんなさい」という言葉になったのではないかということなのです。
 
 その時、母はしきりに神様に罪の赦しを乞うていたのです。そういう日が幾日が続いたあと、もうすっかり幻聴もみなくなって、一日中ベットで寝ている日々がつづいていったのです。そうして聖書も讃美歌も関心を失っていったのです。もうすっかり、神様にすべて委ねることができたのではないかと思うのです。最後に自覚的な信仰も、意識的な信仰もすべて取り去られて、息を引き取ったでりあます。その母を神はよみがえせたのです。

 われわれが復活を信じるということはそういうことなのではないかと思います。
 復活ということは、われわれが復活を信じるから、復活がおこるわけでもないし、立派に死んだから復活が起こるわけでもないてのです。復活というのは、ただ神がわれわれをよみがえらせてくださるということなのです、それを信じるのが復活信仰というものであります。

 三三節をみますと、「だれが神に選ばれた者たちを訴えるか。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めるのか。死んだかた、否、むしろ、復活させられたかたであるキリスト・イエスが、神の右に座してわたしたちのためにとりなして下さっている」というのです。
 われわれを義とするのは、われわれの行いでもないし、われわれの信仰ですらないのです。神なのです、イエス・キリストのとりなしなのです。

 その前のところの三二節のところで、「わたしたちすべてのために、その御子さえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」といっているのです。

 神は神様の一番大切な御子をわれわれに与えてくださったのであります。それならば、神様はわれわれにすべてのものをあたえてくださる用意があるということであります。ここのところの説教で、竹森満佐一がこういっているのであります。
 「ひとり子さえも、惜しむことなくお与えになった神が他のものを惜しまれる筈はない。このひとり子と共に一切のものを賜物としてくださるに違いない。福音は決して安価に人間に幸福を約束するものではない。福音は決して人間のわがままの願いを、そのまま満足させてくれるものでない。しかし、このひとり子を与えられたことを知れば、神が他のどんなものでも惜しまれる筈はないと断言しても少しも誤りはないだろう」、そしてこういうのであります。

 「与えられないものがあったとすれば、それは神が惜しまれたからではない。そのいっさいによって、御子を賜ったことの意味がいっそう深く理解させるのだ」というのであります。

 われわれの生活は、あれも足りない、これも足りないというものかもしれません。しかし、その足りないということは、われわれは神はそれを惜しまれたからではなく、その足りないところを通して、御子を賜ったことの意味をいっそうあきらかにしようとしているのだというのです。

 パウロはあまり見栄えのしない重い病気になったときに、必死にその病気をとりさってくれるように主にお願いしたというのです。しかし病気はなおらなかった。その代わりに主からこういわれた。「わたしの恵みはお前に十二分に注がれているのだ、神の力はお前の弱さにおいて示されるのだ」ということを知らされたというのです。その時に、パウロは、「自分は弱いときにこそ、強い」という信仰を与えられ、自分の弱さを誇ろうというであります。

 ヨブはすべてのものを奪われたときに、「神がすべてのものを与えてくださったのだから、またすべてのものを神が取り去るのは当然だ」といって、神の御名を賛美したというのです。そんな信仰にわれわれは達することは容易なことではないと思います。
 ヨブ記の著者もそのことを知っていて、ご承知のように、ヨブ記は三章から四二章にかけて、ヨブがそのような信仰に達するまでの苦闘を描いているのであります。そういう信仰に達するまで、ヨブがどんなに神を呪い、神に文句いい、ヨブを慰めようとしてきた友人たちと激しい論争をしたかを記すのであります。
 さいわいにわれわれには、ヨブとは違って、イエス・キリストの十字架と復活という保証を与えられているのであります。われわれにはイエス・キリストのとりなしがあります。

 救われるということは、われわれが何か立派な人間になることでも、なにかとても幸せになることでもなく、どんなときにも、どんなにわれわれが過ちを犯し、落ち込んでも、神はわれわれの味方であり、神はわれわれを神の愛から引きはなさい、神はわれわれをお見捨てにならないと言うことであります。

 われわれはどんな死に方をしてもいいのです。しかし見栄っ張りのわれわれはやはりできることなら、立派に死にたいと思うかもしれません。少なくも平安のうちに息をひきとりたいと思うかもしれません。しかし病気によっては、本当に苦しんでしまうかもしれないし、痴呆症になって死ぬことになるかもしれません。しかしそんなことは本当はどうでもよいことであります。そして、もしわれわれがそんなもののこだわりから解放されて、ああ、これで安心してじたばたして死ねると思ったら、あんがい平安のうちに死んでいけるかもしれません。なぜなら、その時にはわれわれはあの醜い自我から解放され、あの全ての我執というものから解放されているからであります。