信じぬ者は救われる





他人を100%信じることほど危険なことはない。その割に、基本的に他人を信じる方をデフォルトにしている考えの甘い人が、世の中には多い気がする。最後は自分しか信じられないのというは、リスクヘッジの基本だ。本当に自分が困っている様な状況になれば、きっと他の人も困っている。そんな時には、誰も助けてはくれない。基本的に道は自分の力で切り開き、自分一人で進んでゆき、自分だけでゴールを勝ち取る。そのプロセスを常にアタマの隅で計算できなくては、この世の中とても恐くて生きてはゆけない。それが当たり前ではないか。

しかし、そういうリスクヘッジさえできるなら、何でもありの混沌状態の社会情勢は大きなチャンスでさえある。乱世に強いタイプは、リスクヘッジがウマいと言ってもいいだろう。だいたい、ハイリターンなモノはハイリスクと相場が決まっている。人生、順風満帆のときなら実力がなくても、小判鮫よろしく世渡りのやり方だけで喰って生きこともできる。しかし、本当の競争になると実力の差がでてくる。リスクヘッジのウマいヘタが、モロに差となって実績に現れる。人を信じるヤツはバカを見る。損をする。もっとも他人のハナシにも真実はあるので、すべてをすべて否定する必要もないが、90%信じていても10%の懐疑心を持つ、ぐらいの心がけはそんな時でも絶対に必要だ。

親だって、親戚だって、最後に椅子が一つしかなければ競争になるに決まっている。甘い気持ちになたほうが負けるのは同じだ。こういう場合、近しいからこそ、相手の情けで譲られて勝たしてもらったのでは、一生悔いが残る。正々堂々勝負したいものだ。実力勝負して勝ったのなら、それはフェアな闘いだし、どういう結果になってもすっきりしている。最後はそこに行き着かざるを得ないのなら、最初からそれを見越しておいたほうがいい。「譲り合いのあげくに収拾がつかなくなり、実力勝負」ではどうにも格好がつかないではないか。それだけのことだ。

逆にすべてにリスクを見込んで、前持って手を打っておく分には、少なくとも損はない。無駄な労力に終わることがあるかもしれないが、それは保険料のようなモノだ。結果最悪の自体が避けられるだけでなく、リスクヘッジをかける過程でそのプロセスに対する理解や洞察力が深まるため、ウマくプロジェクトを成功させる確率も高まる。成功のグッドサイクルをつかむ人は、概して最初からリスクヘッジがうまいものだ。それは、リスクへの予測や対応が無駄な労力ではないばかりか、そこに力を割ける余裕こそが成功の鍵だからだ。

最近、毒物を使った事件が続出している。これだって、猜疑心が強い人なら犠牲にならなくて済んだかもしれない。どんな慈悲深い心を持っている人でも、その人を殺したがってる人が世界に10人はいると思った方がいいだろう。危険はあって当たり前。人生はおとし穴だらけだ。顔で笑っていても、心で足を引っ張る。「くもの糸」ではないが、およそ世の中の凡人はそんなもの。だから信じた方が負けだ。猜疑に勝る安心無しうたぐり深ければうたぐり深いほど、危険な目に遭う可能性は減る。相手の人間がいて、そいつが策略としてやっている以上、注意してればおよそのリスクは回避できるものだ。地震や天災とは違う。

そういう意味では、何でもあり、自己責任のインターネットの普及は、何でも他人の責任にしてしまう無責任と甘えの意識にひたった日本人にとってはいい体験だろう。何を信じるか、何を信じないかは全て自分の判断。ウマく渡り歩くには、すべてにおいて半分信じて半分疑うぐらいの気持ちが必要だ。どんな結果になっても自分の責任。だれも骨を拾ってはくれない。その一方で、自分で責任さえ取れれば何をやってもいい。騙された方が悪い。つまづいた方が悪い。こうなってはじめて国際化・グローバルスタンダードだ。

インターネットを使いこなしている人は、人に頼らず、すべて自分だけを信じて行動できる人だ。それができないなら、使うのはヤメろ。あるいは失敗しても文句を言うな。それが最低のルールというものだ。ボケっとして道をあるいてて、石ころにつまづいても誰も同情しないくらいわかってるだろうに。そうはいっても、負け犬たちはインターネットでも、陰でこそこそと文句言ってるんだろう。メイリングリストや草の根BBSを作って、自分達の独善的な世界に浸ってね。でもそれはインターネットのインフラは使っても文化を共有しているとはいわないんだよ。まったく困ったもんだ。

(98/08/21)



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