コピーライター





表現欲求は音楽にぶつけたんだけど、すぐにはプレイはウマくならない(笑)。まあ大学入ってからギターはじめたんだもんね。仕方ないか。パンクの時代には、まだ少し早かったしねぇ。だから奏いて金を稼ぐのはなかなか遠かったけど、音楽でモノ書くのは、意外とあっさり金になった。LM楽器のライターって貴重だったから。楽器関係の雑誌とかもやったけど、メインは楽器の広告とか、パンフレットとか、カタログとか、マニュアルとか、そういう書き物ね。

特に、神田商会関係でいろいろやらせてもらった。いまじゃ、カタログでも雑誌記事でも定番になった、「あのアーチストの音を出すためのセッティング」。あれ、最初にやったのはぼくです。はい。BOSSのコンパクトエフェクターのプロモーションでやったんだよね。「あの音」の秘密のセッティングがわかる、小冊子プレゼント。まあ、エフェクタだけで「あの音」が出るわけじゃないんで、騙しといえば騙しだけど、これはギター少年永遠の夢みたいなモノ。こう繋いで、こうセッティングすれば……、っていわれるとその気になっちゃう。これが一番のヒットでした。奈良サン、お世話になりました。

そうこうしてるうちに、就職を決める段になった。これからどうしようかと悩んだ。実は、音楽関係の出版社とか入りたかったんだよね(某シンコーミュージックの面接には残ってた)。でもよく考えてみて、「音楽」でなく「広告」という切り口のほうに、自分の物書きの強みがあるんじゃないかと思った。ちょうど広告ブームが起こりつつあった頃だし。そうだ、広告を作る仕事をしよう。てな調子で、今さらデザイナーは無理なので、「コピーライターだ」ということになった。コトバを扱うセンスには絶対の自信があるし。こりゃきっと天職だ。ということで今の会社に入った。

で、いろいろあって会社に入って、コピーライター登用の試験は通った。でも面接で、「うちの会社の制作部門の体質とあわない」というすばらしい理由で、コピーライターにしてはもらえなかった。広告って体質で作るモノなのか。この疑問と恨みはいまだに深いぞ(笑)。その後、テレビ、ラジオ、ニューメディアといったメディア関係、テレビ番組、イベント、映像ソフトといったコンテンツ関係を中心に仕事してきた。モノを書く才能は、会社の外側で使うことにした。



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