価値観の共有





これはすでにこのコーナーでは何度も論じてきたことだが、「大企業」というビジネスモデルは、これからの日本では過去の遺物になる。「大企業」というスキームが、過去の日本の経済成長に果たしてきた役割は大きいし、これを否定することはできない。しかし、経済環境も社会環境の激変を前提に、私的経済活動の最適化を考えるのなら、いつまでも十年一日のごとく同じパターンでの対応を繰り返したのでは成長は望めなくなる。

貧しい社会からテイク・オフする高度成長期においては、限られた資金や人材などの社会的リソースを、「傾斜配分方式」でいかに効率的に運用するかが、経済成長の成否のカギとなる。圧倒的に強い手札ばかりであれば、どう切っていっても勝つことができる。ぎりぎりの手札しかない場合は、それをどう切ってゆくかという手順により、天国も地獄も待っている。一つ切り間違えただけで、一瞬でチャンスは消え果てしまう。

こういう状態では、無駄な競争を防ぐことが、二重投資や死に筋への投資を防ぎ、限られた人材や原材料を最も有効に使うことになる。従って、規模を拡大しスケールメリットを追求することが重要になる。ペンシルビルを沢山建てて、エレベーターなど共用スペースばかりが多くなってしまうより、巨大なビルにまとめた方がスペース効率がいいのと同じだ。だからこそ、大企業が必要とされたのだ。

すなわち、そもそも大企業という組織形態は、新しいことを創り出したり生み出したりするためのものではない。その逆に、大量かつ効率よいリプロダクションを、情報化が進まず、資金にも限界があった社会環境の中で実現するために極限まで特化した、産業社会特有の存在である。産業革命以降の産業社会に最適化し、その可能性を追求した組織がグローバルな大企業なのである。ある条件下では極めて効率的な組織形態だが、それはいかなる場合も万能ということではない。

ではこれからの時代、21世紀の中盤以降を見据えた時、組織に求められることは何だろうか。それは、コンピュータシステムの世界で30年前に起こったことを考えると良くわかる。それと同じことが組織に起こるのである。一言で言ってしまえば、集中処理から分散処理へ。産業社会型の組織では、生産にしても管理にしても、真の意味での多品種少量には対応できてなかった。それは産業社会型の組織が、上意下達型のラインで動く組織だったからだ。

これからは、今までのようにラインで動く組織は必要ない。個別の「現場」は「大きな価値観」こそ共有しているものの、各々が自立して責任を持って判断し、それを元にそれぞれ独自に動く。トップリーダーは、「大きな価値観」としての世界観・価値観を創り出し、それをブランドイメージとして提案する。それを共有していれば、現場が各々勝手に動いても、全体としてのまとまりは生まれる。空間や指揮命令系統の共有ではなく、価値観が共有こそが、統一されたアイデンティティーの源泉となる。

これは、経営学的見地からみた「いいチームの秘密」を考えると良くわかる。「いいチーム」においては、メンバー互いの役割が理解・共有されており、それがTPOの変化と共に刻々と変化しても、キチンとそれに対応して臨機応変ポジションを変えることができる。誰かに指示されることなく、自主的に最適なフォーメーションが組めるのだ。そのようなチームのメンバーになるには、どのポジションも取れるし、そこでベストプレイができることが条件となる。

すなわち、これからの組織は「固定された構造がない組織」でなくてはいけない。ある特定の目的一つだけに特化したライン型の組織は、工業生産・大量生産に向いている。しかし、情報生産・付加価値生産には向いていない。ところが、世の企業組織の多くは産業社会真っ盛りの時代に、工業生産・大量生産に特化して構築されたもののままである。東芝の事実上の破綻など昨今大企業に起こっている問題は、特定の経営者の経営判断のミスというより、その組織形態が時代についていけなくなったためと考えるべきである。

組織が変われば、当然求められる人間類型も変わる。秀才はいらない。それはAIで対応可能だからだ。そして、コンピュータ以下の機能しか果たせない「Below the Line」もいらない。かつて企業では体育会がもてはやされた。体育会においては、少数のレギュラーと多数の非レギュラーという構造的が常に付きまとう。機械による情報処理が不充分だった時代には、命令通り動く歯車のような人間が多数必要であった。このような人材には、体育会の非レギュラーの連中が最適だった。

さらに、高度成長期の余裕がそれを後押しした。付加価値を生み出す人材は、決して多くないし、新卒の時点では可能性を見極められない。しかし価値ある人材をできるだけ多く集めるためには、数を多く採用するのが一番である。このため、会社でも「レギュラー」「非レギュラー」の壁ができることになった。付加価値を生み出す「レギュラー」は実績主義で、これに対し言われたことをやるだけの「非レギュラー」は年功主義で評価されることになった。

会社の業績が右肩上がりを続けている間は、底引き網よろしく根こそぎ採用しても、大量の「非レギュラー」を抱え込む余裕があった。それは、一握りの優秀な人間を確保するための手段であると同時に、情報化が進んでいない時代に大量生産体制を確立するために必要となる人海戦術による情報処理のために必要なことであった。だが数からすれば圧倒的に非レギュラーが多く、おのずとそちらが主流になる。大企業においては付加価値の高い仕事ができず、指示待ちで組織にすがる人の方が多いという結果になった。

しかし時代は変わった。今までのような組織構造を基盤とした企業では生き残れない。理念やヴィジョンを共有する人やチームの間でのシナジーこそが、これからの「企業」の基盤となる。21世紀に入ると、創業者の理念が脈々と受け継がれている企業や、オーナーがいて明確なヴィジョンを提示している企業の方が、サラリーマン社長の企業よりも時代に沿って生き残っていることが、その証である。これからの企業組織観は、このように価値観の共有を基盤とするものへと大きく変わるのだ。


(17/06/30)

(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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