懐に飛び込む





人間力で最も重要な能力は何であろうか。それはおそらく「相手の懐に飛び込む力」であろう。ビジネスを成功させるカギはそれだ。恋を成就させるカギもそれだ。この領域では、偏差値は全く役に立たない。理屈では相手は動かないからだ。理屈で動くのは、相手も理屈で動いている場合のみ。肩書きで仕事をしている人同士のBtoBビジネスなどは、多分にそういうところがあるかもしれないが、それは人間が生きてゆく中ではごく一部の例外的な事象に過ぎない。

確かに「傾斜生産方式で追い付き追い越せ」という貧しい社会がテイク・オフする時期に於ては、結果的にそのような「理屈で動くBtoBの取引」がGDPの多くを占めることもある。そしてそのようなトランザクションにオプティマイズするために、「高偏差値の秀才」が重用されることもある。だがそれはあくまでも右肩上がりのテイク・オフ期だから起こった特殊な現象である。日本社会は、あまりにそこに最適化し過ぎてしまったために、それ以外の選択肢があることを忘れてしまっているだけである。

時代が進み、日本も豊かな安定成長の時代となった。さらに情報化が進み、官庁や金融機関、士業等、理屈と肩書きで仕事をする領域は、AIの導入が最も効果を発揮する時代となった。これからの時代は、人間でなくてはできない「情」の部分の力量の差が、圧倒的なパフォーマンスの優劣を決めるようになる。そういう意味では、この「相手の懐に飛び込む力」はますます重要になってくる。「これがなければ人間じゃない」と言ってもいいだろう。

「飛び込む力」を発揮するパワーの源は「勇気」にある。では「勇気」はどこから生まれるか。それは「死ぬ気」でやるところにある。たとえとしての「死ぬ気」ではない。本当に命懸けで、死ぬつもりでやるのだ。そうすればもともと死ぬ気なんだから、失敗して討ち死にしてもいい。失うものがない「ダメ元」でチャレンジするからこそ、何も躊躇することなく、全てのエネルギーをそこに注ぎ込むことができる。

中途半端な状態で生きていることが辛いんだから、死んだ方が余程マシである。現状で生き残ることは苦痛でしかないのであれば、そこから抜け出せる道を選ぶのがいい。その決死の突撃が結果的に成功を導くことがあるならば、そちらに賭けてみるべきである。特攻や自爆テロを「命令」するのはどうかと思うが、私の性格からすると、自分がこのまま降伏するか餓死するしかないという状態に追い込まれれば、間違いなく自ら特攻を選ぶ。

ビジネスでも何でも、組織を動かしてゆく上で重要なのは、この決死の特攻力である。これは、日本社会の特徴といえる。戦国時代から、いや武士が歴史上重要な存在となった平安後期から、リーダーが軍団を戦力化して闘うためには、自ら先頭に立って文字通り組織を「引っ張って」行くことが必須だった。親分が真っ先に行くとなったら、逃げるわけにいかない。この状況に追い込まないと、下っ端の兵は命令しても言うことを聞かない。

「失敗の本質」の野中郁次郎先生から直接聞いた話だが、太平洋戦争中の米軍の戦術マニュアルにも、「日本陸軍で注意すべき部隊は、隊長が前線に立って全体を引っ張っている隊だけである。隊長が後ろに隠れている隊は、弾幕で脅しの圧力をかければ右往左往してバラバラになる。しかし隊長の統率力の高い部隊を撃滅させるには、弾薬の量はいらない。目立っている隊長だけを狙撃すれば、たちまち腰抜けになって反撃力を失う」と記されていたという。

死ぬ気になれば、ヤケになっていわゆる「火事場の馬鹿力」が湧いてくる。これが相手の懐をこじ開け、そこに突進するエネルギーになるのだ。もっとも、馬鹿力といってもただ闇雲に猪突猛進するだけのことではない。ちゃんと道があるにもかかわらず、それに気付かずただ愚直に正面突破を図って討ち死にするのでは、あまりにもったいない。戦略も何もなく、ただ気合だけで前へ進めということにはならない。進むべき道を見切った上で、そこを全速力で突き進む力というべきであろうか。

突き詰めれば、この問題に関しては人間には二種類しかいない。自分には相手の懐に飛び込む勇気がないのに、屁理屈をこねくり回してやらない理由をこじつける人種と、難しいことを考える前に、目をつぶって思考を止め突撃する人種と。これからの世の中では、前者のタイプは必要ない。必要ないどころか、周りの足を引っ張る存在でしかない。理屈や思考は必要ない。突撃あるのみ。考えているヒマがあったら、出撃しろ。


(17/09/15)

(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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