猫に関係ある

               K先生との往復書簡(1991、92)

K先生あて手紙(一九九一、七、一一)

「白鯨」を読み始めたのでしたが、英語が難しくてなかなか進まず、おもしろいと思いながらいつか中断してしまいました。頼まれもしないのに買って出たコンピュータプログラミングに手こずったせいもあります。

 今、これも一段落したので、今度は趣向を変えて「風と共に去りぬ」を始めました。
 南北戦争時代の南部の風物社会を目のあたりに見るような心地で、息も切らせず(ときいたいところですが、ぼちぼち)読み進めております。とにかくこう云うスケールの大きい骨のある小説を生み出した彼らにいまさらながら脱帽しています。才能の違いではなく歴史段階の違いでしょうか。


 庭の木々、生い茂れど暑さで手に負えず、野良猫が、三匹生んだ仔猫とともに住み着き、野良一家の楽園となっております。私もかれらとともにこの小宇宙で、まずは気ままな日を送っております。
 ご無沙汰おわびかたがた近況ご報告まで。なお、あいかわぬ粗品別送致しました。ご笑納いただければ幸いであります。 
 いよいよ暑さの砌、お身体お大事に。 敬具

    平成三年七月十一日
                         自由平
  K先生机下




K先生より(九一、七、一五)

拝復
 本年は梅雨がまだあけないのでせうか、おおせの通り実に蒸し暑くやりきれぬおもいのする夏です。おかげ様で相変わらず散歩、読書(小生は貴兄の様に長編の小説はあまりむかないので、短編のみ時々読んでいます。
 その代わり、科学もの数学のものを楽しんでおります。未だに子供っ気がぬけないのです。計算(主に農村関係の統計書をおもちゃにして)で暑さを忘れて居ります。小生は散歩もほどほどですので特に夏は暑さにやられます。


 膝関節をいためられたとの御事、大事になされます様。小生は、やはり左脚のモモあたるがピッット病めホット来ましたら脚がムクミ出し、はじめは脚気かナーとノンキにして居りました処、ダンダンフクレてきました。丁度年の暮れで病院に行かず正月来客があり、四日にやっと病院に行きました処、スグ手術ということになり、一ヶ月弱の入院でやっと、ドウヤラ歩ける様になりました。

 その時から医者さんから歩ケ歩ケと言われ歩きつづけて居ります。未だに左脚は本復していないようでありますが、ドウヤラ老人としては普通に歩ける様になって居ります。つまらないご忠告ですが、調子が悪いとすれば一度医者に見てもらわれ方がよいと考へます。勿論もう、なほって居られると信じて居りますが小生の経験をかえりみて、申し上げる次第であります。

 向こうの作家はスケールの大きい作品があるとのお言葉ですが、作家だけでなく科学者でも仕事のスケールが大きくちがうとは先輩からよく聞かされて居ります。
 有名な小麦のオリジンの発見者木原さんも、そういっていました。自分は日本人としては仕事量は多い方だが、その自分の仕事量は先方の女性の科学者程度にすぎない。体力・エネルギーのちがいなのだと云って居りました。これからは若い人々は体格もよく食事もよくエネルギーではまけてはいないのかも知れませんネ。
 ひさしぶりで報徳のものを一寸書き出したが、ソレカラソレヘとデーターが出てきてテンヤワンヤのサワギであります。


 この度はITOENナチュランドヂュース多量にお送付賜り、誠に有り難く心から御礼申し上げます。暑さの中の最適の好物御厚情心から御礼申し上げます。
 不順の候故御身くれぐれもこ大切に願い上げます。涼しくなりましたらば一度お目に掛かり色々お話承りたく存じて居ります。実は二宮四郎さんが富士山麓の開拓の指導をされた由、ーー山梨県からのことでありますが、いつかご一緒に長野県入植者を見学したことがありましたがアソコではなかったかと思っているのですが。こんな思い出なつかしく思い出して昔をはるばる偲んで居ります。とりあえず右御礼まで
          七月十五日 匆々敬具
                         
K
   自由平様机下




自由平より(九一、一二、六)

拝啓
 庭の木蓮はすっかり葉を落としきり、紅葉も散る日が近いでしょう。年もいよいよ押し詰まってまいりました。ご無沙汰続けておりますが、お変わりございませんでしょうか。お伺い申し上げます。


 この春、わが家の庭に産み落とされた野良の仔猫三匹、貰い手の当てもはずれたまま、とうとう一人前の家猫に育ちました。
 母猫は元家猫らしく、なかなか器量のよい三毛でした。出産の準備のためか、近辺かまわず人に媚びておりました。棲み付かれては当方非常に迷惑と警戒していましたが、冷たい雨の多かったその頃、草むらの仔猫らを見つけ、その哀れさと母猫の必死の子育てのさまに絆されて、仮小屋を作ってやったり、餌をやるようになりました。

 その後、母猫は乳を飲ませたり、仔猫がじゃれあったり走り廻ったりするさまを寝そべって見守ったり、満足そうな一家の日々が続きました。


 ところが、夏のある頃から仔猫が近寄ると威嚇して寄せ付けないようになりました。仔離れと云うのでしょうか、ホルモンの仕業のようにみえました。また妊娠したのかもしれません。ところが仔猫どもはわけがわからず、平気で居付いているものですから、とうとう母猫の方が食事時以外はどこかに身を隠すようになり、夏の終わりからついにまったく姿をみせなくなりました。

 母猫の生き方は気になります。避妊手術してやればよかったのかもしれません。三匹の仔猫には先頃避妊と去勢手術をしました。
 始めの一匹は市の補助金あり、遅れた後の牡二匹は補助金枠切れでしたが、獣医さんは「野良の子だから」と値引きしてくれました。三匹は、いま軒下に置いたアメリカ製 LITTER PAN (小屋型)二棟で仲良く暮らしております。彼らは家の中に入りたがるのですが、三匹一緒では大騒ぎになるので、輪番で入室を許可しております。


 漱石は、猫で名を売りましたが、読んだ限りでは猫との交情は薄かったと思えます。内田百間の「猫」は随分可愛がられたようですが、この違いは書き手の年齢差によるものでしょうか。私も猫が天下の大事に映るような年になったと苦笑しております。

 「風と共に去りぬ」はようやく読み終わりました。南北戦争、南部プランテーション、黒人奴隷制、KKK等もっと早く読んで置けばよかったと、いまごろアメリカの近代史に興味を惹かれています。すぐれた戦争文学だと思います。戦前日本で広く読まれていたら、もしかすると日本人は戦争に入り込まなかった、すくなくともあんなにのめり込まなかったとさえ思いました。

 年末のご挨拶代わりに、たわいない近況書きつづり、御免ください。
寒さに向かって、ますますご自愛の上、どうぞよいお年をお迎えください。
                            敬具
  平成三年十二月六日
                             自由平
 K先生机下




K先生より(九一、一二、一一)

 拝復 お手紙楽しく拝読致しました。久しぶりで笑顔が出て参りました。猫の小屋作り、三匹の子猫の医者行ひのところで思わず、失礼ながら笑ひだしてしまひました。小生も貴兄様ほどではありませんが、猫を病院に連れていく苦心をしたことを思ひ出しました。

 漱石の猫は今もって座右にあります。しかし猫よりも出てくる人物を中心の読んでいるようです。静岡出身の迷亭その伯父君の出てくる処は何度読みかえしたことでせう。中に出てくる鈴木籐十郎(金もうけの話し、義理かく恥かく人情かくの三角術とやらを言い出す人)は静岡県森出身者の鈴木籐三郎(報徳関係の人)をもじったのではないかなぞと思って居ります。

 さて今日は大そう結構なヂェントリースープセット多量に御送付賜り、いつもながらの御厚情誠に有り難く。心から感謝申し上げて居ります。歯を悪くして居ります現在誠に好適ないただきもので、楽しみに致して居ります。

 猫のこともあり、一度お目に掛かりたいと存じて居りますが、小生も老化して、中々遠行に出かける勇気が出て参りません。暖かになりましたならば、御礼かたがたご近所なりと、出むきたい様な気分になって居ります。それでも、小生は毎日、二三十分程度、家の近所を散歩すること、日に二回づつやって居ります。そのせいか、わり合ひ元気で居りますから他事ながらご休心下さる様願ひ上げます。向寒の砌御身くれぐれもお大切に、ご一家の皆々様によろしく願ひ上げます。
      十二月十一日
                  
K
  自由
平様

K先生より(九一、一二、二八)

拝復、猫の画と自己紹介、面白くゆかいによみました。ノモ君トラ吉君ミイ子ちゃんによろしく。絵もよくかけていますので座右において楽しんでいます。左様ご伝言下さい。


 お話はちがいますが、「一日作さざれば一日食わず」で有名百丈おしょうが、毎日説法していると、一人の老人が、いつも拝聴していました。大衆が退くと老人も一緒に退出しました。しかし或日、その老人が退出しません。一人居残りました。

 百丈おしょうは、「面前に立つものは誰ぞ」と云います。老人はこたえました。「私は非人であります。大昔私はこの百丈山に住んでいて、大衆に説法していました。
 或日一学人が、
  「大修行をつんで悟った人は、働かなくても食べて行かれますか」
  (「大修業底の人、還って因果に落つるやまた無なや」)
 私は答えて「働かなくとも食って行かれる」(「不落因果」)と。

 すると、五百生野狐身?におちてしまいました。(働かなくて食べられるーとは、農耕時代以前の野生人の時代にもどったことでせう。)
 どうか和尚一真理を発言して、この野狐(野生人を文明人にもどして)を脱却させて下さいと言って、問ひを発しました。
「大修業底の人、還って因果に落つるやなまた無なや」大修行して悟った人は働かなくても食って行かれるか、食って行かれないか)

 和尚(百丈)は云いました。「不昧因果」(ごまかしでは食って行かれないぞ)
 老人(野狐身の)は言下に大悟して、お礼をのべて、それがしは、野狐身をぬけでて、この山の後に在住するでせう。どうか和尚、亡信?の事例に依って下さいと申しました。
 
 途中は略しますが、右の「不昧因果」が不落因果とどこがちがうか、よく解らないので道元の高弟の懐奘?がこれを聞きました。道元は「不動因果」と答えました。(働いて食うとは動かない処だと云ったのでせうーー働かないで食おうなんてごまかしはきかないぞ)奘はこれが理解出来なくて「不動をどうしたら解?落できますか」と聞きました。
 道元は答えました。「歴然一時見(現ー見)」因果は(即労食は)同時に現れるのだ。因果は一時に見透せるのだ。労即食、食即労

 尊徳の歌に、「腹くちく食うてつきひくあまかヽも仏にまさる悟りなりけり。」とあります。労食同時、因果同時と言うことが、奘は了解できないので又問ひます。因果同時の結果はどうなるのですか。
因果同時について、たくわん和尚は「キュウリは花と実と同時、即ち因(花)果(実)が同時だ。米は果(実モミ)が出来て後に、花が咲く。前果後因だ。ウリは花実同時だ」といっています。こんな奘の質問に道元もこまったのでしょう。トウトウ「南泉斬猫」の話をもち出しました。


 斬猫とは、ノモ君トラ吉君ミイ子ちゃんに悪いのですが、ほんとうはよいのです。南泉の弟子達が、二組にわかれて、言ひ争っております。おそらく「猫に仏性ありや」と云うことででもあったのでせう。猫についてはとにかく「犬に仏性ありや」と禅問答があります。誰か忘れましたが、その犬について「願生、斯娑婆国土?し来れり」と答えたえらい僧がありました。もともと仏性をもっているが、この娑婆に生まれるのを願って、人を教え救うための、この娑婆に生まれて来たのだ」と。

 こんなことで猫の問題が南泉斬猫と出ているのです。もっとくわしく書くとよいのですが、もう私もつかれました。又この次にお便り致しませう。願生斯娑婆の猫さん達にどうぞよろしく、願ひ上げます。大事にしてやって下さいくれぐれも。
 御身ご大切にくれぐれも、
          十二月二十八日
                        
K
      自由平様机下


以上は
「正法眼蔵随聞記」
「正法眼蔵」(大修行巻)
「無門関?」とうによっておりますが私見を大いに混えました。

   
編集注、?は先生の字が判読できず、疑問の箇所。



     
自由平より(九二、七、七)

拝啓
 鬱陶しい日が続きますがお変わりもございませんでしょうか、お伺い申し上げます。梅雨が明ければ、また暑い日で、夏はどうもいただけません。先生から伺いましたハンチングトンのいう一等地に住みたいといつも思う季節であります。無為にして自由を遊ぶといきたいところですが、エイジングの方だけが勢いを増しつづけ、なかなかそうまいりません。医師曰く、「まだ云うことははっきりしているようだからよし」とはありがたくもまた情けなや。

 この頃植木屋がなかなかきてくれぬので、できるところはと始めるのですが、
      皐刈る鋏のおもき朝かな
一時間もやると息絶え絶えで引っ込むありさまです。


 れいの三匹の仔猫のうちトラ吉が車にはねられて死にました。食が細く、鳴き猫でしたが、一番活発で遠出が好きな奴でした。家中哀れがっておりますが、あまり口にしたがりません。これも斬猫のうちでしょうか。近所の意地悪野良から守る必要もあって、残りの二匹は内猫に待遇を変えてやりましたが、戸外の生活離れがたいらしく、毎朝未明から表へ出せと、家人を悩ましております。

 季節のご挨拶かたがた近況かくの如くでございます。 気候不順なおりからお体お大事に
                                   敬具
     平成四年七月七日             自由平
  K先生 机下




    K先生からの礼状(九二、七、一〇)

 拝復ご懇書拝読いたしました。又結構な高級ナチュラルランドジュース沢山御送付賜り、いつもながらのご厚情誠に有り難く心から御礼申し上げます。多元的な栄養素これからいただくことで大いに元気になれることと存じます。

 植木の手入れが一時間もつづけることが出来るとは大したエネルギーです。私は植木はのび放題主義でいますが、去年むすめが、たのんでしまって、池坊式枯山水の庭でしたが本年春より、又伸び出して草ぼうぼう枝のびほうだいで、楽しんで居ります。

 昨日図書館帰りに、車が一杯にやってきて、よその庭先にエスケープすること二回でした。私は車の通らぬ(らなかったという方がほんと)道を選んで歩いているのですが、チョットやりきれない気持ちです。
 車をじっと見ると「譲る気持ちに事故はない」と車の前の処にレイレイしく書いてあるではありませんか。マルで「ドケドケ殿様のお通りだ」と云っているようでありました。


 私は字が読めるからよいのですが、トラ吉君は残念ながら又かわいそうに字が読めず譲ることも出来なかったのでせう。斬猫なるべきは、車の方で斬車、斬車!斬佐川でせう。このごろ急に今まで車の通らなかった細道にまで入り込むことシキリになりました。同猫同病あいあわれむ思いです。

 三猫の絵注はまだ座右にあります。余分なことを書きました。どうか御身こ大切に、お家族の皆様、二猫にもよろしく願ひ上げます。先ずは右御礼まで匆々敬具


              七月十日           
K
   自由平様

    
編集注、先年何かの折りにわが家の三匹の子猫を絵はがきに描いて先生に送ったもの。トラ吉以て瞑すべし。

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