「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2006年04月-




4月30日(日)

ガキのバーベキュー大会。快晴で気温も暖かく、絶好の日和。そんなこんなで、今日はほとんど鉄分なし。おまけに月末となる、日記もちょっと手抜き。いろいろやることの間を縫って、橋脚の塗装をちょこちょこと。あと、面白い材料を入手したのだが、これは来月のお楽しみ。。

4月29日(土)

旧県道を走っていて、白子の緑川模型店の前を通ると、見かけたことのあるセリカが駐車中。さっそく立ち寄って店の中に入ると、案の定「外房雑記録」主宰の田中さんが。直接会うのは、久しぶり。こちらは用があって移動の途中だったので、そう長居はできなかったが、しばし雑談に興じることができた。今後も、ご活躍を期待します。

4月28日(金)

本日の夜から、千葉方面進出。夜の空いた時間で、前回作りきれなかった、街角コレクションの残り4棟を組む。今回のはけっこう凝ったのが多く、パン屋とか喫茶店とか、それなりに、インテリアや内装までついている。大型建物シリーズは、よくこの値段でこの大きさ、という感じだし、こういう向きにエスカレートしてくれる分には、ユーザーとしてはうれしい限りだが。

4月27日(木)

最近秋葉原に行くときは、必ず寄っている食玩屋を、今日も覗く。ミニチュアカー関連のコーナーに、カーコレクション80のコーナーができている。お、これはメッケ、と思ってじっくり見ると、このシリーズの中でも入手しておきたかった、旧型ハイエースと旧型クラウンバンの「ノーマル」仕様が、両方ともあるではないか。さっそくGET。なかなかよくできているし、ファインな1/80は、ジオラマでは「遠近法」の中に入るので、使い勝手も充分。これはラッキー。

4月26日(水)

とある親しい模型業界関係者と、会食。最近の模型界について、意見交換。まあ、カウンターの内側でも外側でも、吸っている空気は同じなので、立場こそ違え、行き着く問題意識は同じところ。基本的に「高級ホビー」ってのは、超高級ブランドと同じで、トップエンドの頂上にいる人達を、キチンとロイヤルカストマーとしてつかまえていられるかが勝負。そこをつかまえていれば、裾野は自ずとついてくるし、そこ無しで裾野だけいくらつかまえても、けっきょくは価格競争しかなくなってしまう。そういう意味では、「モノよりサービス、ハードよりソフトで稼ぐ模型店」が作れるかどうかがカギということに。でもこれって、個人経営ならワリと可能だけど、大きい店では、「行うは難し」かも。

4月25日(火)

前に作った、上路式ガーダー橋。やっぱり一連だけじゃ物足りないので、もう一丁作るコトに。もともとアトラスの「梁」は、4枚一組で2連分なので、まあ作るべくして作る、ともいえるのだが。前回は試行錯誤しながらだったが、今回はその結果を踏まえれば良く、どう作るかは考えなくていいので、速い速い。けっきょく「構想」と「試行錯誤」に取られている時間が、かなりの割合を占めているということか。しかし、トラスからガーダーが二連って、考えてみればモロじゃん(笑)。

4月24日(月)

渋谷で飲み会の後、地下のホームに行くと、なにやら「オレンジ色の影」が。これはもしや、と思い、ホームに走り込んでゆくと、やはりいるじゃないですか。東武の50050型が。乗入れだしてから一ヶ月、いつ乗れるかな、と心待ちにしていたのだが、やっとその日が。昨今の首都圏の車輌は、民鉄の車輌も含め、E231の兄弟ばかりになってしまったので、こういう「DNAの違うクルマ」はなかなか新鮮。今はまだキレイだけど、東武線内で使っていると、一年もしないうちに埃っぽくなって、薄汚れてきちゃうんだろうなあ(爆)。

4月23日(日)

なんかパッとしない天気だが、午前中はまだ雨は降らず、時々薄日も射したりするので、やっぱり写真を写すことで。時間も30分ぐらいしかないので、ちょっと手抜きのセット。ウェザリングマスターのBは、煤色、サビ色、白色のセット。煙室周辺は、煤色(まあ、つや消し黒ですが)を擦り込む。塗装でのつや消し黒とはちょっと違う、ザラつき感がいい。下回りは、やり過ぎない程度にさび色を擦り込む。で、実は最大のポイントは白。あるプロペインターの方から、「シンガーフィニッシュのポイントは、白の吹き方」と聞いていたので、ドライブラシ的にこの白が使えるのではないか、と思った次第。ロストパーツや、パイピングにかけると、細かいディティールが浮き出てきて、効果はなかなか。本当に化粧品みたいに扱えるので、充分なご利益。

4月22日(土)

本日も、ガキの学校関係の父母の行事。午前から始まり、3時ごろまでの拘束。中途半端に時間が空いたので、また、C57を出してきて、ちょこちょこイジる。多少、パイピングや部品のユガみが気になっていたところがあるので、その修正。最小限の接着剤によるレトロフィットなので、いざとなれば付け直しでもそんなに手間はかからない。おいおい、気になると修正したくなるというもの。作業でハゲたネオリューブを塗りなおしていると、ふと、ウェザリングを軽く試みたくなる。取り出したのは、この前試してみてなかなかよかった、「タミヤ ウェザリングマスター」のBセット。ちょこちょこ擦り込むと、こりゃ手間のワリに効果が大きい。あまりハードにウェザリングをするほうではないのだが、軽いメイキャップには、絶好ですな。

4月21日(金)

会社が退けてから、飲み会までちょっと時間があったので、飲み会の場所に近い、モデルキングダムの新店舗を覗いてみる。オフィスとして利用されている部屋もおおいとはいえ、基本的にはマンション形式なので、部屋にノックして入るまでは、なかなかヒミツめいていてワクワクする。場所は、前よりかなり狭くなったものの、グッと明るくなって、居心地は各段に上がった。店主といろいろ話をしていると、実はアコースティックギターや民族楽器のファンだ、ということがわかり、話題は一気に音楽のほうへ。倉庫の奥からは、イランの民族楽器(何と言う楽器かは、さすがにわからない)まで登場し、思わぬ展開。次の予定がなければ、話題はどこまでいったやら(笑)。

4月20日(木)

晴海方面に用事があって、ちょっと時間があったので、銀座まで歩いて帰る。勝鬨橋を渡ると、橋のタモトの変電所の建物が、「かちどき橋の資料館」となってオープンしている。基本的には、元の変電所の内部を整理して、電動発電機や制御盤の間に、映像やジオラマの展示をしているだけの、こじんまりとした資料館だ。そこに、勝鬨橋の開閉の動きを模したジオラマがあるのだが、1/100と言うワリには、16番の都電が路上を走っている。これが、一回橋が開いて閉じると、橋を渡るアクションになっている。しかし、そこを走る模型は、どうみても5000型なのだ。確かに晴海通りといえば、5000型の限定運用があったが、これはスタッフに相当なマニアがいるのでは。

4月19日(水)

村上ファンドの阪神株の引き取り手に、阪急の声が上がったとのこと。競合関係にもあるが、補完関係にもあるワケで、文字通り「対JR包囲網」としては、有機的連携はおもしろいかも。いっそのこと京阪も吸収して、大「京阪神急行」を再現すれば、かなりのパワーになるのでは。それなら、東京でも大東急の復活もありか。実際、これから沿線人口が増えるわけではないので、間接コストの共通化による削減はけっこう意味があるかも。

4月18日(火)

天4に、プレイザーの人形がたくさん出品されていたのだが、あろうことか、そのほとんどがサーカス・テーマパーク関係と、19世紀農夫モノばかり。さすがに、これはちょっといただけない。しかし、よく探すと、普通の乗客も少しは混じっていた。それだけ探し出して購入。まあ、この出物が全部欲しいヤツだったリしたコトを考えれば、これはこれで平和かもしれないが。

4月17日(月)

ふと思い立って、昨日の夕方から、先日入手した客車の下回りの塗装を開始。このところ、ホームセンターでラッカー系の「つや消し黒」スプレーを見つけては、下回り塗装で試しているのだが、今回のヤツは食い付きも乾きの速度もなかなかいい。夕方から夜で2回、朝出勤前に1回、計3回吹いたが、皮膜の強度も充分。これはなかなかいけるかも。まあ、昔の16番の完成品のようなトーンになってしまうのは、ご愛敬というところか。さて、上廻りの欠品パーツも入手したので、今度は上廻りだな。

4月16日(日)

天気予報は「午前中雨」であったが、実態は降ったりやんだり。時々、弱い日差しもあるので、待望のフォトセッションを決行。4月といえば、ちょっと遅くなってしまったが、「どこでも花見」の登場。これで三回目。もはや、恒例化というところでしょうか。このところ工作していたC57と合わせて、いつものジオラマで撮影という次第。花の季節は撮影の季節、ということで、プレイザーの撮影者人形にも登場していただきました。

4月15日(土)

時間のない中で、千葉に農薬散布に一撃離脱。予想より雑草が繁茂していて、もはや抜くのでは手におえず、本年初の機械刈り。冬が寒ければ寒いで、違う植生が元気になっちゃうのね。そういえば、道々見える田んぼも、例年より1〜2週間ペースが早い感じ。今回は、街並みコレクションのビルシリーズとか、ストラクチャ関係のネタも多かったのだが、作りきれず。楽しみは、次回に。

4月14日(金)

結局、イジりはじめると、いろいろ細工したくなっちゃうというのも、世の常。C57も、もうちょっと色気がほしくなる。元が元なので、これで厚化粧にすると16番というか、「なんちゃって13mm」と同じになってしまうので、「ここまで」という割り切りどころがポイント。レトロフィットということもあるので、加工しやすさも考えて、帰りがけにパーツを購入。帰ってきてから、一気に加工。まあ、この辺が落としどころだろうか。

4月13日(木)

ちょっとインターネットで調べ物をしていると、珍しく、12mm関係のBlogを発見。早速、ご挨拶を書き込む。文面を読んでゆくと、FABでお会いして、話をした可能性が高いと思われる。多分この方ではないか、という、およそのイメージは浮かんでいるけど。まあ、狭い世界ですからね。この趣味は(笑)。

4月12日(水)

模型店の店頭で、トミーテックの「カーコレクション80」なるシリーズを発見。その名の通り、16番用のミニカー。新旧のハイエース、新旧のクラウンがセダンとバン。4つのボディータイプに、それぞれ3種類の塗り替えで12パターン+シークレットという構成。ためしに一つ買ってみたら、そこそこよくできてる。まあ、サイズ的にも「遠近法」で許せる範囲。旧の方ならEPIII(笑)に合うので、こんど食玩屋で漁ってみよう。

4月11日(火)

頂きモノの、ウォルサーズのカタログをじっくり読んでみる。必要にかられてチェックしたことは何度もあるが、端から端まで読むのは初めて。アメリカのHO量販品の、層の厚さに改めて感心したが、車輌なんかは、塗り替えのバリエーションを別とすれば、製品自体はけっこう日本に入っているのを発見。ストラクチャーも、確かに日本で使えそうなのは、どこかで見たことがある、という感じ。それでも、レイアウトアクセサリ関係では、ちょっと興味を惹かれる小物をいろいろ発見。あと、HOスケールのミリタリー関係が、けっこう充実しているのはビックリ。帝国陸軍の軽戦車なんてのも、製品として発見。誰が買うのだろうか。

4月10日(月)

C57の続き。作った部品を取り付け、機関士・機関助士の人形を乗せる。上廻りはしまってきたが、今度は、何とも車輪のタイヤの厚みが気になる。厚み自体は致し方ないので、ネオリューブでゴマかすコトに。多少目立たなくはなるものの、厚みそのものはどうしようもない。80年代の16番に見えていたモノが、90年代以降の16番になったというところか。妙に、天プラの動輪を思わせるところもある。でもまあ、許せる範囲にはなったかな。あと勢いで、客車のインレタを貼付。多少大きいが安いので、一部の細かいヤツは、カトーの16番用で代用。しかし、このインレタいいじゃん。Nで作りなれているせいか、転写し易く、食い付きもいいし、ちぎれたりしない。専業メーカー製より、全然いいぞ。

4月9日(日)

ガキの学校関係の用事が午後にハマっていたので、午前中はなごりの花見で過ごしたが、用事が終わったあと、妙に時間が空いてしまう。何をしようかと迷っていると、ふと天の声。思うところがあったので、かなり前に中古で入手した、どこかの模型店の特製品らしい珊瑚のC57に、レトロフィットで空気作用管などをつけることに。これ、そこそこパイピング等も追加してあるのだが、肝心のエアパイプがついていない。80年代の○天の蒸気みたいな感じで、他の機関車とは、ちょっとバランスが合わない。いつか加工しようと思っていたのだが、そのままでいたもの。さて、元からついているディティールも、ちょっと普通とは違う。いろいろ調べてみると、金沢とか富山とか、北陸方面のカマ(松任工場持ち?)がプロトタイプのようだ。ということで、それらしい作用管の引き回しを調べ、サクサク製作。全くもって70年代の技法だが、それ以上凝っても個人的には仕方ないと感じているので、これで充分。本体のほうは、他のちょっとした加工も含め、あと接着すればいいだけの状態にまで持ってゆく。この間約3時間。曲げて半田付けするだけの加工は、けっこう速いもんだ。

4月8日(土)

FABに、EF58の見本を見に行く。さすがのコダわりで、ちゃんとEF58に見えるからスゴい。取ってつけたような運転台、異様に内股の下回り。EF58って、過渡期の機関車だけあって、決してバランスのいいデザインではないのだが、そこがちゃんと表現されている。16番だと、EF58と称していても、ボディーは「クモユニ81」っての感じになっちゃってるから。台枠も、幅が正しいだけに、板厚がもっと薄くてもいいかも。旧型電気の台枠って、スゴく板厚が薄いんだよね。ダイキャストやドロップの台枠を見慣れちゃっていると、ホンモノがどうなってるのかわからなくなっちゃうよ。小一時間ほどいた間も、来店や電話で、つぎつぎと58のお客さんが。芸風とは違うけど、一応予約。

4月7日(金)

モデルワーゲン製の12mmの客車の、仕掛品というか、ほとんど未塗装完成に近い出物を、2輌発見。価格もキット並みと良心的。現状渡しで、部品の欠品もあるのだが、パーツで揃うものだし、シル・ヘッダーの仕上げも充分キレイなのでこれはお買い得。最近は、各社、客車の新製品が続々と出ているので、昨年の後半ぐらいからけっこうタマに出会う。確かに、最近の製品よりディティール面では劣るし、各社それぞれプロポーションのとらえかたもちょっとづつ違うのだが、編成単位でまとめてしまえば、そんなに気にならないのも確かだ。

4月6日(木)

仕事でちょっと特殊な接続をしなくてはならなくなったので、それができるコンピュータ用のケーブルを買いに、秋葉原まで。用事だけではつまらないので、ついでに食玩屋を覗く。午前中の秋葉原、というのもあまり行ったことがないのだが、この手のショップは、開店直後は結構豊漁なのに気付く。出たばかりの鉄道コレクションの第二シリーズとか、街並みコレクションのビルシリーズとか、けっこうタマがある。もちろん、そちらのほうも仕入れてきたのは言うまでもないが。

4月5日(水)

都営地下鉄に乗ったら、やってきたのは京急の「青電」。ロングシート化した600系の更新車、606編成。羽田空港の時の青電は、シートを貼り込んだものだったが、これは、ちゃんと塗装で仕上げてある。全車買い切りのアドトレインでの運用のようだが、本当に塗り替えちゃうとは、なかなかの根性。やるなあ。

4月4日(火)

日本へ帰る日。帰りは朝便なので、日本に着けば夕方。よって本日は鉄分ナシ。行きは、ベトナム上空で便が逼迫し、管制能力の限界から飛行機が渋滞して速度を下げ(700Km/h台)、30分以上遅延という状況だったが、帰りは快調。画面に表示されている速度も、なんと1080km/hを越している。まあ、対気ではなく、対地の速度なんで、気流の影響があるのだろうけど。ところで高度10000mぐらいの気温での音速って、1050とか60ぐらいじゃなかったっけ(笑)。かつて1960年代に、羽田-伊丹の727で、機長同士で「30分を切る競争」をしていて、マジで音速出したことがある、って話は聞いたことがあるけど(爆)。

4月3日(月)

女性陣がタイ式マッサージに行っている間を利用して、残ったタイの鉄道をガキと見に行く。まずは地下鉄。BTSとほぼ同様の規格で、車輌も大体同じだが、ドアの窓とか、ちょっと細部が違う。さすがに最近の地下鉄らしく、ホームドアになっているが、ワンマンではなく、ちゃんと車掌が乗っているようで、自動放送以外にもアナウンスをしていた。地下鉄の終点が、メータゲージのタイ国鉄のターミナル、ファラムポーン駅。十数年前にタイに来た時も、この駅を訪ねたコトがあるのだが、その時とはうってかわった賑やかさ。本屋の構内は、乗客が地面に座りこんで列車を待っており、足の踏み場もない状況。頭端型のホームも、ほぼすべてのホームに出発列車が入線しており、なかなか活況を示していた。これで一応、BTS、地下鉄、国鉄と全部見たことにはなる。写真は、ファラムポーン駅のホームの終端部。よくみると、客車にはちゃんと、幌枠を兼ねたセンターバッファがついてるじゃないの。 なんで日本の客車にはないのかねえ。それにしても、どことなく模型っぽい風景だなあ。

4月2日(日)



泊まったホテルは、バンコク市内の高架電車、BTSの中心となっているシーアム駅の近く。BTSは、標準軌第三軌条方式の、いわゆる「地下鉄規格」の電車で、シーメンス製の20m級車輌が、3輌編成で運転されている。車輌は全てラッピング広告付きで、車内の窓上も同じ広告主なので、車輌単位での買い切りのようだ。シーアム駅は、日本式に言えば「南西線」と「東北線」となる、二つの路線が接する駅。あたかも東京メトロの赤坂見附のような構造で、乗り換えの便を図っている。まあ、高架線なので、京成の青砥といった方が適切か。これが、道路の上に乗っている、というのも考えてみればスゴい。この線路の下は、前に来たときはかなり広い道だったとおもうが、そこに二重に高架線が乗っているワケだ。日本だと、日照とか問題になるが、バンコクだとかえって日陰になったほうがメリットがあるかもしれない。BTSの線路は、首都高のように道路や川の上を通しているので、コーナーはかなり急。曲がり角では、急減速、急加速を繰り返す。開通当初はあまり利用者が多くなかったそうだが、昨今の好景気を反映してか、かなりの混み方。5分ヘッド程度で運転しているが、夕方とかはラッシュであった。写真は、ホテルの部屋から見たシーアム駅と、BTSの車輌。

4月1日(土)

本日より、タイへ4日間の家族旅行。午後便なので、午前中の時間で、ちょいとワンカット。先ごろより作っていたガーダー橋と、橋脚、土手セットでの記念撮影。写真には写らないが、もちろん線路は、例の木製玩具の橋脚で支えております。さて、バンコクの公共交通事情は、この5〜6年で大きく変わり、バスとタクシーやトゥクトゥクしかなかったものが、鉄道系の交通機関も色々できているという。限られた時間の中で、どこまで巡れるものやら。





(c)2006 FUJII Yoshihiko


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