どうした、ジェフ・ベック





Jeff beckの10年ぶりのオリジナルアルバム、"Who Else"。発売されて一月ぐらい経ったけど、けっこう順調に売れているようだ。来日公演も早速sold out。長いタイムラグをものともせず、なかなかの人気ぶりを示している。さすがベテランだ。それはそれでいいのだが、この"Who Else"すこぶる評判が悪い。それも、音楽関係者に。いかに待たされたからとはいっても、こんなものでワクワクしちゃいかん、というのがもっぱらの評価だ。

サウンドや音楽のスタイルは、今までとは違うものの、これが評判の悪い理由ではない。どんなスタイルの音楽でも、マイペースでギターを奏き切ってしまうところが彼の魅力でもある。それこそ、演歌だろうと、ワールドミュージックだろうと、ソロパートが与えられれば媚びることなく、マイワールドを展開し、そこに引きずり込んでしまってこそベックならでは。今までもこの調子で、色々なサウンドに挑戦し、それに呑み込まれることなくやってきたからこそ、ファンがついてきた。

確かにベックらしいことはらしいし、それなりにはまとまっている。80年代にはやったGIT出身者系のテクニカルギタリストのアルバムなら、これでもよくやったって感じなんだろうけど、まがりなりにもジェフ・ベックですよ。聞き流すにはいいアルバムでも、それだけで終わっちゃだめだよ。何より致命的なのは、彼自身ギターを通して何を表現したいのかがよくわからないし、伝わってこないところ。このプレイは死んでいる(笑)。そういう心のヒダをギターに乗せて唄うのが、彼の元来の持ち味なんだけどこれじゃね。

ブートとか聞くと、ものスゴく出来のいいライブと、もうどうしようもないほどメタメタなライブと、その差がスゴく激しい。その時の気分がモロにでちゃう。ここがまた彼のプレイのいいところでもある。ファンはそれだからこそ、「出来の悪い」ライブにこそ妙な愛着を覚えたりする。いつでも、どんなときでも、ストレートに心が語られる。これが彼のプレイの醍醐味だ。それを考えると、今回のアルバムで伝わる「ギター奏きたくない」って心が正直なところなのかなという感じもするけど、それじゃあまりに寂しいよね。

いまどきの若者とかだと、昔のヒトでビッグネームだというだけで有難がってしまうし、確かにさすがにベテラン。気が抜けているといっても、きょうびのぽっと出のギタリストに比べれば格が違う。だから恐いのは、刺激になれていない若者が、妙にこれを有難がってしまうことだ。これを聞き分けられる耳がなければ、表現としての音楽の本質に迫ることはできない。こういう「耳の抵抗力」が弱まっている傾向は、70年代だったら「並の気合い」「並のアーチスト」にすぎないレニー・クラビッツを妙に有難がってしまったという前例もある分、なんとも気になるところだ。

さて、これを書くにあたって過去のアルバムを聞き返してみた。そこで気付くのは、まずキーボーダーとの相性という問題だ。ジェフベックは、あくまでもギターの詩人。自分がトータルにサウンドを創るという、アーティストタイプではない。もちろん自分がイメージするサウンドはあるのだろうが、自らアレンジャー、サウンドコーディネーターとなることはない。サウンドは、いつも組むキーボーダーによってまとめあげられる。これは第一期ジェフベックグループやBBAなど、彼がギターバンドを組んだときには、そのサウンドがいたってジャムセッション的になってしまうことからもわかる。

その分、キーボーダーとの組合せはなかなかクリティカルな問題になる。過去のパートナーでいえば、マックス・ミドルトン、ヤン・ハマーはいい。受け止めるようなふりをして突っ込む、絶妙のインタラクションがある。このインタラクションがないと、プレイにおいては表情の変化こそあるものの、構成が平板になってくるきらいがある。このあたりを充分心得て、乗せるフリして手玉にとるタイプだと、ものスゴいフレーズが湧き出てきたりする。

だが、トニー・ハイマスはちと違うんでないの。ジャズ的といってもフレージングじゃないけど、マインドというかスピリットというか、そういう意味でのジャズエッセンスがほとんど感じられない。これが、マックス・ミドルトンやヤン・ハマーと違うところ。それはそれで個性なんだけど、予定調和じゃつまらないんだよね。ジェフ・ベックの場合。何が出てくるかって、こっちが構えるくらいでなくては。その点物足りない。そう思って聞くと、これは"Guitar Shop"だってそうなんだよね。かえって、一般には評判よくないけど"Flash"の方がのびのびやってていいかもしれない。どっちにしろ本人がやりたいんだから、まあおせっかいはなんだけけどね。

余談になるけど、いろいろ聞き返して、"Blow by Blow"を聞いているとき気付いたことがある。このアルバム、ギターインストアルバム史上最高の売上を残しているけど、その最高の貢献者はジョージ・マーティンだって。そのドキュメンタリーともいうべき作風が、このアルバムを不朽の名作にしたのは間違いない。ビートルズのアルバムがいまだに売れている理由もそうだけどね。ジョージ・マーティンといえば、アーティストのいちばん活きのいい部分を、アルバムの中に定着させる魔術師。活きの良さがそのまま音源にキープされるからこそ、そのアルバムは永遠の命を持つ。刺身に天才的な板前とでもいおうか。もともと活きのいいネタの、とびきり活きのいいところを見抜いて見事に捌く。それも調理するのではなく、ネタの味を生のまま最大限に活かしながら。

ジョン・レノンでも、ジェフ・ベックでも確かにスゴいんだけど、次元が違うという感じはしない。持っている軸は同じで、その値が違うという感じ。だから、同じことができないまでも、わかることはかなりわかる。出てきたものは違うけど、やりたいことやモチベーションはけっこう似てるし。だけど、ジョージ・マーティンはスケールの違いでなく、構造が違う。本質的にぼくの持ってないものを持ってる。これは妬きますね。ないものねだりということで。今回の話とは違うけど。

これで終わっちゃうヒトじゃないと思うだけに、辛いところですね。確かに「やりゃできる」感じは充分に伝わってくるし。可能性はまだまだ持ってると思うけ。でも、考え変えればジャズのベテランがそうだったように、ジェフ・ベックも「尖って枯れた」老境の鬼才ならではの作品が楽しみかもしれない。前人未到の境地で、仙人か修行僧のような味わいを出したりしてね。ま、楽しみはその時にとっておきましょ。今回は、まだ実験的プロセスということで。でも、ファンってやさしいよね(笑)。ほんとに。


(99/04/23)



「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる