デジタルマーケティング必勝法


第三章 テクノロジーよりマーケティング




・ビル・ゲイツの強みは技術者発想でないところ
・技術よりアイディアが価値を生む
・デジタルの道はいくつもある
・儲からないデファクトスタンダード
・「いい技術」が売れるわけではない
・技術では競争優位も三ヶ月
・話題になるモノと金になるモノは違う
・規格にこだわるな
・脅しのマーケティングもモノを言う



・ビル・ゲイツの強みは技術者発想でないところ


ビル・ゲイツというと、決まって「天才プログラマー」として語られることがおおい。彼が1970年代に8ビットマイコン用に開発した Microsoft BASIC で成功し、Microsoft の歴史がそこから始まったものであることはいうまでもない。しかし、現在のMicrosoft の成功は、その一言で語れるものではない。というより、かつてプログラマーとして成功したビル・ゲイツと、Microsoftの会長として成功したビル・ゲイツとは、違う能力が評価されたと考えたほうがいい。ビル・ゲイツの強みは技術者発想でないところにある。それだからこそ、Microsoftを世界最大のソフト会社という成功へ導けたといえる。
1970年代末、AppleIIの成功によるパソコンブームに対して、IBMは自らパソコン市場への参入を目指した。その際、AppleII自体の成功の秘密を綿密に分析し、1. 基本的に社外のメーカーによるもっとも基本的な部品を利用し、IBM自体はその組みつけと販売に徹すること、 2. 仕様やアーキテクチャーについてはオープンポリシーをとり、全面的に公開することでサードパーティーの参入を容易にする、という基本戦略が立てられた。もっとも、結果的にIBM-PCの仕様はパソコンのデファクトスタンダードとなり、この戦略自体は間違いとはいえないものの、それでIBMがビジネス的に成功したとはいいがたい面があるのも事実だ。この問題については、別項「儲からないデファクトスタンダード」で詳しく触れてみたい。
さて、IBM-PCの仕様を決めるに当っては、ハードウェア部分は、当時の標準的な8ビットパソコンの流れを組み、比較的安価で安定的な部品調達が可能なインテル社のCPUを中心にした16ビットパソコンとして設計することになった。問題はOSと呼ばれる基本ソフトだ。16ビットパソコンで、複雑な処理を伴う各種ビジネスアプリケーションを安定的に動かすには、独立したOSを持っている必要があった。ここでIBMは、ハードウェアの部品同様、OSもアウトソーシングで調達する戦略をとった。
まず、IBMがOS供給を打診したのは、ゲイリー・キルドールが率いるデジタル・リサーチ社だ。デジタル・リサーチ社は、当時8ビットの高級パソコン用のOSとして CP/M を供給し、パソコンOSの世界では独占的な地位を築いていた。CP/Mはゲイリー・キルドールが一人で開発したOSで、8ビットパソコンの限られたリソースの中で大型コンピュータのOS並みの機能を実現した、まさに天才プログラマの作品と呼ぶにふさわしいものだった。
彼はIBMのオファーに対して、期間・コストの両面から、自分が納得できる機能を持つOSを開発することは不可能だとして、プログラマとしての良心からこれを断った。それほど条件はせっぱ詰まったものだった。
IBMが次に打診したのは BASIC の供給を交渉していたMicrosoftだ。当時MicrosoftはOS関連商品は持っていなかった。しかし、ビル・ゲイツはビジネス上の見地からこれを受け、自社開発でなく、他社のOSの権利を購入してMS-DOSとして供給した。プログラマとしての自信と自負の強い人間にはできない判断だ。このようにビル・ゲイツの強みは、彼が天才プログラマではなく、天才マネジメントであった点にある。



・技術よりアイディアが価値を生む


ハイテクビジネスの構造を考えると、技術はソリューションのためのツールにすぎない。必要だが、それだけでは金にならない。だから技術主導型で考えてゆくと、オーバークオリティーになったり、いちばん合理的でコストの安いソリューションを見逃すことにもなりかねない。技術者的なきまじめさは、えてしてビジネスの効率を損なうほうに働きやすい。このバランスをとることが、技術の使いかたのカギになる。
動画のデジタルデータを圧縮する規格として、MPEG規格がある。この規格の優れた点は、技術者的発想でなく、極めて費用対効果を考えた上で現実的に作られた規格になっている点だ。日本の技術者が圧縮規格を作るとするならば、どんなデータをぶち込んでも、同じような効率で圧縮することができる技術を、マジメに考えるだろう。極端な話、1フレーム1フレームが全く違う画像になっていても、きちんと圧縮される方式になるだろう。
しかし、現実の動画の各フレームはそういう関係になはっていない。前のフレームと、次のフレームとは、カットが変わる瞬間を除けば、連続性が強い。たとえば、よく使われるカメラアングルで考えてみよう。カメラ固定で俳優だけ動く場合は、変化しているのは俳優の、それも口元とか、手とか、動いている部分だけで、他の画面の要素はほとんど動かない。カメラをパンして流しているときは、たとえば右にパンしていくなら、フレームの左端のある要素が切り捨てられ、右端に新しい要素が加わってはいるものの、それ以外の要素は、少しづつ順送りになっているだけだ。同様に、ズームイン、ズームアウトでも共通する画面要素は多い。つまり、動画を圧縮する際には、動画のフレーム間では共通する要素が多い性質を利用すれば、変化している部分だけをフォローするだけで、極めて効率の良い圧縮ができることになる。これは、マジメな技術ではない。だが、実用性は高い。ビジネスになるのは、こういう使える技術だ。
たとえばペイテレビの暗号化については、いろいろな方式が提案されている。しかし複雑な暗号方式やカギの受け渡しを考えると、トータルなコストで考えた場合、それが最適のソリューションといえるのだろうか。いっそハード的にセキュリティーをかけてしまい、そのハード自体を安く作り、使い捨てにしたのほうが安いかもしれない。いわば月刊セットトップボックスだ。月間の使用料込で、使い捨てセットトップボックスを販売する。利用残存期間が短くなれば、その分安くしていけばいい。セキュリティー方式自体が毎月変わってしまうのだから、趣味でハッキングするのはさておき、海賊ビジネスに付け込まれる危険性は減るはずだ。
大事なのは技術を純粋に技術としてみたときの質の高さや、エレガントさではない。その技術をある目的のために投入して、そこで得られる費用対効果のコストパフォーマンスだ。それは、やる目的は学術研究でなく、ビジネスだからだ。このためには、純技術的な関心や好奇心を捨て、技術を金儲けの手段と割り切って活用する必要がある。技術を活かすには、市場のニーズに応えるには何をブレークスルーすればいいかという視点がものを言う。そして、そのアイディアこそが金を呼ぶことになる。



・デジタルの道はいくつもある


デジタル技術とアナログ技術。実際の製品やサービスに使用されたとき、この両者がもっとも大きく違うのはどこか。それはユーザから製品やサービスをみた時、アナログ技術は技術そのものが差別化のツールとなるけれど、デジタル技術はそうはならないという点だ。この発想の転換ができていないと、武器にも差別化にもならない技術を後生大事に育てただけということになりかねない。確かに必要な技術ではあるが、金を生むコアになる技術にならない、単にいくつもあるソリューションの一つでしかない技術に思い込みを持っても、所詮は「絵に描いた餅」だ。だが、こういう例が多いのだ。それは技術者やメーカー経営者の多くが、アナログ時代に育った人で、アナログの技術観に囚われて、そこから抜け出られずにいるからだ。
アナログならば、ある機能を実現するために必要な技術は、機能やコストを考えるとかなり限定される。従って、その核になる技術を開発すれば、製品での優位性を確保できるし、場合によっては他社に技術を販売する収入も期待できる。この時代では、基本的な回路設計といった技術そのものを、特許として持っていれば強みとなった。
しかし、デジタルではそうはいかない。デジタル技術は、基本的にあるインプットに対して特定のアウトプットを出力するブラックボックスを作る技術だ。新しい技術といっても、ブラックボックスの中の仕組みを変えるものであって、ブラックボックスとしての入力・出力関係を変えるものではない。そして、そのブラックボックス自体がソフトとハードの組合せでできている。違うハードを使っても、同じブラックボックスとして働かせるソフトを書くことができる。そればかりでなく、同じハードを使っていても、違うソフトで同じ機能を実現することもできる。
このように、まったく別の技術を使って、インプットとアウトプットの関係が同じものをいくつも作れる。これがデジタルの良さでもあり、恐さでもある。デジタル技術の民主性、オープン性は、基本的にこのような技術的囲い込みが不可能という性質に基づいている。このルールに気付き、このルールを味方に付けることが、成功の秘訣となる。
この典型的なものが、デジタル機器の頭脳ともいえるCPUだ。CPUの基本的機能は、簡単に言ってしまうと、あるデータとそのデータにしたい処理を記述した命令(ひとまず一時的にそのデータを覚えておく、とか、直前に覚えたデータとそのデータを足す、とかいうもの)を入れると、その命令にしたがってデータを処理するという、典型的なブラックボックスだ。だから、同じ機能を持つハードウェアは作ろうと思えば色々なやり方でできる。これが互換CPUだ。ハード的な特許ではこれを縛れない。従って、基本的な命令コードを著作物と見て著作権を主張したり、命令体系の考えかたの独自性に対し特許をとったりするしか対抗策はない。デジタルの時代になってから、アメリカでは仕組みや考えかたといった概念特許が目立つようになった理由も、こう考えると理解できるだろう。それだけでなく、アルゴリズム自体に特許を認める考えかたがでているのもうなずける。デジタル技術をビジネスに活かすカギも、この発想の転換だ。



・儲からないデファクトスタンダード


最近、よくデファクトスタンダードというコトバを聞く。いわく、デファクトスタンダードになれば、競争上優位に立てるというものだ。しかし世の中はそんな単純なものではない。デファクトスタンダードというだけで、簡単に儲かるほど市場はアマくない。自ら提案した規格がデファクトスタンダードとなっても、それだけでは儲らない。自分の規格をデファクトスタンダードにすること自体は、そんなに難しいことではない。規格に関する各種権利をオープンにし、誰もが自由に使えるようにすれば、その規格は簡単にデファクトスタンダードになる。いくつかの規格が併存している場合なら、もっともオープンで、他社に対してももっとも親切にサポートしている規格がデファクトスタンダードになる。
コンピュータとシンセサイザーを結び、自動演奏などに使われるインタフェースの規格としてMIDI規格がある。もともと楽器業界での標準規格だったが、いまやWINDOWSで標準対応するなど、コンピュータ/マルチメディアの世界でも標準規格と言っていい。この規格のアウトライン自体はもともと、1980年代初めにアメリカのシンセメーカーであるシーケンシャル・サーキット社が、自社のリモートキーボード(ギターのようにプレイヤーが下げて使うキーボード)から、シンセサイザーを遠隔操作して鳴らすために作られた規格にさかのぼることができる。このような規格は当時、シンセメーカー毎に独自のものが林立していた。しかし、シーケンシャル・サーキット社は、各社が独自の規格をもって自社製品だけの閉じた世界を作るより、どのメーカーのどのシンセ同士も結ぶことのできる規格にしたほうが市場そのものが広がると考え、規格を公開するとともに、積極的に他社に採用を働きかけた。その結果広まったものがMIDI規格だ。しかし肝心のシーケンシャル・サーキット社はその後経営が傾き、ヤマハに買収されるという道をたどった。まさに、「トラは死んで皮を残す」の世界だ。だが標準規格とは、所詮こんなものだ。
もっと皮肉な例としては、パソコンの標準規格ともいえるPC/AT規格が上げられる。IBMがパソコンに参入しようとした1980年代初頭、パソコン市場は8ビットパソコンの最盛期だった。このためIBMは一気に、当時起ち上がりつつあった16ビットパソコンで参入し、市場のリーダシップをとることを目指した。その戦略を立てるに当っては、AppleIIの成功を分析し、それまでのIBMの戦略とは180度異なる、オープン戦略、アウトソーシング戦略をとることにした。16ビットパソコンとして、市場でもっとも標準的な部品を使用し、OS等のソフトもサードパーティーから買い付け、基本ソフト中の基本ソフトであるファームウェアのBIOSも仕様公開した。これは言い換えれば、だれでも容易に互換機を作ることができるということになる。この戦略はある面では大いに当り、IBM-PCそしてその改良型のIBM-PC/ATのアーキテクチャは、デファクトスタンダードを越え、文字通りパソコンの標準規格となった。しかし、ビジネス面でみれば、安くて高性能な製品を提供する東アジアパソコンメーカーの台頭を生み、IBM自身は、どちらかというと競争力を持たない数あるパソコンメーカーの一つとして、台湾からOEMで調達した製品を売る身になってしまった。標準規格というだけでは、競争力にはならないのだ。



・「いい技術」が売れるわけではない


技術的によい製品が、商品として魅力があるワケではない。これはマーケティングの大原則だ。技術者的な発想だと、とにかく技術的に良いことが即製品がそのものが良いことと結び付きがちだ。確かに工業ロボットのような生産財や、最終製品ではない部品などについては、こういうことがいえることもある。だがそれは、ユーザが消費者ではない製品に限られる。消費者向けの製品では、技術は商品の魅力には何ら貢献しないと考えたほうがいいだろう。デジタルビジネスでよく陥るおとし穴は、なぜかデジタルというだけで、この技術者的発想にみんながとらわれてしまうことだ。
デジタルでなくても、「技術」が伴うハイテク機器に関しては、多かれ少なかれこの傾向がある。たとえばビデオにおけるβマックスの失敗など、この古典的な例だろう。確かに技術的にみれば、プロ用ビデオの規格をベースにしたβマックスは、VHSより規格としては優れていた。だが規格の良さだけで売れるのは、プロ用機材の世界だけだ。民生用機器には別のマーケティング的視点が必要になる。一般ユーザは、性能の高さよりも、使いやすかったり、ランニングコストが安かったりというメリットのほうを重視する。こういう失敗は、いまでも多くの商品でくりかえされている。βマックスが、結局技術におぼれたためにVHSに負けてしまった教訓は今も生きている。
特にデジタル化が進めば進むほど、ハードの技術の部分はブラックボックス化が進む。機能はあって当然であり、それにより差別化できたり、付加価値を生み出すものではなくなる。デジタル機器の多機能性は、制御用のプログラムを書き込むROMの容量が余ってたので、おまけに付け足したもの、という程度に考えたほうがいい。別に使おうが使うまいが、コスト的には変わらないからおまけとしてついてる。その程度のものだ。余談だが、こういうハイテク機器の使いかたが覚えにくいと嘆くヒトは、得てして、一生使うはずもないような機能の使いかたを必死になって覚えようとしてることが多い。多機能製品を単機能で使う。これがハイテク機器の使いこなしのコツともいえる。
その一方で、アナログ時代にはあまり目立たなかったソフト的な面での差別化が、ユーザにとっての商品の良し悪しに大きく関わってくる。製品にそっていえば、デザインが良かったり、マニュアルが親切だったりといった点。製品の外では、販売店頭やアフターサービスといったサポートの充実といった点。よく「2.5次産業化」とか、「製品のソフト化」とか言われるのは、こういうことだ。なにもメーカーがソフトビジネスやコンテンツビジネスをやるという意味ではない。
NECのパソコンPC-9801シリーズが日本のパソコン市場をリードしてきた理由も、スペックや機能ではなく、こういった製品の外側のソフト面での差別化が効を奏したからだ。初期の8ビットパソコンの頃から、パソコン教室といった最終ユーザ向けのサポートのみならず、ソフトメーカや販売店に対しても、いろいろなサポート体制を敷き、便宜を図ってきたからこそ、一時の圧倒的なシェアを誇れたし、価格競争になって必ずしも優位とはいえない状況になっても、No.1メーカーの地位を保てたのだ。



・技術では競争優位も三ヶ月


デジタルビジネスで差別化を生み出す要因はなんだろう。こう問われたならば、つい「技術力」と答えてしまう人が多いのではないだろうか。だが、ここがデジタルビジネスのおとし穴。ある場合には技術力も差別化の要因になるのは確かだ。しかし、技術は決定的な差別化にならない。デジタルビジネスで優位に立つには、技術よりマーケティング。マーケティング的な市場での優位性が得られなければ、いかにデジタルビジネスといっても負ける。デジタルでも商売は商売。商売の原点を忘れてはいけない。
デジタルの領域では、新しい技術が生まれても、それだけで優位に立てるリードオフタイムは、いちばん長くても三ヶ月だと考えたほうがいい。「デジタルの道はいくつもある」で述べたように、デジタルだからこそ、技術だけでは優位に立てないという構造的問題がある。ヴィデオボードに代表されるように、PC/AT用基板の世界では、激しい競争がくりかえされている。秋葉原のPCショップの店頭を見れば、週代わりでより高性能な新しいボードが発売されている。売れ筋もそれこそビルボードのヒットチャートのように、週代わりでランキングが入れ替わっている。この分野では、技術の優位性も週の単位しか持たない。最新、最先端だけでは安定した売れ筋にはなれない。
結局、技術を競う分には、どこもドングリの背比べになる。「おごれるモノは久しからず」ではないが、どんな技術もいつかは新しいモノにとって変わる。ただデジタルの領域では、いくらでも他の技術で効率よいバイパスが作れる分、そのスピードが極端に速く、まっとうなビジネスのスパンに合わないということだ。そういう領域は、フットワークが良くて小回りの利く連中に任せればいい。うっかり技術の波に乗り遅れて、不良在庫を抱えても、さっと夜逃げして躱せるぐらいでないと、こういう競争では生き残れない。まっとうにコストをかけて、こつこつやる発想ではダメだ。
たとえは悪いが、海賊版業者とにている。新しいソフトがでるや否や海賊版を作成し、品薄な本物を向こうに売りまくる。官憲の手が回ってくるころには、もうさっと売り逃げして涼しい顔をしている。逃げ足の悪いヤツが生けにえにされた頃には、もう次の獲物を狙っている。海賊版業者は、許し難い犯罪人だ。だが、そのフットワークには目を見張るモノがある。技術競争は違法ではないが、このぐらいのフットワークがなくては、優位性をビジネス上の利益に活かせない。
では、ビジネスとして優位に立つための、技術に変わるキーワードは何か。それは、安定性、継続性、コスト、サポート、といった製品をとりまくソフト面での差別化だ。そしてこれは技術面ではなく、マーケティング面で創り出す差別化だ。もちろん、純粋なデジタル技術という意味の技術ではないが、このような面で差別化をもたらすためのマーケティング上の技術もある。だがそれは、デジタルに限らず、あらゆる商品、あらゆるビジネスに共通の「技術」だ。デジタル領域でまっとうにビジネスをやろうと思うなら、この原則を忘れてはならない。



・話題になるモノと金になるモノは違う


新聞や雑誌、テレビなどのマスメディアを見ていると、デジタル技術に代表されるハイテク技術というと、みんながあっと驚く斬新な技術ばかりがパブリシティー的に取り上げられ、もてはやされることが多い。そういうニュースを見慣れてしまうと、そもそもハイテク技術とはそういう華々しいものだと思いがちだ。だが、話題になる技術は実は金にはならない。ビジネスとしておいかけるべき技術は、こういうスタンドプレーではない。
話題になりやすい先進技術は、可能性の追及とか、学術的な技術開発という面ではそれなりに意味もあると思う。しかし、ビジネスのネタとしては問題がある。実生活から遊離している技術からだ。製品やサービスに取り入れ、市場で競争力を生む技術でなくては、ビジネスにならない。金になるのは、一見当たり前のことをサクサクこなす技術だ。こういう技術には派手さはない。しかし、だからこそ金を生む。
消費者の生活を考えたとき、「役に立つ技術」とはなんだろう。新しい技術ができたからといって、それだけで人々の生活パターンが大きく変わったり、ましてや人々の可処分所得が増えたりするわけではない。既存の生活の中で、時間や手間を省くことができてはじめて、生活パターンを変える可能性を生む。同様に、今まで行っている支出の中で、質・量的に変わらないサービスや商品をより安く提供できてはじめて、見掛け上の可処分所得が増えることになる。つまり、今までの生活と密着した、いわば「地に足のついた技術」であってはじめて、役に立つ技術と言える。
このような技術は消費者の側から見た場合には、決して斬新なものでない。逆に、外面は今までのサービスや商品と変わらないことのほうが多い。既存のサービスや商品を代替してこそ市場性があるのだから、これは当然と言えば当然だ。
たとえば携帯電話を考えてみよう。通信方式のデジタル化、多重化によるインフラコストの低下、電池の改良による連続受信時間の拡大、デバイスの改良による小型化・軽量化など、携帯電話をめぐる技術の改良はとどまるところがない。しかし、携帯電話の機能そのものは、基本的には変わっていない。だからこそ、より安く、より小さく・軽く、より使いやすく、といった「付加価値」が市場競争力につながっている。すべての新技術も、この市場競争力の拡大に役立つからこそ取り入れられている。
経済新聞、産業新聞のトップ記事になった新技術を振り返ってみると、その技術がそのまま世の中に商品やサービスとして出てくることはまずない。それが市場に受け入れられ、ビジネスの成功のカギとなった時には、技術は完全に黒子となり、ユーザからは見えない状態になっている。ビジネスマンが技術を語るときには、この構造を頭に叩き込んでおくことが必要だ。技術コンプレックスになることなどない。
デジタルだろうと、ハイテクだろうと、一歩研究室を出てしまえば、マーケティングやマネジメントの視点は、常に技術に対して優位に立てる。技術も数ある有形無形の経営資源の一つ。こう考えていれば何も恐れることはないだろう。デジタルだろうと、ビジネスはビジネスだ。



・規格にこだわるな


パソコン市場が形成されて20年以上。WINDOWS95ブームがまき起こるに至って、パソコンも限られた人向けの特別な商品から、ごくごく一般的で日常的な商品になった。この間のパソコン市場では、常に右肩あがりの成長が続くとともに、いくつもの波やブームが押し寄せ、参入・撤退をくりかえす企業の盛衰がくりかえされた。この20年間を見通し、パソコン市場での最大のビジネス的な成功者は誰かを考えた時、真っ先にその名が上がるのは台湾デジタル業界だろう。たしかにMicrosoftもIntelも偉大な成功者ではある。だがその成功の裏で彼らは、「権利の押さえ方は人気ブランドに学べ」の項で述べたようにそれなりの苦労を払っている。そこまで考えた場合、必ずしもビジネスとして効率がいいわけではない。逆に「知の自転車操業」とさえ言えるような、過酷な状況の中必死に突っ走っているといったほうが適切だろう。その一方で、台湾デジタル業界は、労少なくしてもっとも効率のいいビジネスをしている。その成功の秘訣はどこにあるのだろうか。
デジタルビジネスのゴールは、技術的な強みではなく、あくまでも「市場での成功」だ。要は効率よく儲けること。ビジネスは金儲けのためにやっているのであって、名誉や技術競争のためにやっているのではない。しかしデジタル関連ビジネスとなると、なぜかこの原点が見失われてしまうのが、謎といえば謎だ。儲けるためには、金にならない自分の規格より、金になる他人の規格にのる発想がカギだ。自社の技術とか、独自規格とかにこだわったり、自社デバイスを活用したりといった発想は、金儲けという視点から考えると、百害あって一理なしだ。ヒトやラインが余っているのを前提にした大企業的発想では、デジタルビジネスで成功することはできない。デジタルビジネスでは身軽なほど強い。すでに技術や特許があり、ライセンスを持っている人がいるなら、金を払って買ってくるのがいちばん速いし、リスクを考えればいちばん安くつく。デバイスも、すでにあるデバイスの中から、もっとも効率のいいのを選べないい。
デジタル技術は技術革新のスピードが速いからこそ、ある技術に依存してしまうと、技術革新の波についていけなくなる。自分で開発すると、ある特定の技術に依存しがちになる。やはり餅屋は餅屋。誰か専門家が作っている最新最速のデバイスを買ってきて組みつける分には、新しいものがでたら即それを買い付け、設計変更してそっちのデバイスを使うようにすればいい。
台湾のパソコンメーカーは、もともとメーカーとさえいえないような町工場だ。その技術も秋葉原のショップレベル。マニアの知識以上のものではない。研究開発もへったくれっもない。所詮は買ってきたパーツを組み上げるアセンブル屋からスタートした。だからこそ小回りが利く。その身軽さがちょうどデジタルビジネスの奥義とマッチしたというわけだ。日本や韓国のパソコンメーカーが、その大企業としてのしがらみゆえに市場のスピードについていけなくなった一方で、パソコン製造拠点としてクローズアップされた。MicrosoftもIntelも台湾メーカーの組みつけた各種パソコン基盤がなければ、ソフトもCPUも売れない。ビジネスでは目立ったりカッコつけたりしなくても、儲かってこそ成功だ。



・脅しのマーケティングもモノを言う


ハイテクはあくまでも技術的問題だ。デザインや価格、あるいはマンマシンターフェースの機能といったように、直接的にユーザに見えるものではない。第一義的には末端ユーザにとって意味がないものだ。意味がないだけに、実態が見えにくくおそろしい気がする。技術革新とは、自分にとって何なんだろう。ホントの答は「関係ない」の一言なのだが、なかなかそれがわかっている人は少ない。それだけに無責任なマスコミは、ここぞとばかりに「世の中が変わる」と煽る。ここでいつも出てくるのが、「この技術についていけないと、時流についていけなくなる」という脅しのテクニックだ。
ここにおなじみの「なんとかブーム」というのが生まれる。古くは1970年代に、すでに情報化ブームというのがあった。それからニューメディアブーム、ファジー、ニューロ、マルチメディア……。この15年ぐらいを振り返っても、2〜3年おきに新しいキーワードが生まれ、世の中が滑稽などたばた喜劇を演じてきた。
ここでは典型的な例として、そのさきがけともいえるニューメディアブームを取り上げてみよう。1970年代の末からおこった「ニューメディアブーム」は、80年代を通して席巻から終息への道をたどった。90年代に入った今からその道のりを振り返って理解できることは、「どんなテクノロジも、物事の本質を変えることはない」ということである。メディアが増えれば増えるほど、本当に魅力あるソフトを作れるノウハウをもったものにとっては、ビジネスチャンスは拡大する。一方、過去のメディアビジネスのように、免許利権にだけしがみついて、本当に自分が持つべき強みを開発しなかったものは競争の中で生き残れない。どんな新しい波が来ても、本物の強みがあれば安泰、利権だけのヒトは化けの皮が剥がれる。結論は一言でいえばそういうこと。どんなハイテクブームも、本質的にはこれと同じことだ。
教訓としては、「まっとうな商売をしようと思うなら、ブームに踊らされるな」ということなのだが、それでも何度となく同じようなブームが繰り返されるのはなぜだろうか。それは「世の中には、中身のないヒトが多い」からだ。中身がないから、自信がない。自信がないから、新しいものがでてくると焦る。こういう次第だ。
しかし、彼らも金を持っている。かくして書籍は売れ、セミナーはハヤり、一度使ってみなくちゃとハードまで売れる。商売としては、これだって十分成り立つ。だからこそ「なんとかブーム」はくりかえされるのだ。彼らをターゲットにするなら「脅しのマーケティング」これに尽きる。「オオカミが来るぞ」と一言いえば、あたふたと慌てて財布のひもを開いてくれるんだから、これを利用しない手はない。
最近では、WINDOWS95ブームやインターネットブームもこの典型だ。目的を持ってWINDOWSパソコンを使ったり、メイルを使ったりしてる人は、黙って使ってる。そうでない人達にも売るには、こういう脅しのテクニックがものを言う。それがものを言うからブームになる、という次第だ。だがこのテクニックにはツボがある。それは、ブームは長続きはしないという点だ。これさえ守れば、脅しのマーケティングはそこそこ儲かる。

(c)1998 FUJII Yoshihiko


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