民主主義は間違っている





世界の中で置かれているポジションを考えると、日本がこれからどういう政策をとるかが、かつてないほど重要な問題になっている。日本が国である以上、世界に対して何らかの責任を果たさねばならないからだ。しかし、それができないところに日本株暴落の原因がある。そんな中で参議院選挙が近づいている。こういう状況を考えると、もっと「政治の季節」になってもいいはずだが、なぜか一向に盛り上がらない。これはそもそも日本の政治制度自体が、矛盾を内在しているからだ。それは、議会制民主主義の政治体制では、取るべき政策を取ることができないという矛盾だ。

端的にいって、人数の差だけで間違った政策でも正当化されてしまうのが議会制民主主義だ。守旧派で利権にしがみついている人が数的に多ければ、それが正しいことになってしまう。これでマトモな政治などできるはずがない。そもそも世の中には、大きいスケールでモノを考え、人類の将来と未来を見通したビジョンを持てる人よりも、目先の利害だけでモノを考えるヒトのほうが多い。こういう人達の判断に基づき政治が動くのでは、人類も世界も、悪い方へ悪い方へ向かってしまう。それは、民主主義というシステムを元に政治を行うのが間違っているからだ。

そもそも民主主義とは近代の欺瞞だ。もともと実態のある政治システムではない。普通選挙というシステムを擬制的にとることで、一般大衆に「権利」があるように見せかけて、その実、単なるガス抜きを行うためのモノでしかない。選挙で誰が選ばれようと、政治の大筋の別の所できまっており、大きくは変わらない。これが、本来の「民主主義」成立基盤だ。アメリカの大統領選挙を見てみればいい。枝葉末節の、大衆ウケしそうなところを必要以上に強調することで、対立を演出し、票を稼いでいるだけだ。本当の政策は、もっと奥深いところで、もっと大きなスケールで立案され実行されている。

いわば選挙のプロセスとは、王様の権威を誰が保証するかというだけの違いだ。かつては王権神授説のように、神や宗教がその保証だった。それが「大衆の選挙」という象徴的プロセスに変わっただけ。政策そのものには、選挙という単なるプロセスは、直接的に関与するモノではない。日本では、これが誤って伝えられ、本当に選挙で選ばれた政策が行われるようになってしまった。それも目先のお手盛りの政策が。誰が何をやっても順風満帆でいられた高度成長期ならいざ知らず、こんな判断では難しい時期は乗り切れない。それ以前に、こういう体制ではマトモな判断ができるはずがない。

企業を考えてほしい。トップが全責任を持って判断し、舵取りするからこそ、業績は伸びるし、いい経営ができる。社員全員の顔色をうかがいながら経営したのでは、倒産が待っているだけだ。同じような経営資源や財務内容でも、経営者のかじ取りのいかんいよって「勝ち組」になったり、「負け組」になったりするのが昨今のグローバルスタンダードだ。国家とて同じこと。大局に立った判断ができてこそ、その国は生き残れる。しかし単なる国力だけでは、一人前の国として勝ち残れないのが今の世界だ。

そもそも優秀なリーダーというのは、勉強や努力でなれるモノではない、天性の才能だ。ビジネススクールでいくら勉強してMBAを取っても、もともとの直感力や決断力といった才能がなければ、優れた経営者にはなれない。こういう能力を持つ人材は、そもそも限られているのだ。だから、世の中にはこういう判断を伴わない分野で才能を発揮すべきヒトのほうが多い。そうであるにも関わらず「日本の民主主義」では、そういう一般の人間に権利を与え、社会の進路を判断させている。こんな選挙に基づく民主主義の政治が、マトモな結果を生むわけがない。

だから本来ならば政治権力というのは、崇高にして知性にあふれる、理想的な帝王がいて、その一人に集中して与えられるべきモノだ。人気投票でしかない民主主義的選挙で、人類社会のゆく道が決められてはタマらない。あのナチスが政権奪取したのも、ワイマール共和国という「民主的」な制度の下で、人々の投票によって選ばれた議会を通してであったことを忘れてはならない。聡明な君主のもとにおかれた国ならば、あのような人類史上にもとる蛮行を行う政権が出てくるわけがない。人気投票に過ぎない選挙で政権を決めてしまったからこそ、ナチスがでてきた。

欧米社会ではそれなりに、民主主義の暴走に歯止めをかけつつ、政治を行ってきた。それでも、民主主義的な政治形態は破綻を迎えつつある。それはそのベースとなっている、西欧近代が終わりを迎えつつあるからだ。ましてや、押さえるところを押さえず、カタチとしての民主主義を歯止めなく取り入れてしまった日本が、ウマくいくわけがない。民主主義はもはやその役割を失っている。もう一度はっきりいう。民主主義は間違っている。今こそ、聖人君子が機能するよう、長い歴史とともに形作られた中国の皇帝制度を学び直すときなのだ。

(98/07/10)



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