現場力幻想





現場力が日本企業の強みであったが、昨今現場力の低下が問題だという意見をよく聞く。それを失われた20年の正社員減に結び付けるという、左がかった極端な論調さえ「リベラル」な皆さん方からは飛び出している。しかし、それらは日本人についてのインサイトが不足した見方である。現状示されているものが、日本の組織が発揮する現場力の本質であるが、高度成長期には特別な条件が重なり合って、偶然高い現場力が発揮されててしまったと見るべきである。

高度成長期の日本組織に高い現場力があったかのように見えたのは、貧しいかったがゆえに起こった偶然と考えるべきである。むしゃらに働かなくては食ってゆくことができず、ずるしたり楽したりするワザを考える余裕がなかったこと。みんな貧しい中から、誰かだけが抜け駆けをしないように、皆が皆、強力な相互監視を行っていたこと。この二つの条件が重なることで、組織としての管理をせずとも、「隣組」の締め付けよろしく、規律正しい行動を取らざるを得なかったから起こったことであった。

豊かになって、この二つの前提条件が崩れたことにより、本来あったものの隠蔽されていた問題が顕になってきたのだ。これらはリストラや技術伝承の問題ではない。その証拠に、いろいろな偽装や手数の省略といった昨今起こっている問題は、90年代末の金融危機以降に始まったことではなく、さかのぼれる資料があるだけでも、まだ右肩上がりの経済が続いていた30年や40年前からやっていた伝統ある手口であるという事例も多い。

これは営業関係に見られる現象だが、かなり「盛った」セールストークをしているうちに、それを語っている当人が、実際にそうであるように思えてきてしまうことはよくある。こういう状態になると、本人が信じきってそういう「盛った」トークを語るようになるので、極めて危険な状態になる。その内に、現実を直視せず、自分の空想の中にだけあるフィクションの方を事実を思って行動するようになる。日本企業の現場力も、これと同じ構造だ。

日本の「ものづくり」は「追い付き追い越せ」で、先行する欧米をベンチマークし、それと同レベルの製品の製造を実現することを目標にしてきた。初期においては、日産と英オースティン社、日野と仏ルノー社など自動車メーカーが欧米メーカーと提携してノックダウンで車輛製造をおこなっていたように、いろいろな業種のメーカーで欧米先進企業と直接契約を行い技術の導入を積極的に行った。

それより多かったのが、パクり・コピーである。今や中国のお家芸のように思われているパクりだが、昭和20年代・30年代においては、日本は世界に冠たるパクり大国であった。戦時体制下の技術発展により、1950年代の日本にはある程度の技術力の基盤はあったので、日本独自のオリジナルな設計はできなくとも、欧米の先進的な製品をリバース・エンジニアリングし、ほとんど同等の製品を製作することは可能であった。

実は戦時下の技術でも、連合国、主としてアメリカの技術を真似た「パクり」由来のものは多い。複数のエンジンを持つ飛行機では、エンジン間の連動制御が極めて重要であり技術的なカギとなる。もちろん、日本の軍用機でも一式陸攻や一〇〇式司令部偵察機などの双発機、二式大艇のような四発機はあった。だが、これらの基本技術は、双発はライセンスで生産していたDC-3の制御技術を、四発は開戦後フィリピンで捕獲したB-17の制御技術をパクってコピーしたものである。

また1950年代に旧国鉄が交流電化のノウハウを得るために、フランスから電気機関車を輸入しようとしてその魂胆を見抜かれ、輸出を拒否された話も鉄道関係者にはよく知られている。新幹線も、新しい技術を導入したわけではなく、安全を第一に考え、当時すでに「枯れていた」定番の技術を組合せ、その集大成として最も速く走れるシステムとして開発されたため、それまでの直流電車の発展形である0系を作り、戦前の弾丸列車ですでに計画され欧米では実用になっていた最高速度210km/hで走らせることになった。

もちろん、日本独自の技術、日本がすぐれている技術もある。新幹線で言えば、その列車を過密ダイヤで遅れなく走らせる「運行ノウハウ」などその最たるものだろう。製造業で言えば、ラインの速さ、歩留まりの良さといった「生産技術」に関しては、独自性も高く、世界に冠たるものであることは確かだ。「カイゼン」で知られる、現場を巻き込んで知恵を出させ、それにより創発的に生産性を向上させるやり方もまた、日本の技術の優れた点である。

すなわち運用面・ソフト面の技術こそ、日本が誇るべき技術なのである。しかしベースとなる技術が、正規の技術導入かパクりかはさておき、欧米をベンチマークしたところから始まっている以上、ハード的な技術にはいかに改良がくわえられてもオリジナリティーは乏しい。その実態をきちんを把握せず、バブルに踊る中で「ニッポン、スゴイデスネ」と勘違いしてしまったところに不幸があった。だからこそ「現場力幻想」なのである。

それは技術者の育て方にも問題があった。これは技術者に限らず日本の高等教育全体にいえることだが、技術者育成の教育に関しては、ベンチマークする欧米の先進技術をいかに早く覚えてマスターするかに極端にオプティマイズしてしまった。このため頭を使う戦略は「追い付き追い越せ」の一言で済ませ、テクニックを覚え込む戦術に特化してしまった。このため、戦略的にモノを考えて、新しい技術や製品を創り出す人材はほとんど生まれなかった。

これは当然メーカーの経営にも影響してくる。技術に関して、技術者の中に戦略を立てられる人材がいない。当然技術系出身の経営陣も、戦略は立てられない。営業や管理畑出身のトップも、戦略性がないということは同じである。それでも、ベンチマークするグローバル企業がある状態、すなわち「Japan as No.2」であった間は、「追い付き追い越せ」の精神論が戦略の代わりとなって経営を行うことが可能だった。

経営学に於ては、「創発的」の反対語は「戦略的」であることからもわかるように、経営としての戦略は創発的には立てられない。しかし日本のメーカーにおいては、トップまで「カイゼン」の現場発想しかできない。これでは戦略的なマネジメントは不可能である。戦略なき経営で、求められたのが戦術だけだったからこそ、創発的に「カイゼン」の現場提案だけで進めることができたのだ。この構図ができたこと自体、これまた創発的というのは、なんとも皮肉である。

戦術的な発想しかできないから、戦略的対応ができない。それは戦略的な発想ができないから、戦術的に対応するしかないということもできる。もうここまでくると、どちらが原因でどちらが結果とも言えないが、日本の組織の持つ構造的限界がここに如実に表れている。とはいうものの、これはあくまでも日本人の組織論的な弱みであり、個々人の能力がグローバルレベルに比して劣っているわけではない。戦略的発想をできる個人もいるが、リーダーシップを取るポジションに抜擢されていないだけである。

だから日本企業でもグローバルに成功しているところは、ほとんど天才的創業者が自分の判断で業績を築き上げたところである。その一方で組織の論理からスタートした多くの企業は、バブル崩壊以降業績を低下させ、かつての大企業も破綻したり不祥事を引き起こしたりしている。組織の論理を一旦反故にし、個人の才能をベースに社会の構造を組み替えなくては、日本は生き残れない。いずれにしろAIの普及により社会構造は変化期に差し掛かっているのだから、いいタイミングといえるかもしれない。


(17/11/24)

(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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