このごろの女性ヴォーカル
ひかれるものがあったので、椎名林檎のアルバムを買ってきた。まあ、ぼくのことをよく知ってる人なら、あの手のキャラクター、声質、唄い廻しが好きというのは充分想像がつくとは思うが(笑)、けっこうハマっている。さっそくヘビーローテーションに入っている。曲そのものとか、サウンドとかは荒削りだし、はっきり言ってあざといところも多い。でも椎名林檎の個性がそれを越えちゃっている。CDかけるのも、音楽を聴くんじゃなくて、直接彼女の個性を感じたいからというイメージだ。
もともとぼくは単に声がキレイとか、お唄が器用とかいう歌手は、フロントラインに立つべきではないと思ってる。声量にモノをいわすいかにも「歌手でござい」というタイプよりは、俳優の唄の方がずっと表現力があって感動的だ。一曲の間に一つの世界が演じられなくては、わざわざ唄なんて聞く気がしない。そういう意味では、ストレートにパーソナリティーがぶつかってくる彼女は、スゴくいい歌手ということ。ブームとかいっても、でてくるものはでてくるんだ。ということで今回は、最近ハヤリの女性歌手について、個人的な感想を述べてみたい。
宇多田ヒカル
なんといっても、今年は彼女抜きでは語れない。売れればいいとは思わないけど、売れるってことはそれなりにスゴいこと。それにもまして、やっぱりウマいよね彼女。R&Bだハヤリものだなんてのを抜きにしても、オーソドックスな意味でウマい。枠にハマってないのね。唄から自分の世界が突き抜けてくる。圧倒的に存在感がサウンドに勝ってる。デジタルリズム使ってて、そういうダンサブルなグルーブ感が売りみたいだけど、彼女の唄はその逆だよね。コンピュータの刻むノリからすぐハミ出しちゃう。かなり無理して押さえて、ハヤリのアレンジにあわせてる感じ。
それでも充分出来がいいということがまた、かなりの力量の証拠。そういうワケなので、アルバムの中じゃリズムものよりはバラードものの方がいい出来だし。日本でのハヤリものという意味での「R&B」とは対極的な存在といっていい。だから彼女はやっぱり生バンド向きだと思う。コンピュータはむいてないよ。それも敏感に唄に反応するバックのミュージシャンを集めて。スゴく刺激的に唄で挑発してきて、バックメンもイマジネーションが湧きまくると思う。こういう歌唄いとプレイしてみたいよね。その面じゃソウルっぽいし、本来の意味でのジャズだよね。もっと熟してきてからが楽しみ。
Misia
だからダメなのよ、音楽的には。こういうの作っちゃ。まあ売れるのはわかるし、売れるから作るんだって理屈もあるけど。もちろんビジネスとしてはそれは否定しないし、売れることはいいことだと思うよ。とはいうものの、この手の輩が横行するから、音楽が使い捨てになっちゃう。ビジネスとしはいいけど、音楽としてはね。人前で唄うように選ばれた人じゃないよ。単に器用なだけの人じゃない。なんも表現力がない。こういう人はスタジオミュージシャンでバックコーラスやってればいいんだよ。それだったら、声質もテクニックもいきると思うけど。
この手の商売って昔のニセブランド商品と同じだね。全然粗雑な素材を使って本物に格好だけちょっと似せて、そこにブランドマークがついているってだけでありがたがって騙されてた頃の。そんなの持ってると、人格が疑われるよ。偽物買うなら、本物のリサイクルのとか、旧モデルのアウトレットとかにすべきだよ。長い目で見ればそのほうが得だし。だから、MisiaなんてCDで買うもんじゃないよ。MP3でフリーでダウンロードするのがお似合いか(笑)。で結論。彼女のアルバム買うんだったら洋楽買いなさい。マライヤ・キャリーでもホイットニー・ヒューストンでもいいからさ。
山口由子
ちょっと前にはやってたけど、なんかかわいそう。ヤバいよこれ。彼女自身には罪はないんだけどね。キャラクターとしてはボーダーラインというか、プロデュースの仕方によってはでてくる個性や味わいが変わってくるぎりぎりのところにはいるとは思うけど。まるでクロスロードで悪魔に魂を売っちゃったみたい。売れるなら、堕ちるところまで堕ちてもいいということなのか。だいたい「オシャレでOLウケする」ってのはマーケティング的にダメなのよね。一時的にブームにして売り切ろうって戦略だから。一瞬光が当たっても、あとは人間ヤメますかだもん。
もうちょっと地道で素朴なキャラクターでやってれば、大ヒットはなくても、それなりに続けられるものは持ってるとは思うけど、「オシャレ」路線はねえ。これも禁断の麻薬ね。たぶんこれでダメになっちゃうよね。「オシャレ」路線に個性や固有名詞はいらないから。いくらでも代りはあるし。ぼくにとっては許せるのと許せないのの境目のところから、がらがらと音を立てて許せない方へ崩れ落ちてゆく感じ。そういう意味ではある種のリファレンスではあるなあ。ぼくには。ここから先はクロという。
Tama (Hysteric Blue)
こりゃスゴいわ。急成長ですね。ま、ルックスとか声の質とかスゴい好みなんだけど(笑)。わかってるでしょ、そこのあなた。それはさておき、彼女大化けするんじゃないかな。タレント性というかスゴい玉だと思う。ある種のリアリティーや切実感を演じる歌手としては、レベッカの頃のNOKKO以来じゃないのかな。フレンズが最近またリバイバルしてるし、本人も のっこ になってリメイクしてるけど、時代が才能を求めてるのかも(笑)。こういう才能は天性のものだからね。まだ荒削りだけれど、自分で自分の能力をコントロールできるようになれば、スゴくなるよ。
そういう文脈じゃ、Hysteric Blueの他のメンバーはかわいそうだよね。必死に喰らいついているのはわかるし、その努力も伝わってくるけど、しょせん器が違いすぎる。ワールドカップ上位クラスのチームととJ1チームの差というか。早晩ついていけなくなるだろうね。その時に、どれだけ彼女がバンドを離れて一人で「押し」を出せるかだろうね。カギは。優秀なプロデューサーがサポートしてもいいけど。結局 のっこ 自身もそれで失敗してテイクオフできなかった感じだもんね。なんかレベッカの歴史が重なっちゃうよ(笑)。今後の健闘を期待したいね。
玉城千春(Kiroro)
あざとく70年代っぽさを出している人とか、必死に70年代を勉強して机上の追体験にトライしてる人とか、最近の若者には70年代指向というか、その時代へのあこがれを持ってるヤツが多い。しかしその時代を実体験したオジさんからみると、どれもワザとらしくて全然70年代っぽくないんだ、これが。だけどKiroroって、そう意識してはいない分、すごく70年代なのね。自然体のところが。柔よく剛を制すというか、北風と太陽というか。70年代ってオシャレじゃないの。おしゃれになりきれない泥臭さが、ものスゴく個性的だし、それがよかったんだ。ここに気がつかないと。
「最後のKiss」なんて、ほんとにそういう意味で70年代だと思う。実体験としてのその時代っぽい。この曲って、このごろの人が普通にプレイすると、ぜったいオシャレ方面に流れるキワどいところにある。それを意識せずあくまでも自然にのびのび唄いきれる力量と存在感はスゴい。けっこうスゴいかなとは思ってたけど、世の中では「なごみ系」と思われてたみたいで、残れるか心配もしてた。けどここまでできるなら安心。彼女もただ者じゃない。さらに大物の自然体へ、今後の脱皮に一層期待。
(99/07/30)
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