「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2019年2月-




2月28日(木)

このWebは更新日は毎週金曜日付けなのだが、実際にはご存じのように一日前の木曜日に更新をかけている。となると、こういう一日だけ残ってしまう月最後の日は、なんか不憫な感じ。どうしても埋草的になってしまうのは仕方ないところ。ところでこのWebのファイルには制作環境の関係かShiftJISとUnicodeのファイルが混じっているが、途中の修正等でうっかり両者が混じってしまったファイルが出来てしまった模様。ブラウザーでの表示にはそれほど問題ないのだが(記号や改行には問題がある場合がある)、エディタで開けなくなったものがいくつか発見された。対応の修正は行ったが、まだおかしなファイルが残っているかもしれないので、もしあったらご報告いただきたい。

2月27日(水)

仕事の合間を見て製作作業の続きをやっているが、ふと見るとキャブの吊金具が一つ取れている。作業を始めた時には付いていたので、工作中に取れてしまったモノと思われる。非常に小さく目立たないパーツなので探しにくいが、このためにまたワンセット買うのも癪に触る。ということで必死に探すと、ちゃんと出てきた。座卓で工作している上に下に絨毯を敷いているので、ほとんどパーツが跳ねず、かなりの確率で発見しているのだが、これはラッキー。かつて「架線注意」のプレートを飛ばしてしまい、それも裏向きになって落ちてしまったのを何とか見つけたことがあったが、それに匹敵する難度。でもこういうのが出てくると、この先は上手く行きそうな気分になるから面白い。

2月26日(火)

今日はちょっと時間が取れたので、出展作品の製作にいそしむ。今月中に再生部分についてはある程度カタチにし、3月に入ってからはディテール追加と塗装だけにしたい。ということで、再生と加工を並行して行う。余計な半田を吸取リボンで除去して組み直すのは今まであまりやっていないけれど、今回はこれが結構重要。半田ごてのコテ先とコテスタンドを新調したので、なかなか作業もここちよい。毎日ちょっとづつやれるといいな。

2月25日(月)

今年は鉄道趣味界・鉄道模型界にとっては大きな変化が連続しておこりそう。そんな中で今日は松・謙さんと新企画について打ち合わせ。その中身は、今はまだ語るべき時でない((c)山崎喜陽氏)が、上手く行けばかなり面白いことが起こりそう。なくなるだけではない。始まりもあるのだ。

2月24日(日)


本日は鉄道が趣味ではなく、仕事になる一日。朝から「日本鉄道模型の会」漬け。午前中の理事会から、午後一で年次総会。午後二は今年から行うことにした「鉄道模型芸術祭」出展者によるキックオフ・ミーティング。弊会の今のスタイルも趣味界の中で定着してきた感があるが、趣味界自体が大きく変動している時代なので、次の手を早めに出して先駆けていかないと。

2月23日(土)

あと一ヶ月になってしまったので、そろそろ芸術祭に出品する作品も本格的に動き出さないといけない。ということで、おもむろにスタート。ジャンク再生中の蒸気機関車はあと2輌。順当に先に手を付けていたヤツから完成させることに。ひとまずは必要なパーツを整理して、無いモノは渋谷のIMONまで行って買ってくる。渋谷のIMONは、電車がすぐ来ればDoor to Doorで20分かからない。どこにあるのかわからないパーツを必死に探すよりは、渋谷まで定期もあるし、サクッと行って買ってきた方が速い。これは効率的だが、ある意味危険でもある。地の利を生かさないと。

2月22日(金)

田町で仕事があったが、思ったより早く片付いたのでゆっくり回って帰ることに。今まで機会がなく通っていない、京浜東北線南行の高輪ゲートウェイ駅工事区間に乗ってみることに。なるほど工事はかなり進んでいて、新駅にはすでに山手線・京浜東北線とも線路は敷かれ、工事の中心は駅施設の方に移っている。山手線のオーバークロスも、今のガーダー橋の仮設みたいなのとは違って、ラーメン構造の立派なものが出来ていた。で、その後は大井町から大井町線経由で戻る。6022FのQシート車6322号に、初めて乗車。ロング・クロス転換シートも、すっかりおなじみになって手慣れたもの。通常7人掛けのところが6人なので、ロングシートでもちょっと余裕があって楽。肘掛もあるし。しかし、オレンジ色一色のその車体は、まるでJR西日本の103系の40N更新車のよう。あまり東急っぽい感じがしないなあ。

2月21日(木)


このところ一気に春めいて、温かく過ごしやすい日が続いている。本日はいろいろ用事があり鉄分が取れないが、写真撮影のみ。去年注文していたC5692号機用の赤ナンバーが出来上がってきて、昨年のジャンク再生シリーズがすべて完成状態になったので、記念撮影。吉松の91、宮崎の92、鹿児島の156と、南九州のC56三兄弟の揃い踏み。91号機は完成状態から壊れたジャンクからの再生だったので、それなりに実機に忠実に作ってあるが、92号機と156号機は去年の「怒涛の再生祭り」での作品で、仕掛ジャンクからの再生なので、元の使える部分はできるだけ活かしているので、厳密にいうと特定番号モデルではない。まあ「それっぽい」程度のなんちゃってモデル。まあ、一台一台の出来より「数が揃う《ことの方を重視する人なので、まあ、これはこれでお許しを。でも、まだジャンクが残ってるんだよね。これは今年なんとかしよう。

2月20日(水)

会議があり大学に出勤。ということで定点観測番外編。どちらもE235系。往きが第15編成で、帰りが第1編成。昼間運用に付いているのは、本当に235ばっかりになってきた感じ。往き帰り合わせて、231は2編成しか目撃していない。段々貴重な存在に。ところで、今月も店頭でTMSの発行を確認。果たして今月は出るのか、石橋さんは健在なのか。毎月20日近くなるとハラハラするからなあ。で、その後の仕事で銀座線に乗ると、久々にレトロ車に出会う。結構テンコ盛りな一日。

2月19日(火)

趣味誌の店頭発売日。ところで、天賞堂が風前のともし火の今、引っ越したら配本するのだろうか。逆に雑誌が店頭発売日に売られなくなってしまったら、天賞堂も断末魔だろうな。というか、エバーグリーンを除くと、天賞堂って雑誌・書籍類とパーツ(特にレイアウト関係)しか買わなかったし、今度はパーツやレイアウト関係は極端に絞るだろうから、店頭発売日がなくなったら全く行く目的がなくなっちゃうぞ。

2月18日(月)

流れで「天4」の思い出をいくつか。今メインにしている12㎜でもいろいろ想いのある模型を手に入れたが、特に思い出深いのは別の中古店であまりに無謀な価格で出ていて諦めた模型店特製品ともう一度出会い、リーズナブルな価格で入手できたことは複数回あったことと、東日本大震災での被災車輌をジャンクで安く入手し再生しまくったことだろう。ある意味流通のスケールが大きい天4でないと出てこないものだったろう。しかしそれ以上にぼくにとっての天4の思い出は、残っていた16番の車輌を大量に処分しそれを中古12㎜を購入する資金にできたことと、なぜか一時良く出てきていた「鉄のカーテンの向こう側のHO鉄道模型」をほぼ当時の全カタログをコレクションできたことだ。東独PIKOの最初の製品のDR23型のジャンクを入手し、喜々として再生したこともなつかしい。車体が石炭ベースのプラスティック製なんで、何を接着剤に使えばいいのか悩んだなあ。東の鉄道模型は、比較的よく知られている東ドイツ製のみならず、ポーランド、ハンガリー、チェコ、果てはロシアまで幅広く集められた。21世紀初頭の1年ちょっとでかなり揃ってしまったので多分同じ方から出てきたタマだとは思うが、これ別途あつめた中国型を加え、ぼくの鉄道趣味のマニアックなところを形作ってしまった感がある。HOではアメリカ型はちょっとは持っているが、西欧型は基本的に持ってないからなあ。

2月17日(日)

「天4」として親しまれたエバーグリーンショップが、本日で一足先に閉店し、約20年の歴史を閉じる。実は今週の平日に立ち寄ったがもはやめぼしいものもなく、最後に買取品の特売をやるとしてもタマがない状態だったので、本日は足を向けなかった。出戻り後の時代とエバーグリーンの営業期間はほぼシンクロしているので、いろいろ思い出は多い。やはり「中古鉄道模型市場」というものを確立させた功績は大きいだろう。ぼくは12㎜も第一の波が過ぎてからの出戻りだったので、中古でしか手に入らない製品も多く、もちろん大いにお世話になった。もっとも、これはそれ以外の中古ルートもかなり活用したので「ならでは」とは言いにくいところもあるが。しかし「中古は売れるもの」という新しい常識と、それぞれの人気とタマ数からの「相場観」を築いたことで、中古取引が活性化し、いろいろなものが世に出てくるきっかけとなったことは、エバーグリーンショップの大きな功績といえるだろう。

2月16日(土)

千葉の家を片付けていたら、六畳間一つをまるまる空けられることに気付く。おっ、ここに「常設お座敷」が敷けるではないか。押入れも空いているし床の間もあるので、そのスペースから運転するようにすればかなり大きいエンドレスが敷設可能。前にHOMPでJAMに出展した時に使ったヤツとか、12㎜のIMONトラックも、16.5㎜のユニトラックも、それぞれかなり大きい複線エンドレスを敷ける位の線路が余っている。いまある線路だと曲線半径の関係で、12㎜複線が外周、16.5㎜複線が内周になってしまうが、16.5㎜も16番を走らすわけじゃないので問題ないであろう。これはちょっと楽しみかも。

2月15日(金)

千葉の家のあるエリアが地籍調査の対象エリアになり、16日朝一の時間で土地境界の確認のための立会が指定されてきた。ということで、久々に泊りで千葉に行く。家の中を泊まれるように片付けるだけで一苦労。一日仕事になってしまった。夜はテレビアンテナが壊れていることもあって、書庫にある鉄道関係の雑誌やムックのバックナンバーを読んで楽しむ。気が付くと出戻ってからもう20年以上。書物の量も出戻り後のものの方が圧倒的に多くなっている。と思って気付くと、今年の2月ってこの日記のコーナーが始まってから15周年になるんだ。途中からだけど、記念月間にしないと。

2月14日(木)

JR北海道が、観光列車用の車輌としてキハ261系5000番台を来年導入すると発表。基本的にはキハ261系1000番台に準拠した車輌で、各座席のテーブルやイベントスペースを設置するものの、一般の波動対応にも使用できる仕様。JR北海道はいわば「謹慎中の身」で贅沢はできないはずだが、ピーク時の臨時列車用に残っている国鉄時代からの車輌はいずれにしろ更新が必要なため、その枠でお目こぼししてもらおうということだろうか。しかしJR北海道、経営努力で採算が取れる線区のみ、よりビジネスマインドを持って経営するとともに、それ以外の線区は維持するのであれば国営化するなど、再・分割民営化が必要なのでは。

2月13日(水)

今日は田園都市線に2度乗ったが、どちらも2020系。ずいぶん増えてきたという感じだが、今日乗ったのには第7編成が入っていた。第6編成までは知っていたが、第7編成が運用に付いているのは初めて見た。置換は2000系の5連(9020系化)化・大井町線投入が先に進んでいたが、8500系の若番とか、これから順次置換が始まるんだろうな。

2月12日(火)

連休明けに加えて中旬に入ったせいか、とにかく役所や金融機関の窓口が混んでいた一日。JR北海道が、JR東日本と東急電鉄と組んで北海道地区で観光列車を走らせる計画を記者発表。今年の夏にはJR東日本の「びゅうコースター風っこ」とJR北海道の「北海道の恵み」を併結した観光列車を宗谷本線で走らせる。こちらは車輌を借りてJR北海道が運行する。一方来年の夏には、東急(というか車籍は伊豆急か)の「THE ROYAL EXPRESS」を道東方面で走らせる計画。こちらは販売から車内での運営まで東急グループが一括して行うとのこと。しかし、電車に電源車をカマせて機関車で牽引というのは、なかなか思い切ったプラン。一応機関車の運転はJR北海道でやるらしいが、このスキームだとJR貨物に機関車と乗務員を出してもらえば、全くJR北海道は手間をかけずに通行料のウワマエだけをハネられるじゃいの。こっちの方がおいしいかも。

2月11日(祝・月)

山手線のE235系は、ついに第33編成が甲種回送された模様。所定の52編成中、2編成が転用改造のため工場入りしているので、仕業に付いているのは50編成。33編成が運用に着くと、33対17となりほぼ2/3が235になる勘定。これだと四月に講義が始まる頃には、かなり231は珍しくなるぞ。

2月10日(日)

本日は24日の日曜日に行われる、「日本鉄道模型の会」年次総会の資料と議決権行使書の発送作業。事務局に向かうべく副都心線に乗ろうと待っていると、やってきたのはまたもや「緑車」。「また緑車が来ないかな」と願を掛けていただけに、これはなんだかラッキー。しかし、一週間に2度は珍しいかも。とはいえ先月は会っていないから、これでちょうど今年は月一ペース。ラッピングが続いている間は、引きを楽しもうか。

2月9日(土)

空前の規模な寒波が来襲して、北海道は軒並みマイナス30℃台の最低気温記録を更新。太平洋岸を南岸低気圧が通過するタイミングと重なったため、関東は大雪の予報。だったが、低気圧はちょっとそれて、雪はチラチラ程度。とはいうものの、雪が降っていた朝方が最高気温という、超寒い一日となった。交通機関は軒並み警戒態勢に入っていたが、雪がそれほどではなかったこともあり、特にトラブルもなかった模様。まあ、電車が弱いのはあくまでも雪で、気温が低い分にはそれほど影響はないということか。北関東とか日常的にもっと気温下がっているから、車輌自体は問題ないんだろうけど。

2月8日(金)

日比谷線方面に仕事の用事があったので、東横線経由で行こうと思うと、やってきたのは「緑車」。ちょっと久しぶり感もあるが、先月は会わなかったのかな。「ヒカリエ号」は毎月出会っているので、それに比べるとちょっと頻度は下がるが、それでもほぼ毎月なのでワリと引きはいい方か。改めて見ると、非常ドアと運転台窓の間の桟はちょうどセンターにあるので、あそこも緑にラッピングした方が旧5000系っぽかったのではないかと気が付いた。そう思うと、京王井の頭線の1000系の正面って、色合いでゴマかされてるけど、構造そのものは共通しているのね。京王5000と都営5500、東急2020・6020も構造は共通だし、正面躯体の構造を共通化するのは東急車輌-総合車輌のお家芸ということなのだろう。

2月7日(木)


個人的にはメチャクチャにドタバタがあって、忙しかった一日。従って鉄分など毛頭なし。ニュースでやってたけど、みなとみらい線が15周年で記念ラッピングだと。そういや、横浜-桜木町間は冬寒いときに撮影に行ったなあ。そんな昔のことになっちゃったのか。とはいえ、当時はまだ40代か。確か、フィルムの一眼レフで撮影した記憶があるので、そのぐらい昔なんだろうな。平成も終わりになるし、もう歴史になっちゃったんだな。ということで、「記憶の中の鉄道風景」におさめたカットを再録。8000系、懐かしい。

2月6日(水)

日本最後の運炭鉄道となった、釧路の太平洋石炭販売輸送線。ついに廃止の申請をしたとのニュースが。まあ、炭鉱自体も現在も採掘しているとは言うものの、シニア社員みたいな扱いだし、道路が公費でメンテしてくれるようになれば、採算分岐点を割ったらトラックの方がコスト的には有利だし。まあ、これも時代だね。ぼくは運輸手段としての鉄道は、もはや汎用性はなく、特殊な運送ニーズがあるところしか成り立たないものと思っているから。もっとも、アトラクションとしての可能性はあるという点では、かなり言い方は違うけど鳥塚さんのご意見は支持してますよ。

2月5日(火)

外房にある土地が地籍簿作りの測量対象となり、その立ち合いのついでに久々に千葉に行く。最近は何かと忙しく、草刈とメンテナンスの時間がやっと取れるぐらいで全然行っていない。溜まった趣味誌や資料をもっていって整理すると共に、モスボール状態で保存してある学生時代に作った16番の蒸機を何輌か持って帰ってきた。この前の村山先生のところに行ったのに合わせて再生したのに味をしめて、比較的ダメージの小さいものから、また再生してあげようかという算段。このレベルの16番は、どの程度のところまで修復すればいいかが大体見えてきたので、ワリと手を付けやすくなった。とはいえ、手を付けるのは芸術祭のあと。GW明けぐらいに最初のロットがまとまる感じかな。作業のペースとしては。

2月4日(月)


本日は立春。それらしく、このところ冬型と春型の気候が交互にやってくる。本日は春型の晴天。4月並の暖かさという。それでふと「季節モノ」の写真を撮っていなかったことに気付き、突如フォトセッション。「雪のジオラマ」は、やはり冬でないと気分が出ない。とはいえ、このジオラマはあまり構図の変化を作れない。となると車輌で変化をつけるしかない。まだ撮ったことのない北海道型ということで、C57を引っ張り出してきた。このジオラマ、もともと千歳線の旧線区間がイメージの元なので、あそこは苗穂のC57が前補機運用についていたのでまあいい線か。

2月3日(日)

札幌雪祭りにJR貨物が貨物列車の雪像で出展。DF200の牽くコンテナ列車がモチーフ。車輌モチーフの雪像というのも珍しいが、鉄道会社が参加するというのも珍しい。さすがに今のJR北海道にはそういう余力はないが、貨物はまだ余裕があるってことか。北海道では、旅客会社と貨物との立場が逆転しているような感じ。そういえば室蘭本線の苫小牧-岩見沢間も、貨物線としての需要があるため廃止対象にできないということらしいし(道東・道北からの貨物を札幌ターミナル経由にすると、千歳線の線路容量がオーバーフローする)。

2月2日(土)

2月は講義がないので、定点観測ができない。なので調べてみたら、すでにE235系は1月に第31編成まで配置済みなのね。運用についているのはまだ第29編成までみたいだけど。その一方で、E231系はもう20編成しかいない。これでまた2編成が工場入りすると思われるので、もはや20を割り込んで18編成か。本当に少なくなってきた。桜の季節に、巣鴨とか吊所で桜を入れて撮ろうと思う頃には15編成か。もう1/4に近くなっちゃう勘定。いい光線の時に撮ってやろうと思っても、けっこうキツくなるかも。

2月1日(金)

今月分の「記憶の中の鉄道風景」のコンテンツは、実は先週既に作成アップロードしてしまっているので、ここでは紹介のみ。今月は先月からの始まった、1972年7月15日の午後に白老-社台間の日本最長直線区間が始まるあたりで撮影した新シリーズの第二回。次々やってくるので、何も考えない本当の「バッタ撮り」ができたのは、この時期までの室蘭本線の沼ノ端-東室蘭間と筑豊本線折尾-直方間ぐらいだなあ。そういう意味では、何も考えずに安易に蒸気牽引列車を撮る体験ができたことの方が貴重かもしれない。




(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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