「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2004年5月-




5月31日(月)

5月もいよいよ末日。してみると、これでこの企画も4カ月。けっこうサクサク続くモンだ。まあ、今までも、何がしかはやってたんで、ネタに詰まる心配はしていなかったものの、こういうのを書いていると、思いついたアイディアを、ワリとスピーディーに実行に移せる、という副次的な効果があるのも確かだ。さて、本日はバックマン中国の、双層軟席車の中古を発見。硬席車なら2種類持っているのだが、軟席車はなかったので、あったら欲しいと思っていたモノ。同じヒトから出たとみえて4輌あったが、なんと全部同じ番号。これはちょっとNo thanxなんで、妥協点として2輌だけ購入。

5月30日(日)

昨日一日屋外作業だったので、腕が日焼けして痛いぞ。今日は予報は雨のはずだったのが、夏のような日差し。ということで、9600の第2号計画が一応カタチになったので、ワンカット撮っておく。まだ、厳密には製作途中状態なので、ちょっと遊んだカット。今回も、なんともお世話になった「SL No.7」に敬意を表して、この一枚。しかし、改めて見ると、この表紙。バウハウスですなあ。モダニズムの力強さ。あるいは、戦時中の日本の広報誌「FRONT」というべきか。鉄道写真とモダニズム、って今まで考えたこともなかったけど、良く考えてみれば、1930年代のモダニズム全盛期には、その前の未来派じゃないけど、鉄道、自動車、飛行機、近代都市、みたいなものは必須のモチーフだからなあ。となれば、当然、鉄道写真はその影響を受けているわな。西尾克三郎氏の写真にも、「鉄道が近代的な未来を拓く」、みたいなポジティブなエネルギーが溢れているし。一方、SLブームの頃の、いわゆる「名撮影地のお立ち台」からのショットみたいに、鉄道を遠景で撮るカットの多くには、まさにモダニズムを引き起こすインパクトの一つとなった、「浮世絵」の構図の影響もあるし。そもそも、末期浮世絵では、鉄道がけっこうモチーフになってるし。こうなると、「鉄道写真の近代美術史的考察」というのは、間違いなくできるぞ。で、今月もあと一日なので、「大判」振舞いで(笑)。

5月29日(土)

今日は梅雨前のつかの間の晴れ間とあって、家事に追われて鉄分なしなので、昨日の9600の第2号計画の後半の続きのお話でお許しを。大体において、ふたコブの機関車は、空気作用管の引き回し方の個体差が大きい。これは、C11とかC12とかの戦後型でもそうだ。ましてや、レトロフィットで空制化改造された大正期の機関車となると、どのパイピングもそれぞれ個体差が大きい。9600なんて最たるもので、パーツや装備を一切無視しても、これらのパイピングだけで、機番が特定できる。ということで、今回の計画でも、パイピングの個体差を出すことにつとめてはいるのだが、これに立ちはだかるのが、もしかすると1/80でもデカいんじゃないかというコンプレッサ(笑)。パイプを引き回したいところに、デーンと構えてる。まあ、取り替えちゃえばいいんだろうけど、これはこれで「歴史の証人」として残すことにしたので、パイプの方で妥協を図る。「大山崎」ではないが、限られたスペースに、各パイプをぶち込まなくてはならない。まあ、引き回しの違いは「相対的」なモノなので、その違いさえ出ればいい。というワケで、他のパイピングも一旦外して、差をデフォルメして表現することにした。ところで、9600のパイピングって、どれをとっても、くねくね、へなへなしたものが多くて、なかなかなやましい。これがスックと真っ直ぐすぎても、なんか現役の9600に見えないし、模型じゃリアルに曲げるわけにも行かない。まあ、当方は「技術力の壁」があるワケで、これで「曲がっちゃった」ものはそれでいい、という言いワケに使っちゃうんですが。

5月28日(金)

3日ぶりに宴会等の予定はないので、まだ多少ダルいアタマを抱えながら、9600計画第2号計画の続きに着手。今日中に本体は仕上げたいところだが、どこまでできるか。まずは、キャブの穴。元のエッチングが「蓋一つ」の表現なので、これを穴にして「穴一個」タイプにする。そうすると穴自体は、約3mm×5.5mmとなり、四隅に1.4φ、まん中に2φの穴を開ければ、ヤスリ掛けも大していらない。こういう窓明け、何年ぶりだろう。昔は「若気の至りで」、大体「勢い余って大きくなってしまって失敗」ということになりがちだったのだが、流石にこれは歳をとると慎重になる(笑)。まあ、昔よりいいヤスリを多種持っているなど、工具の違いは大きいかも。資金力の違いが、この辺に出てくるんだよね。で、次はその中のパイプとコックなのだが、実はこれに難儀してた。この2週間ぐらい、いろんな店を探したのだが、ロストパーツのコックがどこにも店頭にない。まあ、0.2の線をからめて半田を盛る、という「昔とった杵柄」もあるのだが、九州型のハイライトの一つなので、ここは贅沢におごりたい。そこで、出戻り前の16番用ロストパーツのデッドストックを探したら、あった、あった。ニワのヤツ。16番でもオーバースケールなのだが、ここは「よし」としよう。ここまではなかなか快調なペース。で、次に空気作用管を予定の図面通り作って取り付ける。手軽でできるはずのモノが、結果的に、他のパイプも外して引きなおす必要がおきてしまったが、この裏話については後ほど。などなど、やりたかったことを一通りやって、本体の加工は完成。余力でちょっとテンダーに手を出したところまでやって、本日は終了。予定はクリア。

5月27日(木)

このところ、部下の歓送迎会をはじめとして、なにかと飲み会が続いている。おまけに気候も、季節がなんだかわからない状態で、カゼひいて熱を出してしまったが、今日も飲み会。ということで、余裕がなく、鉄分もなし。帰ってから、寝る前に「くぅちゃん」をサカナに、もう一杯、というカット。酔っ払って撮ったワリには、ジョッキのシズル感がいいな。本題じゃないけど。生ビールのポスターとか、ジョッキにウマそうに露のついた感じを出すために、昔は、小道具のヒトが職人芸で霧吹き使って「くっつけて」撮ったんだよね。いまは、デジタルだから、ポストプロでどうにでもなるけどね。

5月26日(水)

結局、仕様はオリジナルを活かした、中上、デフナシ、とした。パーツも、再利用可能なモノは、なるべく加工して再利用。真鍮線が0.5φを多用しているのも、時代ということなのだろうが、そのあたりはオリジナルも活かしつつ、一部、0.4や0.3に置き換えて、ちょっとメリハリをつけた。で、今朝は、寝る前に洗浄したのが乾いていたので、箱にしまうべく仮組する。実は、昨日はいくつかの資料を手元に置きながら作業していたのだが、やはり一番チェックするのは「SL No.7」。これって1970年代の16番の9600の加工の時と同じじゃん。本自体も同じモノだし(笑)。ホントに進歩がなくてお恥ずかしい。まだ作業中なので仕上げをしていない状態だが、ふと思いつき、同誌に敬意を表して、パロディーでワンカット。「蒸気機関車は、人間が作ったもののうちで、もっとも生物に近い機械である」ってキャプションがいつもついている巻頭写真。諸久さんの。あれはデフ付きだけど。でも、この角度、一番九州タイプのポイントが出てるんだよ。斜に構えたコンプレッサーの排気管、第一缶胴にとりつけられたATS用発電機、クルクルパーなしで延長された化粧煙突、リンゲルマンのステイ、そして、忘れてはならない前照灯脇のステップ。まあ、この辺は全部新たに手をかけたところなので、単なる思いこみといわれてしまえば、それまでなんだけど。とほほ。

5月25日(火)

「鉄は熱いうちに打て」のことわざ通り、一旦気迫が切れたところからこそ、仕掛品の山は生まれる。これだけは、20年前も今も変らない。まあ、それだけ長くテンションを保つのが不得意というコトなのだろうが(笑)。ということで、9600計画の2号計画発動。今度は、中古で入手した仕掛品、というか、キットそのものは素組みレベルで組んであるのだが、ディティール加工が途中で止まっちゃってる、という出物。これまた最初期のキットで、なんと、発電機やドロダメは挽物。その他、1/87のロストパーツがなかった頃の工作と思われ、真鍮片や割ピンを駆使して、いろいろ作り込んでいるところと、何も手をつけていないところが混在している。多分、12mmをはじめたモノの、当時の環境ではパーツとかもなく、そのままになってしまったのだろう。それなりの作者の思い入れが感じられる反面、錆び錆びのボディーが不憫でならない。ということで、一応ぼくの標準仕様にはするけど、なるべくこれもオリジナルのイメージを生かして、加工することに。一通り、部品の交換、追加、変更等を行い、本体の上まわりは、あと、空気作用管と、キャブの穴関係だけになったところで、本日はオシマイ。

5月24日(月)

さて、くぅーちゃん状態の世田谷線なので、やっぱり飾っておきたい。でも、普通のユニトラックじゃつまらない(もうちょっと、枕木の間隔が開いてればねえ)。と思っていたら、ハーテル社の「路面レールシステム」を模型店の店頭で発見。世田谷線は玉川線じゃないので、厳密に言えば「路面」はないのだが、お立ち台としてはなかなか趣きがある。ということで、まずは直線一袋四本入りを購入。しかし、よくできているじゃん。とか思っていると、「この一袋が、命取り」になる危険性も(笑)。確かに、Nゲージ並みのサイズで、パイクが出来ちゃうんだよね。このシステムは。

5月23日(日)

付加したパーツや、半田付け、接着のために最小限剥したところ、塗装が剥げ落ちているところなどを再塗装。なんといっても、ここがレトロフィットの難しいところ。蒸気の場合は、色調ではなく、つや消しの度合いを揃えるのがポイントになり、○天の銀箱みたいにかなりつやがある場合(田宮のセミグロスでほぼOK)、完全につや消しの場合はいいのだが、これが難物。今回の特製品は、かなりつやがあるので、セミグロスブラックベースで、フラットブラックと目の子で混ぜて気合で塗る。結果オーライで、なかなかいい感じ。ウマくつながった。しかし、このつやは、なんか汽車倶楽部の59647みたいな感じ(笑)。ナンバーは、珊瑚のセットに、59684があるので、これを貼り、窓ガラス、人形を載せて、一丁上がり。ということで、フォトセッション。

5月22日(土)

最初に俎上に上がったのは、一番まとまった出来の一台。これをベースに、まずは一輌、仕様に沿って仕上げよう、という次第。これは、どこかの模型店の特製品ということで、極初期の製品をベースに、ほぼ「とれいん」85年5月の森川氏の記事レベルにまとめた、門デフ仕様。「中上」にしたところが、ちょっとオリジナリティーというところか。従って、ロストパーツの使用は少なく、そのロストも1/80のパーツというヤツ。でも、それなりにいいまとまりがあるので、塗装を剥して全加工ではなく、レトロフィットで加工することにする。オリジナルのイメージは、感じとしては59647と、59684の折衷というところなので、その線でまとめることに。まずは、空気作用管を造って付ける。九州のカマは、銅パイプをきれいに磨いてあったものが多く、かなり目立つのだ。あと、どうしても欲しいパイピングをいくつか。付加するパーツは、現状とのバランスを見ながら、使うパーツを決定。一部はオリジナルの状態に合わせて、出戻り前のストックの、70年代のロストパーツも使う。ということで、サクッとカタチにする。

5月21日(金)

18日にプランしていたのは、実は9600をどうまとめようか、という算段。中古の仕掛品とか、一応動く状態のものが三輌分手元にあるので、これを田川線の「重連+後補機」に仕立てようと思っていたのだが、それぞれの仕様を検討していたのだ。知っている方は知っていると思うが、北九州の9600というのも、ぼくにとっては、実に懲りないネタの一つ。出戻る前の16番をやっていた学生時代に、某TMS誌上に3度ばかし名前が出たことがあるのだが、その中の1回が、北九州の9600のネタなのだ。9600といい、C55といい、ほんとに進歩がない(笑)。三つ子の魂百までの典型ですな。で、こだわりがある分、なかなか悩みも多い。それは九州の9600は、その過半数がいわゆる「中中」であり、これを珊瑚のキットから作ろうとすると、大改造になってしまう点である。ということで、特定番号化はあきらめ、なんちゃって「九州仕様」で気楽にいくことにした。で、着手開始。

5月20日(木)

風のウワサに横浜の篠原模型店が移転したという話を聞いたので、横浜に行く用事があったついでに新店舗を覗いてみた。横浜の模型店事情というと、この数年、新しいショップの開店が相次ぐ一方、昭和30、40年代の模型店の雰囲気をそのまま残したタイムカプセルのような店も残っているという、とても面白い状況にある。その中でも、昔の佇まいを残す店の筆頭とも言える篠原さんが、新開店ショップの一員としても名を連ねるということで、一体どういう店になるのか、なかなか興味がある。前の店舗もそれなりに繁華街だったが、今度は馬車道に面しているという立地。中に入ると、まだ引越し途中という感じで、空きスペースも多い状態だったが、圧倒的に広く明るくなっていた。横浜観光の途中でも寄りやすいし、東京からも行きやすい。いろいろな意味で、横浜の模型店事情は、ますます面白くなりそうだ。

5月19日(水)

こういう仕事をしていると、アタマの切り替えというか、自分なりの発想法、リフレッシュ法というのが、仕事の効率上重要なポイントとなる。トイレや風呂場で「ふと思いつく」コトは、誰しもよく体験すると思うが、小一時間考え込むよりは、その時間かけて環境を切り替えたほうが、余程いいアイディアが出てくる。で、最近気分転換によく使っているのが、京急の「快特」。10分ヘッドで運転しているので、都営地下鉄の駅までいけばすぐ乗れる。その、「花やしきのジェットコースターも脱帽」という、あの軒先をかすめるスピード感にひたれば、およそ面倒なことなど忘れられる。おまけに、浅草線直通の600系や、泉岳寺発の2100系なら、「カブりつき席」もとりやすい。一時間強あれば、これで横浜までいって、IMON横浜店を見て帰ってくる何てこともできるし。

5月18日(火)

そろそろ、なんか車輌のほうも手をつけないと、という気持ちだけはあるのだが、なかなかプロジェクトはスタートしないもの。まあ、スタートしちゃえば速い(これが、速くないと、仕掛りの山になってしまうのだが(笑))けど、そこまで気持ちを持っていくのが大変なのが世の常。ということで、重い腰を上げるべく、考えていた構想を元に、プランを練ってみることに。とはいっても、どちらにしろまだアタマの中の所作であるコトには違いがないのだ(辛)。資料は集めておいたので、どんな感じにしようか、加工ポイントについてラフスケッチを作ってみる。で、ハタと気づく。12mmのプロポーションを活かすためには、何をつけて、何を省略するか。けっこう高度なセンスが必要なんだと。16番だと、とにかく「つけてしまえ」でなんとでもなるが、12mmだと、明らかに「省略したほうが、らしく見える」モノもある。詳「細を写し込んだ資料もさることながら、走行写真のような「ヒキ」で撮ったカットでどう見えているか」というのも参照しないと、折角の魅力を損ねてしまうことにもなりかねない。ということで、大体仕様が決定したので、次はパーツの調達だが(笑)。

5月17日(月)

中古店の棚の隅で、乗工社の東急デハ80にふと目が止まる。二つ目、緑の最終仕様。個人的には、もっとも利用したし、もっとも懐かしい世田谷線の姿だ。玉電仕様ほどよく見るワケではないが、全く見かけないモデルではない。だが今回は、なぜか「アイフルのくぅーちゃん」状態(笑)。勢いでつい購入してしまう。世田谷線は偏軌なので、実は1/80・16.5mmでほぼファインであり、1/87・16.5だと「ガニ股」になってしまうのだが、そんなことはどうでもいい。やはり地元民としては、理屈を越えて惹かれるものがあるのだ。と、眺めている間はいいが、ふと我に帰って気付く。ヤバい、路面にまで手を出してしまった。さぁ、どうしよう。仲間を増やしてやることになるのか。それなら、70と150か。それともジオラマを作ることになるのか。それなら、思い入れと、手軽さから、環七の踏切をモチーフにしようか。あるいはマニアックに、仮設の三軒茶屋駅か。いかんなあ(笑)。

5月16日(日)

今日は一転、天気が悪い。例の「木製道床」で、クリーニングカーで磨きをかけるようになって以来、一部補修が必要なところが発見されたので、ちょっと時間が出来たところで、保線作業。ついでに、工具が共通しているのをいいコトに、その後発見された木製道床線路を、ついでに改軌。もう、手法自体は手慣れているので、スグにできるはずだが、手をつけはじめたうち1本は、ベニアの接着剤が老化していて、犬釘を抜くと、枕木部分がバラバラになって落ちてくる始末。とはいえ、手をつけはじめると、途中で放り投げて捨てられないのが、モデラーの性(かな?)。けっきょく、剥がれたり、割れたりした枕木は、木工ボンドまたは木工用瞬間接着剤で再生。欠損してしまった枕木は、何かにつかえるかなと思って取っておいた、バスウッドキットの余り代部分から切り出して作るハメに。そんなこんなで、けっこうな作業になってしまった。というわけで、時間内には曲線2本しか作業できず。もともとの保線作業はできたので、まあいいか。

5月15日(土)

久々の晴天、おまけに午前中は時間がある。ということで、朝早起きして、フォトセッションと塗装タイム。写真は、ごらんのように、またアメリカのバスウッドキットを改造した、物置と車庫兼用の小屋に、生垣をフィーチャーして撮るが、ますます鉄道からは遠ざかる。とほほ。一応、奥に見える柵の向こうには線路があるんだが。それをやりながら、例の大物車の塗装。まだ塗料がかなり残っているだろうと思って、使い残しのスプレーを使ったら、これが失敗。そこに溜まっていた「濃ゆいヤツ」がドボっと噴き出してきた。ということで、時間がない中シンナープールへ。でも、なんとかリカバーして、午前中には塗り終わる。黒くしちゃえば、貨車ならあとはレタリングで何とかなる、というのが最近の教訓。逆にスケールものでも、レタリングがないと判じ物、というのも確かなのだが。

5月14日(金)

10日の続きで、大物車の仕上げ。といっても、台車のセンターピンを、TR20に合ったものにすべく、ボルスタのネジ穴を切りなおすだけ。サクッと終わって、なかなかいい具合。しかし、もともとのHOn3用のベッテンドルフ、HOn3-1/2用のTR20、先のクリーニングカーについていたHOベッテンドルフ、と並べると、なるほど発見が。HOn3が小さいのはさておき、日本型の台車は、台車枠そのものは相似形で一回り小さいものの、車輪そのものはアメリカの標準サイズと同じなので、逆に車輪が大きいように見える。そういえば、子供の頃、天賞堂の輸出用台車は手に入りやすかった(ばね入り可動式で、エラく豪華な感じもしてお気に入り)のだが、これが9.5φで日本型より車輪が小さい。で、台車枠そのものはほぼ同じサイズだったので、アメリカは車輪が小さいものだと思っていたし、写真で見ると実物もそう見えるので、子供心にそう信じていたのであった。16番とは、なんと罪作りなことか(笑)。

5月13日(木)

役所に用事があったので、立ち寄るべく世田谷線に乗る。世田谷区民(世田谷地区在住の場合)にとっては、区役所や税務署、保健所など、役所といえば世田谷線。松陰神社前下車なのだ。ちょうど、神奈川県民にとっては、免許証といえば相鉄線、というのと同じようなモノか。さて、世田谷線というと、ぼくにはひそかな楽しみがある。それは、開通当初からでこそないものの、それに近い時期からの木製の架線柱が何本か残っており、その健在ぶりを確認することである。昭和5年の銘があるので、75年近く立っていることになる。三軒茶屋をでると、最初の一本は環七のちょっと手前にある。あと、ぽつぽつと間隔を置いて立っているので、なかなか趣きがある。路上時代からの車輌こそ消えてしまったが、最後の玉電の生き証人といえるだろう。いつまでも残っていてほしいモノだ。

5月12日(水)

いつもの中古店で、ちょっといいモノを発見。モノは、Sachsen ModelleのTyp. Bなのだが、UICコードもついていない、旧ソ連国鉄の仕様になっているトコロが、なんとも心をくすぐる(笑)。レタリングは、全部キリル文字のみ。おまけに、普通はプリントされていないサボも、「ドルーシバ(友情)号 キエフ〜ベルリン」とかついていて、趣き満点。極めつけは、これがザクセンの箱ではなく、箱違いでロコの箱に入っているところ。青と緑の箱をチェックしているのを見透かされたようなフェイントに、思わずニヤニヤしてしまった。いかんなあ(笑)。

5月11日(火)

中古の出物で、12mmのスハ43とスハフ42を入手。珊瑚のキットベースで製作したどこかの模型店の特製品のようだが、価格もキット定価+α程度だったし、なんとうれしいコトに青。特製品やメーカー完成品も見たことはあるが、青は初めて。ということで、普通車がなくて出番のなかったスハネ16とオロ11にもやっとお鉢が廻ってきた。ナハ10とか、軽量客車の普通車が出ていない以上、いつかはスハ43の青を作らなくては、と思っていただけにラッキー。スハネは、2000番台を意識したのか、これまた中古での入手時にはPEMPのTR23を履いていたのだが、これを機会に本来のTR47に振り替え戻す。珊瑚の台車はいままで「一長一短」の代名詞のようなものだったが、新しいダイキャスト製のヤツはなかなかいい。これにマニをくっつけて、5輌でちと短いのだが、急行編成にして走らせてみた。なんか「日南」の短縮版みたいな感じなので、C57に牽かせる。みてると「日南」というより、なんか子供のころの16番の編成を思い出してしまうが。

5月10日(月)

1日の項でふれた、TR20。なんか、フィットしそうな上廻りはないか、と、ずっと物色していたのだが、妙なモノを発見。基本的にはD&RGWのヤツのようだが、ブラス製のHOn3のフラットカー。これが、けっこうHOn3としては大きめで、ディメンション的には、戦前〜戦後の日本型貨車とほぼピタリなのだ。出物格安だったので、これを日本型風にすべくGET。実はHOn3のボギー貨車で、使えるのがあるんじゃないかと思って探していたのだが、通常の貨車は制式の日本型より一回り小さい古典貨車サイズで、これでは今ひとつというモノが多かったのだ。側枠はリベットが打ち出された魚腹型をしていて、日本の長物車にはこのタイプはない(コキ改造のレール用チキは別として)ので、荷物を工夫して、落とし込み型の大物車に仕立てることに。さてHOn3だけに、カプラーポケットは711のドラフトギアにピッタリ。それだけでなく、そのままTR20をつけるだけで、カプラー高さもピタリなのだ。センターピンはサイズがあわないので、仮にハメた状態でテスト走行させてみる。600Rは全く問題なし。日本型のボギー貨車は、もとがアメリカンなだけに、ユニスケールということを考えれば納得はできるのだが、こんなにすんなりとはまるとは思わなかった。エアホースと手ブレーキだけ半田付けしたら、一応上まわりは形になった。

5月9日(日)

この週末は、九十九里の別荘へ。その帰りがけに、帰り道にある茂原の「ひめはるの里」に寄って遊ぶ。もともと連休直後は、連休疲れもあってすいている上に、今日は天気も良くないとあって、ガラガラだろうと狙って行く。それだけでなく、同地ではライブの運転会が定期的に行われており、雑誌の情報によれば、本日は運転会がある日に当たっている。この公園にはよく行くのだが、一度そういう機会に行ってみたいと思っていたのだ。とはいうものの、行ってみると雨が降り出し、最悪コンディション。ライブの線路の方からは、石炭の煙の香りは漂ってくるものの、余りヒトの気配はない。近づいてみると、ロケット号、クラウス、ブリタニア号と、御三方ほどいらっしゃったが、ちょうど撤収作業に入るところ。けっきょく、バーベキューを食べて、足こぎ白鳥ボートに乗っただけで、鉄分はなしでした。タマには、こういう記事も許してね(笑)。

5月8日(土)

例の12mmの「木製道床」は、年始以来、常設お座敷(といってもエンドレス一本だが)と化して、家にいる日はほぼ毎日、なにかが走っている。ところが、段々走行させても調子が悪くなり、スロースピードで安定して走らなくなってしまった。そこでレールを磨いてみると、ものスゴい汚れ。流石に何ヶ月も敷きっぱなしという経験がなかったので気付かなかったが、三ヶ月も走らせていると、相当に汚れるモノだと実感。レールクリーナーの導入は必須と見て、センターライン・プロダクツ社製のクリーニングカーを導入。台車はベッテンドルフのよしみで、ストックしておいたIMON製TR41に交換。これが、実にセンターピンのネジ径までピッタリ。カプラーも少し高い気がするが、付属のNo.5なら、711とは問題なく連結可能。唯一の修正点は、バックゲージの狭さに合わせて、No.5のドラフトギアの後半を、スリムにカットするぐらい。で、走らせてみると、これがスゴい威力。ローラー部には、みるみる黒い汚れが。それと共に、輝きを取り戻す線路。ということで、クリーニング後は圧倒的にスローが効くし、スタートする電圧もグッと下がる。いやあ、使ってみるモノですね。

5月7日(金)

Webとmailマガジンで、「私の16番ゲージ鉄道模型ライフ」を主宰されている林さんからmail。7日付けのmailマガジンで、当Webと当日記についてご紹介頂いたとのこと。林さんといえば、潰れた蒸気のボイラーを一旦板に戻してから曲げなおすなど、ハードなジャンクの復元の華麗なワザで、「スゴいヒトもいるモンだ」と敬服の限りなのだが、世代的にも近く、また後からわかったことだが、端境期の前によく行っていた模型店に勤務されていた経験があるとのことで、時々mailをやりとりしていた。この日記自体、書きなぐりで、内容よりは筆致でゴマかしているので、ちょっと気恥ずかしいところもあるのだが、ご配慮はとてもありがたい。

5月6日(木)

3日に購入した、バスウッドのストラクチャキットの組立。この手のヤツの日本化改造については、すでに前回パターンを作ってしまったので、今回は速い速い。前回は大きめの物置だったので、瓦屋根にしたが、今回は小さい物置なので、波板屋根にする。もともとは、小さい物置と、木材加工場のような、簡単な雨除け屋根のついたスペースが一体化している建物だが、作業スペースのほうは、縮小して乗用車の車庫に見立てることにした。サクサク作れて、ホントにすぐできる。いろいろな改造まで含めて、手を動かしている時間は一時間かからなかった。もっとも、着色をすでに済ませていたので、その乾燥時間は入っていないが。しかしバスウッドキットの日本型が出てこないかな。民家とか。半間単位の基本パターンを作っておいて、適当に組み合わせたり、切り離して短縮したりすれば、いろんなバリエーションが簡単にできるのに。まさに、コルビジェが近代モジュール建築のヒントとした、日本家屋の合理性(半間×一間という、人間一人分の面積が、床も壁も基本単位となっている)がここぞとばかりに生きてくる。おまけに、一間=22mmぐらいを基本にすれば、1/80で関東間、1/87で関西間と、一粒で二度美味しいキットになると思うのだが。

5月5日(水)

「子供の日」というと、昔の百貨店の鉄道模型売り場では、クリスマス〜正月に次ぐ商機(厳密には進・入学から子供の日だろうが)だったと思うが、今は昔というか、SLが現役だった時代の記憶でしかなくなってしまった。さて、昨日の後日談。その後、所要でいったん会社に休日出勤し、それだけではむなしいので用を済ませて銀座へ。すると、日曜の項で書いた「ロシアのHO」の生き別れの兄弟を2輌発見。時間が押していたので、充分にチェックできなかったのだ。もちろんこの2輌もGET。合計6台だ。いかん。ますますロシア型が必要に。おまけに、旧東独製の60年代と70年代の出物も発見。64型と86型。箱なしだが、状態もほどほど良く、値段もお買い得。すっかり鉄のカーテンに浸って大満足。いいな、「鉄」のカーテンって(爆)。マニアックな世界に入って、外からの干渉を一切排除しているような感じが良く出てる。一般人の理解できない用語とか、行動様式とか(笑)。

5月4日(火)

連休中は妙な天気でもあり、カレンダー通りで、休日も基本的には都内で過ごしている。今日は雨との予報だが、まだ降ってはこないものの異常に風が強い。やりたいこともあるので、腰を据えずにできる時間潰し、ということで、ちょっと前からやりたかった「生け垣」に挑戦。サツキみたいな潅木を密に植えた背の低い生け垣は海外にもあり、ドイツ製のスポンジのヤツもあるのだが、ある程度の背丈のある木を並べて、塀を作ってしまうタイプの生け垣は、そもそも塀という概念が海外にはないだけに、出来合いのモノに頼るワケにはいかない。四角いスポンジに幹だけ挿したり、とかいろいろ考えてみたのだが、けっきょく一本一本作って絡めるしかなさそう、ということになる。カトー・ウッドランドシーニックスの樹木キットから大枝を切り出し、それを細長いベース張りつけて枝を絡め、そこにフォーリッジを貼り付けるというのが、急がば回れで正解のようだ。で、試作品として、「どこでも生け垣」を、6間×2作成。手間はかかるものの、他の樹木とのバランスを考えると、こうなるんだろうな。隙間から、向こう側もちらちらと見えて、なかなかいい感じだ。

5月3日(月)

最近多い、限定日のみ営業という模型店。その嚆矢といえば、練馬の新額堂さんではないかと思う。前は、週末のみ営業だったのだが、去年ぐらいからか、月・火、および祝日のみ営業という、極悪な営業日になってしまった。某FABさんみたいに、山の手線から乗り換えて5分、という立地なら、平日でもチョコっと立ち回りのついでに立ち寄りということも不可能ではないが、下井草はちと遠い。なかなか他にない面白いアイテムも多い店なので、時々は覗きたくなるのだが、なかなか行けない店となってしまった。さて、本日は月曜にして祝日という、ほとんどこういう時しか行けないチャンスの特異日。時間も取れたので行ってみる。環七がスキまくっていたので、30分かからずに行けてしまった。さて、全体にはOnのシェアが高くなっているような気が。そんな中で、また日本型に使えそうなレーザーカットのバスウッドのストラクチャキットがあったので、購入。こういう感じで行けるのも、年に一度か二度でしょうね。

5月2日(日)

休日モードでガキと連れ立って出かけた帰りがけは、進撃方向に合わせて模型店を覗いて帰ってくるのが恒例となっているが、今日はそういうワケで銀座方面。銀座は平日は頻繁にチェックしているが、休日は休日でけっこう雰囲気が違う。で、4Fに行くと、I氏の悪魔のささやき。でチェックすると、なんとロシア製のHOモデルではないか。箱からして「いかにも」なオーラが。フタを開けると、キリル文字のレタリングも凛々しいボギーの有蓋車が。よく見るとCCCPの文字もあり、限られた知識でも旧ソ連時代の車輌がプロトタイプになっている事がわかる。ということで、速攻で全4輌GET。なんか見透かされたような気がしないでもないが、ロシア製モデル自体が、ぼくとしては初モノなので、これはなんともうれしい。ということで、写真を撮ろうと思ったが、牽かせる機関車がない。次善の策として、旧ソ連製のディーゼル機関車のモデルを引っ張り出す。DRでは芸がないので、ちょっとでも東の方ということで、MAVのM62型に牽かせてみる。しかしこうなると、旧ソ連の機関車も欲しいな。

5月1日(土)

某国の貨物列車大爆発事故の報道写真を見ていると、爆発した貨車の残骸の写真が。なんと、台車はアーチバーではないか。中国やソ連でも、50年代以降は少なくともベッテンドルフ系のになっていると思うので、これは旧植民地時代の車輌をいまだに騙し騙し使っているということだろうか。第二次大戦の勇士T-34戦車がいまだに現役の国なので、それも充分に考えられる。で、それ以来アーチバー台車が妙に気になりだした(変な連関だが)ので、TR-20を買いに日暮里へ。また、欧州モノの上回りと組み合わせて、フリーの貨車をでっち上げようという算段。運良く手に入る。ついでに、中古の珊瑚のワフの出物が、お手ごろ値段で。ぼくが組んだのより、全然いい出来ジャン。おまけにキットと変わらないような価格だし。てなワケで、これも思わずGET。車掌車、緩急車は何台あっても困ることはないから、これはなかなかおいしい話。


(c)2004 FUJII Yoshihiko


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