いつからであろうか。世の中で「消費」のスピードがこんなに早くなったのは。もっとも、その急速な「消費」スピードにどっぷりとはまっている戦後生まれの世代の我々が、偉そうにどうのこうのいうつもりは毛頭ないのであるが。ただ、私も、他の同じ程の世代の人々も、薄々と感じ、また、考えているであろうことを、勝手ながら述べさせて頂こうと思う。
「消費」する対象として最も身近なものは、食べ物であるだろう。人間にとって必要不可欠な食料が何故、「消費」スピードが早くなったのか。人口の増加?それも要因の1つかもしれない。でも、そればかりではない。皆様、わかりますよね。
ファーストフード店、あるいは、コンビニエンスストア等においては「消費期限」という名のもとに、十分食せる商品を廃棄している。しかも、食材によっては時間単位でゴミ箱行きである。もっとも、昨今のO−157による影響もない訳でもないであろうが、大半は「消費期限」=「鮮度」による廃棄であろう。確かに時間が経ち、食べてみると美味しくない物ではあるが、それでも、食することが可能な物が消えゆく大半なのではないか。
はたして、近年の音楽産業にも同様なことが言えるのではないであろうか。ミリオンセラーが年間にほんの数曲、その数曲がそこそこの「消費期限」を与えられていた時代があり、かたや、短い「消費期限」のミリオンセラーが多数存在している現状がある。もっとも、どちらが良いとか、悪いとか判断する基準もないし、決断する権利も私にはない。
しかし、ある文豪は文献で述べている。 「他人の意見を気にして創造するものは芸術とはいえない」
すなわち、現代の急速な消費スピードに対応するべく「音楽」というものは「芸術」ではなくなりつつあるのかもしれない。「鮮度」が短命な「音楽」というものは、「芸術」たりうる資格を有するのであろうか・・・・・
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