14歳




このところ、世紀末らしい事件が続発している。その主役ともいえるのが、20代無職のモラトリアム人間と、子供でも大人でもない14歳という二つの世代だ。個々の事件に言及することは避ける。しかし、いろんな意味で「人生の壁」が10代と20代の前半であるという構図は、別に今に始まったモノではない。ただ、それを受け止める社会の側が時代とともに変化している。それが今の閉塞状況を生んでいるのではないだろうか。そう思って、ぼくは自分の14歳がどんな時代だったか思い出してみた。

ぼくは1969年に13歳、1970年に14歳。まさに今問われている、60年代末から70年代へ向かう熱い時代が、ぼくの中学時代だった。もちろんそのころすでに、管理教育の弊害や、人間疎外といった問題は起こっていた。それどころではない。中坊達の置かれている環境は、戦前からの古い価値観の残滓が残っているぶん、今以上に閉塞的だったかもしれない。だからこそ、当時大学では学生運動の炎が燃え上がっていた。旧態依然とした「体制派」が権力を守りきるのか。新しい「反体制」の波が、風向きを変えるのか。まさに息詰まるような対決が起きていた。

今以上に一触即発の時代だ。もちろんぼくらも、重くのしかかる、教師や親の世代をぶっ殺してやりたいと思ったことも何度もある。過激派の爆弾テロ事件が起きれば、学校を爆弾で吹き飛ばしてやりたいと思うし、赤軍派の事件があれば、ぼくらも銃さえあれば自由になれるんだと思ったりもした。いまの中学生たちのあげる断末魔の叫びや、一線を越えて起こしてしまった事件についても、当時の記憶とともに、共感すら覚える。

しかし、ぼくらはそんなことはやらなかった。それは、やらずに救われる状況があったからだ。そのカギこそ「造反有理」というコトバに集約されている。時あたかも中国の文化大革命の時代。紅衛兵たちの活躍があった。理屈さえつけば、親だろうと、教師だろうと、すべての既存体制、既存秩序を、「反動」の一言の元にコトバで葬り去れる。血を流さずに、殺せる。銃も爆弾もなくても、破壊し尽くせるのだ。

何とすばらしいことだろう。これがあったから、ぼくらは救われた。これができたからこそ、今のぼくらはいる。毛沢東主席万歳。ありがとう。世間や歴史は何といおうとも、ぼくらは永遠に毛主席を尊敬する。紅衛兵達の熱い血潮は、今もぼくらの中にたぎっている。この熱さをなんとか今の中学生にも伝えたい。起ち上がれ、全世界の14歳の悩む者達よ。だがしかし、これはもはやオジさん達の夢の中にしかない、はかないうたかたなのだろうか。


(97/08/20)



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