著作権問題のクールな解決策
著作権の歴史は、即、著作権の対象の拡大、権利利用の拡大の歴史でもある。新しいメディアや流通経路が登場するたびに、新しい権利の利用分野が開拓されてきた。新しい領域がビジネスとして起ち上がるとともに、上前をどう配分するかという問題が必ず生じ、そのたびごとにウマい解決策を見つけてきた。それは、著作権というモノが基本的に財産権として、ビジネスや金の流れと密接に関係しているからだ。過去の歴史を見る限り、金が儲かるようになって、みんながみんな満足できる配分にありつけるようになれば、必ず解決する。難しい議論や、面倒な対立も歴史上くりかえされた。しかしそれらは必ず解決する。そのカギこそ「みんな儲かる」ことにある。三方一両得な分配さえできれば、この問題は難なくクリアされる。これは歴史が証明している。
いわゆるパクりの問題も、ヒットして金が動いているのに、パクられた方には金が入ってこないから問題になる。だから、作詞・作曲のクレジットにパクられた当事者もいれてしまえば、あっさりカタがつく。歴史上有名なパクり事件、たとえばビーチボーイズの「Surfin' USA」では、最初の版では入っていなかったチャック・ベリーのクレジットがその後入るようになったし、八神純子の「パープルタウン」では、同様にデビッド・フォスターのクレジットが入るようになった。余談だが、この手の曲の場合旧クレジットのアルバムはコレクターズアイテムになったりするので、結果としてコレクターまでその配分に預かることになる。
権利クリアが難しいと思われていた昔の映像作品や録音も、放送やパッケージの多メディア化により、ソフト権利のマルチユースが可能になった90年代に入ると、続々リリースされるようになった。係争中だったストーンズやジミヘンのソフト、ゼップのライブで有名になったBBCのライブなどが代表的だ。かつてこれらのコンテンツは、その権利関係や権利保有者の「言い値」はわかっていても、それを飲んだのではとても商売ベースにはのらなかった。しかしマーケットの拡大により、権利保有者がふっかけた「言い値」を払っても、充分元が取れるだけビジネスチャンスが大きくなり、採算的にも間尺に合うようになったから日の目を見たのに他ならない。
ここで大事なのは「育ててから喰う」点だ。タマゴと鶏には順序がある。一個のタマゴのうちに喰っちゃったのでは、元も子もない。ひとまず我慢をしてこれを育てて、大人の雌鶏になれば、毎日でもタマゴが食べられるようになる。雄鶏だって、大きく育ててから喰うからこそ、みんなで分けあえる。権利で稼ぐには、この発想が必要なのだ。いわゆる利権と違って、あるだけで金を生むわけではない。マルチメディア時代の権利は、大きく育てれば育てるほど、おいしくなってくるのが特徴だ。
このためには最初の段階では、「儲かったら、分けまえをくれるオプション」を明確にしておけくだけでいい。その時点で見えている、ほとんど分けまえを期待できない、雀の涙みたいな金をどう分けたって仕方がない。それよりマーケットが大きくなって、おいしい商売にする方が先決だ。分けまえはそれからもらえばいい。今日の一より、明日の十。この発想がパイを大きくする。
それにまだ金になるかならないかわからない状態で、みんなが納得する議論ができるワケがない。著作権問題というのは、要は大義名分でも公正公平さでもない。そこにある金をみんなでどう分ければ丸く収まるかという、極めて実利・実務に密着した解決策にすぎない。また新しいメディアの場合には、育たずにコケてしまう場合も多い。そんなモノに対してなら、苦労して配分ルールを決めるほうがバカバカしいではないか。
とにかく、ひとまずは市場原理にあわせて、競争の中でビジネスとしてたちあげる。配分法は、儲かってから関係者の間で決めればいい。関係者さえ明確にしておけば、ルールそのものはあと付けでいい。過去の著作権の歴史を見ても、そういうルールは常にあと付けで決められてきた。捕らぬタヌキの皮算用をしても仕方がない。そんなヒマがあったら、まずは商売としてのメドを立たせたほうがいい。これが著作権問題をクールに解決するための唯一にして最高の秘策だ。
(98/07/31)
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