「夢」を大人買い
-今月のホビー日記・2025年9月-
9月17日(水)
本日未明から早朝にかけて、尾久車両センター所属のEF8195号機、EF81139号機とカヤ27形が秋田車両センターまで廃車回送された。EF8195号機が牽引する自力回送で、沿線にはかなりの撮り鉄が出動した模様。これで尾久車両センターには機関車の配置がなくなったことになる。
9月16日(火)
JR東日本は山手線環状運転100周年記念イベント「つながる山手線フェス ~環状運転 100周年~」を11月1日より開催する。その一環として、E235系に山手線用の103系と205系をイメージしたラッピングを行った記念列車を運行する。103系イメージの列車は正面部分を緑一色とする一方、205系イメージの列車は緑色の帯を側面に入れる。運行期間は10月4日(土)から11月3日(祝・月)まで。この他、イベントとしては観光列車「東京まるっと山手線」を11月1日に運行予定。オリジナルグッズの販売なども行われるとのこと。
9月15日(祝・月)
本日JR西日本山口線の仁保-篠目間を走行中の『SLやまぐち号」で、牽引機D51200号機の第3動輪右側が高温発熱し、エアタンク、給水ポンプ等の塗装が焼ける事故が発生。このためSLやまぐち号は運転を打ち切り、DD51が救援に駆けつけて新山口へ回送した。この事故で山口線は運転をとりやめ。SLやまぐち号も原因が究明され修復が終わるまで運休となる模様。しかし、D51が東でも西でもよく壊れる年だな。異常気象とかも関係しているのかな。
9月14日(日)
東急電鉄が進める車輌リニューアルの第一弾として、目黒線系統で使用される3000系リニューアル車の営業運転を10月2日より開始すると発表。20系シリーズのように、幕板と正面にのみラインカラーをアレンジした色のラッピングが入り、側面は基本的にステンレス磨き出しとなる。またインテリアも20系に準拠した現代的なものに改める。3000系の更新は2027年度までに全車を対象に実施する。また、5000系・5050系に対しても同様のリニューアルを順次実施する予定。
9月13日(土)
JR東日本からJR九州に移籍するE501系が、甲種輸送で9日に郡山を出発し、3日かけて12日に西小倉に到着した。いろいろ言われていた移籍だが、ついに本命が登場。輸送に先立ち、工場で帯や表記を取り去った上で4輌編成化。これを2編成合わせた8輌が輸送された。さて、どんな姿になってJR九州(西日本にも乗り入れるわけだが)の線路上に現れるか。415系譲りの青帯になるのだろうか。
9月12日(金)
JR西日本は、10月1日より山陽新幹線で8輌編成化したN700系の営業運転を開始すると発表。老朽化した500系と700系をN700系で置き換える計画はすでに発表されていたが、具体的な営業開始時期を明確にしたのは初めて。目玉は主に指定席として使われる4~6号車を、グリーン格下げ車とし2+2列の座席配置のまま使用するもの。一部のグリーン車用設備は撤去するものの、室内はグリーン車時代同様のアコモデーションを売り物にするという。今後順次改造を行い、置き換えを進める。
9月11日(木)
JR東日本高崎支社は「SLぐんま」各列車を、11月まで運休すると発表。ブレーキ事故修理後の試運転中に脱線したD51498号機は、その原因が判明しないことから原因究明と対策実施が終了するには相当な時間を要することが予想され、今シーズン11月までに設定されていた「SLぐんま」の運休を決定した。まあ、これは仕方ないところであろう。というかSLはよく故障したり脱線したりするんだよね。現役当時はそういうのに対して大らかだったから問題がなかっただけで。予備機の持ち方とか半端なかったからなあ。「ニセコ」の前補機がD51になっちゃうのも、C62の予備が一輌なのでそれがアウトだとサブサブはD51を持ってくるって運用だったからだし。
9月10日(水)
国土交通省は鉄道分野の脱炭素化に関する有識者検討会で、非電化区間で2031年度以降に新規導入する車輌は原則として内燃機関ではなく蓄電池や水素燃料を動力とする方針を発表した。これにより鉄道事業全体のCO2排出量を、30年代に13年度比で46%減らすことを目指す。また導入を後押しする支援制度の創設も検討するという。クルマの分野では電動化の見直しが進んでいるのに、なんか変なタイミングだな。まあ、役所らしいとも言えるのだが。
9月9日(火)
すっかりおなじみになったAdobeのAIによる生成拡張を使ったジオラマ写真シリーズ。今回も旧線時代のトレイン・ドリームでのカットがベース。新線に移行してしまったので、今ではこっちはすっかり記憶の中だけのものとなっている。天プラC62重連の牽く上りニセコ1号。まあ、山線には複線区間はないんだけど。写真は「イツロウサクラ」が最初に登場した時のもの。これも今となっては記念だね。満開の花盛りを拡張するのがAdobeのAI君の得意技というのは、実際の商業制作でも利用したことがあるので充分理解しているが、ここは逆に「模型らしさを保ったまま拡張できるか」というところがみどころ。前は模型に自然物から生成したのテクスチャーを貼り込んで、妙にリアルにしちゃったのがあったけど。ますは空と草地の隙間を生成して埋める。この辺は手慣れたもの。その上で左右と上方を生成拡張。これはなかなか模型らしさを残した、いかにも16番レイアウトという感じに仕上がった。この分野は競争が激しいから、日夜改良しているなあ。使えるよ。
9月8日(月)
JR北海道が新たな特急電車の調達に向け、車両メーカー等に対する資料提供招請を公示した。これにより現行の785系と789系0番台・1000番台を置き換える計画が動き出す。785系はJR発足直後の車輌なので35年を経過しているが、789系0番台は00年代、789系1000番台は10年代とまだ20年前後の車歴。いかに北海道の環境が厳しいとはいえ、更新で賄える範囲ともいえる。大赤字に苦しむJR北海道としてはかなりの出費になるが、ある意味インバウンドなどを当て込み、新サービスも加えて稼げるところで稼ぐための投資ということだろうか。
9月7日(日)
脱線したD51498号機自身が、本日未明留置されていた水上から群馬車両センターに回送された。今回も牽引機はDE10だが今度は1603号機。尾久にいたヤツだが、高崎に戻った途端に大役。こっちは標準色。2輌いるなら、GVよりもDE10の方が客呼べるんじゃないの。意味ないけど重連補機にしてもいいし。機関車なんで、この前のミスみたいのも発生しにくいし。
9月6日(土)
脱線したD51試運転時に牽引されていた12系客車が、留置されていた水上から群馬車両センターに回送されたが、この時の牽引機はGVではなく、茶ガマDE101705号機が登場。構内入換等ではお馴染みだが、本線で客車を牽引するというのは珍しい。それも試運転のスジを使って白昼堂々走行。しかし、まだシャ席の残った機関車あったんじゃないの。これ出してきて、旧型客車でも牽かせれば、充分商売になるのでは。さてはJR東、反応を見ているな。
9月5日(金)
脱線したD51に関しては、車輌側の問題は特に発見されず問題なしとなった模様。結果的に原因不明ということになった模様。意外と運転再開は早いかも。営業要請かな。上越線の運休は5日も続き、本日の13時50分より沼田-水上駅間の運転を再開した。4・5両日で上下計39本が運休し、影響人員は計約4500人とのこと。
9月4日(木)
本日午前11時45分頃、上越線後閑-上牧駅間の下り線で試運転中のD51498号機の牽引する12系5輌編成のうち、機関車が脱線する事故が発生。脱線したのはテンダーの1軸目。7月のフラット発生事故後修理が完成しての試運転中の出来事とあって、なんともついてない話。この事故で沼田-水上駅間は運転見合わせとなった。これでまた運転復活はお預けかな。
9月3日(水)
「カシオペア」に使われていたE26系はすでに廃車解体が始まったものもあるが、その一方で1号車の「カシオペアスイート」を備えるスロネフE26形の保存が決まった。保存されるのはJR東日本も関わって開発中の、大宮駅西口に新設される「桜木PPJ(仮称)」。ちょうど大宮車両センターの向い側あたりになる。その中で鉄道の街大宮の象徴的なスペースとして展示されるという。まあどこかには残されるとは思っていたが、妥当な線だろうか。
9月2日(火)
今月分の「記憶の中の鉄道風景」のコンテンツの作成。今月もまたまた続くPhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインを利用した「蒸気機関車時代の昭和の鉄道写真をカラー化してみた」シリーズ。今回は前回の続きで、1972年7月の北海道撮影旅行の7月17日に行った苗穂機関区で撮影したカットのカラー化。意外と鉄道施設の情景にも強いのがわかったので、今回はかなり難易度の高いカットも含めて挑戦させてみた。果たして出来栄えは如何に。
9月1日(月)
ブックオフで写真版光文社新書のヒギンズ本「60年前の東京・日本」を発見。ヒギンズ本ではあるものの、鉄道写真というよりは昭和30年代の街角や風景を中心にまとめた写真集。もちろん列車やトラムが写っているカットも多いが、当時の生活感あふれるカットがカラーで見れるというのは、ジオラマ派としては極めて強い味方だ。で、一番感激したのは昭和30年代に神奈川県でのみ見られた黄・黒のゼブラ模様の交通信号機背面板のカラー写真があったこと。親戚の家が横浜にあったので、信号機の色が違うことを子供心に強烈に覚えていた。とはいうもののよもやカラー写真があるとは思わなかったので、これはまさに我が意を得たり。神奈川県は米軍関係の施設が多かったので、進駐軍の頃にアメリカ式に黄・黒にしたのではないかと思うが、覚えている人ももう還暦以上と思うので、これはまさに貴重な記録だ。
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