デジタルマーケティング必勝法


第二章 ヒットのヒミツ




・デジタルでなくてもできるモノこそ儲かる
・姑息はデジタルの枕詞
・規制を恐れるな
・「デジタル」というフィールドはない
・金になるモノが本質
・思い入れは死を招く
・ミーハーで行こう
・夢を売るのは詐欺じゃない
・「ヤスい、ハヤい、ウマい」吉野家効果がデジタルの本質
・他人の褌で相撲を取ろう
・大きく稼ぐよりニッチできっちり稼ぐ
・まず自分が文化を持つことが勝ちにつながる



・デジタルでなくてもできるモノこそ儲かる


この本のなかでは折に触れ、何度も述べてきたことだが、「デジタル技術はあくまでも手段だ」ということを常に頭に置くことが、デジタルビジネスで成功するカギになる。デジタルに限らず、技術は常に解決のための手段だ。消費者の生活でも、企業活動の上でも、面倒だったり、難儀だったり、手間がかかったり、困っていることはたくさんある。これらにソリューションを与えることが、ビジネスチャンスだ。したがって、この「問題解決」が目的になる。技術はその「問題解決」をもたらすための手段の一つだ。
そういう「問題解決」のための解決策は、なにもに一つでないことが多い。金をかければ済む問題、人を増やせば済む問題もけっこう多い。それを、コストをかけずにやる、時間をかけずにやるという制約下で成し遂げなければならないとき、はじめて技術が必要になってくる。
元来技術とはそういう黒子的役割を果たすものだ。ユーザはシステムそのもの機能が、安く、速く、確実に使えればいい。そこにどういう技術が使われているかということには関心がない。たとえば国際電話を考えてみよう。海を越えて海外と結ぶ回線を考えてみよう。物理的な回線の区別では、衛星回線、海底光ケーブル、海底同軸ケーブルがある。それを使った伝送方法には、アナログとデジタルがある。デジタル回線でも多重化の方法には何種類もの技術がある。回線交換技術や基幹回線間の接続方法なども考えてゆくと、技術的にはおびただしい可能性がある。通信回線の技術者からすれば、これはそれぞれ大きく違って、それぞれの意味やメリットがある。だが、ユーザからすればそんなことはどうでもいい。安く、速く、確実につながる方が、余程大事だ。特に今では価格が一番の関心だろう。結果的に安い回線を実現するためには、何らかの技術的なバックグラウンドが必要ではあるが、技術との接点は、せいぜいそのレベルに過ぎない。
携帯電話のデジタル化も同じようなものだ。デジタル回線の携帯電話は、爆発的にユーザを伸ばした。それは、マーケティング的に分析すれば、「安くなった。電池のもちが良くなった。軽くなった」からにすぎない。その反面音質は落ちてたりするが、そんなことはユーザは気にしていない。このメリットをよく考えてみると、どれもデジタル技術そのもののメリットではない。アナログしかなかった時代でも、「安くて、電池のもちが良くて、軽い」機種や事業者は競争力を持っていた。それを一層スケールメリットを活かしながら実現する手段としてデジタル技術が利用されただけだ。
このように、デジタルをビジネスの成功に結びつけるためには、「デジタル技術を利用して、アナログな人間の生活に密着したメリットを出そうとしたもの」を創り出す必要がある。デジタルでなくてはできないなどというものに、人間のニーズはない。そんなものには、ヒマで好き者なマニアぐらいしか飛びつかない。マスレベルでは誰も金は出さず、市場のニーズもない。デジタルでなくてもできるものをデジタルで実現するからこそ、技術が差別化を生む。どっちが目的で、どっちが手段か。ここでははっきりしている。



・姑息はデジタルの枕詞


デジタルといえば、スピード感。だからデジタル技術など、後生大事にうやうやしく拝んで御利益のあるモノではない。デジタル技術の金になる活かし方は、「このどこがデジタルなの」というような、姑息な技術の使いかたこそにある。
たとえばCD-ROMの普及プロセスを見てみよう。CD-ROMの出始めの頃は、みんながその大容量を付加価値だと勘違いし、それだけ使うメリットのあるモノは何か必死に考えた。だがその間は、CD-ROMは普及しなかった。何も640M使いきる必要はない。2Mしか入ってなくても、安かったり、手軽だったりメリットがあればいい。こう気がつくと、CD-ROMの普及は速い。今やアプリケーションソフトはほとんどCD-ROMで販売されるようになった。だが、そこで使っている容量は平均数メガ、多いモノでも数十メガだ。これも、いわば目のつけ所の問題といえる。
また、ハイテクとアダルトの蜜月ぶりも、その例の一つだろう。アダルトものを買う人は、鼻血がでるようなスゴい絵柄なんて、どうせ手に入らないことはじゅうじゅう承知だ。だけど、それを見るまでのワクワクした高揚感が欲しいから、また買ってしまう。どうせスカだとわかっていても、スカがでるまでのワクワクした「めくり感覚」がアダルトものには大事だのだ。昔あったビニ本のパッケージなんかは、この最たる例だろう。これがなぜか、デジタルと相性がいい。アダルトCD-ROMやアダルトホームページの魅力もまさにここにある。見るまでに時間と手間がかかるからこそ、スカでもワクワクするのだ。
今度はもう少し実用的な例。CDだって、デジタルオーディオだから付加価値があるっていうんで、こんなに普及して、レコードを駆逐したんじゃない。小さくて持ち運びやすく、そのままラジカセやヘッドホンステレオ、カーオーディオといったいろんなTPOで使えるからヒットした。クルマで走っていて、FMから気に入った音楽が流れてきたら、即ロードサイドのCDショップでCDを買って、それをカーオーディオで聞くなんて、こんな楽しみはCDでなくちゃできない。そして、その楽しみ方が今のミュージックシーンにフィットしてたから、普及した。メディアは常に、テクノロジの後ろだてを必要としており、デジタル技術も基本的にこの「メディアの後ろだて」という位置付けにある。しかしコミュニケーションそのものにとっては、そもそもメディアは本質ではなく道具だ。ディジタル技術も、あくまでもコミュニケーションの道具として重要なのであり、その影響は間接的だ。CDの時代になっても、あいかわらずアナログ盤の時代と同様、ビートルズやレッドツェッペリン、イーグルスが売れていることは、その一つの例だ。
本物は、アナログもデジタルも関係ない。いい作品がメディアを問わないのと同じだ。その一方で、チョコっと気が利いてたり、クスッと笑えたり、シメたと得した気になったり、といった部分。こういうところこそデジタルの独壇場。デジタルを活用してヒットするのは、こういう商品だ。逆に折角デジタル技術を使った商品なら、こういう遊び感覚を入れよう。オモチャ感覚、ガジェット感覚のないデジタル機器なんて、飲んでもすっきりしない、口当たりの悪いビールみたいなものと考えた方がいい。



・規制を恐れるな


デジタル技術は、本質的に規制と相容れない。規制など考えずに、純粋にビジネスの可能性を追及すれば、いつかチャンスは来る。まして規制に頼るビジネスなんてもっての他だ。
これこそデジタルの強みを活かし、成功に導くカギだ。世界的にブームとなっている規制緩和と自由競争は、デジタルの強い味方になる。新しい市場を生み出すニュービジネスはもちろん、すでにでき上がっている既成市場でもチャンスは生まれる。今までの規制に守られて、既得権益に安住し、アマい汁を吸っている業界なら、デジタルを武器に、全く同じ商売をフェアな価格で提供するだけでも、圧倒的な勝機がある。まさにビジネスチャンスにあふれている。現状では規制があっても、デジタル技術を使えば風穴があく領域はどこか。現状肯定的な考えかたでなく、ハッカー的精神で抜け穴を探そう。こういう視点を持てば、まさにそこら中に金がころがっている状態だ。
1985年といえば、通信の自由化、民営化は始まったけど、まだ許認可事項は多かった時代だ。パソコン通信も、この頃創世記を迎えている。その当時は、たとえば今なら大手スーパーでも売ってるモデム一つにしても、電電公社からNTTに民営化されたとはいえ、回線の技術基準に適合するかという、認定制度、届出制度があった。しかし、そういう規制はものともせず、無許可で通信機器を売り出したり、勝手にコンピュータを通信回線につないだりといった、マニアたちがいた。彼らのパワーとノウハウの蓄積が、いまのインターネットブームの技術的なバックグラウンドの一つとなったのはいうまでもない。同じように今では常識化したコードレスホンも、当時は違法とされていた。
デジタルとは違うが、自動車の改造パーツなどもそうだ。ドレスアップパーツやチューンナップパーツなどのアフターマーケットは、かつては車検を通らないことから、違法パーツと呼ばれていた。しかし違法というのは、規制する側の論理だ。ユーザは、個性的な車に乗りたい。だからこういうパーツが欲しかった。もともと個性的なカーライフをエンジョイする欧米では、この手の個性を演出するレトロフィットパーツ市場は大きい。当然、貿易摩擦に絡む規制緩和の対象として、海外の部品メーカーから外圧がかかった。そういう事情で、当然規制緩和され、改造パーツを使っても車検は通るようになった。こうなると強いのは、規制に安住して純正パーツしか作ってこなかったメーカーでなく、積極的に「違法パーツ」市場でのポジションを築いていたメーカーだ。
役所の規制は、ユーザニーズとは全く違う次元で存在する。規制で違法化されていても、その技術自体は違法でもなんでもない。ユーザのニーズがあるのなら、潜在的な市場は存在する。そして規制はいつか緩和される。その日が来てから対応したのでは、技術的バックグラウンドを育てるには遅すぎる。特にデジタル絡み、通信絡みの分野は、市場ニーズを無視した「規制のための規制」が多すぎる。違法だったり、規制されているからといって、手をこまねいていたのでは、流れに乗り遅れることは必至だ。規制に自ら体当たりして、規制緩和を勝ち取るぐらいの気迫が、デジタルビジネスには必要だ。そもそもデジタル技術自体が、規制や利権と対立し、それを壊してゆくパワーを持ったものだからだ。



・「デジタル」というフィールドはない


ことビジネスにおいては、デジタルというくくりでモノを考えてはいけない。あくまでも市場の構造やニーズといったビジネスフィールドは、旧来のモノと変わらない。だがその旧来のモノの売り方でさえ、昔とは変わってきてるのだから、ちょっと話はややこしい。ヒット商品には、音楽のヒット曲を当てるような、いかに「心にアピール」するかという味わいが必要だ。機能や性能は、なければ困るが、あって当たり前。では、こんな時代にヒットを出す秘訣とはどんなモノだろうか。それはやはり、すでに売れている商品を見たり世の中の動きを見たりするとき、きちんとその本質を見抜くことだ。売れ筋の本質をユーザの視点からつかむためには、次の3つのポイントがある。
1.自分の相対的な位置を知ること
自分の世の中でのポジショニング。その相対的な位置関係を把握することが、相手の視点を知る第一歩となる。極右と極左みたいに、極端に意見が違うほうが、互いに相手を認めあい一目置き合う関係をつくりやすい。そもそものポジショニングがあいまいな「進歩的知識人」とか「市民活動家」みたいな人には、自分以外の見方を端から否定する態度が良くみられる。自分が中心で固定している「天動説」ではいけない。自分も相手も、みんな相対的という「地動説」にたってはじめて、世の中全体の構図が見えてくる。
2.先入観やステレオタイプでものを見ない
いわゆる「頭が固い」人が、ヒットをつくれないのは、これが理由だ。しかし、自分は「頭が固くない」と思っている人でも、意外に型にはまった発想をしがちなもの。前例からは相手の心をつかむアイディアはでてこない。問題は、自分と違う層がターゲットとなっているときだ。たとえば、オジさんが、子供とかヤングとか考える場合。自分の子供の時とか、学生の時のことを考えてもダメ。そもそも時代背景も豊かさも全然違うのだから、そんなイメージが通じるわけがない。別の国の話と考えたほうがいい。それならまだ、「今のあなた」が何を考え、何を呼吸しているかから発想したほうがヒットにつながる。
3.理論・データから発想しない
人は自信がないときほど、理屈やデータに頼りがちになる傾向がある。だが、それは逃げでしかない。なにかに頼りたくなっているだけだ。大事なのは自分の眼力。はっきり見えてはいなくても、実際に見て、感じて、そこで思いついたことを大事にすべきだ。1000人の声より、自分が感覚から発想をスタートしたほうが相手にアピールするものが生まれる。

自分で自分のためにモノをつくるの以外は、すべて「異文化を持つ人とのコミュニケーション」といっても過言ではないのが現代のモノ作りだ。そういう中で共通言語となり得るのは、人間としての本質的な「うれしさ」「楽しさ」といった気持ちよさだけだ。新商品を開発し、ヒットに結びつけるには、この「自分自身の体験を相対化」できるバランス感が重要だ。自分を他人に押しつけず、他人の体験やノスタルジアを、相手の気持ちになって理解できる人にしかヒットは創れない。これができてこそプランナーだといえるだろう。



・金になるモノが本質


技術にこだわると、ハダカの王様になってしまう。消費者はそんな技術評価など気にも留めない。見ているのは、その商品が提供してくれるメリットや付加価値だけだ。そして金を出すのも、このメリットや付加価値に対して。ここを押さえない限り、ビジネスとしては起ち上がらない。これをインターネットのホームページで考えてみよう。翻訳してみると、「無料のホームページにこだわっている限り、インターネットは情報ビジネスとしては開花しない」ということになる。
インターネットというと、公開しているホームページをブラウザを使ってぺらぺら見てくというイメージが一般には強いようだ。だからインターネットとビジネスのハナシも、この文脈の中で語られることが多い。しかし、これはそもそもインターネット上の実験というか、遊びから始まったものだ。HTML言語で記述したものを、ブラウザでみるという仕組みの持っている可能性はいろいろあるだろう。だが、今提供されているホームページはその本質ではない。ましてや、そのままビジネスになるものではない。
まず第一に、ホームページを作ったことのあるヒトならわかるだろうが、きちんとメンテナンスして、内容もしっかり作るためにはとにかくコストと手間がかかる。伊達や酔狂でなくては、とても無料でできたものではない。情報発信なら、もっとローコストで効果的なものがいくらでもある。ヒマだけは死ぬほどあって、コスト意識のない、学者、研究者さまたちならではのなせるワザといえよう。
次に、情報化が進むにつれて、付加価値のある情報に対しては、対価を支払う意識が高まるはずだ。そういう状況の中で、対価が取れる情報を、だれがタダで提供するだろうか。
元来、こういう情報はアクセス型であるが故に、対価が取りやすい。金が取れるモノをタダで提供するというのは、情報の「貨幣経済」から「物々交換」への後退である。「物々交換」経済では、ビジネスチャンスも生まれない。
さらに、こういうカタチで発信者が無尽蔵に増えると、結局誰にも意味のないノイズ情報ばかりが増えて、付加価値のある情報は相対的に減ってしまう。こういうカタチで、情報のエントロピーは増大する。こうなると、情報の取り出しに不要なエネルギーを浪費することになる。これでは、目的のある人は誰も使わなくなる。
お金を出す気のあるユーザーは、使う目的を持っている。使う目的がはっきりしていれば、それが簡単に素早く達成されるほうを選ぶ。手間を時間が一緒なら、自分の目的によりフィットしたアウトプットが得られるほうを選ぶ。このくらいのことは、それこそ「ユーザーの視点」にたてば、すぐわかることだ。ホームページもそれなりに楽しいが、それはネットサーフィンといわれるように、暇を持て余している人が、安くて手軽な暇潰しとしてやるにふさわしいモノ。ハード屋さんが技術しか見えないがゆえに、ユーザーニーズ気づかないのは仕方がない。ビジネスマンが金に対する嗅覚力を失ったら、存在意義があやうくなる。ビジネスマンなら、インターネットをインフラとして使い、インターネットの情報交換技術は使うが、クローズドで金が取れるモノを考えるべきだ。



・思い入れは死を招く


デジタル関連の素早い変化に敏感に対応するには、やはり軽快なフットワークがものを言う。技術者中心のプロジェクトの場合、ともすると思い込みの強いヒトが多いだけに、変化の機会を逸してしまうことも多い。それだけでない。技術音痴だったり、古いタイプの利権ビジネスをいまだに信じている経営者がリーダーシップをとる場合にも、タイミングを外すことになりかねない。いずれにしろ、技術に関しては思い入れは禁物。変わり身の早さこそ重要だ。
その典型的な例は、ハイビジョンの失敗だろう。ハイビジョンを積極的に推進していたのは、郵政省とNHKだ。片や悪名高き官庁の官僚集団、片や公共放送のための特殊法人。どちらにしろ、彼らは市場原理とは離れたところに安住している。予算主義でコスト意識もなければ、競争原理も働かない。彼らにビジネスセンスを期待するのは、所詮無理というモノだ。そんな彼らの推進する規格が、市場に受け入れられるワケがない。彼らには、競争力のある規格こそが「いい規格」だという発想はない。そこが問題だ。
郵政省にとっては、ハイビジョン規格は「国威発揚」だ。日の丸規格が世界標準になれば、自分達の点数が上がる。これだけのモチベーションだ。従って彼らは得意技である、「許認可・規制」から自分達の規格を世界標準化しようとした。放送・通信における国際協議の場で、トップダウン的に標準規格化する発想に凝り固まっていた。
一方NHKで積極的に推進していたのは、放送技研を中心とする研究者集団だ。彼らには「技術者的に良い技術」という発想しかない。当然彼らは、「良い規格」さえ作れば、それが自動的に世界に広まる、という程度の認識しかない。象牙の塔の内部で開発された規格が、商品競争力を持たないのと同様、技術者の思い込みで作られた規格が、市場に受け入れられるはずがない。ところが、彼らにはそれは見えていなかった。
どちらにしろ、ハイビジョンを推進していた人達は、それぞれの思い込みからハイビジョンに入れ込み、みこしを担いでいたことになる。こんな歪んだ視点しか持っていない人達には、正しい判断などできない。当然、市場原理による競争・淘汰で残った規格がいい規格だと考えている「世界標準」の視点からは、ハイビジョンは受け入れられず、時代錯誤的な嘲笑の対象でしかなかった。
いい迷惑なのは、日本の電気・電子メーカーだ。彼らは世界でビジネスをしている。だから、彼らの視点はワールドワイドだ。HDTVの規格も、別に日の丸規格である必要などない。できるだけ大きい市場ができ、効率よい商売ができれば、そっちのほうが余程いい。それに合わせて、ただ作って売るだけだ。元来、なるべくフリーハンドのほうがビジネスチャンスは大きくなる。しかし、郵政省とNHKは、その権益を利用してメーカーをハイビジョン開発に引き込んだ。したくもない開発投資をさせられたメーカーこそたまらない。売れる可能性のないものを担がなくてはならないハメになってしまった。開発投資の回収のメドがたたないのは、痛いといえば痛い。しかし、売るアテのない製品まで作って傷口を拡げるよりは、まだ傷が小さかった段階で解放されてよかったと思っているだろう。



・ミーハーで行こう


デジタルビジネスでは、腰の軽さがチャンスをつかむ。技術でも、市場でも何かにこだわりだしたら、その間にビジネスチャンスは逃げてしまう。ミーハー的なビジネスが勝ちだ。
もともとこの世界は、長続きより勝ち逃げがポイントになる勝負。深入りは禁物。八艘飛びよろしく、フットワークも軽く、おいしいマーケットのもっともおいしいところだけをつまみ食いする「クリームスキミング」が取り組みの基本だ。
特に大事なのは見切りだ。撤退のうまさは、デジタルビジネスの強力な武器になる。ヤバくなったら逃げる。どうせデジタルビジネスなど、腰を据えて長期的に取り組むべき領域ではない。最初から、逃げ道を用意しておくぐらいの周到さが求められる。勝算が見えなくなったら、早いうちに見切って捨ててしまったほうが勝ち残るからだ。新技術や新製品の開発には、長い時間と資金が必要になる。開発担当者はその技術や商品に対して、必要以上の思い入れがある。客観的、クールにみることはできない。おいおい「できの悪い息子ほど可愛い」という結果になってしまう。経営者もしばしばケチな根性を持ち、「もう少しネバれば回収できるのではないか」という淡い期待を持ちたがる。しかしそういう状況に突入しているということは、実はもう末期症状。「死に体」だ。どんな名医ならぬ、名技術者でもその技術を花開かせることはできないし、どんな名経営者でもそのビジネスで儲けることなどできない。
それは、デジタルビジネスは結果もデジタルだからだ。勝つか負けるかしかない。あわよくばという希望的観測は通用しない世界だ。負けが見えてきたら、さっさと捨てることが肝心。それまでの投下コストは、次の勝負で当てて回収すればいい。どうせ成功は有り得ないのだから、これ以上引っ張っても赤字が増えるだけだ。どこまで泥沼になるかわからない。それなら、今見えている損失でとどめておき、その負け分を別のところでどう引き当てるかの算段をしたほうが建設的だ。
この掟が活きるのは、直接デジタル技術を使用して製品を開発したり、サービスを提供したりするときばかりではない。ハイテク商品を取り扱う流通やハイテク商品に対するサポートサービスのように、間接的な関係しか持たない場合でも、「こだわるな、固執するな」というルールは通用する。
いまや秋葉原の主となった感のあるソフマップ。商店会にも晴れて加盟し、名実共に秋葉原の顔として認められた感がある。ソフマップは、どちらかというと怪しくウサンくさい感じのあった、「パソコンソフト・レンタルショップ」として登場した。まだ、パソコンがマニアのものだった1980年代前半のことだ。しかし、そこにとどまることなく、パソコン市場の発展とともに、中古ソフト販売、中古ハード販売、新品ディスカウント販売、大型総合パソコンショップと、その業態を時流に合わせどんどん変えてきた。ソフマップの成功のカギは、この変わり身の早さがパソコン市場にマッチしたからだ。一時はMacのプライスリーダーとなり、ディスカウンターとして君臨したSTEPが、その業態にこだわりすぎたゆえパソコン市場の変化の波にのりきれず失敗したのといい対照を見せている。



・夢を売るのは詐欺じゃない


どうせデジタル技術は役に立たないんだから、いっそ「夢」と割り切って、使えないのを売り物にするのも悪くない。技術屋さんは根がマジメなので、なかなかこういう発想はできない。だが、市場で売れる原理がそうならば、積極的にそれにのってしまうのがマーケティングというモノだ。世の中、ウソを言って売ったら詐欺だ。使えないモノを、さも使えるように騙して売ったのでは、詐欺呼ばわりされても仕方ない。だが夢を売るのは詐欺じゃない。夢を売るのが詐欺なら、ディズニーランドの入場料は大詐欺になってしまうが、そんなことはない。みんな納得して夢に金を出している。今はそういう世の中だ。
実際ハイテク機器は、ほとんど「夢を見るための道具」として売れているものばかり。家庭用のパソコンなんてそうだ。結局埃をかぶってても、夢があればいい。ワープロ専用機の多機能化などはそのいい例だろう。今でもワープロ専用機が売れているのは、ワープロマニアともいえる同じ人達が買っているからだ。中高年の男性を中心とするワープロマニアは、新しい機能をマスターするのが楽しい。その機能を使って何かをやるというのではない。だからこそ、新機能を持った新機種が出ればそれを買う。これはハードだからって特別に考えるからわかりにくくなる。週刊誌みたいなモノと思えば理解しやすい。必要な情報があるワケでもなく、読まなくても問題は起らない。だけど、毎週を買っている。なんか新しい号が出れば読みたくなるし、読めばそれなりにヒマが潰れる。
ハードやシステムといったモノだけでなく、ソフトだってそうだ。ソフトのほうが、もともとそういう暇潰し体質は強い。アプリケーションソフトは、次から次へとバージョンアップをくりかえす。もちろん、新たに発売された機種や周辺機器への対応、基本ソフトの機能アップへの対応といったバージョンアップや、発見された機能上の問題点を改善したバグフィックスを主眼としたバージョンアップも行われる。しかしそれより多いのは、とにかく多機能化、高機化を目指したバージョンアップだ。競合ソフトが持ってる機能は全部つける。およそ考えられる機能は、どんどん取り入れる。といったアプリケーションの巨大化、肥大化だけをもたらすバージョンアップも多いのが現実だ。
ほとんどのユーザーからすると、そういう追加機能は、一生というか、その次のバージョンアップまでの期間を考えても、全く使わないものがほとんどだ。機能という面から考えると、バージョンアップ費を払い、インストールの手間をかけるのはどんなモノだろう。はなはだしきは、インストールのためにハードディスク・メインメモリの増設なんてことにもなる。だから、自分の必要とする機能を良く知っているヘビーユーザほど、昔の機種で、古いバージョンの軽いソフトを使っていることが多い。
だが、そもそも使うためのユーザーではないのだ。それなら、機能がいっぱいあって、夢がいっぱいあるほうがいい。古墳から出てくる古代の銅剣は、武器ではなく祭祀用の神具だったので、武器としては振り回せないくらい大きくてもいいのだそうだ。アプリケーションソフトも、多くのユーザーにとっては使うための商品でないのだから、使えないくらい大きくてちょうどいいのかもしれない。



・「ヤスい、ハヤい、ウマい」吉野家効果がデジタルの本質


デジタル化しても、世の中が何も変わらないというわけではない。間接的には、技術はいろいろな影響を与える。では、間接的に現れるデジタル化のインパクトはどんなものだろう。一般に、ディジタル化のメリットは「ヤスい、ハヤい、ウマい」の三拍子にある。これを吉野家効果と名付けよう。以下、その中身を見ていこう。
まず、安い。「安い」は、あらゆる新技術のキーワードだ。技術革新をもたらす原動力は、「安さ」を求める市場の力だ。だから、これこそデジタル技術利用の原点。デジタル技術は機器の劇的なコストダウンが可能だし、スケールメリットを発揮しやすいからだ。
次に、速い。デジタル化とは、数値やテキスト以外にコンピュータの守備範囲が拡がること。当然、コンピュータの持つ一番の強みである「速さ」が活きてくる。それは、コンピュータの性質として、そもそも手順さえ決れば繰り返しに強い上に、制御機能を使えば管理・運用まで含めて自動化しやすいからだ。また、最近はやりのネットワークと組み合わせることで、制作物や情報を回線で伝送できるのも速さにつながる。
最後に、ウマい。「ウマい」メリットは、「安い」「速い」に比べれば副次的なものだ。安い、速い、によって生じた「余力」をどこに振り向けるかにかかっている。具体的な「ウマい」メリットとしては、質を保ったまま加工が可能だったり、新しい表現の可能性が容易に得られたり、余った手間を「他と違える部分」にかけられたりという点があげられる。
デジタル技術の活かし方のポイントは、このように、同じことが「ヤスく、ハヤく」できること、もしくは、同じコストと時間をかければよりおいしい付加価値が得られることのどちらかだということができるだろう。
これが典型的に現れているのは、ハリウッドの映画制作でのデジタル活用だ。もともと映画ビジネスは金融ビジネスとしての側面を持っている。その分、コストの掛け方や、時間の掛け方にはシビアーだ。デジタルというと画像の特殊効果が知られているが、この分野では、マット画とか、特殊メイクとか、旧来のアナログ的エフェクトも使われている。どちらかというと、こちらの方が金をかけて使うテクニックだ。その一方でデジタルエフェクトは、金をかけずにそこそこの効果を得るためのテクニックとして使われている。当然全体の予算が一定なら、どうでもいい部分をデジタルエフェクトで処理することで、ここぞという部分で、旧来のアナログ名人芸に金を投入できる。まさに吉野家効果の真骨頂だ。
最近、アメリカではインターネットを手足に使う建築家が増えている。建築家の時間配分では、現場巡りに割かれる時間が大きい。大昔は、自分が出張して現場を回らなくてはいけなかった。これがビデオとかが出ると、信頼できる秘書に現場を回らせて、気になっているポイントをチェックすれば良くなった。問題があったときだけそこに行けばいい。これで大分手間が省けた。今は、デジタルカメラを置いて、インターネットでチェックすればいい。これでもっとコストが省ける。自分の能力は同じでも、雑務から解放される分、金になる仕事にかける時間は増える。人手を使うわけではないので、コストも増えない。ビジネスとしてはおいしい限り。デジタルの吉野家効果はこう使おう。



・他人の褌で相撲を取ろう


デジタルでは、コストとスピードだけが勝負を決めてしまうような競争も少なくない。かつての重厚長大産業時代の製造業のように、何から何まで自前主義では迅速な対応は不可能だ。デジタルビジネスで成功する上では、技術力も、生産力も、販売力もコア・コンピタンスとはならないことが多い。他人を利用できるところは、技術でも生産でも利用しよう。使える他人の褌は恥も外聞もなく徹底的に使い切ってしまう、厚かましさと大胆さとがなくてはデジタルビジネスでの成功は難しい。
アメリカパソコン市場でもっとも成功した企業の一つに、ゲートウェイ2000がある。彼らの成功の秘密こそ、徹底的に他人の褌を利用して儲けた点だ。ゲートウェイ2000は、まがりなりにもパソコンメーカーだ。しかし彼らは、工場も、研究開発機能も持っていない。店舗も流通チャネルも持っていない。それでもメーカーでございと胸を張っていえるようなビジネスができてしまうところが、デジタルビジネスの醍醐味だといえよう。
ゲートウェイ2000は、もともと社長の趣味であったパソコン作りから始まった。パソコン作りといっても、自分で半田付けして組み立てるわけではない。既存メーカーの機種では、最新最高のパフォーマンスが得られない。そこで、台湾等のメーカーが製造した各種ボードを組み合わせ、ちょうどかつてのオーディオマニアが、スピーカー、アンプ、プレーヤーなどの色々の組合せの中からいちばんコンポを組み立てるように、最もパフォーマンスのいいパソコンを組み上げた。
このボード選びのノウハウが、ビジネスの原点となった。ゲートウェイ2000の売り物は、このノウハウを活用し現時点で最高性能のマシンを、最高のコストパフォーマンスで提供することにある。台湾製を中心とする各種ボードの中で、性能、安定性、コスト等の面から見てベストのものを選び、それをバイイングパワーを発揮して安く早く調達すること。通信販売を中心に、なるべくローコストでその流通チャネルを構築することで、価格競争力を一層強めることだ。このように彼らがやっている業務は、基本的には秋葉原のPCショップが、自分のショップブランドでパソコンを販売していることと大同小異だ。自分のオリジナリティーは、どのボードを選ぶかという部分と、買い付けの価格交渉ぐらいのものだ。しかし、それが競争力になるのが、デジタルビジネスの面白いところだ。
原宿などに行くと、アクセサリーやバッグ、小物等を中心に、気の利いた商品を自分で海外に買い付けに行き、自ら販売するグッズショップも多い。彼らはデザインもしないし、製造もしない。ただ、海外に行って気に入ったものを買って帰り、自分の店で売るだけだ。だが、それでも人気の店は話題を呼び、お客さんが行列をなしている。さらに、自分の店を多店舗展開したり、卸に転じたりすることもある。デジタルビジネスも、このようなショップ経営と似ている。デジタルビジネスは、ものを売る場合でも、極めてソフト性が高い。商品そのものではなく、それにまつわるソフト的な付加価値を売っていることが多い。ついつい従来のビジネスの視点から、商品そのものの製造や技術にこだわってしまうことも多いが、それは間違いということを知るべきだ。



・大きく稼ぐよりニッチできっちり稼ぐ


デジタルビジネスというと、なぜか一攫千金の夢を見るヒトが多い。新しい領域だから、金がころがっていると思うのだろうか。それとも、ごく一部のめざましい成功者が必要以上にクローズアップされるせいだろうか。しかしその夢は門外漢の描いた、捕らぬタヌキの皮算用だ。デジタルビジネスで利益を上げるためには、少しの金も見逃さず拾うマメな発想が求められる。つまりニッチできっちり稼ぐ技だ。
大企業にとっては、ニッチはあくまでもニッチであって、多少は話題作りや売れゆきには貢献しても、抜本的なシェアや売上高の変化にはならないことが多い。そういうことから、決してビジネスの王道とは見なされないことが多い。だが、金にならないのは、ニッチで稼ぐ奥義をわきまえていないからだ。右肩あがりのシェア戦略の時代ならいざ知らず、利益確保が問われる現在では、そんな経営ではチャンスを逃してしまう。
「ニッチで儲ける」には、きっちりと「これはニッチだ」と割り切って、プロモーションコストも最低限にして、「振り逃げ」的な売り方をする必要がある。ちょっとでも欲が出ると、大損する。この見極めが大事だ。このノウハウは、いわばギャンブルで稼ぐ秘訣のようなものだ。予定量があって、それを意外と早く売りきったときに、欲を出さずに次の市場狙いに移れるか。これが、ニッチ商法で成功するかどうかの分かれ目だ。
その基本は、その商品のねらいとターゲットをきちんと見据え、そこにぴったり合った商品特性を持たせることにある。そして、狙った市場に合わせた生産・販売計画を立てることだ。たとえば、際モノの飲料がでると必ず飲んでみるというユーザはそこそこいる。彼らをターゲットとして、明らかに際モノのドリンクをいわば売り逃げ的に出して、そこそこの売り上げを稼ごうという攻め方こそ、ニッチ商法の醍醐味だ。こう割り切っているなら、それはそれでいいし、それ用のネーミングと、それ用の味(この手のモノは、ルートビア的なモノが多い)にすればいい。チャネルも生産量もプロモーションも、おのずと見えてくるだろう。でも、正攻法のつもりで参入した商品が、結果的にニッチ的なヒットになることも多い。このような場合は、しばしば失敗がまっている。途中での戦略修正は難しいからだ。だがそれは、そもそも際モノとしての特性しかない商品をまっとうな商品と勘違いしたところに問題がある。そこを見抜けなかったほうが悪いといえば悪い。
これはニッチで行けばそこそこ当る、という商品を見抜くには、常にやじ馬的視点な、第三者の視点を持ち、一般ユーザーと同じようにタコ壷の外からクールに見れば大丈夫だ。ただし、ユーザの気持ちが理解できてるのが前提であることは、いうまでもない。BSで有料放送を行っているWOWOWの失敗と再生は、このいい例だろう。最初立ち上げの際、WOWOWはマスメディア型の有料放送を目指し、数百万人を採算分岐点とした高コストな経営計画を立てた。多くのひとが指摘していた通り、この計画は挫折した。しかし、実際の視聴者の核となっていた二百万人をベースに、マニア向けのローコスト経営に切り替え、単年度収支の黒字化を達成した。これなど、ニッチなビジネスに大企業の論理を持ち込んで失敗したいい例だろう。



・まず自分が文化を持つことが勝ちにつながる


今日のようなハイテク時代になると、企業の強みは技術を持つことと考える人が多いかもしれない。しかし、技術などいくら持っても、それだけで企業が競争に勝ち残れる世の中でないことは、読者の皆さんにはもう、ご理解いただけたと思う。製品の、単なる性能競争、技術競争には消費者はついてこない。すでに世の中は、モノであふれている。こういう状況下では、価格競争に巻き込まれず、付加価値競争を戦えなくては、ビジネスに取り組む意味はない。まさにOEMメーカと自社ブランドを分けるものがこれだ。OEMでも自社ブランドでも、技術力という面では全く差がない。違うのは、その企業が自社ブランドを持つに足る文化を持っているかだ。デジタル時代だからこそ、技術よりも文化を持つことが差別化のカギになる。
すでに企業の生き残りの時代に入ったといわれる。生き残りという表現では甘いかもしれない。もう、生き残れるかどうかの分水嶺は越しているからだ。最近の決算をみると、同じ業種でも、最高益を更新したりそれに近い業績を上げている企業と、いまだに水面下から抜け出られない企業とがある。もっとも、いい業績を利用して不良債権を消したため、見かけの業績だけ落ちているところもあるが。これは、付加価値を生み出せる企業と、価格競争しかできない企業とがはっきり二分されたということだ。この違いはどこか。それは、その企業の商品やサービス一つ一つが、文化を持っていることだ。
スペックや機能的には同じでも、デザインや材質はもちろん、使い心地や、その商品を持っていることによる幸福感・充実感、生活そのものに与えるインパクトがあるものを消費者は求めている。それだけでない。かつてはスペックや機能が同じなら、価格も大体同じだった。今では、夢を与えてくれる商品なら、消費者はより多くのお金を払っても買いたいと思う。これが付加価値だ。
このような付加価値を与えてくれるものは、商品やサービスそのものだけでなく、それに付随する無形のサービスや信頼まで含んでいる。現状ではコンサルティング、アフターサービス等の信頼感は大きい。たとえば、サービス業での例を見てみよう。0円プリントといわれる、現像料+αの安い一定料金での同時プリントがシェアを拡大している。その一方で、機械自動プリントの0円プリントにはできない、ネガにあわせてもっともきれいなプリントを仕上げる、一枚30円から50円の手焼きプリントもシェアを高めている。手焼きは高いが、もっと生き生きとした赤みがかった肌の色にするとか、旅先で見た自分の記憶の中の夕日の色を出すとか、ユーザのニーズに応えた、付加価値の高い写真にしてくれるから需要がある。これはユーザの側に、こういう質の高いサービスなら金を出してもいいという発想があるからだ。その一方で、どっちつかずの業者だけが、転廃業を迫られている。
夢を見ることができない人は、人に夢を与えられない。そして人々は夢を求めているし、夢にはいくらでもお金を出す。これからの企業は、その商品やサービスを通して、社会に夢を提供していかなくては、単なる価格競争の泥沼しかない。そして、企業が社会に夢を届けるというのは、企業そのものが文化を持っていなくてはできないことなのだ。

(c)1998 FUJII Yoshihiko


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