「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2007年3月-




3月31日(土)

ちょいと曇りだが、お花見大会の一日。世田谷・目黒周辺は、とにかく公園といい、並木といい、緑道といい、ありとあらゆるところに桜が生えているので、散歩しながら辿っていったら、半日ぐらいすぐ潰れる。ということで、最遠、中目黒までいってしまった。目黒川の桜と、5050系。色的には、なかなかあっているようで(笑)。ほとんど、満開の桜で隠れてしまっていますが(保護色だし(笑))、枝の間から、車番が覗いているところがミソでしょうか。デジカメでも、一眼レフだと、タイミングは取りやすいですね。

3月30日(金)

先週末ぐらいから「萌え」度が高まっていたのだが、いよいよ新計画発動。カタログ化して並べると、素組のヤツはどうにも不憫でならない。ということで、多少ディティール加工して、それなりの雰囲気にしようというもの。まずは手始めと、エッチング板から、K-7門デフを切り出す。今回は、集中加工にしないで、小一時間ぐらいでできる細工で部品を作っていき、できたところで組み付け、という作戦。まずは、手慣れたところから。

3月29日(木)

神田周辺に用務で行ったので、ちょっと足を延ばして、旧交通博物館が今どうなっているか覗いてみる。なにやら中庭で作業中。まさにちょうど、1290型善光号の搬出作業の最中ではないか。1067mmの幅にレールが溶接された鉄製の台枠に、展示コーナーのレールをつないで移動。台枠に、ワイヤで固定まで終わったところ。これから、トレーラーに載せ、今日の夜中に、大宮まで運ぶのだろう。すでに、開拓使号、弁慶号は運搬済で、残るは善光号のみという状況。0系の先頭部はまだあったが、あれはどうするのだろうか。

3月28日(水)

○天4階で、強気の値付けがされていたタマが、こなれた値付けに落ちてきていたので、納得して購入。というか、これは絶対値下げする、と踏んでいて、前の値段で売れたら、そりゃ仕方ない、とばかりに様子をみていたモノ。最近は、買う方も相場観が読めるお客さんが増えてきたようで、強気だとまず動かない。まあ、タマが出にくいものだと、素人さんが知らないで買ってしまうということもあるけど。さすがに10年も経つと、マーケットが落ち着くということでしょうか。

3月27日(火)

一応、国鉄時代も買ってくる。が、そもそもこの手の「濃い」ムックは、読むのに時間がかかる。さらにDVDに至っては、上映時間分は確実に時間がとられてしまう。はてさて、読み終わるのはいつごろだろうか。といいつつ、「SL甲組」は人吉区のところだけは読む。矢嶽越えだけではなく、川線の話もちゃんと載っているのがポイント。資料の分析なら、今、江戸時代の研究ができるように、時間が経っても可能だが、「生の声」というのは当人が生きている間しかできない。そういう面では、きわめて貴重な記録だと、あらためて実感。

3月26日(月)

昼忙しかった反動か、遅めにかえってから、何か細工がしたくなり、急遽、ワールド工芸製某車輌のDCC化をはじめる。ワールド工芸の製品の構造自体は、けっこうDCCとは相性がいいのだが、一旦組み上げたものをレトロフィットでDCC化するには、けっきょくメカ部分を一旦バラバラにしなくてはならず、けっこうハマってしまった。ついでにある程度補重して組み上げたのだが、これがめちゃくちゃなラビットスタート。しかし、走ることは問題なく走るので、本日はこれにて一件落着。ここまで、約一時間半。なんとか手数を減らせないか、と試行錯誤した分が余計にかかった感じ。最初からバラしてしまえば、もっと早かったかも。いずれにしろ動きさえすれば、あとは走行曲線のプログラミングでなんとかなるし。

3月25日(日)

天気悪し。ガキのピアノの発表会等々で、鉄分はなし。一般の書店で、「SL甲組」の肖像(1)を売っていたので、買ってくる。今月は、これをはじめとして、「国鉄時代」やら、「蒸気の時代」やら、いろいろ出ているのだが、まだ買ってないし、買っても読む時間がなさそう。時間ができた時に、速攻で買ってこよう。

3月24日(土)

モジュール内のDCCがらみの配線をどう設計しようか、いろいろ頭の中で考えていたのだが、やはりトライ&エラーで試した方が早い。それに、いろいろ発見もあって面白そうなので、いくつか考えられるバリエーションを試すのに必要な機材を買いに、FABまで。今まで、あまり真剣に線路関係のDCC製品は見ていなかったのだが、こういうのがあったら、と思うものは大体出ているようだ。まあ、ディジタル制御関係は、一般にそういう傾向が強いのだが。

3月23日(金)

東京駅を通る用事があったので、途中下車して、開店したばかりの「ホビーランドぽち・八重洲口店」を覗いてみる。場所こそ、ちょっと脇道を入ったところだが、なんと路面店。ぽちというと、雑居ビルの中というイメージが強いので、ちょっとビックリ。中に入ると、「16番中心」といってもいいような品揃え。まあ、ワリと強気の値付けのものもあるが(開店セールの10%引きを見越してか)、開店以来、そこそこは売れている様子。まあ、最初はこのために在庫を集めたのだろうが、今後タマが集まるかが勝負。○天から歩いても10分程度でつけるので、休日とかは、16番ユーザーは散歩がてらの良い回遊コースになるのでは。

3月22日(木)

DCC化につきものの、全軸集電化。最近は、16番用のパーツとして、いろいろなタイプの集電シューセットが出ているので、これを利用できて非常に助かる。リン青銅板を段付きワッシャピッタリの穴を開け、ギリギリの幅にしあげるというのは、「雑に切ってヤスリで仕上げる」以上の金属加工ができない身に取っては、精度を出すのは至難のワザ。これが、基本的に「下穴を開けて、タップをたてる」以上の手間いらずでできてしまうというのは、実にうれしいし、はかどる。難をいうなら、パーツ自体を売っている店が、けっこう限られてしまう点ぐらいか。当面必要な分は、まあ確保してあるんだけどね。

3月21日(水)

まだ、ガキの熱が下がりきっていないので、交代で付き添い。ということで、午前中は撮影などして間を持たす。前から考えていたことの習作というか、テスト的に写してみました。余り多くは語りません(笑)。本当は、バックにボタ山がいるんだよね。これを何で表現しようか、というところで悩んでいて。でも、やっぱりテンダーの短軸と長軸は違いますね。ほぼ真横でも、影のつき方が違う。予想以上に効果あり。これですよ。

3月20日(火)

ガキがカゼで寝込んでいるので、看病しつつ、DCC化を進める。オリジナルのキットの構造に応じて、だんだんと、基本的な加工法が確立してきたので、考えている時間は確実に減少し、作業時間だけでことたりる。まあ、DCCだと、基本的な調子さえ出ていれば、性能はあとからパラメータでチューンナップできるので、それも含めてシンプルでベーシックな設計のほうが、対応はしやすいということにつきますね。もちろん、DCCを意識していれば、かなり凝った作りでも問題はないのですが。

3月19日(月)

昨日から、PASMOが使用開始になったので、早速定期券をPASMOに書き込んでもらい、一枚で全部OK体制に。それにしても、自動チャージ式のPASMOが届いたのが16日と、スベりこみセーフだったが、書き換えてもらった駅の係員の話によると、なかなか届かなくて苦情がけっこう来ているらしい。まあ、運がいいほうか。PASMOの料金課金の体系は、スイカとは違い、乗車駅では入場記録だけで、下車駅で全て清算するシステムのようで、残金表示がちょっと妙な感じ。まあ、慣れの問題だが。でもまだ、それほどICカード利用者を見かけないな。まあ、まだプリペイドカードの残金が残っているヒトも多いだろうし。

3月18日(日)

家族が午後に用事があったので、午前中にて速攻で戻ってくる。午後の時間を利用して、今月の「記憶の中の鉄道風景」のネタ仕込み。タイムリーなネタとは思うが、今までの傾向からすると、かなり意表をついたものになった。中身については、公開までしばしお待ちを。

3月17日(土)

久々に、家族で千葉へ。ちょっと調べモノがたまっていたので、資料室にコモっていろいろ漁って調べるが、なんとも効率が上がらない。もともと、読んだ記憶のある記事や、具体的な情報を探すのではなく、こんな記事がないかな、というタイプの検索なので、打率が悪いのは覚悟だったのだが。てなワケで、時間切れ。とほほ。

3月16日(金)

とあるところで、私の16番ゲージ鉄道模型ライフ主宰の林さんが、昔、勤めてらした模型店に関係する質問を受けてしまったので、mailにて問い合わせてみた。すると、問題が氷解しただけではなく、それに関連するいろいろな情報まで頂けた。流石です。どうもありがとうございました。おりしも届いた、同mailマガジンの最新号のテーマも、模型店と昔の商品に関するモノ。なんか、妙にタイムリーな感じ。

3月15日(木)

飲み会の予定がないので、ちょいと工作。今年は当面、こういう時間はDCC化の推進に当てることにしたので、デコーダーの取り付け。前回、大量に在庫のあるLenzのLE-1000が「入らない」という事態を生んだ車輌なの、今度はDigitraxのDZ-123でリベンジ。なのだが、これでも入らない。厳密にいうと、入るのだが、ネジを締めると基盤に圧力がかかって、ショートしてしまう。かくなる上は、なんとか引っ掛からない位置を探して、だましだまし組み立て。窓から見えてしまうが、これは仕方ないだろう。

3月14日(水)

銀座で昼メシを喰って、会社に帰るべく交差点で信号を待っていると、向こう側の信号待ちの車列に、なにやら怪しい物体が。目を凝らすと、なんか、Bトレイン・ショーティーのようなものが、トラックの荷台に載っているではないか。信号が変わるとこっちへ来る車線。ということで、おもむろに携帯のカメラをオンにして待っていると、なんと京王6000系の廃車体。前に銀座で、東急8000系の廃車体の運搬中を見たことがあるが、その時は見ただけ。今度はバッチリ写真付き。旧新橋停車場前を行く、廃車体の勇姿(?)。このあと、海岸通り方面へ。さあ、どこに行ったのでしょうか。

3月13日(火)

某模型店で店主と雑談中、話題が昭和40年代のとある模型店の店頭のコトに。しかし、それにしても子供時代の頃のことは、よく覚えていること。もともと記憶力がいい年頃に、食い入るようにして目に焼きつけて見ただけに、その鮮烈な記憶は、40年以上たった今でも強力。なんとも、微に入り細に入り、思い出すは、思い出すは。これだから、ノスタルジーものって強いのね。

3月12日(月)

出先で、フッと足が向いたというか、ちょっと時間があったので、そういえばこの辺にあったよな、って感じでとある模型店へ。たまに出物もある店ではあるのだが、そういう期待よりは、「時間潰しにいいかな」という気分で覗いてみる。すると、けっこう珍しいタマがあるじゃないの。イロイロ編成を組む自由度の関係上、もし出物があったら、同タイプを増備したいなと思っていた車輌。格安とまではいえないが、値段もまあまあ。こういうタイミングって、なんか呼ぶものがあったとしか思えないなあ。

3月11日(日)

午前中は雨がちだけど、ときどき薄日が射すのでちょっと撮影。駅モジュールの側線復活記念という感じ(レール上面の塗装を剥がしたダケだが)で、ワンカット。画面構成の関係上、通常のNTSC画面基準の「4:3」では、ほとんどバックばっかりになってしまうので、このコーナー初のハイビジョンサイズ「16:9」でのお出まし。さすがに最近は慣れてきて、35mm準拠の3:2から4:3を切り出すのは、ほぼ一発でカンが働くようになったけど、16:9はけっこう苦労した。思ったよりずっと横幅があるのね。このぐらい幅を取れば、と思っても、測ってみるとせいぜい16:10ぐらい。いやあ、構図が変わってくるワケですね。

3月10日(土)

形式写真の追加撮影。これでひとまず、機関車・電車・気動車については、その質はさておき、一通り写真だけは確保。あらためて見ると、気がついたらけっこうあるな、というところか。溜まりに溜まって、現時点で240輌。その主力が客貨車なのだが、こいつらはどう対応しようか。各車種ごとに撮って行っても、相当な物量になるし、その反面、貨車なんかは図鑑としても面白そうだし。ま、どちらにしろ工夫は必要ですな。

3月9日(金)

ということで、必要な線路も買ってきて、おもむろにモジュール製作開始。大体の構想はあったのだが、実際の盤上で線を引いてみると、最初のプランではちょっと詰め込みすぎで、無理があるコトが判明。目的が目的だけに、ここは堅牢性・安全性重視で欲張らないほうがいい。で、余裕を持ったプランに変更。ひとまず「つなげる状態」までのステップは見えてきた感じ。

3月8日(木)

「さあ、やらなくちゃ」とばかりに、帰りがけに東急ハンズに寄り、路盤を切り出してもらう。路盤の長さ方向は、正確な長さと平行が出ていないと支障をきたすので、ここは自分では手に負えない。幅方向は最大外形で切っておき、ターンアウトに沿った部分だけ、あとで切り出すことにした。その他、必要な角材等も調達。こうやって自分で追い込まないと、なかなか前に進まないからなあ。

3月7日(水)

公約に従って、DCC化の推進。12mmの中でも民鉄系のヤツは、これを機会に、夏までに全部DCC化を図るというのが、当面の方針。しかし、この手の車輌には、けっこう妙なパワートレーンが使われているモノが多い。今回のも、そう。パズルみたいなもので、ちょっと考えたけど、やってみたらワリと簡単に対応可能だった。まあ、アナログで動いていたワケだから、けっきょくは工夫次第ということでしょうか。まあ、このプロセスがけっこう楽しい、ということも言えますが。で、ありもののデコーダを押し込んで、一件落着。

3月6日(火)

今日が、玉電開通100周年記念日。1907年3月6日に、道玄坂上-三軒茶屋間が開通したのが嚆矢。ということで、一般紙とかにも記事が載っている。まあ、地元が発祥の地というのは、なんか気分いい。三軒茶屋までというのも、二子玉川行き、下高井戸行き、どちらにも配慮されてるような感じだし。まあ、これになぞらえて、個人的にもなにか記念行事をやりましょうかね。

3月5日(月)

昨日はそれから、ガキと久々に都電荒川線に乗りに行く。前はけっこう来ていたが、この2年ぐらいはちょっとごぶさた。それにしても、気候のせいか、なんかスゴい人出。車内も、異常なほどの混み具合。ラッシュだよ。地元民と思われる乗客も、こんなに混んでいるのは、あまり見たことがない、みたいな会話をしている。なんかあったのかな。いつもこんなに乗客がいたら、大黒字になるんだろうけどね。

3月4日(日)

ということで、一番天地が短く、幅も1が多くて狭いナンバーを、仮に取り付けてみたところ。これだと、幅も通常の数字3桁の1/87より狭いので、それほど違和感はない。昭和15年以降に制式化された、形式入りナンバーの字体をそのまま使った、多少大きめのタイプの形式なしナンバープレート(関東のヒトだと、791号機がそれだったのがおなじみ)みたいな感じか。さすがに、この距離だとf11まで絞り込んでも、車体の「どこか一点」しかピントがこない。まあ、正面に持ってくるしかないけどね。ということで、実は再塗装したのも、こいつのテンダーの台枠。タミヤのウェザリングマスターの白でドライブラシすれば、このぐらいの面積なら、乗工社のあの独特の「鉄色」も違和感なく再現可能。ウェザリングマスターは、全くもって、強い味方だなあ。

3月3日(土)

昼は、昼飯ついでに三軒茶屋キャロット・タワーでやっている、「たまでん物語」を見に行く。週末ということもあり、一般人のジモティーも多数。けっこう世田谷地区は、代々住んでいる人も多く(サザエさん一家(笑))、ご当地出身で中年以上の人なら、それなりに玉電の思い出は深いと思われ、それぞれ皆さん感慨にふけっていた様子。今回は、前回より資料類の展示も充実しており、一般市民でも、マニアでもけっこう楽しめる内容。で、夜は地鉄モジュールの打ち合わせ(飲み会ともいうが)。人的つながりの関係もあり、昼は玉電、夜は地鉄というパターンで一日を過ごした方も多かった模様。

3月2日(金)

例によって、「なんちゃって」で使えるモノがないかと、昔の16番のジャンクパーツから、蒸気のナンバープレートを漁る。使えそうなセットが何組か出てきたのだが、見比べてみると、シュパーブラインに付属していたヤツは、どう見てもひとまわりデカい。一番幅があるのD51の3桁ナンバーで比べると、スケールに近いヤツが、幅9.5mm・高さ2.6mmなのに対し、幅10.5mm・高さ3.1mmもある。一割以上デカいが、すんなり収まってしまうというのは、やはり断面積方向のデフォルメに合わせたためか。確かに、図太いボイラーでも、長い煙突とデカいナンバーをつければ、それなりにバランスがとれるともいえるが。

3月1日(木)

夜、家で時間があったので、昨日入手した出物の修理。問題点は、下回りの台枠で、傷がついて塗装が剥がれているところがいくつかあるのと、駆動系からの怪音。前者は、通常ならタッチアップで対応するのだが、けっこう広範囲にわたって、細かくハゲてるし、色もつや消し黒一色なので、全体をスプレーでオーバラッカーすることに。夜の吹きつけは初めてだが、黒一色だし、面積そのものも限られているので、玄関の外灯の明りをたよりに食事前後でサクッと吹く。駆動系からの怪音は、回転そのものは引っ掛かりもなくスローがきくので、何かが軸に当たっている程度の問題だろうと判断したが、なんのことはない。ユニバーサルジョイントの位置がズレて、モーター軸に固定するビスの頭が、床板に当たっているだけであった。これなら、塗装後に再組立する時に調整すれば、問題なし。非常にスローがきく、予想以上にいい状態で整備完了。まあ、中古購入時には、こういう「整備の見立て」は大事だよね。


(c)2007 FUJII Yoshihiko


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