クリエイティブな世代の務め





ぼくは最近、団塊二世からヤング層にかけての世代、ティーンズ+F1・M1の下のほうを、「四畳半世代」と呼んでいる。楽しいものであふれている四畳半の部屋、その中にあるあたたかいこたつの中に入っている。ドルショック、オイルショック以降に生まれ、YENパワーの安定成長期を、あふれるものに囲まれて育った彼ら。彼らを取り囲む環境はまさに、居心地がよく、手を伸ばせば欲しいものはそこそこ揃う四畳半だ。当然そこから外に出て行く欲求は極めて薄い。

かつて若者がクリエイティブだった時代もあった。それは、時代が飢えていたからだ。高度成長期は、世の中が常に大きく変わっていた時代。だからこそ、人々の価値観も大きく変わる。自分の個性やアイディア次第でどんどん拡げることのできる、心のフロンティアもあった。そういう時代ならば、若いヒトは若いヒトなりに夢を持つし、アイディアも持って当然だ。ということで、ヤングをターゲットとするときは、ひとまずヤングに聞くというのが常道となってきた。

かつてのように若者がクリエイティブな時代なら、マーケティングの商品企画でも、イベントやコンテンツのネタでも、ユーザである若者自身に意見を求めて、そこからアイディアを得ることができただろう。しかし、いまはそうは行かない。なんせ若いヒトほど、自分自身で夢やアイディアを作れない状況になっているからだ。彼らに意見を問えば、それなりに答は出してくるだろう。しかしそれは、しょせん彼らの「四畳半」の中にすでにあるものを手を変え品を変えて組み合わせただけのものに過ぎない。四畳半の壁の向こう側にはもっと心踊らせる世界があることすら知らないのだ。

90年代に入ってからのストリートカルチャーの閉塞感は、主としてここに原因がある。古いものを引っ張り出してきて、モノまねするのだけがウマい若者達には、新たな文化を生み出すだけのパワーはない。ただメディアに踊らされるのみ。しかし彼らとて、それで満足しているわけではない。えも言われぬ重苦しさは感じているからこそ、キれたり、事件を起こしたりする若者が多いのはいうまでもない。ということは、いままでに見たこともないような、ワクワクするスゴい夢の世界を見せてあげれば、それに反応するし、「四畳半」の外側の世界に興味を持つきっかけを作れる。こういう可能性がある限り、希望もあると言えるだろう。

コンピュータ業界でも、最近の若いプログラマは、昔の大型のプログラマのように高級言語レベルでコンピュータを理解しており、パソコンのハード的な内部動作にはめっぽう弱いという。しかしその中からも、パソコンのハードに異常に興味を持ち、ジャンクの8ビットパソコンを解析してマシン語をマスターし、古い本や雑誌を読みふけることで、ワンボードマイコン以来のパソコン界の歴史を一人で駆け抜けてしまう猛者がいるという。こういうヤツがいるから、ドライバのプログラマがジジイの高踏芸能にならずに済むという。

ここで重要なのは、誰が彼ら、彼女らに「夢を見るとはどういうことか」を見せてあげるかということだ。今の若者達があこがれる70年代、80年代の文化を作ってきた、今日の30代40代の世代が、後輩たちに対して果たすべき責任はこれではないか。「日本の未来のため」なんて大それたことをいうつもりはないが、他の世代に比べてそういうクリエーティブな能力をより持つ世代の義務として、その能力を自分のためだけに使い切ってしまってはいけない。ぼくらが、これからも夢を発信し続けること。これが結局日本の活力を生み、世界の可能性を拡げることになるのだ。

(98/10/23)



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