神との契り





日本人には自己アイデンティティーを持っていない人が多いし、自分が何者であるかわからないまま生きている人も多い。かつて私は、「ジグソーパズルで自分自身のピースのカタチが解らず、廻りのピースが作っている穴を見てはじめて、自分のカタチを知る」とたとえた。多くの日本人にとって「自己」とは、「組織の一員としての自分」でしかない。組織が先にあって、その部分品としての位置付けから、自分の存在を理解する。

組織に合わせることによってのみ、はじめて自分を捉えられる。つまり、帰属する組織があってはじめて「自分」というものの存在を捉えられることになる。逆に言えば、組織の一員とならなくては、自分を理解できないしアイデンティティーなど夢のまた夢ということになる。この結果、「自分自身」以上に「自分が所属する組織」が重要な存在となり、組織の中に溶け込むことに過剰に適応するようになる。鬱やメンヘルが多い理由はここにある。

欧米では、組織や社会に依存することなく、自分というものが自立して先にある。これは別に、欧米人の方が日本人より人間的にしっかりしているからではない。ハダカにして比べれば、一人の人間はそれ程違うとは思えない。違いが生まれるのは、組織や社会以前に自分が頼れるものがあるからだ。それは宗教である。欧米に限らず、世界的に見れば社会の基盤、精神的インフラとして、宗教が大きな役割と存在感を果たしている国や地域の方が多い。

日本人の場合、神社仏閣に行ってお祈りするのは、試験にうかりますようにとか、儲かりますようにとかであることでからわかるように、宗教といえども「現世御利益」を求めるものでしかなく、自分の生きる意味や救いを与えてくれるものではない。だが、欧米のような一神教の文化圏では、人間同士の関係より前に、神との関係において自分が確立することを重視する。自分が自分であることを規定するのは、まさにこの神との関係性においてなのである。

近代日本においては、西欧から多くの社会的な制度や組織機構が取り入れられた。しかし、文明開化で移入されたほとんどの制度は、このように「神との契約」において自我が確立した個人により構成される組織を前提としている。すなわち近代西欧の社会は、宗教的な精神インフラの上に、近代的というか合目的的な政治経済制度を載せた構造をしており、これが制度を円滑に運営させていた。

しかし、日本においては江戸時代にすでに高度に社会・経済が発展し、経済組織では三井家のような大規模な商家、政治組織では徳川幕府そのもの、など独自に発展した組織が形成されていた。それは、決して一神教的な宗教的・精神的基盤をベースとしたものではなく、すでに組織そのものへの帰属が自己の存在を規定するものとなっていた。このような組織を前提に、西欧の制度を移入することになったため、組織論上もっとも重要になる基盤の部分が、まさに「木に竹を接ぐ」ようなものとなってしまった。

では、なぜ日本人が組織や社会に依存しなくては個人を確立できなくなったのだろうか。日本人の精神から宗教が抜け落ちてしまったのは、江戸時代の寺の檀家制度が原因と考えられる。少なくとも鎌倉新仏教の登場から戦国時代までは、仏教は日本において精神的支柱として機能していた。阿弥陀様に対する浄土信仰などは、かなり一神教的な要素を持っている。また同時に戦国時代の人々の生き様を見る限りにおいては、精神的に自立し個人をきっちりと持っていたことがうかがえる。

江戸時代になり、平和な時代になるとともに生産力が上がり、相対的に生活が落ち着いてきた。この時代に徳川幕府により檀家制度が導入され、寺は在家信者に対して精神的な救いを与えるものから、寺請として庶民に対する管理を行う行政支配機構の末端を担うものとなった。当然、一般の寺は宗教活動に力を入れなくなってしまう。宗教としての仏教の衰退と、生活の安定による共同体への依存心の高まりが、宗教をベースとして自分を確立する必要性を失わせたのだ。

こう考えてゆくと、現代日本人がグローバルに活躍するために必要となる「ミッシング・リンク」は、組織以前に自立した個人を確立できる精神的基盤としての宗教であることがわかる。しかし、こういう「神との契り」を日本人が失ってから400年以上。これを取り戻すことは容易ではない。200年後に日本が地球上に残っているためには、宗教国家になっていなくてはならないだろう。しかし、未来を確実なものとするためには避けては通れないステップなのだ。


(17/11/10)

(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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