責任と武士道
江戸時代の日本においては、武士は刀という武力を一方的に持っていた。切り捨て御免で使うこともできる。だからといって、それをめったやたらと振りかざすことはなかった。それは、使えば責任が発生するからだ。職務以外の私憤で刀を使えば、ほぼその結果として腹を切らなくてはならない。帯刀を許されていたのは、きちんとけじめをつけることができる人間であることが前提なのだ。
武士とは、責任階級なのである。全ての行動は、その結果を自分の責任で受け止めなくてはならない。このように「自己責任を取れる」ことが求められる武士階級が、責任ある行動を行うためのルールが「武士道」である。階級社会であった江戸時代においては、責任と権限は支配階級とされた武士にだけ求められため、農民や町人といった一般庶民は、一部の大商人や大地主を除くと、責任ある行動や生き方を求められることはなかった。
まさに、武士のアイデンティティーは「責任を取る」ところにあったのだ。そして、刀はその象徴である。使うと圧倒的なプレゼンスが発揮できるが、それをやったらその責任は全て自分に来る。人を殺せる武器を持っている分、使うことはできるが、使うのは筋を通すために限られる上に、使ったらその使用責任を取ってほぼまず自らも切腹することになる。それが掟だった。
実は、核兵器も同じである。持っていることで威嚇はできるが、使用したら自分自身も最期になる。ある意味、こういう「最終兵器」は持っているけれど使えないからこそ、プレゼンスがある。自ら責任を取る自覚のあるヒトがリーダーとしてその発射ボタンを握ってはじめて、その「効用」を引っ張り出すことができる。いわば「武士の心得」がリーダーに求められるのだ。
これはいつも言っていることだが、司馬史観のように明治時代の日本は、江戸時代に教育を受けて育った人材がリーダーになっていた。当然、士族出身で武士道をわきまえた、責任感を持った人達である。旧藩出身のこういう人材が、政治でも、経済でも、軍部でもリーダーシップを発揮していたからこそ、産業革命以降の帝国主義列強が世界を植民地化する中でも、ひとまず国としての存在感を発揮できたのだ。
ところが、20世紀の大衆社会化の波は否応なく日本にも押し寄せる。大正デモクラシーから1925年の普通選挙法施行と、なし崩しで階級社会から大衆社会へと変化してゆく。その流れが急速だった分、大衆は江戸時代の庶民の無責任さを背負ったまま、社会の主体となってしまう。日本は武士の国ではなく、無責任階級の庶民の国になったのだ。そして、それが完成するのが太平洋戦争開戦前夜、これが悪名高き「40年体制」である。
核を持つうえで一番大事なのは、持ってもいいが使わない自制心を持つことである。これは武士の刀を持つ心得と同じである。もちろんそれをわきまえた上で、持つ選択も持たない選択も有り得る。合理的で理性的な判断をした上で、「現状においては持つべきでない」という選択は責任感のあるリーダーなら可能である。いずれにしろ、武士道をわきまえたリーダーがいれば間違った選択にはならない。
20世紀後半の日本は一層の大衆社会化が進み、政治・経済のリーダーには「武士道」をわきまえた責任感のある人材が極めて少なくなった。それに呼応するかのように、護憲・反核といった思考停止の精神論が蔓延し、責任あるリーダーによる理性的な判断すら認めないような「輿論」が勢いをもつことになる。これではより責任を重視するようになった世界に通用しない。日本には折角「武士道」の伝統があるし、まだそれを受け継ぐ人材も残っているのだから、この原点を取り戻さない手はない。
(17/08/18)
(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋
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