「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2004年6月-




6月30日(水)

巷の露天古本市で、中国の鉄道の写真集を発見。鉄道といっても、車輌だけでなく、各幹線の沿線紹介も名所旧跡を中心に載っている一般向けの本だが、中国というだけでワクワク、胸がときめき購入。刊行が81年なんで、写真としては70年代のモノが中心。車輌も東風4Bが最新型で、幹線でもまだ蒸気機関車がうじゃうじゃいる頃。街の様子も、まだ素朴な頃の「中華人民共和国」の気配が残っていて、何ともうれしいではないか。最初に中国へ行ったときは、沿岸部ではもう開発が進んでいたが、内陸の奥地に行くと、「懐かしい中国」が残っていたのだが、その頃のことを思い出してしまった。やっぱり「ユーラシアもの」のマニアとしては、鉄のカーテンがあった頃のイメージが大切だからなぁ(笑)。

6月29日(火)

今日の戦利品は、64、65年のTMSを何冊か。「とれいん」が揃ってきたせいでもないが、75年以前を受け持つTMSの歯抜けに、つい手を出してしまう。実は、64年以降は、バックナンバーや合本、古本等で、学生の頃に一度完璧に揃えた筈だが、現存しているのはそこここに欠けがある。まあその頃は、他人に貸したり、学園祭のレイアウト作成の資料とかで学校に持っていったりすると、けっこうそのままになってしまうことが多く、その後この趣味から遠ざかってしまったので、抜けたままになっていると思われる。半年分がごっそりなくなっているのもあるが、それは、合本とかが、そのまま行方不明ということだろう。ということで、持っていたモノだけに、リーズナブルな価格じゃないと買う気がしないのだ。これで65はパーフェクト。64は後二冊。

6月28日(月)

実は、出戻りの最初の頃、98年から99年ぐらいだと思うが、HOを復活させる前はN中心でやっていて、その頃作った「運転盤」がある。いちいち敷くのが面倒臭くて、カトーの3×2尺のボード二枚に、トミックスの線路を打ちつけただけのモノだ。久しく使ってなくて、壁に立てかけておいたのだが、ガキが「再発見」し、あれで走らせたいという。教育的には良い傾向(笑)なので、ここはひとつ整備を図る。2〜3年放置してあったのだが、ポイントもちゃんと作動するし、線路のよごれだけおとしたら全く問題なく、快調に走る。N、恐るべし。量販品はスゴいわ。結局、架線柱が2本折れていただけ。1時間ぐらいで整備完了。後はガキと一緒にストラクチャーでも並べて、安易な箱庭化を図ろうか。

6月27日(日)

今日は吉祥寺で、友人のライブにてギターを奏く。吉祥寺は、ほとんどこういう機会しか行かないが、行くときにはこの時とばかりに、ユザワヤを覗く。ユザワヤの模型売り場も、店内改装の流れで、8階に移転になっていた。というか、ちょうど引っ越ししたトコロのようで、まだ一部はディスプレイに並べている最中。ユザワヤの模型売り場も、前に地下で道路下からビルの中に移転した際、面積が縮小されていたので、今度も若干心配だったのだが、今回は問題なし。棚の数とかは変っていないようだが、スペース自体は余裕が増えたように見える。在庫品も見やすくなった。なんと、PEMPのナハネフ22とか、常磐線仕様のC62キットとかも、新品であるぞ。お探しの向きは吉祥寺へ。

6月26日(土)

雨が降りそうになりつつ、時々、ちょっと薄陽が射したり、なんとも蒸し暑い日。その、薄日の瞬間を捉えてワンカットいこうかと、果敢にフォトセッション。今日のお題は、22日の項で触れた「チキ」。まあ「チキ」というより「インチキ」(爆)。こういう時は、いつもC12なんだが、なんせお立ち台の幅が、IMONトラックに合わせた288mmなので、これ以上大きい機関車だと、カットに入らないのよ。フロントデッキぐらいしか。ということでお許しを。でもさ、12mmだからって、多少ジョークっぽいのとか、トイっぽいのとか、あったっていいじゃない(笑)。こういうおアソび的なの、妙にココロが弾んじゃうんだよね。これは、やっぱりオジさんならではなんだろうか。どうも、原理主義的なのはちょっと……。ファインは、スゴく好きなんだけど。

6月25日(金)

このところNづいている根源の「常設お座敷」の線増計画。実は、レール配置とブロック割りの関係から、メインのフィーダがポイントの分岐側の先に来るため、サブフィーダかジャンパが必要なトコロがある。固定式じゃないので、ジャンパを飛ばすのが常道。ポイントの中に、裏に線を這わせてジャンパを入れることにし、製作開始。ここで思い出したのが、カトー秘伝の「ターミナルジョイント」。テスト用に購入したTILLIGのTTトラックが、フィーダ用にカトーの「ターミナルジョイント」を指定していたので、その存在を知っていたのだ。これ用の配線スペースが道床内部に作ってあるから、穴をあけてジャンパケーブルをレールに直接半田付けしなくても、ターミナルジョイント方式でジャンパ用のケーブルを作ればいい。おまけに、なんともラッキーなことに、ジャンパを飛ばす側は、どちらもポイントの方にジョイナーがつくようになっている。これなら、外から全く見えない改造が可能だ。とばかりに、コテに電源を入れたら、あとは5分もかからず。ジョイナー同士を直接ケーブルで結んで、アッサリ完成。なかなかエレガントでいい感じ。こういうパーツがあってもいいくらいだ。

6月24日(木)

Kさんからいただいた、「とれいん」のバックナンバー。やっとのコトで、記事については一通り読み終わる。これからも、広告をじっくり読むという楽しみはあるんだけど、ひとまず充実感。流石に、これだけの分量を読むと、出戻る前のミッシングリンクが、ほぼつながったような感じだ。そういう意味では、趣味界の変化という意味では、ヤメた直後の80年代前半と、再開直前の90年代半ばの変化が大きく、そのまん中のバブル期からバブル崩壊期というところは、思ったほど変化がなかった、ということがわかった。実は、まん中の10年ぐらいは、全く没交渉だったのだが、ヤメた直後、再開の直前というのは、趣味誌の立ち読みぐらいは一通りしていた。意外に違和感なく復活できたのは、そういう理由があったのか、とあらためて納得。

6月23日(水)

カトーのスタンダード・パワーパックの格安出物を発見。かなり古くてキレイではないが、とにかく安い。基本的に、千葉の「常設お座敷」の線増分については、使い廻しでパワーパックを捻出しようと思っていたが、これなら新たに買ったほうが手軽だ。というワケで、購入。ついでに、ポイント切り替えスイッチは新品を購入し、これで基本的に線増計画に必要な資材については、当初必要な分はすべて揃う。その気になるとけっこう出物があるモンだ、と感心してしまう。とはいうものの、結局普段Nの中古品のコーナーは、そんなに真剣に見ていない、ということに尽きるのかもしれない。樹木やシーナリー用品関係は使えるものもあるので、全然漁っていないワケではないのだが。

6月22日(火)

ちょっと前に、中古屋のジャンク箱で見つけた、リマ製の日本型「チキ」のジャンク。荷台の積み荷を利用しようと思って買ったのだが、見ていてちょっと遊び心。ヨーロッパ型のフラットカーの金型とか使ったのか、幅がちょっと狭め。オーバースケールではあるものの、12mmの建築限界の中には入りそう。ということで、またもや、「なんちゃって12mm化」を図る。とはいっても、作業の6割方は、ボルスタの改造。ヨーロッパに多い、ボスの出っぱりをはめ込むタイプだったので、プラ棒をドリルレースで削った部材を作り、穴を埋めた上で、規定の高さまで削製。こういうのは、歳を取ると慎重になってウマくなるようで(笑)、一発で水平がでる。あとは、ブレーキとか手持ちのパーツをつけ、保護棒をつけて終わり。あえて、オリジナルのレタリングはジョークとして残す。明らかに変なんだけど、走らせてる分には、妙に溶け込んじゃうのがなんとも。

6月21日(月)

「4階」で、大量のN用ユニトラックの中古の出物を発見。おかげさまで、6月13日の項で触れた「常設お座敷」の線増計画に必要な線路は、あっさり確保。固定で使っていたらしく、多少汚れている分、相場より格安だったので、何ともラッキー。これで一気に敷設できる。で「3階」におりてくると、学生時代の知り合いが、なんと商談中。試走させながら、思案しているところ。これは、声をかけるべきか、かけざるべきか、と思ったが、購入を決意したタイミングを見はからって、一声挨拶。なお、誰が、何を買ったのかについては、本人の名誉や社会的影響もあるので差し控えます(笑)。

6月20日(日)

林さんのmailマガジンの最新号のテーマが「ジャンク」だったこともあり、東独モノのジャンク再生品をつなげた、ワンカット。日差しの具合が悪く、先頭と後端で極端に露出の差が出ているけれどもお許しを。先頭の55型は、2月25日の項でふれたもの。シーズンクラックによるひび割れの補修と、欠品パーツの作成・取り付け。2輌目は、6月15日の項でふれたヤツ。3輌目は某模型店の閉店セールで見つけた「棚のコヤシ」。「これだったらタダであげる」といわれ(もちろん、他にちゃんと買ったモノもあるが、この手のおまけをかなり貰った)、ジャンク補修に最初にトライしたもの。プラの劣化で車体のスソが数箇所欠けていただけでなく、欠けた部分が欠損してしまったところもあり、プラ板から作り直して再生。最後尾は、2月11日の項でふれた荷物車で、欠品のステップを新製。どの車輌も、再生加工が多い側を手前に寄せて撮影したのだが、この大きさだと流石にどこがそうだかわからない。

6月19日(土)

とある筋から、乗工社の12mmのC59の出物を入手。C59の中古は決して見ないわけじゃないが、かなり強気の値付けが多いだけに、今回のようにリーズナブルに入手できたのはうれしい限り。乗工社のC59は(D51もそうだが)、ファインならではのプロポーションのよさを実感させる製品で、とても気に入っている。というのは、C59/C60には、ぼくの初期体験に基づく、特有のコダわりがあるからだ。それは、ファンの目で実物を見るより前に、16番の模型で知った機関車という点だ。16番のC59/C60のモデルは、どうもパワフルでマッチョなイメージに作られたものが多い。デフォルメの方向としてそっちを向かせた方がまとめやすいということなのだろうが、これが実物のイメージを損なっている。だから実物(初めてみたのは鹿児島本線のC60)を見て、当時のコトバで言えば「とてもカッコいい」のにビックリした経験がある。実物は、機関車の全長が長い分、いろいろなディメンションの似ている「D51のナメクジ」よりスマートに見える。ところが16番の模型だと、全長が長いのを「大きい機関車」というイメージで捉え、太め・デカめにまとめる傾向があるようだ。その落差は大きい。かえってD51の方が、同じようにデフォルメしてあっても、よりスマートに見えるコトも多い。そういう刷り込みがあるので、どうも16番のC59/C60はイメージが悪い。乗工社のは「スマートなC59」の模型になってる分、ちゃんとC59に見える、というのはぼくにとっては大きいインパクトなのだ。

6月18日(金)

今月は、今日が鉄道趣味誌の店頭売り発売日。「とれいん」は、なんと103系の大特集。この前、鶴見線に乗ったとき、そろそろ103系が来るかな、と思ったけど、案の定、というか意外に早くきましたね(笑)。確かに見なくなったモンな。位置付けから言えば、ぼくが子供の頃の73より古い、戦前型と同じワケだからね。で、原宿で夕刻仕事があって、そのあと夜の飲み会まで時間があったので、会社の仲間と、モデルスIMONで時間をツブすことに。そういう趣味もあるヤツなのだが、なんか妙な感じ。ナローの充実ぶりに感心していた。でも、こういう「くすぐったさ」って、知り合いと風俗に行くようなものでしょうかね(爆)。

6月17日(木)

パイプ製椅子の「ゴム足」が劣化して割れてしまったので、帰りがけに渋谷のハンズに寄って探す。ところが、これがどこに売っているのかなかなかわからない(正解は、なんと工具売り場)。店の中じゅう探しまくったので、普段いかないフロアにも足を運ぶ。で、思わぬ発見が。手芸コーナーに彫金関連の売り場があるのだが、ここで売っている工具が、実に充実しているのだ。B1の工具売り場にはないし、工具に力を入れている模型店でもなかなか手に入らないような、精密、高級工具がいろいろそろっている。特に、ヤスリとか、糸鋸の刃とか、ブランドもの工具もばっちり揃っていて(決して安くはないが)うれしくなってしまう。こりゃいいわ。これから愛用しよう。

6月16日(水)

続行運転で、今日も一瞬中古コーナーを覗く。珍しく、O系の37型があるではないか。時代が時代だけに、それなりに塗装ヤケはあるし、汚れているが、傷やへこみがない分、状態は悪くない。窓ガラスも脱落しているが、ボディーを洗って張り替えれば、それなりによみがえりそう。ということで、価格も手ごろなのでGET。0系もこれで5輌目。着実に伸びている(笑)。しかし、次は26がぜひ欲しいところだが、望むべくはモーターなしがないかなあ。3モーターだと、ライトとあわせて3A以上喰いそうだし。で、家に帰ってから車体を洗剤で洗うと、なんとヤケと思っていた変色も、単にヤニがついているだけで、洗っているうちに、みるみるキレイに(輝)。塗面にもほとんど傷みはなく、新品同様に復活。こりゃめっけもんでした。

6月15日(火)

いつもの4F中古コーナーで、またもや思わぬ出物を発見。DR仕様のC4uタイプの、ダブルルーフの客車のジャンクなのだが、どう見てもいわゆる「リアルタイムEPIII」。60年代のPIKO製と思われる一台。フライシュマン製のは見たことあるタイプだが、東独製は初めて見た。おまけに極めて安い。もちろん即GET。客貨車は、機関車と違って資料がないので、当時どんなタイプが出ていたかわからないが、車体の構造や台車の構造、プラの材質等を考慮しても、これは60年代で間違いない。状態もそれほど悪くない。拡がってしまった台車のフレームを修理し、ストックパーツの車輪をハメ込めば、早速走行は快調。DRロゴは擦れて消えてしまっていたが、モールドで字が浮き出ているので、面相筆でフラットイエローをさせば、たちまち復活。このところ、半田細工が多かったので、こういう手軽なのも中々楽しい。まあこのくらいレアなモノになると、ネタが手に入りにくい、というのが難点だが。

6月14日(月)

9600計画の中〆を記念して、「清水の舞台」で日暮里へ。これを機会に、またセラを買い足そうという次第。もともと、そもそも新品をほとんど買わないヒトでもあり、もともとの値段を考えると、おいそれと輌数を頼ることも難しい。てなワケで、特別な機会をつかまえては、ちょっとづつ買い足しているのであった。まあ、ボーナスシーズンでもあるので、記念ということで自分で背中を押して自爆テロ(笑)。とはいうものの、今回は予算枠もあり、奮発しても二輌。番号のカブらないのを選んで購入。これでやっと5輌。船尾-後藤寺間の鉄橋のジオラマならできるぞ(爆)。さて次は、プラセキを九州石灰石仕様(といっても、「道外禁止」がないだけ)で組む番か。

6月13日(日)

今日は予報通り朝から雨。それを見越して、今日やろうと思っていた「鉄」な目的の二つ目に着手。これまたちょっと前の話だが、2月28日の項で触れた、「常設お座敷」のバージョンアップ計画である。だいたい、常設お座敷に手をかけるのは、行ってもやることのない梅雨の時期、ということになってしまう。最初に敷いたのも、高架のみから、地上+高架の4エンドレスにしたのもその時期だ。ということで、いよいよ着手すべく、本当に敷けるのかどうか、現物合わせのチェックを行う。高架から地上への連絡線と、車輌基地の間に、一本線路を敷けるスペースがあるというのが、今回の計画の原点なのだが、ここにエンドレスを敷くには、ギリギリで車輌基地への入出庫線をアンダークロスし、その手前側に抜けるカーブを敷けるかどうかにかかっている。ユニトラックの249Rなら何とかなるか、という感じがしたので、まずは買ってみて現物合わせでチェックしようというのだ。結果としてはOK。高架道床を接着し、橋脚をちょっとずらせば、本来のNの車輌限界からするとちょっと足りないのだが、この線は未電化という想定でパンタ付きの車輌は通らないので、なんとかクリアできる。主として走らせたい亜幹線クラスの列車なら、カーブのほうも大丈夫。ということで、テストはOK。さっそく次回までに、必要なレールを調達しよう。とはいっても、一周で30本近く必要なので、ちょうど中古の出物とかあるといいんだけど。カットは、トライアンドエラーでアタりを見ているところ。

6月12日(土)

この週末も、また千葉へ。運良く梅雨の中休みとなり、庭の掃除もできる。「鉄」な目的も二つほど。その一つは、Kさんからいただいた新規分も含めて、「とれいん」のタナの整理。最近の号とか、資料として使用中のものとか、いただいてまだ読んでいない号とか、20冊ぐらいは東京にあるが、それ以外は4月17日の項で触れた三段の本棚に整理する。納戸の中にある、オヤジが使っていた作り付けの書棚だが、A4がすんなり入る高さというのがうれしい。上段が創刊から80年代と、これだけは厚みがうすい分、10年分以上入っているが、中段が80年代末から90年代半ば、下段が90年代半ば以降、という分類。ここにあるだけでも300冊ぐらいある勘定だ。我ながら、よく集まったという感じ。本気で集め出したのは、去年の4月に、某模型店で大量の出物に出会ってからだからなあ。本当にKさん、ありがとうございました_(._.)_。

6月11日(金)

ということで、新兵器の100Wセラミック鏝を携えて、第三号計画の最終段階に挑む。基本的に、加工部分はデッキ周り。開放テコの片持化と、エアブレーキ配管の取り付け。開放テコはジャストフィットのパーツがないので、脇のステイは、エコーのロストパーツの加工で、まん中のステイは、もとついていた支持パーツの加工で、それぞれ作る。あとは、ユガみの修正といった仕上げである。しかし、スリムな100Wの威力はかなりなもので、ボイラの中に軽々入るし、キサゲもヤスリもつらいなと思っていたハミ出し半田を、あっさり半田メッキにしてゴマかす、なんて芸当も出来たりする。結局、やるつもりのないところまで修正したくなり、結果的に手数はかかってしまった。ということで、多少深夜に滑り込んでしまったものの、ここに第三号計画も製作完了。9600計画も、あとはすべて塗装工程の方に移行という次第。一応、今週分の加工が終わった状態のカットを。こうしてみると、短軸もけっこう目立つか? というより、単に、目が行きやすくなっただけかも(笑)。

6月10日(木)

キャブ下の穴から見えるコック(20数年前のニワロックス製・1/80でもオーバースケールだが)に、真鍮線を通す穴を開ける際に、ついドリルの刃を折ってしまったので、補充すべく、昼休みに一撃離脱で秋葉へ。なんか、最近のロストと真鍮の材質が違うらしく、異様に硬くて難儀してしまったのだ。昔と違って、最近は年の功か、ギター奏いても弦を切らなくなったし、真鍮細工でもドリルや糸ノコの刃を折らないな、と思っていたのだがやってしまった。ということで、補充すべく秋葉の工具屋に行ったのだが、そこでいいモノを発見。なんと、スリムなセラミックヒーターの半田ゴテの、100W仕様(実際の消費電力は60W程度のようだが)。前、やはり秋葉で交換用コテ先で、60W用のより巨大なモノを見つけ、もしかしたらあるんじゃないか、と思ってはいたのだが、はじめて出会った。実は、このところの加工で、9600といえども1/87では、100Wのニクロム線仕様のコテではヒーター部分がボイラ内に入らず、60Wのセラミックコテでの作業を強いられていただけに、これは天啓。60Wでも出来ないことはないのだが、充分に半田が回るように加熱すると、コテの熱容量の差からコテ先をかなり長時間くっつけることになり、周囲に必要以上に熱が回って、思わぬところの半田を溶かしてしまう可能性があるのだ(今回も2回ほどやってしまった)。ということで、さっそくGET。これは強い味方だ。

6月9日(水)

今週は、多分今晩しか空き時間がないので、第三号計画の残りをできるところまでトライすべく、スタート。まずは空気作用管の製作と取りつけ。まあ、もともと1cmあるかないかの管なので、そもそも0.25の燐青銅線とロスト製の座金を使った時点でオーバースケールなワケだが、遠目にも目立つ分、ないと寂しい。ある種の似顔絵のようなものと割り切ってしまえば、「らしければいい」わけで、一番気楽に作れるかもしれない。また、違う取り回しで取りつける。さて、問題のデフだ。いろいろ考えたものの、ここはやはり原点に還って、門デフ仕様にすることにした。後上でパイプ煙突といえば、基本的には門デフ付きのしかいないので、その時点で決まってしまったようなモノなのだが。あと、珊瑚製の標準デフパーツが、なぜかどこかイメージがちょっと違っていて、門デフの方がしっくりきたこともある。デフの取りつけは、深く考えずに、昔のぼくの96の「標準工法」そのままにしてしまった。しかし、デフのパーツも、エッチングで彫り込んである凹の部分は、0.2tぐらいしかないし、それに合わせてステイとかも0.2tで組んだので、組み上がるまでのへなへな感が何とも心許なく、ちょっと太めのを取りつけたデフの補強材が、本当に補強の意味を持った、なんてのも初めての体験。まあ、これはファインというのとは違うのだろうが(笑)。で、リンゲルマンを作って取りつけ(気迫の3部品イモ付け組み)、一応、予定していた第三号計画の改造工程は終了。しかしここまでやると、フロントデッキのカプラー開放テコを、片持式にしたくなった。九州の96は、7割方片持式なのだ。どちらにしろ、次回で仕上げということになるだろう。

6月8日(火)

さて、「SL No.4」も手に入り、やっと画龍天晴を欠かずに済むようになったのだが、このNo. 4、昭和47年の発売時の印象がイマイチ薄い。他の号については、少なくとも内容はチェックした上で、値段との兼ね合いで購入を見送ったワケなので、みればそれなりに見覚えのあるページもある。しかし、この号は実に新鮮なのだ。読み進んでゆくと、その理由もわからないわけではない。これは内容的に言えば、鉄道や蒸気機関車の本ではなく、明治時代の企業経営史、産業史といった、経営学に属するべき本である。もともと、戦時中に編集された「幻の社史」の、汽車会社の歴史と、製作した蒸気機関車の記録に関する部分を元に編集した、という由来もあるのだろうが、まあ、高校生ではちょっと理解できない部分が多過ぎるということもよくわかる。今となれば、個人的には一応「経営学科」出身なので、そっち方面の造詣も含めて、なかなか興味をそそられる内容が満載なのだが。

6月7日(月)

4月30日の項で触れた、「友人からの朗報」がいよいよ具体化。実は、画龍天晴の「SL No.4」があるよ、という話題から、彼の手持ちの「とれいん」の中で、ぼくの持っていない号をくださる、というお話をいただいたのだった。その後、リストアップしたり、整理したりしていただき、30冊以上をピックアップ。おまけに、それに「SL No.4」を加えて、会社まで持ってきていただき、実にありがたい限り。この場を借りて、重ね重ね感謝する次第。これで「とれいん」は、正規号354冊中、333冊。残りは21冊というところまで来た。いよいよこれからは、打率を稼ぐのが大変という気もするが。

6月6日(日)

昨日はその後、夕方から学生時代の鉄道研究会の「OB会」なる集まりに参加。学校自体はそれなりに大きいのだが、個人主義が強いせいか、他校のOB会に比べると組織的な動きは今ひとつという感じも。特に、模型屋さんが少ないこともあり、運転会も開けないというのはちょっと寂しいかも。その流れで今日は二日酔い気味だったのだが、夕方の空いた時間ですかさずコテを取る。第二号、第三号とも、テンダ関係の加工を一気に行い、完成させる。これにて第二号計画は、予定していた加工を終了。あとは塗装だけ。第三号計画も、残るはボイラ廻り、主として空気作用管まわりとデフ関係だけとなる。ということで、昨日のカットの続き。重連にしてみたが、未塗装だと、問題のテンダの足回りはイマイチ目立たないな。とほほ。

6月5日(土)

久々に気温が高く、暑さに早く起きちゃったので、第三号計画の続きを朝作業で着手。今日は、ランボードの周辺がテーマ。こればかりは、何か一貫した手本がないとつじつまが合わなくなってしまうので、「後上」ということから、「SL No.7」をはじめいろいろ資料を調べて、行橋の19626を参考にする。こういうのって、なんか昔と変わらないなあ。だいたい、アタマに入ってるし。ただ一割方小さくなっただけかも(笑)。でも、昔なら全部0.5φで引き回していたところも、0.4φを基本に、0.3φも使い分けて引き回すんで、出来はかなりシャープになる。かえって、あんまりごたごたと引き回したくなくなるくらいだ。午前中はまるまる空いていたのだが、ランボード周りで作っておきたかったものを一通りこなしても、まだ時間が余っている。ということで、テンダーの下回りに着手。短軸用の長い台枠のステイを作って交換。帯板を4枚半田で固めて、一気に切り出し、削ってフィニッシュ。一気に作っちゃったけど、なんか、こういうのなつかしいな。何か作らなくてはならないときに、技法と手順が、何も考えなくてもサクサク思いつくというのは、やっぱり昔とった杵柄ということなのだろうか。第三号計画は、標準デフ付きにしようと思っていたのだが、キャブの窓以外は、19626とか19656が比較的近い装備になってしまった。なら、門デフというのもあるな。でも、門デフ2台は北九州96お別れ列車みたいで何だしなあ。その一方でデフなしも悪くないし。これで、デフがますます第三号の悩みのタネになってきた。てなワケで、一応今日までの状況をワンショット。

6月4日(金)

本日も夜の予定がなかったので、第三号計画の続きに着手。我ながら気合い入ってるかも。今日は、次なる壁、キャブ周りの改造だ。まずは大物、というか、九州型の特徴のひとつである「穴」。前のは一つ穴だったので、今度は二つ穴にする。だいぶ慣れてきたので、まん中に休み穴を一つ開けて、そこからじわじわと拡げてしまう。「若気の至り」さえなければ、ヘタに下穴をたくさん開けるよりも、楽でキレイだわな。いいヤスリがあると、こんなに作業がはかどるとは思わなかった。穴さえ開けば、あとはとにかくひたすら「ついていないパーツをつける」ことに終始。それにしても、なんで信号炎管と暖房安全弁だけがついているんだろう、と思うくらい、思い切り良く何もついていない。日除けも肘掛もないし、雨どいもない。まあ、勝手に加工して付けてくれ、というポリシーなのだろう。そういえば、昔の珊瑚の16番の9600もそうだったなあ、とか妙に思い出してしまった。でも、あれは「未塗装キット」で、今でいう「半完成」だったよなあ。その勢いでではないが、いくつか、30年間貯め置いたパーツも使用する。それで、昔を思い出して、次々パーツを作る。そんなこんなで、比較的ハイピッチで加工が進む。余裕で、今日の目標を達成。キャブができれば、一応「九州型」とわかるポイントは押さえた感じがする。

6月3日(木)

タクト・ワン社刊の、蒸気機関車写真集シリーズ。その22として、機関区と機関車シリーズの「九州のD型機」というのが出ていたので、買ってくる。21のパシフィックのは持っていたのだが、D型機のは、それよりちょっと古い時期の写真も含まれている。実は、こういう39/10より前の九州のSLの写真は、撮影地での走行写真なら「鉄道ファン」誌とかでも見たことがあるが、形式写真的なものは極めて珍しい。するとたとえば、この時期は、けっこうデフの点検穴の開いていない機関車もいたとか、いろいろ新発見もある。ATS付きで、デフ穴ナシという状態のが九州にいたというだけでも、「へぇ〜」である。なかなか興味深い。しかし、九州のD型機というワリには(さらに撮影した藤崎さんは北九州市在住)、時節柄9600が少ないのはちょっと寂しいかも。

6月2日(水)

9600といえば、ほぼ大正期がすっぽり入ってしまうという、その制式機関車史上最長の製作継続期間の中でいわゆる「改軌論」が高まったこともあり、テンダーは初期の短軸に対し、中期以降は標準軌の幅のある長軸車輪が使われ出した。一部の濃ゆいファンによれば、短軸、長軸こそ、9600のバリエーションの神髄らしいのだが、まあ、走行写真では、わかっているヒトが余程よく見なくては識別できない部分でもある。ところが、これが非常に目立つ場合がある。それは、重連のときだ。特に、斜め後方からの眺めでは、短軸車と長軸車が重連になっているときは、そのテンダの「下回りの食い込み方の違い」は、はっきりと見える。ましてや、船尾→後藤寺間には逆行重連なんてのもあって、その印象は強烈に刷り込まれている。北九州の9600を題材にするかぎり、避けては通れない。第三号計画は、九州では珍しい「後上」で組んであるのだが、そもそも「後上」は初期型が多く、短軸にするならこれである。それになにより、これはファインなゲージでなくては表現できない世界でもある。ということで、台枠取りつけネジの穴を開けなおして、サクサク短軸化。なんか、スゴいナロー感だよね。この台枠の狭さは。また、九州の「後上」には、なぜかパイプ煙突が多いので、珊瑚のC62用のパーツを利用して、パイプ煙突化した。ちょっと低めで、クルパーを外したみたいな感じだが、オリジナルのキット付属の化粧煙突よりはバランスが取れてて、まあまあ雰囲気はいい。なぜかボイラーとスカートのRはぴったしだし。

6月1日(火)

早くも、9600計画「第三号計画」の発動だ。イケイケ、ドンドン。第二号計画もまだフィニッシュしていないのに、第三号計画も並行展開、というのにはワケがある。第三号計画が始動しないと、第二号計画は完成しないのだ。さて、今回の第三号計画も、母体は中古の素組というか、仕掛品というか、一応形だけはできているもの。外見はキレイなのだが、キットに入っているレベルのパーツもついていなかったり、組んである半田がチョン付けで、充分な強度が出ていなかったり、一番手間がかかりそうなので第三号に廻ってきた。事実、作業しながらも、いろんな部品がキチンとついていないので、ぽろっと取れてきて、つけなおしという手間もけっこう起こってくる。ということで、第一号、第二号のように、二晩、三晩でというワケにはいきそうにない。じっくり構えていこう。本日は、気分的にまず手をつけたい煙室廻りと、一番のポイント、テンダーの下回りを製作する。そう、第三号計画のポイントのひとつは「短軸化」なのだ。詳しい話はゆっくりするとして、ここで余ったスポーク長軸車輪を、第二号計画のプレーン車輪と交換しようという算段から、両計画のオーバーラップが必要なのだった。で、予定工数をこなして一日目は終了。九州型の鍵になる煙室廻りはもう作っちゃったので、顔つきだけはバッチリ楽しめる。


(c)2004 FUJII Yoshihiko


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