貧すれば鈍する





学歴社会の弊害が問題視されて久しい。だがこの世の中は、本当に学歴だけでに人間の価値が決まってしまう社会なのだろうか。とてもそうは思えない。人間の能力の差は、人毎に歴然とある。これはどうしようもない事実だ。だが、それは学歴とは全く関係ない。大卒だろうと、高校中退だろうと、優秀な人間の存在する確率はそんなに変わらない。優秀な人間の存在する確率は、全体の5%から、せいぜい1割というところだ。これは能力のタイプを問わないし、当然学歴も問わない。スポーツでも、アートでも、リーダーシップでも、アイディアの豊かさでも、どんな能力でも傾向は同じだ。

この事実は、高学歴者ほど身をもって知っている。「いい学校をでたからといって、それがナンボのモンじゃい」とうことは、いい学校を出た人ほど切実に感じている。最後はその人間が持って生まれた能力次第。いくら勉強しても、いくら努力しても、その「能力の壁」を超えることは不可能だ。学歴を得ても、それだけではどうにもならないことは、挫折を味わえば誰にでもわかる。そういう意味で学歴社会に期待して勉強を重ねてきた人ほど、学歴の無意味さを身に染みて感じることになる。官僚がイバるのも、民間にいった能力にあふれる優秀な人間に対して、自分達はマジメに勉強したのにどうして勝てないのはというコンプレックスがあるからだろう。

ところが学歴のないヒトほど、自分の能力を棚に上げて、他人のせい、社会のせいにしがちだ。自分自身を客観的に見ることなく、「チャンスさえあれば、学歴さえあれば自分も一流になれたのに」という勘違いをするからだ。だがそれは違う。学歴なんてなくても、一流の人は一流だ。どんなに学歴があっても、三流の人は三流だ。当たり前じゃないか。ところが、妙なコンプレックスがあると、ここが見えなくなる。学歴さえあれば自分も成功したのではないかと錯覚してしまうのだ。ここから「学歴社会」という虚構の産物が生まれる。それは、自分を客観的に見れないから、そうなってしまうのだ。

この間違いの原因は、近代のもたらした悪平等の幻想にある。明治以降の近代化の過程で取り入れられた、「数の論理」がこの歪みの原因だ。人間はみんな同じで平等だから、みんなが多く賛成する方が正しい。これは無責任国家日本において、「寄らば大樹の陰」として強く定着した。大勢いる方についていれば、ウマく数に紛れて自分は責任を取らないまま、おいしい分けまえにはありつけるチャンスが増すという次第だ。これまたいつもいっていることだが、このような権威にすがる無責任さが、天皇の名の元なら何でも責任転嫁できるとばかりに、日本の軍国主義を生みだし、アジア諸国での無法な侵略や略奪をもたらしたことはいうまでもない。

そもそも「絶対的に正しいもの」が存在するかどうかはさておくとしても、ある条件下での物事の正当性が数で決まるというのはどう考えてもおかしい。物事の正当性は、「筋の良さ」によるのであって、数の多さによるものではない。数は少なくても、筋のいいものだけが正当性を持つ。「筋のいいもの」はそもそも希少だからこそ、正当なのだ。「ホンモノ」がそういっぱいあってはタマらない。お宝は一つ、後は偽物ということを考えてみればわかるだろう。正当なものは、その正当さゆえに貴重だし、その貴重さゆえに正当なのだ。

もし数が正当性を決めるなら、学校のテストの五択問題など、「いちばん同じ答が多かったのが正解」にするべきだろう。そうすれば、今の中高生みたいに平均志向、同一化志向の強い世代なら、みんな満点になって、学校嫌いも解消するではないか。そうなってもよさそうなものが、そうならないというのは、やっぱりそこに超えられないな何かがあるということだ。それなのに、世の中のことやマーケットのことを調査しようとすると、「いちばん同じ答が多かったのが正解」になってしまうのはどこかおかしい。これまた、数に頼ることで実態のない「多数」に責任転嫁し、無責任を享受しようということに他ならない。

いつもいっているように、イジメ、差別の問題も根っこは同じところにある。要はコンプレックスの裏返し。上を見ると妬ましくなる分、自分より下の人間を「作りだし」て差別したり、イジメる相手を見つけては見下して優越感にひたるというだけだ。なんと卑劣なことだろう。これもまた、自分のいいところ、自分らしさを見つめることなく、既存の価値観や権威にすがろうとする姿勢が生み出した矛盾だ。自分らしさを持ち、自分に自信が持てれば、そんな無意味な行動などバカらしくて仕方ないはずだ。

本来、人間の能力は多様なハズだ。一つのものさしで計れるものではない。そしてまた、誰でも人間である以上は、一つは他人にはできないような取柄があるものだ。それをきちんと見つめ、伸ばしてゆくことが何より大切だ。まずは自分を取り戻すこと。そして自分らしさに自身を持つこと。人と違うからこそ自分なんだ。そして自分にとっては他人からの評価でなく、どれだけ自分らしくいられたかということがいちばん大切だ。幸せな未来をこの手につかむには、回り道のようでも、そこから始めるのが一番近いだろう。


(98/09/04)



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