コミックス・アニメーションと漢字文化





コミックス、アニメーションといえば、日本が世界に誇るエンターテイメントカルチャーだ。おたくの輪は、いまや太平洋も大西洋も越え、世界に広がっている。そしてその発信者も、日本のみならず広がりを見せはじめている。経済の発展によるメディアの興隆や、表現の自由化により、最近では韓国・台湾等でも有力な作家が育ってきた。ソウルや台北には「常設コミケ」といえるような、オタク専門店街もでき上がっている。いまやコミックスやアニメーションは、東アジアのお家芸といっていいだろう。もっとも、もう一つのオタクアイテムであるコンピュータ産業においても、これらの国が世界をリードしているという事実は、なんとも濃いものがあるが(笑)。

コミックスやアニメーションのビジュアル表現は、確かに東アジア伝統の絵画芸術と共通するタッチやトーンを持っている。それだけでも充分に深いテーマだが、それ以上に強い影響を与えた文化基盤があるように思える。もともと中国の文人画に始まる墨絵や日本の大衆芸術たる浮世絵など、東アジアのグラフィックアートは、西洋的な具象性、説明性による表現アプローチとは異なり、大胆な省略やデフォルメによる強調を伴いつつ抽象化し、より題材をイマジネーション豊かにリアリティーを持って描くという伝統がある。これは、漢字という象形文字に由来する表意文字を長年使用してきた文化基盤と関連する。つまり我々は、絵を現実の複製としてではなく、ある意味性を持たせた「記号」としてとらえる能力があるし、それを取り入れ活用したほうが表現の幅が深くなるということだ。

だからある絵を見た場合にも、象形文字のような意味性まで含めて「読み取る」こともできるし、「書き込む」こともできる。それだけでなく、このような記号の組合せにより、文字通りを「文脈」作り出すことさえできる。このような表現の試みは、文字においても古くから行われてきた。「書」がそれだ。たとえば、「書」で書かれた漢詩は、そのテキスト列の表現している文学的メッセージだけでなく、一文字一文字がそのカタチやタッチによって感情を表現している。そして書の作品は、この両者が組み合わさって、立体的な表現メッセージを伝えている。

この伝統は、コミックスやアニメーションにも活きている。漫画のキャラクターは絵ではなく、絵文字、象形文字としての記号であり、コミックスやアニメーションはその象形文字で書かれた文学だと考えると合点が行く。さらにキャラクターの表情やアニメーションでの動きは、ちょうど書の作品における筆の息吹のように、文脈だけでは伝えきれないイキイキとした表情を伝えているという次第だ。まさに、文字自体に意味性がある上に、その文字一つ一つに表情やメッセージがある、書の文化と共通したものがある。おまけに象形文字以前のいわば絵文字の文学だから、文化を問わず普遍性がある。だからコミックスやアニメーションは、東アジアの歴史と伝統が生み出した、人類全体の偉大な文化ということができるだろう。


(97/09/04)



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