セゾン美術館閉館に思う





セゾン美術館が閉館した。別項(Gallery of the Week等)でも時折触れていたように、閉館自体かなり前から予定され、予告されてきた既定事実ではあるが、実際に閉館となると、それなりに感慨がある。今の自分に大きな影響を与えた「フォンタナ展」等、心に残る展覧会も数多い。それだけでなく、そこで感じたこと、気付いたこと、学んだこともあまりに多い。そんなワケで、今回はセゾン美術館閉館にあたって、個々の思い出ということとは別に思ったことを語ってみたい。

まずなんといっても、自分にとってのセゾン美術館に対する思い込みの大きさは、ぼくの感じる時代性とのシンクロ度の高さに基づいている部分が大きい。西武美術館設立の1975年というのは、まさにぼくにとっての「青春」のはじまりに近い。それまでの単にマセてナマイキなガキから、今の自分に通じる自分らしさ、アイデンティティーを確立した頃でもある。ある意味で、ぼくにとってこの25年とは、自分の方向性を見つけてから、それをまっしぐらに突き進んでいった時代ともいえる。

セゾン美術館の歴史は、この20世紀の第四クォーターにおいて、アート・文化という面で、常に時代を反映しリードしていった歴史でもある。その同時期に、ぼくも自分なりに時代の空気を呼吸し、時代に先駆けて自分らしさを見つけ出そうと、常にもがいてきた。それだけに展示をみることで、狭いタコ壷に入りがちな視点を見開かせてくれたこと、自分なりに精いっぱいやっていることを勇気づけてくれたこと、など多かった。その分、いっしょに時代を通り抜けてきたという思いが強い。

しかしその反面、この25年間に時代が大きく変わってきてしまったことも確かだ。みんなが大前提と思っていた常識は、あっさり崩れ去ってしまった、その一方でかつてのアンチテーゼは、常識となってしまった。飢えて貧しいことが常識だった日本人は、バブル崩壊以降、金では買えない心の豊かさこそ、本当の豊かさであることを知りはじめた。当然のように、アートをめぐる状況自体、アートが語るテーマ自体も大きく変わってしまった。

コレクションの常設展示を持たず、時代にあわせた企画展の中から、そのアイデンティティーを主張するというセゾン美術館の方針は、たしかに時代にあっていたものだし、多くのインパクトを社会に、時代に与えたことも確かだ。だがそれとて、70年代、80年代、バブル期、ポストバブル期といった、日本の社会状況やアートシーンの状況があってはじめて成り立つものだ。それ以前であっても、それ以降であっても、あの場所、あの規模で施設を運営し、なおかつ社会的な存在感や評価を勝ち取ることはできなかったろう。

だが、アートをとりまく環境や、日本の社会状況自体が変わってしまった。20世紀末を迎え、現代美術自体が今までの方法論では存在感を主張しにくくなっている。このような状況を考えると、だらだらと今までの方法論の延長上で尻すぼまりになるのではなく、一旦閉館し、今までのやり方を捨てて、新しい方法論を模索するという選択は、実に潔いし、正解といえるかもしれない。それだけでなく、閉館自体が現代美術の状況に対し、重要な提言になっているともいえる。

もともと常にエスタブリッシュとなることを否定し、自己否定をくりかえす中にアイデンティティーを求めるのは、堤清二氏の得意とする方法論だった。それを考えると、閉塞しつつある現代アートの状況をふまえ、そのブレークスルーを確立する意味では、セゾン美術館の閉館は実にセゾン美術館らしい。アートシーンに対して与えるインパクトも、極めてセゾンらしいものということができるだろう。

スゴいこと、ハデなことを見せて感激させるのではなく、展示を通して「自分」というものを気付かせてくれたのが、セゾン美術館らしさだった。無くなってみてまた気がつかされることも多いだろう。今後の展開については、コンセプトのみで具体的な内容についてはまだ不明な点も多いが、なにがしかの時代性を感じさせてくれるインパクトという文脈では、これからも期待したいと思う。ありがとう。

(99/02/19)



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