長嶋監督続投宣言に思う





巨人軍の来期監督問題は、いろいろとすったもんだがあった末、長嶋監督の続投ということに落ち着いた。でも、なんかすっきりしない。もちろん長嶋さんが嫌いなわけではない。80年代以降の巨人軍はどうも煮え切らないところがあったが、今回そのモヤモヤが晴れるかと思ったら、元のもくあみという感じなのだ。V9時代を知っているものにとっては、昨今の戦いぶりじゃどうしても「あの巨人」とは思えない。あまりにふがいない。ふがいなくて十数年。その状況が変わることに一瞬の期待があったものの、はかなく消えてしまって残念な限りというわけだ。

巨人は人気だけ先行するチームではなかったはずだ。圧倒的な野球巧者がそろって、鉄壁のプレイをしたからこそ神話ができたのではなかったか。今の巨人もいい素材の選手はいるし、そこそこ強いチームではあると思う。だがそれだけではダメだ。強いこととウマいことは違う。少年時代の記憶なのでデフォルメもあるかもしれないが、V9時代の巨人は、他チームとの間で圧倒的にレベルが違ううまさを持っていた。だからこそ、人気も生まれた。

ちょうどサッカーにたとえれば、Jリーグの下位チームと、ワールドカップで優勝を競うナショナルチームぐらい違う印象だ。ただ、腕力と勢いだけで野球をする他チームに対し、緻密な作戦、高度なテクニックで隙を与えない。それに何より、選手一人一人が「今何をすべきか」を自分で判断してプレイできるだけの能力を備えている。これだけ格が違えば、歯が立つわけがない。だからこそ「ズルい」とばかりに、ハンディーキャップつけて、ということで「アンチ巨人」なる層が登場するに至った。

意表を突いた当りでも、球が飛んでみるとちゃんとそこに野手がいて、クールに捌かれてしまう。相手チームのファンからすれば本当に憎いだろう。でもそのくらいウマいし、そのくらい強かった。V9時代といえども、王・長嶋といったスーパースター選手がいたから強かったのではない。別に王・長嶋がいなくても、並以上程度の3・4番がいれば充分常勝できただろう。全体のレベルが違うから強かったのだ。これこそ巨人の魅力ではないか。

人気があるから巨人なのではない。圧倒的に野球チーム、野球選手としてのレベルが違うからこそ、巨人軍は人気があったハズだ。はじめに「野球がウマいこと」「試合に強いこと」があって、その結果として人気がある。これでこそジャイアンツだ。しかし1980年代以降のジャイアンツは、はじめに人気ありきになってしまった。結果、野球そのものがおろそかになる。実力的には、他のチームとさして変わらないレベルになってしまった。これではこまる。少年野球のお手本にならないジャイアンツでは、ジャイアンツではない。

これは、ブランドマーケティングと同じだ。ブランドは、商品以前にステータスが確立しているわけではない。クオリティーが高く、デザインやセンスもいい商品を出した結果として、ブランドイメージができ上がる。どんないいイメージのあるブランドでも、つまらない商品、クダらない商品を出したら、一発でイメージダウン。ブランド資産は無に帰してしまう。その反対に、無名ブランドでも着実に評価を稼げば、ステータスを築き上げることができる。

野球でいえば、広岡監督・森監督時代の西武ライオンズ、野村監督のヤクルトスワローズの人気などは、中身で新ブランドを築いたいい例だろう。その森監督が巨人の次期監督内定という報道もあったので、これなら「ウマくて強いジャイアンツ」復活かと、実は期待していた。しかしよく考えれば、しみついた体質が半年や一年で変わるわけはない。監督だけ変わっても、そんなカンタンに解決する話ではないだろう。そういう意味では、長い目でみたチーム体質の改革を図るほうが先決かもしれない。

そう考えれば、ここで無理してどうなるモノではないという気もしてくる。でも、それでも期待もしちゃうのがファンということかもしれない。本音をいえば、なんとか今世紀中には、イヤになるほどクールで強い巨人をまた見たい、ということだ。人気だけで野球のヘタな巨人なんて応援したくないよ。だけど無理なのかなあ、今世紀中はやっぱり。こころから応援させて欲しいモノですよ、お願いだから。

(98/09/18)



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