ポジティブに考える意味




勝ち組、負け組というレッテルが定番になって久しい。確かに結果としての勝ち組、負け組は明白でわかりやすい分、あと付けでのレッテル貼りは、新聞や雑誌といった経済ジャーナリズムの格好のネタになっている。しかし、そのワリには、どうして勝ち組になったのか、負け組になったのかという原因は、深堀されることは少ない。それは、そこに踏み込むと自分が損すると思っている人が多いからだろう。

勝ち組になるには、オリジナリティーがなくてはいけない。そして、それを具体化する実行力がなくてはいけない。しかしこれができる人は、日本の社会、特に企業社会には少ないのだ。長年規制に安住して真剣勝負を怠ってきた分、企業の中でも中央省庁の官僚的な意識や発想が横行しているからだ。何もせず、その場しのぎのワザでウマく乗り切ることだけにたけた人間が、なんと企業の中には多いことか。そういう連中は、仕事をしているのではなく、会社を食い物にしているだけだ。

そういう連中を増長させているのが、ネガティブな発想だ。この視点は、週刊ポストや週刊現代、夕刊フジといったサラリーマン向けのメディアにも共通する。人を批判するだけしておいて、代案や改善のための提案は出さない。問題点だけをセンセーショナルにとりあげ、狼少年よろしくおどす。こういう評論家的な発想からは、何一つ建設的なモノは生み出されないというのに。

こういう輩が跋扈するのは、人の揚げ足を取るのは簡単で、バカでもできるからだ。そのワリに、人を見下し、自分が偉くなったような気分になれる。だから、バカで無能なヤツほどハマる。いつも言っている、差別やイジメが生まれるのと同じ構図だ。まあ、会社に勤めているヤツが、皆ビジネス能力にたけているワケではないし、どちらかといえば、付加価値を生み出せる人間のほうが少数派だ。当然悪循環にはまる。

さて、こういうネガティブ発想が主流になると、考えかたが減点法になる。減点法の問題は、失敗を指摘されれば減点されるが、何もしないのは減点されない点だ。何一つ仕事をせず、なにも付加価値を生まなくても、いいことをしているのと同じになる。偉そうに人の批判だけをしていれば、何もしなくても逃げまくれるのみならず、それなりに評価される可能性がある。これでは物好きでない限り、真剣に仕事などしなくなってしまう。

人間、安易な方向に流れがちだ。なんかやっても、何もしなくても同じとなれば、誰も積極的に動かなくなる。悪貨は良貨を駆逐するというヤツだ。これからの時代は、何もしないで他人の足元に小判鮫のようにくっついて、分けまえだけ得ようとする人間が問題になる。そういう人間は、抱えていてもメリットがないばかりか、モラールの低下を生み出す組織の癌だ。

だからこれからは、ポジティブに考えてゆくことが大事だ。どれだけ付加価値を生み出せたか。結果を出してはじめて評価される。減点法は、組織の癌が生き残るだけでなく増殖する。加点法だと、そうは行かない。何もしないと評価されないからだ。何もしない小判鮫は、悪いことをした人、失敗した人と同じ範疇にくくられる。こうなれば流石のアホも、「今のままではいかん」と気付くだろう。それは、のほほんと流れに任せるのではなく、自分の強みを知り、それを活かす発想に換えるチャンスだ。

ポジティブに考え、性善説でゆく。北風と太陽ではないが、これからの時代は、これでなくては乗り切れない。努力をすれば、価値あるものはいくらでも生まれてくる。そうなれば、分けまえにあずかる発想もなくなる。誰かが生み出した価値のぶんどり合戦をするのではなく、自分で価値を生み出すとは、こういうことなのだ。
(99/01/22)



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