情報とブランド





放送のディジタル化により、メディアの多チャンネル化は現実のものとなった。電波はもはや希少資源ではなくなった。もはや映像メディアといえども、インターネットのWEBよろしく、有象無象のコンテンツを取り込んではじめて、インフラビジネスが成り立つようになる。現在の放送ビジネスが提供するマス型のコンテンツは、情報の海の中で相対的な存在になってしまうのだろうという議論さえある。しかし、そんなことはありえない。自由な市場原理に任せてこそ、本来放送ビジネスが持っているパワーである、人材、制作ノウハウ、情報蓄積、資金力といった経営資源は、その真価を発揮するはずだ。では、そのためのカギとなるものは何だろうか。

受け手からみた場合、すべての情報が対等ということはない。価値ある情報、意味のない情報。信用できる情報、眉唾な情報。情報の消費者は、それらをウマく選別しながら、情報に接するものだ。メディアの視聴者がすべて、自分の視点、自分のオピニオンを強烈に主張する情報の発信者になることなどありえない。あくまでも多くの視聴者は、情報の消費者として振舞う。ただ、コンテンツの提供者を色分けし、ここから来る情報は信じれるとか、ここから来る情報は面白いとか、情報の中身を識別しながら接するようになる。これは別に新しいことでも、革命的なことでもない。そもそもメディアで情報が提供されるときには、受け手の側がこういう選択をしているものだ。

この点においては、電波系メディアだけが、いままで異質だったというべきだろう。コンテンツの間に自由な競争が行われるのなら、市場の選択によりそのコンテンツに対しブランドが生じ、ブランドイメージができて当然だ。新聞や雑誌、本といったプリントメディアでは、すでにこのようなブランドによる選択が行われている。全国紙にのった記事なら、ホントの真否はさておき、それなりに信用する人も多いだろうが、どこかの政党や宗教団体の機関紙の記事では、そこに所属する以外のヒトに対しては、説得力は持たない。これは発行部数の問題ではない。スポーツ新聞などは典型的だ。日刊スポーツの芸能スクープ記事なら信用する人も多いが、東京スポーツのトップ記事を信用する人はいない。これは部数というより、ブランド・マーケティングの問題だ。

情報メディアコンテンツのマーケティング、それはブランド商品のマーケティングに似ている。かつての宗教的なブランドブームとは違い、今ではブランドがついているだけで売れる時代ではない。質が高くデザインもいい付加価値の高い商品を、常に出し続ける。この努力があってはじめて、ブランドがブランドとなる。有名なブランドでも、ひとたび劣悪な商品を出せば、それだけでイメージは地に落ちる。だからこそ、各ブランドは偽物の摘発にやっきになる。この不断の努力が、ブランドをブランドたらしめる。

コンテンツも同じだ。常に信じるに足る情報、インパクトのあるスクープを続けていてこそ、そのコンテンツはジャーナリズムと呼ばれるブランドとなる。常に新鮮で面白いバラエティー、楽しくワクワクするショーやドラマを提供してこそ、そのコンテンツはエンターテイメントと呼ばれるブランドとなる。これは、今までのような押し込みの販売力に安住する新聞営業、免許利権に安住する放送事業とは違う、競争の中で勝ち抜くマーケティング戦略を要求する。すでにプリントジャーナリズムの世界では、それを意識するかどうかはさておき、ブランドができ上がっている。

実際立花隆氏のようなフリージャーナリストは、その提供しているコンテンツの主張に同意するかどうかはさておき、それなりのコンテンツとしてのブランド力やブランドイメージあることは確かだ。だからこそ、社会的影響力がある。同様に、クオリティーペーパーと呼ばれるニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストは、その少ない発行部数にも関わらず、ある一定のスタンスからコンテンツを作り続けているゆえ、ブランドたり得ている。これらは、常にあるレベルをクリアするコンテンツを、一定の視点から発信し続けてゆく中から形作られている。それは、利権やステータスではなく、不断の競争や努力によってのみえることができるものだ。

既存放送メディアビジネスは、コンテンツ提供者としての底力は圧倒的にある。戦略さえ間違えなければ、彼らの経営資源を有効活用し、コンテンツ時代の勝者となることはたやすい。問題は、それを意識してコアコンピータンスとして活用する経営戦略をとるかどうかだ。有象無象の情報が流れているからこそ、コンテンツのブランドが重要になる。街の手製ハンバーガーのスタンドと、マクドナルドのチェーンが共存しつつ、チェーン店はビッグビジネスとなっている。これと同じで、マス型のブランド情報と個人発信の情報は、質的に違うものであり共存が可能だ。そればかりでなく、多様な情報が氾濫すればするほど、ブランドの価値は高まるともいえる。チャンスとするか、ピンチになるか。それはまさに、マーケティング戦略次第ということができるだろう。

(98/04/17)



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