産業構造の変化と雇用の再調整





日本の産業構造が、戦後復興・高度成長期以来の重厚長大形から、21世紀に生き残れるポストモダン形へと大きく変わりつつある。それとともに、雇用の再調整、労働力の再配分も行われつつある。リストラの嵐が吹き荒れ、中高年受難の時代と呼ばれる。しかし、ちょと待ってくれ。それは逆ではないか。自分らしさや人間性を捨てなくては仕事をしていけなかった今までの工業社会に対し、一人一人が身の丈にあった自分らしい生きかたができるのが情報化社会、ネットワーク社会だったはずではないか。このずれはどこかに誤解が生じているからだ。

その原因をひとことで言うならば、今までの工業社会に特化しすぎた人間は、新たな時代を目前にして、どう対応していいかがわからなくなっているからに他ならない。工業社会では、あえて自分を持たなくても、生産システムの一部となって、命令された通りこなせばそれで済んだ。この受け身の姿勢は、右肩あがりの経済成長の中での、これ以上楽なことはなかった。しかし、もともとそれで許されていたわけではなく、どこかで知恵を出す人がいたからこそ、それにぶる下がるようにして活きることが許されたというだけだ。

これからの時代は、そうは問屋が卸さない。待命専門の受け身人間では、そこにいる意味がないからだ。今までの安易なやり方は通用しない。しかし、逆に何も社会に自分を合わせる必要はないということもいえる。自分らしいところが光っていれば、適材適所で自分の居場所は見つかる。そのためには自分のいいところを見つめて、ちょっとだけ、その自分を磨く努力をすればOK。本来の自然な姿があれば、なにも恐れることはない。違うのは、楽しよう、他力本願でいようという、今までの甘えが通用しないことだけ。問題は、そういう甘い気持ちを吹っ切らずに、今後の時代も生きてゆけると思っているところにある。

中高年に再就職の口がないと言われるが、それは、世の中のしがらみを引きずりつつ甘えられる、今までのようなワリのいい仕事を探そうとしていているからだ。それは余りに虫のいい話だ。そんな話が通用しなくなったからこそ、リストラが必要となっているのに。要は、発想の転換だ。家族も過去も捨てて、本当に自分のやりたい道を見つければ、自分一人が充実した心を持てるぐらいの生活は、決してむずかしい話ではない。そのぐらいの気概があれば仕事も見つかるし、そのぐらいの意気込みもない人間では犬も喰わない。

サッチャー時代のイギリスは、大構造変革の時代で、雇用構造も大きく変化した。しかしこの時代にもっとも失業率の高かったのは、かつてのエリート予備軍の高学歴の若者だ。彼らは、エリート意識・階級意識が強いので、決して自分が見下している職業にはつこうとしない。だから、街には失業者があふれた。しかし、時間とともにそういうエリート意識ではなく、自分が充実感を得られるかどうかという、違う視点から仕事を選ぶことが自然になってきた。そうなったとき、雇用構造の改革は自動的に達成された。

今起ころうとしている問題もそれと同じことだ。過去にしがみついている間は、何も起こらないし、何も変わらない。しかし、発想を変えればコロンブスのタマゴ。なんて人生って楽しくなるんだろう。この一線さえ越えれば、なんてつまらないことにとらわれていたんだろうと思うに違いない。しかし、こういう紙一重的なちょっと視点を変えるのが、えてして難しい。

本当の自分が何かを見つめたことのないヒトは、現状が否定されたり、過去の実績が通用しないことを極度に恐れる。しかし、それは杞憂だ。本来恐れる必要などない。なぜ恐れるかといえば、本当の自分をさらけ出したことがないからだ。多少ホモっ気のある人ほど、自分がその世界にはいったまま帰ってこれないんじゃないかと思って、極度にホモセクシュアルを毛嫌いしたりするのと同じこと。自分を偽っているから、本当の自分を知ることを恐れている。しかし、もはやそれではダメだ。

自分しかできないこと、本当に自分らしいことに、自信を持って取り組もう。
家族や世間のしがらみにがんじがらめにされて、本当にやりたいことができなかったなら、それを打ち破るいいチャンスだ。たとえば山が好きな人なら、浮き世の生活を全て捨てて、住み込みで山小屋の仕事をするのもいい。仏像が好きなら、本当に出家してしまうのもいい。やきものが好きなら、山にこもって陶芸三昧もいい。自分が好きなことをできるなら、多少苦しくても活きてゆけるモノだ。他人のことを考えるより、自分のことを考えよう。

本来、人間の生きかたってそういうモノだったんじゃないか。よく、子供たちから口をきいてももらえないというオジさんがいるが、そういうオジさんは、会社でも周りの人とは天気の話ぐらいしかできない。話しかけてくること自体がハラスメントみたいな存在だ。これじゃいけない。しっかりとした自分を持っていて、それを表現することができれば、そんな問題は起きないはずだ。近代社会の会社員って、どっかが間違っている。心配することはない。そう、自然に。自然に生きればいいんだよ。

(98/08/14)



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