本質と輝き





音楽でもアートでもなんでもいいのだが、ある作品がエバーグリーンとなり、時代や世代を越えて愛され続けるようになるにはどのような秘密があるのだろうか。どういう作品なら、単なる形式の面白さでウケるのではなく、永続的にヒトの心に感動を与え続けられるのだろうか。これもやはり、クリエーティビティーとオリジナリティーの問題に帰することができる。これは音楽の場合で考えるとわかりやすい。それは曲でもプレイでも、時代とともに消え去ってしまうモノと、スタンダードとして永遠の命を持つモノとが、はっきりと分かれているからだ。

ひとことで言ってしまえば「出来が違う」のだ。出来の「次元が違う」といってもいい。単にまとまりがいい作品や、時流に乗った作品を作るだけなら、あるレベルさえクリアしているヒトなら、努力や勉強次第でなんとかなる部分も多い。いわば、秀才の世界だ。だが、スタンダードになるモノはそういうスケールからははみ出している。なにか規範があってそれにそって作ったモノでは、決してスタンダードたり得ない。その反面、スタンダードとなるものは、形式を越えた何かを持っている。まさに天才の所作なのだ。

そういう視点から考えると、どんな場合でもオリジネーターというのは偉大だ。パンクのセックスピストルズ。グランジのニルバーナ。それぞれ、一世を風靡したジャンルの先駆者であるが、その作品やプレイは、一時的な流行に終わった彼らのフォロワーと違い、時代を問わない輝きがある。形式がゆえに尊ばれるのではなく、普遍の名作としての味わいがある。時代を引きずる各々の音楽ジャンルの代表作というのではなく、脈々と続く、ロック史上に燦然と輝く作品だ。

そうやってみてゆくと、歴史上どんな場合でも、最初に創り出したヒトはやっぱり何かが違う。ロックでいえば、ビートルズも、ツェッペリンも、クイーンも同時代の他のグループとは根本的に違うものがある。いってみれば、ビートルズはマージービート・バンドでないし、レッド・ツェッペリンはハードロックバンドではない。現役全盛期には、確かにライバル視された同時代のバンドもいる。しかし、今となってはその存在感の違いは段違いだ。それは彼らの音楽が、ある音楽スタイルの中にのみ存在しているのではなく、永遠の輝きを持つスタンダードの伝統の中で活きているものだからだ。

その典型は初期ビートルズだろう。曲のよさやプレイの良さももちろんだが、類まれな才能である、ジョン・レノンのヴォーカルの持っている「勢い」の違いは絶対的だ。この「勢い」こそが初期ビートルズに永遠の命を与えている。音そのものだけなら、確かにアウト・オブ・デートになっている曲もある。しかし、そのプレイからほとばしる、青春の喜び、葛藤、苦悩といった「活き活きした表情」は、若者が生まれ続ける限り不変のモノだからだ。そういう意味ではこの「勢い」をマスターテープの中に定着させたプロデューサー、ジョージ・マーティンの功績も大きい。

これはあらゆるモノについていえることだ。今どんな分野でもオリジナリティー・クリエーティビティーが重要視されているのは、一過性のモノではもはや意味がなく、永遠の価値を放ち続けるモノがもとめられているからだ。もちろん企業における「勝ち組・負け組」も、この文化とさえいえる、新しく、しかも永遠の命を持った商品を、社会に対して提示できるかどうかにかかっている。そしてそれができるのは、天才だけだ。本物を創れる人、永遠の輝きを持ったものを作れる人。彼らをもって天才という。これからの時代では、一人一人が持って生まれた天性の天才性に気づき、それを自然に自由に伸ばしてゆくことが、何よりも重要になるのだ。

(98/07/17)



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