「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2021年8月-




8月31日(火)

「ショーティーじゃないプラレール」のセキは、20輛でひとまず打ち止めかなと思っていたが、なんと天賞堂製の出物を適正価格で入手。出る時は出てくる。これで30輛。牽けるかどうか試してみたが、事務所に敷いてあるエンドレスだと全長の6割ぐらいの長さになるが、これでも天賞堂のダイカストD51は問題なく牽き切る。但し常に編成の半分近くがカーブにかかっているので走行抵抗はパなく、消費電流はかなりのものではあるが。さてここまでくると、次は貸しレイアウトで勾配のテストをしたくなるな。ところで本日は田園都市線2往復。2度目の帰りが8500系8622F。渋谷駅の反対方向で8637F「Bunkamura号」にも出会ったので、本日も半分を見た勘定。結果的に今月は7回乗車か。結構多いな。

8月30日(月)

どうやらほぼ一週間に渡って、日付が一日ズレたまま進んでいたようで、大変ご迷惑をおかけしました。流石に30日になったのに29日というのはおかしいのに気付くわな。どうやら24日の分を23日と誤記してしまい、それをそのまま毎日インクリメントして書いていたためこうなってしまったようだ。ということで、さかのぼって修正しました。この日記も20年以上の長きに渡って書いているけど、こういう事件ははじめて。ほんとお恥ずかしい限りで。

8月29日(日)

日本鉄道模型の会の月例理事会の日。終わった後で平井理事長が片付けをしていたら一箱出てきたという、1950年代末から1960年代初頭の「模型とラジオ」誌を見る。この時代は、ぼくも未就学児童ながらこういう「少年科学誌」には興味があったので、見覚えのある号もある。ご存じの方はご存じのように、この雑誌ははっきり言って模型と言えないような作品ばかりだし、製作記事っぽいけど記事通りできるわけがないハッタリ記事も多い。だが、そこに誰もが夢を感じていたことは確かだ。まさに、男の子にとって模型というのが夢をカタチにする手段として非常に輝いていて、その魅力にみんな麻薬のように取りつかれていた時代を思い出した。スケールだディテールだという前に、「夢をカタチにする面白さ、楽しさ」これこそが今失われてしまったものだと改めて感じる。エコーモデルの阿部さんもインタビューの時にも同じことを指摘されたが、この魅力を伝えることこそ「それ」を知っている世代の最後の役目だと思う。やるべきことは多い。

8月28日(土)

西武鉄道で、検査期限を越えた車輛を仕業につけるという極めて珍しい事案が発生。40000系で本来なら検査に入るはずの編成を運用に付けてしまったということのようだ。運用を決める担当の勘違いとかなんだろうが、ほとんど聞いたことのない椿事。そもそも検査の方がいろいろな部署が関わる分クリティカルで、相当前からいつやるか決まっていたと思うのだが。まあ、北海道だったら国鉄時代でもJRになってからでも、起こっておかしくないのかな。「道外禁止」の○ロ黄帯車が、連絡船に載せられて青森に来ちゃったって例はたくさんあるみたいだし。一体なんのための黄帯じゃと言いたくなるが、入換係は車票の方を優先するんで、積んだヤツが悪い 。実際セキ3000が本州や九州に転属することもあったし。

8月27日(金)

あまりに暑い日が続いて長時間外にいられない状態なので部屋の中で作業していたが、どうせならとプラセキの残っていた4輌を組み上げて20輌編成にする。流石にエンドレス半周近い長さ。見てくれはナニなんだが、天賞堂のダイカストD51は平坦線であればカーブにかかっていてもまだ余力を残して牽引してくれる。平坦なら30輌ぐらいまでは牽けるかな。30輌でも実物からすれば短いのだが、運転会とか貸しレイアウトの規模だと充分迫力が出そうだな。

8月26日(木)

本日は田園都市線一往復。往きが8500系8631F。帰りがけに上り線で8637Fも見たので、本日は2編成に会った勘定。8619Fが運用を離脱したという情報が流れてきたので、すでに4編成になっているうちの2編成に出会っているんだから、これはかなりの確率。でも、今月は8500系が良く来ているよなあ。6回乗っているもんなあ。

8月25日(水)

廃車回送された8636Fは解体が始まった模様で、中間車が搬出される模様がSNSに上がっていた。その一方で、2020系の48Fが長津田に甲種輸送された模様。これで次の一本が廃車になって、残るは4編成となりそう。月一で2020系が落成しているので、今年中には8500系も淘汰される勘定か。そのワリには使い切ってしまおうということか、8500系にはことさらよく出会う感じがする。はい、撮るなら今のうちよ。

8月24日(火)


2020パラリンピックの開会式。本日も14時からブルーインパルスが東京上空を飛行。今回は仕事中だったので、会社の事務所からの撮影。地形的にサミットになっている246号線沿いのビルの一番上の11階にあるので、見晴らしは圧倒的に良い。飛行計画だと国道1号沿いに五反田あたりから旋回して渋谷から山手線沿いに北上する予定だが、渋谷付近で南下しそこから西側にターンして北上するコースでやってきた。おかげで今回も旋回するところがバッチリ。かなり近い。事務所に置いてある古いAPSフォーマットのミラー付き一眼レフで撮ったので、ファインダーでばっちり追える。210㎜なので、周辺のトリミングを入れると300㎜相当ぐらいかな。曇りで直射光がないので、スモークの色に露出を合わせて撮ってみた。これでブルーインパルスの東京飛行は、去年の激励飛行いらい全部本番を撮ったことになる。ところで本日の田園都市線は、2020系2047Fに乗車。今のところの最新編成。これは初めてだっけ。

8月23日(月)

JR東日本が行っている、山手線高輪ゲートウェイ駅周辺の開発工事に伴って発見された、明治5年の新橋-横浜間鉄道開通時の海上築堤跡であるいわゆる「高輪築堤跡」が、鉄道開業にまつわる国の史跡として指定され、新橋停車場跡と一体の近代遺跡として保護されることになった。対象となるのは全800m程の中のハイライトとも言える橋台が残っている部分約200m。観光資源としても充分価値があるが、史跡化されることで国や地方自治体などの資金も投入されることになるので、JR東日本的にも多少土地の利用や開発時期に関して修正は必要なものの、差し引きメリットがあるという判断になったのであろう。

8月22日(日)

中央西線は木曽平沢-贄川間と倉本-上松間で土砂崩れが発生し、不通となっている。となると気になるのが、中央西線の名物の一つ長野方面向けの石油輸送列車。すでに仕立てていた分については、東海道線を経由し東京廻りでの迂回運転を行って対応。普段タンク車が走らないエリアでも石油輸送列車が見られるという珍しい光景となった。それ以降の需要分については、臨時的に関東地区から出荷し、中央東線で長野地区向けの臨時列車を運転して対応することになる模様。

8月21日(土)

JR貨物は秋冬期の輸送力増強施策として、恒例の北海道から本州に向けた農産品専用列車による輸送計画を発表。おなじみの馬鈴薯輸送は、今年も9月12日から10月2日まで専用列車を運転。北海道の帯広貨物駅発、埼玉県の熊谷貨物ターミナル駅着の一日一列車で、コンテナ100個、総計で2,000個1万トンを輸送する計画。北海道外に出荷される農作物については、過去の実績では馬鈴薯の37%、玉葱の64%がJR貨物による輸送となっている。

8月20日(金)


なんかダラダラしているうちに8月も下旬。コロナ騒動の一番ヤバい影響が、この「世の中がダラダラしている」ことじゃないかな。労働意欲とかモラールとか、限りなく低下していると思うし、このまま戻らない人もかなりいるんじゃないの。コロナの後遺症がどうのこうのという人がいるが、こっちの方が余程深刻だぞ。ということで、続けて南の石炭列車。厳密にいうと複線区間を通る若松埠頭行きの列車は若松区か直方区の9600形式なので、デフなしなんだけどね。まあ、これも16番なら許される範囲だわな。本日は田園都市線半往復。往きだけ乗車。で、来たのが8637F「Bunkamura号」。備忘録として。

8月19日(木)


昨日も朝は晴れていたが、昼はゲリラ豪雨で大荒れ。本日はやっと夏らしい一日が戻ってきた。「見立て線路」は部屋の中に敷いてあるので直射光は入らないものの、窓から日射が入ってこないと暗くて写真が撮れない。ということで、このところ格闘していたセキの写真を撮ってみる。とはいえ線路は床の上なので撮れる構図が限られてしまうのがつらいところ。そこを逆手にとって、「あそこ」で室蘭本線の上り線を千歳線の上り線の築堤の上から見下ろしたような構図にしてみた。まさに見立ての極致だが、これでもまあそんな気もしてくるというのが16番の原点でありいいところだろう。「あそこ」風のジオラマは12mmで作ったし、それで撮った写真も発表しているけど、このノリの違いが、ぼくの考える16番とHOの違う面白さなんだよね。これなら両立するし。

8月18日(水)

東武200系といえば、1800系塗装の「ウソ電」が話題だが、このほど208Fが廃車回送された模様。208Fは、DRCのファーストナンバー1721Fの更新というか発生品流用というか(単に車籍名義だけの違いだが)、電装品は1960年製、台車は途中で交換されているものの1967年製と、いずれにしろ半世紀以上前の年代品。足回りを使い続ける東武らしい伝統といえるだろう。確かに足回り流用車では、大時代的な轟音と乗り心地が楽しめたのも事実だが。

8月17日(火)

九州でも最近では風物詩となった「一か月分の雨量が一日で降る」地点が続出し、水害が大変そうな状況。それはさておき九州といえばセラも集まってきたので、「ショーティーじゃないプラレール」は南の石炭列車も整備開始。入手したヤツは部品とか脱落は多いのだが、全部欠品なく揃っているので再生は比較的簡単。インレタの貼り直しとタッチアップ以外はあっさりできてしまった。ジャンクで入手は、実車が15輛、空車が5輛の20輛。それとは別にプラセラ(ブルセラみたい)はキットを10輛持っているので、こちらを空車で仕上げれば模型としては程よい長さで2編成作れる。学生の頃、筑豊地区のキューロクは16番でかなりの輛数作ったので、あれを久々に出して修理するかな。でも、それもアカン世界の入り口になるような気も。

8月16日(月)

西日本の豪雨の影響で、JR西日本・山陽本線での道床流出、JR東海・中央本線での土砂流入など、幹線系でもかなり被害が発生している模様。JR九州の久大線でも何か起こってしまったようだし。詳しい情報がよくわからないので何とも言えないが、アルピコ交通の橋脚の破損などローカル私鉄も含めてかなりの被害が出ている様子。おまけにまだ雨が降り続いている状況なので、事態はまだ現在進行形でもある。ところで、本日は渋谷-学芸大学という短区間のみ東横線に乗車したが、見事「緑車」に遭遇。今月も引いたぞ。先月出会い過ぎたから今月はどうなることやらと思ったが、やっぱり来た。備忘録として。

8月15日(日)

停滞する前線による西日本の豪雨は、またぞろ鉄道にも大きな被害を与えている模様。危険防止のため運行を停止している状態なので、実際に土砂崩れや橋の流失などがどこまで起こっているのかはよくわからないが、幹線も含め相当な被害が発生しているものと思われる。これでまた廃線になってしまう路線が出てくるのだろうか。異常気象もそうだが、そもそも鉄橋にしろ隧道にしろ法面にしろ、かなりマメにメンテナンスしないと簡単に自然が先祖返りしてしまうものなので、昔に比べてメンテナンスの手間もコストもかけられなくなっている状況も影響しているのだろう。

8月14日(土)

「ショーティーでないプラレール」の今のテーマは、北と南の石炭列車。それぞれ材料はずいぶん集まってきた。北の方から手をつけているが、セキは天賞堂製のはなぜかオークションではプレミアムが付いている状態なので、比較的入手しやすく価格的にもこなれているエンドウ製を中心に集めている。しかし、これは結構仕上げに手間がかかる。手摺類が切り出しにくい材質の上に、緩めにできているので、全部接着しなくてはならない。2輛セットをひとまず完成状態にするのには、ぼくでも一時間は軽く掛ってしまう。手間の塊なので、数輛まとめて作業しても比例して時間がかかってしまうからたまらない。こういうのはかえって少しづつやった方がいい。ところでこれは単機で牽くものだし、そうなると平坦線でも30輛はキツそう。いずれにしろフル編成は無理。現状16輌まで作ったが、これでももはや家では限界。あと4輌あるものの20輌になるとエンドレス半周近くなってしまうので、貸しレイアウトでしか走らせられないな。しかし、勾配があると20輛ぐらいでも空転するんじゃないかな。この辺がセキの悩ましいところだな。

8月13日(金)

13日の金曜日(笑)。本日は田園都市線2往復乗車したが、その2回目の往復は、何と往きも帰りも8500系がやってきた。往きが8630Fで、帰りが8619F。この期に及んでこの贅沢という感じもするが、本当に目一杯使っているのだろう。往き帰り乗車なんてのはこれが最後かな。そういえば沿線に撮影者の姿も目立ってくるようになった。夏休みでお盆休みということもあるんだろうが、「葬」も段々動き出しているな。

8月12日(木)

昨日、田園都市線の8500系8636Fが廃車回送されたとのこと。残るは、8619F、8622F、8630F、8631F、8637Fの5編成。いよいよ少なくなってきたぞ。メトロの8000系も淘汰が始まったし。2020系ももう第28編成まで上がってきてるし。あとは毎月1編成づつ淘汰される感じかな。秋の気配を感じたら「葬式鉄」が出てきそうなんで、若い人が撮るんなら8月が勝負だぞ。

8月11日(水)

「ショーティーでないプラレール」の方だが、このところ探して集めていたものがオークションにドッと出品されたので、ひとまず入札したら大量に落札。ひとまず編成っぽくなるかな。こりゃま、うれしいやら大変やら。まあ慶事は慶事なんだが、出費がかさむわな。まあ、整備にも時間がかかるので、これはまた後ほどのお楽しみということで。カタチになったら報告しますわ。

8月10日(火)

本日は台風一過の晴天で、軒並み猛暑日。都内でも体温以上まで上昇し路上は40℃コース。これじゃ、体表の体温測ったら軒並み37.5℃を越しちゃうよ。さて、先週末から東京メトロ18000系が営業運転を始めた模様。田園都市線は毎日利用しているが、まだ見ていない。これにあわせて8000系の第7編成が廃車になり、館林に回送されたという情報が入ってきた。こっちもこれから段々減って行くのだろうな。

8月9日(休・月)

本日は都心ですれ違った常磐線快速の付属編成に、スカ色帯のマト139編成が入っていた。本当に見ただけだが、これで二度目。成田線での運用が中心なのかと思ったら、そうではなくて一般の付属編成として運用されているのね。まあそのほうがより多くの人の目に触れるチャンスがあるのも確かだが。ところで往きの田園都市線は8500系8630F。30Fは意外と出会わないな。こういうのって相性があるから、絶対確率論通りにはならないのだが。減っているワリにはまだそこそこ出会うと。積極的に検査残を使いきろうという感じだな。

8月8日(日)


ちょっと用事があって浅草に行く。東武浅草のホームに上がると、なんと「特急きりふり」で350形が入線している。東武鉄道の事情にはあまり詳しくないが、まだ350形は2編成残っていて土日のみ運用についているようだ。だったら、200形にリバイバル塗装より、350形に1800系のリバイバル塗装した方がよかったんでは。団体ツアー扱いの貸し切り列車をいっぱい走らせれば、けっこう稼げたかも。

8月7日(土)

かねてから予告されていた、東武鉄道りょうもう号用200形の1800系塗装が公開された。とはいえ、赤地に白線というかつての1800系の塗装は特に変わったものではなく、同系の配色は京浜急行や名鉄にもあったので、それほど違和感はない。というより、なんか普通にハマっている感じ。台鉄塗装のときもそうだったが、200形自体がそれほど特別な形態ではないので、何を塗ってもすんなり行くのだろう。座席のモケットまで張り替えたということだが、さてどのくらい話題になることやら。偶然来たら運がいいという感じかな。

8月6日(金)

本日はちょっと所用があり取手方面に行く。常磐線は乗るまでが遠いんだが、乗ってしまえば茨城も近いという不思議な線区。行く途中に我孫子駅では、成田線120周年記念のスカ色帯のマト139編成をはじめて見た。といってもこっちは特別快速に乗って通過だったので撮影はできず。帰りにはなんと天王台-我孫子間の緩行線で、保線の軌道バイクの走行中を目撃。あれって今でも線路閉鎖しないで走らせられるのかよ。これも突如現れたので撮影できなかったのが残念。ところで、往きの田園都市線は8500系8631F。もう、8500系がくると嬉しくなる感じだな。備忘録として。

8月5日(木)

16番でもHOスケールでも、プラ量販品を扱う時に一番困るのが、手摺等の軟質プラ製のパーツ。これは余りに弾力性が高いので、うっかり落とした瞬間に当たりどころが悪いと、かなり遠くまで飛んで行ってしまう。16番関係は事務所の方の机に限られた工作スペースを作ってやっているので、ワリと発見できることが多いのだがそれでも行方不明になったものはある。ちょいと別の用事があって床の掃除をしなくてはならなくなったのだが、慎重にやっていたら出てくる出てくる。飛ばしたと思っていた手摺やステップがほとんど見つかった。それ以外にも記憶にないようなパーツまで。これらはマスキングテープに張り付けた後、段ボールの台紙に張り付けるというやり方で保存。まあ消えることはないのだが、けっこう出てくるものだなあ。

8月4日(水)


見立ての北海道仕様ヨ3500。ホントにちょっと色を入れたりしただけなのだが、その気になって見ればそう見えてくるから不思議。これぞ見立ての醍醐味。とはいえ窓枠が側板と一体なので、マスキングしたりとかそこそこ手は掛かってしまったが。これはこれで遊び方だと思う。ところで蒸機機関車現役時代の北海道の貨物列車って、幹線ではけっこう拠点間直通のヤツが多く、車扱いで駅毎に入換をしていく列車よりずっと多かった。そういう編成は緩急車が最後尾にしか連結しておらず、機関車の次位にはヨやワフがついていない。なんで室蘭の製油所から各地の油槽基地を結ぶタキは専用列車だとダウトなのだが、函館本線の電化区間だと、札幌貨物ターミナルから岩見沢とか美唄とかに向けて車扱貨物に一輛だけ連結されているのもあったので、そう思えば間違いということもない。まあその辺も見立てということで。16番は「そう思ってしまえばなんでもあり」なのが楽しくて、気持ちよく走ればすべてが解決する世界。スケールモデルとの棲み分け方もわかったし(どっちも楽しいし、どうすればそれぞれがより楽しくなるかもわかった)、こっちは懐かしい1960年代の16番の楽しみ方を知っているわけだし。

8月3日(火)

今月分の「記憶の中の鉄道風景」のコンテンツの作成。今回も前回の予告通り、1972年夏の最初の北海道撮影旅行からのカラーポジのカット。先月から始めた「「あそこ」での一日 -1972年7月14日-」シリーズで取り上げた、あそこの立体交差で撮影したもののカラーポジ版の続き。ほとんど同じカットで撮っているものもあるし、タイミングを変えたもの、焦点距離を変えて構図を違えたもの、それなりに工夫して撮っていることはわかる。また、あの時代を体験した人は、必死に同じ旅費の中でワンカットでも多く撮ろうとしていた記憶を思い出して笑ってくださいな。

8月2日(月)

ショーティーじゃないプラレールのフレートライナーも、何とか言ってコキが青函連絡船の定数一杯のフル編成揃ったし、しんがり役を作ってやろうということで、何輌かあるプラのヨ5000を、メイクアップだけで北海道ならではのヨ3500風にする。アルミサッシ風に色を挿して、旧タイプの札鉄局の大型表示を貼り付ければ、けっこうそれらしい感じは出てくる。どうせ一度バラすのでついでに照明もつけた。これも昔買った古い米粒球タイプのがあったのを使いまわしたのだが、基本的に客車と同じユニットなんでなんとも明るい。厳密には突っ込みどころ満載なのだが、見立てですよ、見立て。見立てがなくなったら、そもそも16番なんて居場所がなくなっちゃうんだから。これでも走れば充分楽しいんだから、それでいいんだよな。

8月1日(日)


この数ヶ月暑くなり出してからは、休日に強い陽射しの下でマスクをしてのリアルの散歩は体に堪えるので、もっぱら生まれてこの方乗ったことのない路線に乗るという「電車散歩」を楽しんでいる。この前は伊豆箱根鉄道大雄山線に挑んだが、本日はJR相模線の橋本-海老名間。海老名以南は何度か利用したことがあるが、以北は全く乗ったことがない。そもそもこのエリアに用事があったらクルマでいってしまうので、利用する目的がない。205系500番台もE131系に置き換えが始まるというし、一つ乗ってみるかという感じでついでに全線乗車。どんなところを走っているのかと思ったが、ほとんど家並みが途切れないのね。もちろん多少ひなびた所もあるが、小田急線の沿線の方が、もっと田畑や山は多い。それなりに沿線人口はあるので、日中20分ヘッドでもそこそこ乗客はいる。そういう意味では不思議な路線だな。



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