契約観念





世の中でいちばん大事なモノ、人間関係で最も重要なこと。それは契約観念ではないかと思う。契約観念とは、いいかえれば、人と人との関係を曖昧にしたりゴマかしたりせず、明確化した上できちんと責任を果たすということだ。これを具体的に示せば、次のようになる。
1. 事前にやるべき内容や範囲を明確化し、関係者間で共有する
2. 契約として決められたことは誠意を持って実行し、それを成し遂げる
3. 事前に明文化されなかった部分については、当人の自由とし一切不問とする
つきつめれば、契約観念とは、ものごとをこの三つのステップに従って実行し、その責務を互いにはたそうとする心だ、ということになる。

人間の行為の中で、およそ許されないのはウソをつくことだ。しかし、それは人のモラルにもとるからということではない。ウソをついてはいけないというのも、ここでいう「2.」の部分に引っかかってくるからこそ問題なのだ。超契約的に倫理がどうのこうのいうからおかしくなる。自分で決める、自分で守る。これを自己責任といわずして何といえる。そして、ウソとは自己責任を放棄することだ。もちろん、最初から責任を問われない契約になっているところは、何を言おうと何をしようと、嘘つき呼ばわりされることはない。この点も大事だ。

たとえば、これは浮気相手を責める問題などで明確になる。一夫一婦制か、一夫多妻制かというのは、文化風土の問題だ。どっちが正しいとか、どちらかだけが正当だということではない。だから配偶者以外の異性とつきあうことは、モラルがどうこうという問題ではない。したがって不倫が問題になるのは、たとえば自分で一夫一婦制を選択しておき、その上で「浮気相手はいない」とウソをついたときの「ウソ」についてということになる。もちろん、一夫多妻制でもすでに第一夫人がいるのに、独身を装って口説くのは、立派な嘘つき。前者のレベルと同じ意味で責められることは言うまでもない。

そんなに難しい話ではないのだが、これがきちんとわかって実行できる人が少ない。全く困った限りだ。こと日本においては、こういう観念をきちんと教育できる場が少ない。家庭内では人間関係が単純すぎて、教育できるレベルにも限りがある。となると学校だが、これがお寒い限り。結局、社会に出てからこの掟を学ぶことになる。社会からすると、勉強ばかりしていたヤツよりは、バイトでも何でも社会経験を積んで、世の中を仕切っている掟を理解しているヤツのほうがずっと戦力になるということになる。

なぜこういうことになるのか。それは、学校こそ集団教育として、契約観念を教える最初の場となるべきものであるにも関わらず、学校が契約観念から最も遠いところになっているからだ。そもそも学校は、組織と個人の契約関係からスタートするべきだ。学校側は、あらかじめ明示したカリキュラムで身につけるべき能力をきちんと付けさせる。そのかわり生徒側も守るべき義務を果たす。こうなってはじめて、社会性が育まれるというモノだ。

これが元来の姿だろう。たとえばよく言われる校則問題も、最初に契約として校則があり、それを生徒が納得した上でその学校に入るかどうか決めるという話になれば、容易に解決する。元来相互の契約であるべきモノが、一方的な強制になっているから話がおかしくなる。こんな精神論や超法規的な義務論を持ち出されては、契約を遵守する精神など生まれるわけがない。契約は法律をも上回る。法を犯しても、契約は守る。このぐらいの気迫があってはじめて、人と人の信頼関係は生まれることを教えることこそ、真の教育なのではないか。

困ったことには、学校教育に関わる多くの人達、文部官僚も、地方公務員も、実際の教職者も、こういう社会の実務からは至って縁遠いところで純粋培養された人達だけで構成されているという問題がこれに輪を掛けている。もちろん、正しい問題意識を持っている人々もいるとは思うが、多勢に無勢。事なかれ主義、権威主義の声の渦の中に埋もれてしまっているのが現実だろう。学校の荒廃も、この「学校と現実社会との乖離」が最大の原因ということができるだろう。明らかに「人災」なのだ。

だがこの問題については、政治による解決も期待できない。政治家も汚職や利権確保、利益誘導と、そもそもまっとうな契約観念から遠い輩が、政党を問わず多いからだ。これでは、数の論理からして自浄作用は期待できない。しかし実業的な世界からいえば、この「契約観念」のきちんとした人というのは、まっとうな社会人の第一条件。勉強ができるできないなんてどうでもいから、きちんと契約観念を持って、安請け合いせず、責任を持つべきことはやり遂げる人間でなくては通用しない。これを淘汰するのは市場原理、競争原理しかない。やはりこの問題も、市場原理、マーケットの論理が、外圧として世の中を変えていかざるを得ないのだろうか。

(98/11/27)



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