インターネットと規制




インターネットが絡んだ犯罪が続くと、またぞろ出てきたのが、インターネット規制論だ。99年4月からの新しい風適法の規制もその典型的な例だ。それだけでなく、有害情報の規制や、はたまた利用制限、果てはインターネットでの被害者への補償まで議論されている。うるさいまでにおせっかいである。まこと、笑止千万。インターネットを何だと思っているのだろうか。未だにこの程度の理解しかできないヤカラが多いとは、なんとも寂しい限りだ。

世の中、インターネット「でなくては」できないことなんて一つもない。別にインターネットなんてなくたって生きてゆくには困らない。危険と出会うのがイヤなら、そもそも近寄らなければいい。今でも、飛行機が恐くて乗らないという人がいるが、それでも生きてゆけるのと同じだ。インターネットは間を繋いでいるだけ。その両側は生身の人間や組織だ。だから多少の手間と時間、そしてお金さえかければ、同じ結果を得ることは可能だ。

では、なんでインターネットがもてはやされているのか。それはデジタル化・ネットワーク化のメリットたる、安く・早くできる吉野家効果が得られるからだ。リスクはある、しかしメリットもある。危険は承知だが、早さとか、安さとか、そこから得られるメリットが、予想される危険を考慮してもなお大きければ使う。それだけのことだ。危険は承知の上、それを自分でコントロールするからOKと考えて使うわけだ。

実社会でも、安い店が治安の悪いところにあることは多い。そんな時、あえて危険を押しても安さの魅力にメリットを感じてその店に行って買う人と、そんな危険を冒すなら多少は高くても近くの安全な場所にある店で買う人がいる。それはリスクの評価関数が、各々の人の中で違っているからだ。ローリスク・ローリターンを好む人と、ハイリスク・ハイリターンを好む人とは、いわば生きかたが違うのであって、どっちが正しいというモノではない。

まさにインターネットもこれと同じことだ。リスクがあるけど、その分安くて便利。これがインターネットの本質だ。そのリスクをユーザが自己責任で負おうというマインドがあったからこそ、そういう気風を持つ人達の間では、これだけインターネットが普及した。いわば、ハイリスク・ハイリターンのメディアだ。だから、これを手なづけて使いこなせる人にとっては、メリットは大きい。その一方で、いちいちリスクを潰していったのでは、コストや手間がかかってしまい、インターネットが持っている本来のメリットを潰しかねない。

ビジネスの世界でインターネットが浸透しやすかったのは、ビジネスではリスク管理は自己責任というのが、グローバルスタンダードだからだ。いま、インフルエンザが流行っているが、カゼで調子の悪いとき休むかどうか、ビジネスマンだったらカンタンな話だ。休んだことによるデメリット、休むメリット、これを比較してどっちが上かで判断すればいい。自分が出なくてはならない重要な会議や商談なら、無理しても出るだろう。そういうのが無い日なら、休めばいい。

どちらにしろ休むか休まないかは、自分で決めればいい。その分、自分が責任を取るだけだ。自分で責任とれれば、ズル休みしてもいい。何か起こっても、自分がケツまくればいいだけだ。それがいやなら我慢して出社するしかない。学校のように先生や親が「いけ」「いくな」といってくれるワケでもないし、責任を取ってくれるわけでもない。それが社会の掟というモノだ。

まさに、自分で責任がとれるかどうかだけの話。至って簡単だ。インターネットも同じこと。リスクがあることをわかった上で、自分で納得し、自分の責任で使う。実は、インターネットのメリットは、ネットワークやプロトコルの技術にあるのではなく、この自己責任が前提となった制度というところにある。これを捨ててしまったのでは、インターネットの社会的メリットは消えてしまう。もうアホなことはいわないでもらいたい。使いたくないヤツは使わなくてけっこう。それがインターネットの掟だし、魅力でもあるのだから。

(99/02/05)



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