何がフェアか





またぞろ、プロスポーツ関連でドタバタ劇がはじまった。今度は福岡ダイエー・ホークスのスパイ疑惑だそうだ。一応現行の日本のプロ野球の規定では、スパイ行為の禁止(というか自粛)が定められている以上、もし事実として認定されればそれなりの処罰を受けざるを得ない。だがそれ以上に、なにかこの問題に吹っ切れないもの、煮え切らないものを感じる。それはスパイ行為が、単にルールとして人為的に作られた決めごとに対する違反に過ぎないのに、モラル論、精神論に置き換えて語られがちだからだ。これもまた、日本のスポーツ界の持っているつまらない精神主義の悪影響だ。

「選手だから、正々堂々」という理想論は、誰も異議を差し挟むものではないと思うが、なにを持って正々堂々というかについては、もっと議論があっていいと思う。そもそも野球はチームプレイだ。それも、グラウンド上にいる9人だけでなく、控えの選手、コーチ陣、フロント、その他スタッフ一丸となってはじめて、そのチームとしての真の力を発揮するタイプのチームプレイのはずだ。少なくとも現代的な野球はそうだ。そういう意味では、アメリカンフットボールやF1レースと同じぐらい、組織としての総力がモノをいうスポーツだ。

それなら、知恵という部分でも、チームの組織力をフルに活かしてこそフェアだという考え方があってもいいだろう。そう考えてみれば、ある種の情報戦についてスパイ行為と呼ぶ名前自体もおかしい。相手の投手のクセをつかんで読むのなら、スコアラーのデータを元にやっていることを、リアルタイムでやるだけではないか。なんでオフラインなら良くて、リアルタイムが問題なのか。このご都合主義が、本質的にスパイ行為にモラル上の問題がないことを示している。

情報戦も、これだけコンピュータや通信技術が進んでいるのだから、もっとマシンを取り入れて、徹底的にやるべきだ。そのほうが試合自体も、よほど面白くなるだろう。精神論よりも、面白さ。スリリングで白熱した展開になるなら、どんどんやるべきだ。その一方でスパイされるのがイヤなら、されないように自分で努力する。それが自己責任というものだ。たとえば無線にクリプトをかけて、バッテリー間、野手間で連絡するようにすればいい。この程度のハイテク化なら、それこそアメリカンフットボールやF1レースではいくらでもやっているではないか。

球種を読むのがウマいが、体力・筋力的にスラッガーになれない選手もいるだろう。そういう選手の知力もビルトインして利用してこそ、チームプレイの総合力ではないか。すべて、グラウンド上の選手だけでやるのでは、「やあやあ、遠からんものは音にも聞け」からはじまる、鉄砲以前の戦国時代のいくさだ。勝つためには色々な人材を活かし、その能力を発揮できるように使い分ける。それでこそ近代の総力戦だ。そういう世の中の掟もわからないようなスポーツ音痴しかいないから、日本のスポーツは世界に通用しないのだ。

そういう意味では、ぼくがいつもいっているように、ドーピングも一律に禁止というのはおかしい。ドーピングしていようが、サイボーグ、改造人間ではない。増強されてはいるものの、人間の筋肉、骨格をベースとしてどこまで限界に挑戦できるか、というチャレンジと考えることもできる。もちろん、ドーピングした人間と、ノーマルな人間が同条件で競争というのではフェアではない。モータースポーツがそうであるように、これらは部門を変えて各々の記録にチャレンジすればいい。

命懸けで肉体の強化に取り組み、その可能性の限界に挑む。これはこれで大変魅力的だし、興味深いではないか。どうしてスポーツ畑の人間は、こういう発想ができないのだろうか。多分、自分達は選ばれた選手だという、アマチュアリズム的な変なエリート意識があって、その権益を守るべく、一般社会のルールを拒絶しているのだと思う。しかしこれではダメだ。スポーツ自体が自己満足の道具で終わってしまう。プロスポーツがエンターテイメントコンテンツとして今後も生き残ってゆくためには、やはりこの意識改革が最大のポイントとなるだろう。

(98/12/11)



「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる