このところ心にひっかかった、いくつかの事柄





今週は怒りや主張を強烈にアピールしたくなるような事件や出来事はなかったけど、こまごまと気になった事柄がいくつかあったので、それらについてコメントしたい。いつもの論文に比べれば、これが本当のエッセイだけど。まずはじめは、小淵首相の諮問機関として設置された「経済戦略会議」の最終答申から。「日本経済再生への戦略」と題されたこの答申。なんですか、これ。ぼくがいつも主張してることじゃないですか(笑)。公的機関にこういう答申出されちゃ、毒舌家としての立つ瀬がないよ。

もっとも答申は、あくまでも総論であって具体的なソリューションを提示しているモノではないので、そこのところでは一歩差をつけている所はある。だけど、主張それ自体が社会的な大勢に対するアンチテーゼになってた方がインパクトはあるわけで、ドラスティック差が薄れていることも確か。このところ、ぼくがいつもいっているような論陣を張る人が、マスの経済紙・誌上でも目立ってきていたけどね。「失業保険より自助努力」だもんね。でも、いったからにはやってもらいましょう。もちろん、圧倒的に応援するからね。

一方、今週に入って連日新聞紙面をにぎわしているのが、脳死判定と移植手術の問題だ。鳴りモノ入りで制定された臓器移植法案の初の適応例ということで、リキが入ってしまうのはわからないでもないが、臨時ニュースや、一面ぶち抜きトップの扱いには面食らってしまう。要は、日本の対応がいままでおかしかったというだけで、決してスゴいことをやったわけではない。やっと人並みになったというだけなのに、このハシャギ様はなんなのだ。同じ日本人であることが恥ずかしくなってしまう。

臓器を提供します、移植手術を希望します。なんてことは、基本的には個人間のオトナの契約の問題にすぎない。提供したい人は提供すればいい。したくない人はしなければいい。単純な話だ。それを国家が倫理だなんだといって介入する方がどうかしている。自殺する自由だってあるんだから、自殺して、なおかつドナーとして臓器提供したいという人だっているだろう。だったら殺してあげて、臓器を提供できれば三方一両得。それで、みんな幸せ。ハッピーエンドではないか。

こういう問題は、すべて当事者間の個人の問題として解決すべきだし、そこに公権力が介入するのはおせっかい以外のなにものでもない。ましてやジャーナリズムが建前論をカサに、偉そうに意見するなどというのはもってのほかだ。こういう社会構造だからこそ、きちんとした競争原理、市場原理が働かない問題も起きるというモノだ。誰にも迷惑をかけずに勝手にやる分には、当事者に任せておけばいい。これなら無駄な労力もコストもかからない。右肩あがりの経済が終わったからには、こういう無駄なコストは避けて、本人任せでほっておけばいいではないか。少なくとも、日本においてはそれで250年ウマくやってきた、江戸時代の町人社会というすばらしい省エネ社会の実績があるのだから。

そしてお次の話題は、日本がそんな省エネ社会だった頃に描かれた、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の日本での公開だ。これが19世紀前半のフランス絵画の代表的作品であることは確かだし、それ自体に異議を差し挟む気はしないが、これが美術史的な観点から客観的に見てフランスを代表する作品かというと、そこには疑問符をつけざるを得ない。フランスという国、あるいはフランス人にとってはかけがえのない作品であり、精神的支柱でもあるだろう。だがその価値は、いわゆる「個人的お宝」、自分にとっての思い入れが客観価値以上に高いモノとしか思えない。

もともとフランス人は国民性として妙な中華思想、ナルシスティックなナショナリズムが強い。だから美術品の価値も、人類の遺産的なスケールでの発想ではなく、フランスのお宝的な発想になっても仕方がないかもしれない。でも、日本人がそれにのっかっちゃうのはどうかなと思う。誰も指摘しないのだが、なんか変だぞ。秘伝の心のお宝を日本に持ってきてくれたことは評価すべきだが、人類にとっての美術資産として、「百済観音」と「民衆を導く自由の女神」が等価とは思えない。しかし、これを理解している見学者がどれだけいるのだろうか。

もちろん、今後これがフランス国外に出るコトはまれだろうし、ましてや「日本で見る」機会など永遠にないだろう。そういうイベント的な意味では、自分も見に行って「参加」したいという人も多いのだろうし、それはそれで感激があることだと思う。アレを運んできたエアバスの輸送機を日本で見れた方が感激、というマニアも多かったけど(笑)。ただ、元来この絵の持っている本当の価値を知るためには、フランスにいって、フランスの風土と空気の中で味あわなくてはウソだろう。フランスの食い物を喰って、フランスの水と空気を吸って(パリの空気は汚いけど)はじめて、どうしてこれがフランス人にとって意味があるかわかるのではないだろうか。


(99/03/05)



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