成果は大きい





今回の第48回衆議院選挙の結果については、人それぞれのよって立つポジションによっていろいろな見方ができる。しかしその結果を客観的に見れば、責任ある政治を行い得るのは自・公の与党しかないことと、現代日本社会においてはリベラル・サヨクは少数の泡沫勢力となったことを読み取ることができる。一部の個人的人気の高い政治家を除けば、小選挙区で当選したのはほとんど与党の候補であることがそれを示している。

立憲民主党の「躍進」が注目されているが、絶対数で言えば影響力は限られているし、社民党や共産党と合わせた「革新勢力」「リベラル勢力」全体の議席数を考えると、かつての「保革対決」時代から見れば、目を覆うような衰退ぶりである。このクラスタには一定の支持者はいるし、政治的な意味もあるが、政治的帰趨を決めるものではないことが明らかになった。日本の政治から「イデオロギー」の旗が消えた、記念すべき選挙だったと言える。

それら、労働組合や革新政党の主張をじっくり聞くと、幼い子供が、隣の子が読んでいる絵本を見ては「アレ欲しい・コレ欲しい」、オモチャ屋の棚に並んでいるオモチャを見ては「アレ買って・コレ買って」、フードコートに行っていろんな店を覗いては「アレ食べたい・コレ食べたい」と駄々をこねるのと同じ無いモノねだりであることはすぐにわかる。社会性や責任感を持った、分別ある大人の発言とはとても思えないレベルである。

高度成長やバブルで「バラ撒く」モノが多かった時代は、まさに55年体制の絶頂期。メインストリームに反対し、分け前をもらったら反対をとり下げるというマッチポンプで、その御利益に有り付きたく、労働組合などを代表に革新勢力が一定の支持を集めていたことは確かだ。オマケに右肩上がりの経済成長は、リボ払いのクレジットで散財しまくる消費者のように、懐の具合を気にせずバラ撒くことも可能にした。

まるで、ドラえもんのポケットから札束を出してもらうようなおとぎ話である。大企業、富裕層はドラえもんなのか。そもそもドラえもんが現実にいてくれるワケがない。だがかつては、そういう荒唐無稽なストーリーを信じている有権者が多かった。今の時代になってもそういう政党を支持し投票する人は、バブルよもう一度、夢よもう一度、天からバラ撒きが降ってきてくれと、あり得ぬ夢を見ている夢想家と言わざるを得ない。

しかし、今やそういう時代ではない。バブルが崩壊し高度成長こそ終わったが、充実した社会インフラのもと、ほどほど豊かで安定した生活が基調になって約30年。右肩上がりの経済に夢を求めるのではなく、もっと現実的にモノを考えなくては生きてはいけないと、きちんと考えているひとが増えてきたことを示している。これは、有権者の成熟化を示しており、いい傾向である。

もちろん、思想信条の自由は何よりも大切なので、「無いモノねだり」を主張することも自由であるし、そういう人達の受け皿も必要である。ただ、そういう人達は政権を担当するような責任を果たすことはできないし、あくまでも少数意見として耳を傾けるべきものであることを、今回の選挙の結果が何よりも明確に示している。責任を持った為政ができない意味では、政治勢力としては「泡沫」なのである。

イデオロギーが政治的軸から外れることにより、これからはより本質的な政策論議が、政治的な選択軸となることを期待したい。すなわち「バラ撒き・大きな政府」か「自由競争・小さな政府」かである。この軸が明確になることにより、「リベラル」の人達も「バラ撒き・大きい政府」を求める勢力の一つとして、再び政治的影響力を持つことも可能である。鉄のカーテンの崩壊から30年。やっと人々の認識がここまで来た、というべきだろうか。


(17/10/27)

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